そっと恋する約束を
「成瀬ちゃん、遅いね」
「・・・・・」
次の授業の準備をしながら、深雪は斜め前に座る千太郎に向かって呟いた。
移動教室からの帰り、トイレに寄ると言う成瀬と別れて、深雪と千太郎は先に教室に戻って来ていたのだが、そろそろ次の授業が始まりそうな今になっても、成瀬は帰ってきていない。
体調でも悪いのだろうかと、心配して席を立とうとしたとき、漸く成瀬が軽やかな足取りで教室に戻ってきた。
どうやら、体調に問題はないらしい。
深雪がひとりで安堵していると、成瀬が席に着くのと同時に、勢いよく一枚の紙を突き付けてきた。
「見てこれ!」
見せられた紙に踊る文字を、深雪はゆっくりと読み上げる。
「・・・・・夏祭り?」
成瀬が持ってきたのは、学校近くの地域で開かれる夏祭りのチラシだった。
急な申し出に、深雪が返事をできずにいると、成瀬が楽しそうに言葉を続ける。
「夏休みに行きましょ。 私、行ったことない」
「成瀬ちゃんこのチラシ、どうしたの?」
やけにテンションが高いなと思いつつ、深雪が疑問をぶつけると、成瀬はすっと素の顔に戻った。
「なんかさっき、知らない男子に一緒に行こうって誘われた」
「はァ?」
成瀬の言葉に、どすの効いた千太郎の声が響く。
慄いたのは深雪だけで、成瀬は気にするそぶりも見せずに、それ以上詳細を話そうとはしない。
「そ、それで、誘われてどうしたの?」
千太郎の黒いオーラにびくびくしながら、恐る恐る深雪が聞くと、成瀬は特に表情を変えることもなく淡々と答える。
「『一緒には行かないけど、チラシは頂戴』って言ってもらってきたけど?」
「「・・・・・」」
当然でしょ、とでも言いたげな顔でサラリと言ってのける成瀬は、いつでも予想のはるか上空をジェット機で飛んで行く。
「・・・・・損したわ」
「何の話?」
千太郎が零した愚痴に、成瀬は怪訝な顔をする。
これ以上こじれる前にと、深雪は慌てて話題を夏祭りに戻す。
「三人で夏祭りなんて、楽しそうだねぇ」
「何言ってんの?」
空気を読んだ筈が、成瀬の声色は一層低くなった。
どうしてだろうと、今度は深雪が怪訝な顔をする羽目になる。
全くぴんときていない様子の深雪に、成瀬は盛大にため息を吐いた。
「三人て何よ。 大神先輩はどうしたのよ、大神先輩はっ」
「えぇ!?」
一体、何をどうしたらそこまで話が及ぶのだろう。
日路と夏祭りに行くなんて、目標が高すぎて眩暈がした。
しかし、更に鬼教官成瀬の指令は続く。
「今回は、深雪が誘ってきてよ」
「な、何言ってんの!? 無理だよっ」
「無理って言う前に、やってごらんなさいよ。 見ててあげるから」
「羽澄、あんまりいじめるなよ・・・・」
流石に深雪が哀れと思ってか、千太郎が成瀬を諫める。しかし、幼馴染の苦言など聞こえない便利な耳を持つ成瀬は、ことごとく無視をして進行していく。
「次に大神先輩見つけたら、とりあえず声かけましょ。 そのチラシは、深雪が持っててね」
スパルタ成瀬の指示に、深雪は抗議することもできずに両手で顔を覆った。
そうは言っても、学年が違うのだ。今までは会いに行っていた訳だが、普通に日常を送っているだけでは、そうそう校内ですれ違うこともない。
深雪は夏祭りのチラシを常備しつつも、その存在を一日中考えていることはなくなった。
そして、すっかり夏が本番に差し掛かった頃。
「おっ。 仲良し三人組じゃん」
「!」
昼休み、園芸部顧問に雑用を頼まれた深雪と成瀬と千太郎の三人が職員室に向かっていると、廊下の角で日路と頼来にばったり遭遇した。
からかい口調の頼来に、成瀬は眉根を寄せる。
「・・・・・二人に言われたくないんだけど」
確かに、成瀬の言う通り。いつも成瀬と千太郎のことをニコイチと呼んでいるが、日路と頼来もはっきり言ってニコイチだと思う。
深雪は苦笑を漏らしたが、その途中で重大ミッションがあったことをふと思い出し、一気に背筋がぴんと張った。
一年生側の空気が変わったことに気が付かない二年生二人は、成瀬のツッコミを爽やかに返す。
「今日、日直なんだ。 ノート置きに行ってきたところだよ」
「俺は、生徒会顧問の御用聞き」
二人が今、何をして来たかどうかなど、正直もうどうでもよい。
成瀬の調教により、夏祭りのチラシは今も制服のポケットの中に突っ込んである。深雪は制服の上から、チラシをそっと手で押さえてその存在を再確認した。
成瀬からの無言の圧力に嫌な汗をかいていると、千太郎がアシストしてくれる
「先輩、夏休み最初の土日って、どっちか空いてます?」
「最初の土日?」
唐突な問いに、日路が首を傾げて反芻する。
相変わらずド直球だな、と深雪が顔を引き攣らせていると、日路は不思議そうな顔をしながらも律儀に答えてくれた。
「部活がない日曜なら、特に予定もないけど」
「何々? なんかやんのか?」
興味津々に身を乗り出す頼来。
深雪は勢い任せにポケットから折りたたまれたチラシを取り出して、ぐっと二人の前に突き出した。
「こ、これっ」
震える手でチラシを見せると、チラシの文字を頼来が読み上げる。
「夏祭り?」
「はいっ。 一緒に、行きませんか・・・・・」
言葉の最後の方は、音になっていないほどに小さな声になった。深雪は緊張から、日路の顔が見られず、突き出したチラシで顔を隠す。
すると、徐に頼来が深雪の手から、チラシを引き抜いた。
「いいじゃん、行こうぜ日路も」
空気を呼んでくれたのか、頼来が快諾して日路にお伺いを立てる。
勿論、日路は嫌な顔などせず、いつものスーパー爽やかスマイルを浮かべた。
「そうだな、皆で行くか」
日路の返事に、深雪はほっと肩を撫で下ろす。そのまま膝から崩れそうだったが、なんとか持ちこたえていると、頼来がにこにこして問いかけてきた。
「成瀬と深雪ちゃんは、浴衣着るだろ?」
「ゆ、浴衣ですか?」
期待に満ちた頼来の瞳に見つめられ、深雪はぐっと手を握り締めた。
「私、持ってないので・・・・」
「うちにあるの、貸してあげるわよ」
「えっ」
俯く深雪に、成瀬が耳元で囁く。
深雪が固まっていると、頼来がフライングしてテンションを上げた。
「やった! 女の子の浴衣とか、夏の風物詩だよな」
「頼来の為に着る訳じゃないんだけど」
いつもの成瀬節が炸裂したところで、千太郎がぼそりと呟く。
「大神先輩と頼来サンも着れば?」
深雪は頭をぐるりと回して、千太郎を見上げた。
日路の浴衣姿なんて、見たいに決まっている。
千太郎の提案に、勝手に想像を膨らませていると、頼来も乗り気で「いいね」と頷いた。
「せっかくだし、着ようぜ。 日路持ってる?」
「実家にはあるけど、送ってもらわないとな」
着々と進んでいく夏祭りの計画に、深雪はじわじわと喜びが沸き上がり、にやけそうになる顔を必死に抑えようと努力した。
不意に、日路と視線が交わる。
「楽しみだな、夏祭り」
「はいっ」
努力も虚しく、深雪はだらしなく緩んだ頬を隠すように俯いた。




