本屋の王子様
深雪の所属する園芸部は、基本的に休みの日の活動はない。
ただし、当番制で数回水やりをする為に、学校に通っていた。
今日はその当番の日。十時に部室集合の為、深雪はゆっくりと支度をしつつ、少しだけ早く家を出た。
自転車を走らせながら、深雪は鼓動を高鳴らせていた。今日は特別な日で、立ち寄りたいところがあるのだ。
部活の後にしようかどうか、散々悩んだが、やはり行く前に済ませたいと、深雪が自転車を停めたのは本屋である。
通学路途中にある、九時開店の本屋に入店して、深雪は真っすぐ漫画の新刊コーナーへと向かった。
平積みされた漫画のなかから、目当てのタイトルを見つけると、声もなく歓喜した。
漫画の新刊の表紙絵を本屋で見つける時の、この瞬間がたまらなく至福であると、深雪は毎度思う。
目的の漫画を手にした深雪は、レジに直行せず、そのまま他の漫画も物色した。気になるタイトルはいくつかあるが、家の収納スペースを考えて、購入にはかなり厳選に厳選を重ねている。
全神経を使って、棚に並んだ背表紙を目で追っていた深雪は、背後から近づいてくる気配に気が付かなかった。
「あれ、立花さん?」
「!」
突然名前を呼ばれたことと、その呼んだ声の心地良過ぎる重低音の両方に驚いて、深雪は顔を上げた。
声のした方を振り向くと、そこには白のトートバッグを肩に提げた、スレンダーな美女がすらりと立っていた。
いや、美人ではあるが、彼は美女ではない。
「お、弟さんっ」
「蓮季でいいよ」
深雪の反応に、蓮季は美しく微笑み返した。
久しぶりに拝む王子の姿は、記憶の中よりも神々しい気がする。
予想していなかった事態に慌てる深雪とは対照的に、蓮季は落ち着いた様子で言葉を続けた。
「立花さんは、今日は学校? 部活かな?」
制服姿の深雪に、ある程度予想をつけた蓮季の質問が飛んでくる。
深雪は動揺しながらも、こくこくと数回頷いて肯定の意を示した。
「漫画好きなの?」
深雪が手にしている漫画を見ながら、蓮季が質問を重ねてくる。深雪がぎこちない笑顔を浮かべながら「はい」と短く答えると、彼は「そっか」と更に笑みを深めた。
漫画コーナーにいるということは、蓮季も漫画好きなのだろうかとふと思う。
「蓮季さんも、漫画読むんですか?」
慣れない名前呼びに緊張した様子の深雪の問いに、蓮季は「いや」と否定から入った。
「俺はあんまり読まないんだけど。 参考書買いに行くって言ったら、ついでに漫画を買って来いって、弟にパシリにされた」
肩を竦めて見せる蓮季の言葉に、深雪は目を丸くする。
「三人兄弟なんですね」
蓮季の下に、まだもう一人弟の存在があるという新事実に、深雪はその妄想力を発揮させる。日路と蓮季の弟なのだから、超ハイスペック少年に違いない。
勝手に想像する深雪に、蓮季が更なる情報を追加してくる。
「日路の上に、まだ姉もいるんだけどね」
何と、大神四姉弟であるらしい。蓮季を見るに、かなりの美人の姉であろうということが推測できる。
想像でしかないが、四人が並んだら相当な迫力であるだろう。
最早感動の域に達していたところで、蓮季が「そうだ」と話題を切り替えた。
「立花さん、お願いが二つあるんだけど、聞いてくれる?」
「なんなりと」
“王子”と徒名されるだけの、妙な高貴さを放つ蓮季に、深雪の対応も少しだけおかしくなった。
蓮季から「お願い」と言われて、断れる人がどれだけいるのだろうかと真剣に考える。
一体何を頼まれるのだろうかと、緊張する深雪に、蓮季の美しい低音の声が響く。
「俺、漫画コーナー来ないから、弟が欲しい漫画がどこにあるのかよくわからなくて。 できたら一緒に探して欲しいんだけど・・・」
少しだけ控えめにする蓮季のお願いは、深雪にしてみれば朝飯前のミッションである。
自信のあることなどほとんどない深雪だが、こればかりは胸を張って請け負った。
「良いですよ。 なんていう漫画ですか?」
「ええと・・・・」
蓮季がスマホを取り出して、弟に頼まれたという漫画の写真を深雪に見せてきた。
「あ、これ面白いって評判のやつですよね。 しかも新刊」
「立花さんも知ってるんだ」
目的の漫画は、割と昔から続いている作品だが、最近アニメ化されたことをきっかけに、その人気が更にうなぎ上りになっている漫画だった。
「面白そうだなとは思ってるんですけど、もう三十巻以上出ているので、なかなか追いかける気力が湧かなくて」
「あいつ、そんなに漫画持ってるんだ」
深雪の説明に、蓮季が少しだけ驚きをその声色に滲ませた。
漫画を読まない蓮季からすれば、そういう反応になるのであろう。自宅に漫画が溢れている深雪からすれば、今から追いかけるには足踏みしてしまうが、驚愕するほどではない。
「新刊みたいなので、あっちのコーナーに行けば、すぐ見つかると思いますよ」
そう言って、深雪は先程までいた漫画新刊コーナーへと向かった。その後を、蓮季が続く。
まさか自分が、王子を引き連れて歩く時が来ようとは。
深雪は異常に後ろの気配を意識しつつ、目当ての漫画を探した。
「これですね」
「ほんとだ、あった。 ありがとう、立花さん」
深雪が差し出した漫画を受け取った蓮季が、極上の笑顔で礼を述べる。
あまりの眩しさに、深雪は立ち眩みを覚えながらも、一度深呼吸をして何とか耐えた。
それから、もう一度蓮季に向き直る。
「そういえば、もう一個のお願いって何ですか?」
首を傾げて尋ねる深雪に、蓮季は「う~ん」と唸って同じように首を傾げてきた。
「やっぱり、もう二つダメかな?」
美声で可愛く強請られ、断れる深雪ではない。
「全然大丈夫ですよ」
「ほんと?」
快諾する深雪に、蓮季は顔を綻ばせた。
今すぐにでも、絵にして残したい美しい笑顔に見惚れていると、蓮季が二つ目のお願いを口にした。
「じゃあね、一個は、敬語をやめてほしかな」
「えっ」
いきなり難易度MAXのお願いをされ、深雪は小さく仰け反った。
蓮季のお願いは断れないが、対応できるかどうかはまた別問題である。
硬直する深雪に、蓮季が少しだけ寂しそうな表情になる。
「同い年だし。・・・・・馴れ馴れしい、かな?」
そんな風に言われてしまえば、もうできませんなんて言えない。深雪は全力で首を左右に振った。
「いいえ! よ、宜しくお願いします・・・・・」
「まだまだ時間かかりそうだなぁ」
どぎまぎしながら声を絞り出した深雪の反応に、蓮季が低く笑う。
「あ、それで、最後の一つは・・・・・?」
このまま彼と会話を続けていては、あまりの美しさに殺されてしまいそうだと、深雪は早々に三つ目のお願いを尋ねた。
「ああ、それね。 これが一番申し訳ないんだけど」
言いながら蓮季が、持っていたトートバッグから、更に小さめのランチトートの様なものを取り出した。
「日路も今日、部活で学校行ってるんだけど、お弁当忘れて行っててさ。 届けようかと思ってたんだけど・・・・・」
そこまで言って、蓮季は手にしたランチトートを深雪の前に差し出す。
深雪は反射的にそれを受け取ったが、意図が分からずそのまま蓮季の続く言葉を待った。
「立花さん、よかったらこれ、日路に渡してくれないかな?」
「私がですか!?」
難易度MAXを振り切ったお願いに、深雪は思わず大きな声を上げた。近くにいた他の客から、何事かと視線を浴びてしまう。
居たたまれなくなって肩を竦める深雪に、蓮季が更に言葉を続けた。
「なんか最近、日路ちょっと変なんだよね。 たまにぼーっとしててさ」
「大神先輩が?」
深雪は驚きに目を丸くした。
日路とは、夏祭り以降会っていない。
夏祭りに行った時は、いつも通りの爽やかな日路だったが、その後に何かあったのだろうか。
心配に思っていると、蓮季が「だからさ」とにこりと微笑む。
「立花さんから渡してくれない? それで、ちょっと日路と話してやってよ。 元気出ると思うから」
残念ながら、そんな力は自分には無いと、深雪は苦笑しか返せない。
喜んで受けることはできないが、できませんと突き放すこともできないのが何とも難しい。
そうこうしているうちに、蓮季「じゃあ」と話を締めくくる。
「日路には、立花さんが持って行くよって連絡しとくから。 よろしくね」
「え、あ、はいっ」
強引ともいえる蓮季の言動に、深雪は断り切れずに流れで承諾してしまう。
一体どうしたものかと深雪が俯いて悩んでいると、蓮季がその美しい顔を覗かせてきた。
「今日は沢山ありがとう。 今度お礼させてね」
「め、滅相もございません・・・・」
敬語を使わないという二つ目のお願いをクリアできるのには、もう少し時間がかかりそうである。




