アンユージュアル
大神日路に出会ったのは、翼蘭学園に入学して、三週目の月曜朝のことだった。
「やってしまった・・・・・」
立花深雪は目の前の惨状を見て、自転車のハンドルを握り締めていた両手に、嫌な汗が滲むのを感じた。
自転車通学組の深雪は、駐輪場に自身の自転車を停めようとしたのだが、前の籠に突っ込んだ鞄の重みでバランスを崩し、隣に停められていた自転車に激しく体当たりしてしまった。結果、あたって倒れた自転車がドミノ倒しになっていき、六、七台を巻き込んだ事故現場と化す。
朝からついてないと、深雪は大きくため息を吐いた。その時、背後で爽やかな笑い声がした。
「ははっ。 大丈夫か?一年生」
振り返ると、同じ学園の制服を身に付けた男子生徒が、自転車に跨ったままこちらの様子を窺っていた。自分の犯した惨事を見られたことに、動揺して黙り込んだ深雪をどう思ったか、男子生徒は笑いを引っ込めて真剣な表情をした。
「どうした? 怪我でもしたか?」
「い、いいえ」
わざわざこちらまで自転車を引きながら歩み寄ってきた男子生徒の気づかいに、深雪は更に動揺しながらも、何とか言葉を発した。怪我がないことがわかり、安堵の表情を浮かべた男子生徒は、それから自身の自転車を停めてから、当然の様に深雪が倒した自転車たちをもとに戻していく。深雪は慌てて止めにかかった。
「あ、いいです。 私が一人で直すので・・・・・」
「二人でやったら早いじゃん」
倒れた自転車を立てるためにしゃがんだ男子生徒が、その体勢のまま深雪を見上げてはにかむ。深雪は、自身の心臓が跳ね上がったのを感じた。顔が熱くなり、前髪が緊張の汗に濡れる。
二人で自転車を元の位置に戻していき、男子生徒が最後の一台を起こし終えて「よしっ」と額に滲んだ汗を手の甲で拭った。おかしなもので、その仕草ひとつさえも絵になってしまう。深雪は見上げる形で男子生徒をそっと窺い、ふと視線が交わる直前で、誤魔化すようにお辞儀をした。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げた深雪に、男子生徒は少し狼狽えた様だった。
「大した事してないから。 怪我がなくてよかったな」
「あ、あのっ」
なんとか名前だけでも聞けないものかと欲を出したところで、校舎から誰かの声が割って入った。
「大神! 朝練遅れるぞーっ」
「大神」と呼ばれた目の前の男子生徒は、呼びかけに大きな声で応える。
「今行きまーす!! ・・・・・じゃな、一年生」
「あ、ありがとうございました・・・・・」
深雪の横をすり抜けて行く男子生徒の背にもう一度礼を述べたが、小さなその言葉が彼に届いたかどうかは定かではない。
呆然と立ち尽くしていた深雪だったが、そのうちに他の生徒たちがわらわらと駐輪場に入ってきたことで我に返り、いそいそと昇降口へ向かう。
歩きながらも、頭の中は先ほどの男子生徒のことでいっぱいになっていた。笑った顔も、かけてくれた声も、早鳴った鼓動と共に鮮明に心と脳裏に焼き付いている。
後に、大神日路という翼蘭学園の二年生だということを知ることになるわけだが、深雪は彼に、恋をしてしまった。