彼の企み
最後の五分間、教室全体が静かに慌ただしさを醸し出す。
机の上の用紙をひっくり返し、落ち着きなく手の内のペンを弄ぶ。
中には、既に気持ちは別のところに飛んでいる生徒も見受けられるが、一様にそわそわとした雰囲気を漂わせていた。
残り時間も、秒読みとなる。
「そこまで。 後ろから回収して」
担当教師の声と、チャイムの音が重なる。教室内の緊張が一気に解け、騒がしくしながらテスト用紙を後ろから回していく。
「勉強会の成果は出た?」
テスト用紙を受け取りながら、意味深に問いかけてきた成瀬に、深雪は無言でガッツポーズをつくってみせた。
テスト週間最後の教科は数学。深雪にとって、一番苦手な教科だったが、先週の勉強会の甲斐もあり、かなり自信のある回答ができたと、テンションが上がる。これも、憧れの日路にマンツーマンで教えてもらったおかげだ。
地獄のテスト週間を終え、千太郎が脱力した様に机に突っ伏す。
「疲れた」
「テスト中だって寝てたじゃない」
成瀬につっこまれても、千太郎は動じない。確かに、テスト中の千太郎は早々に回答を済ませ、堂々と居眠りを貪っていた。ほぼ全教科でそんな調子の千太郎だったが、テスト自体には特に不安はないようで、深雪としては羨ましい限りである。
「さーてと。 深雪はこの後、どうするの?」
早々に帰り支度を始めている成瀬が、企みの含んだ笑みで深雪に問いかける。
四日間のテスト期間中、学校は午前中で終わりである。そして、最終日の今日は正真正銘、平穏な午後を迎えることができるという訳だ。
「どうって、家に帰るよ? コンビニ寄って帰ろうかなって」
素朴な回答をする深雪に、成瀬はがっくりと肩を落として溜息を吐いた。それから、きりっと鋭い目つきでこちらを見つめてくる。
「それだけなの?」
「え?・・・・・それだけ、だけど・・・・・?」
何故か責めるように尋問してくる成瀬に、深雪は怯えながらおずおずと頷く。
深雪の反応を見て、成瀬が大きく息を吸い込んだので、千太郎はそっと自身の耳を塞いだ。
「ばっかじゃないの!?」
「ええっ、何で?」
理不尽に怒号を浴びせられ、深雪の肩が縮こまる。一体、今の回答の何に不満があるのだろうか。深雪は逡巡したが、結局成瀬の意図するところがわからず降参した。
「全然ぴんとこないよぉ」
「大神先輩に会いに行くに決まってんじゃん」
別に、決まってはいないと思う。深雪はそう思いながらも、口に出す勇気はなかった。
成瀬の言い分としては、先週勉強会を行ったきり、まともに日路と会っていないことに対して納得がいっていないようであった。せっかく少し話せるようになったのだから、合間を置かずに会うべき、という成瀬の主張に、深雪は少しだけ気後れした。
「でも、私なんかが会いに行っても、迷惑なだけだろうし・・・・・」
「はぁーっ!」
深雪の「私なんか」発言に、成瀬は呆れ声を上げる。それから、じろりと深雪に睨みを利かせた。
「私なんか禁止! とにかく、行くんだからね!」
「成瀬ちゃん、いつからそんなアツい人になったの・・・・」
お願いだから、いつものモノグサ成瀬でいて欲しいと思いつつ、逆らうことのできない絶対政治に、深雪は項垂れながら了承した。
そして、成瀬の狩人の目線は、もう一人の獲物を捕らえる。
「千太郎も行くんだからね?」
「・・・・・ですよね」
逃れられない運命であると、千太郎も諦めて小さく息を吐いた。
HR後、深雪と成瀬と千太郎の三人は、廊下を歩きながら作戦会議をしていた。
主には、成瀬の計画を残り二人が有無を言えずに聞いているだけの会議である。
「にしても、剣道部は今日から部活あるのね。 かわいそ」
「ほとんどの部活、今日からあるっぽいけどな」
成瀬の鞄も持たされた千太郎が、不満顔のままそう口にする。
三人が所属する園芸部の活動は、頻度としては低い。テスト最終日はゆっくりしたいだろうという、顧問教師の優しさ且つ面倒くさがりやな性格が影響して、今日の園芸部の活動はない。
どうしてこう、自分の周りには面倒くさがり屋が多いのだろうと、深雪は一人考える。
そのうちの一人である成瀬は、何故か今は深雪の恋路に意地になっているが。
「お昼まで時間あるから、その間は道場で自主練してるって本当?」
成瀬の質問に、深雪は大きく頷いた。
「うん!岡田君が、そうやって言ってたよ」
岡田とは、剣道部に所属している三人のクラスメイトである。先ほど教室で、友人たちにそう漏らしていた。
情報収集力にだけは長けている深雪に、成瀬は「そう」と言って再び前を向く。
「そうと決まれば、とりあえず敵情視察ねっ」
「え、会いに行くんじゃないの?」
「路線変更した」
拍子抜けした様に首を傾げる深雪に、成瀬は徐に歩みを止め、前方を指さす。その先を辿れば、剣道場に群がる女子生徒の群れが目に入った。
小さく歓声を上げながら、出入り口で道場の中を窺う彼女たちの目的は、恐らく深雪たちと同じであろう。
改めて日路の人気ぶりを目の当たりにし、深雪は落ち込みを通り越して感心してしまう。
「うわぁ、やっぱり大神先輩すごい・・・・・」
「言ってる場合じゃないでしょ。 あの中には、入りたくないわね」
感嘆の声を上げている深雪を横目で眺めつつ、成瀬は何かを思案する様に腕を組んだ。まるで復讐計画を立てる様な表情の成瀬に、千太郎はぼそっとつっこみを入れる。
「羽澄、顔すっごいよ」
「何それ、すっごい美人て話? どうでもいいんだけど」
本気なのか、そうじゃないのか判断のつかない成瀬の返しに、千太郎はそれ以上何かを言いうことを止めた。本気でないのならとんだナルシストだし、本気なら気持ちのいい程に清々しい。こんな発言が許されるのは成瀬の特権だな、と深雪が隣で思っていると、女子生徒で群がる道場の出入り口が、俄かに緊張感で揺れた。
こっそりと様子を窺っていると、どうやら騒がしくしていたギャラリーたちに、剣道部員からやんわりと苦言が呈された様だった。わらわらと散っていく女子生徒を眺め、成瀬が「ううん」と低く唸る。
「姿ぐらい拝めないもんかしらねぇ・・・・・あっ、あそこは?」
観察を続ける成瀬が、ある一点に視線を止めた。
道場の裏手側にある塀を指さした成瀬に、深雪は「ええぇ」と顔を歪ませた。確かに、塀の位置から丁度いい高さに、小さな窓がある。
あんなに高いところに上るのか、とかなり気後れする深雪に対し、成瀬の行動力は底知れない。さっさと塀まで駆けていく成瀬を、仕方なく千太郎と二人で追いかけた。
「よっと・・・・・おお、結構高いわね」
「き、気を付けてよ、成瀬ちゃん・・・・・」
身軽に塀を上る成瀬を、冷や冷やしながら見守る。態勢を整えた成瀬は、いざ窓の中を覗き込んだ。
「結構見えるわよ。 あ、大神先輩もみつけた。 素振りしてるー」
「え、見たい!」
思わず本音の漏れた深雪に、成瀬は勝ち誇った顔で手招きする。
千太郎に手を借りながら、深雪も塀に上ろうと手を伸ばした。
その瞬間、
「成瀬? そんなところで何やってんだ?」
「!」
塀の向こう側からした声に、動転して動きを止めたのは深雪である。
名を呼ばれた成瀬の方はというと、特に驚くこともなく、道場とは反対側を見下ろした。
「頼来こそ、何やってんの?」
姿は見えないが、どうやら塀の向こう側にいるのは頼来であるらしい。そのまま、奇妙な形で会話が続く。
「俺はコンビニで昼飯調達した帰り。 午後から生徒会活動あるんだよ」
「頼来サンて、マジで生徒会なんすね」
塀越しに反応した千太郎に、頼来が驚きの声を上げる。
「なんだ、千太郎もいるのか?・・・・・まあ、お前らニコイチだもんな」
からからと笑う頼来に、成瀬が塀の上から蹴りを入れる姿が見えた。
「わっ、おい!行儀悪いお嬢様だな!スカートの中見えるぞっ」
「変態」
容赦の無い成瀬を、深雪は思わず制止する。
「な、成瀬ちゃん。 危ないから・・・・・」
「あれ、深雪ちゃんもいるの?」
深雪の声に、頼来が意外そうな声を上げたかと思うと、飛びつくように塀をよじ登って来て、ひょっこり顔を出してきた。
「ほんと、仲いいんだなぁ。 成瀬の保護者としては、嬉しい限りだ」
「保護者とかウザいんだけど」
うんざりする成瀬を、頼来が「まあまあ」と窘めつつ、そのまま塀の上の成瀬と並んだ。
それから、それまで成瀬が覗いていた窓に目線を向け、全てを察した様ににやついた。
「ああ、こんなとこで何してるかと思えば。 日路目的ね」
悪戯っ子の様に笑う頼来の横で、成瀬が「あー!」と大きく声を上げる。何事かと深雪が見上げると、成瀬が頼来の背中に蹴りをいれているところだった。
「痛ってぇ! 普通蹴るか!?」
「あんたに構ってたら、大神先輩どっか行っちゃったじゃない!」
「ええっ」
成瀬の発言に、深雪の短い悲鳴が上がった。
それを聞いた頼来は、成瀬からの攻撃を避けながら塀を降りてくる。
「ごめん、深雪ちゃん。 日路、多分お昼食べに行っちゃったわ」
頼来が言うのと同時に、お昼の十二時を告げる学校のチャイムが鳴り響いた。
続いて塀から降りてきた成瀬が、般若面で頼来を睨む。
「まじで邪魔だったわ。 頼来のバカ!」
「そ、そんな怒るなって」
凄みを聞かせて詰め寄る成瀬を両手で制止ながら、頼来は慌てて代替え案を口にする。
「勉強会に続く、あらたな行事で距離を詰めればいいじゃん」
「行事って?」
興味なさげに首を傾げた千太郎の質問に、頼来はよくぞ聞いてくれたと、胸を張って言葉を続ける。
「テストが終わったら、文化祭だろ! 翼蘭祭だぜっ」
テンション高く宣言する頼来に、成瀬の恨みがましい視線が刺さる。
「文化祭って言ったって、一年は二、三年生の設営の手伝いでしょ?」
「甘いな、成瀬」
挑戦するような頼来の物言いに、成瀬がむっとして口を結ぶ。
押し黙る成瀬に気を良くした頼来は、含みをもたせて更に続けた。
「とにかく、楽しみにしとけよ? あと、俺に跪く準備もなっ」
それだけ言い残し、頼来は片手を上げて校舎へと戻って行く。その後ろ姿を眺めながら、深雪が小さく疑問の声を上げた。
「何があるんだろうね、文化祭」
「頼来のことだから、ろくなことじゃないわよ」
完全に頼来に対して、期待をしていない様子の成瀬の発言を苦笑で受け止めながら、深雪は道場の壁を見上げた。
やっぱり、ちょっと見たかったかも。
勉強会の日から、少しだけ欲張りになったような気がする。




