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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十五章 開戦(六)

 張遼が文醜を頭から真っ二つにして討ち取った直後……


 黄河の方面から、鐘の音が高らかに響き渡った。

 大気を揺らす銅鑼の音は、袁紹軍の撤退信号。五万の袁紹軍が、潮が引くように後退していく。


「おお! 曹操様! 敵が逃げていきますぜ!!」


 逃げる敵軍を見て、快哉を叫ぶ楽進。だが、曹操は実に穏やかな声音でこう告げる。


「……違うな。逃げたのではない。戻ったのだ」

「戻る……?」

「うむ。あの五万は最初から足止めだったのだ。より大きな力で、余らを飲み込むためにのう……」

 

 文醜の戦死が原因で鐘が鳴ったとすれば、あまりにも早過ぎる。これは、最初から後退する計画だったと見なすべきだろう。

 地平線の遥か先を見据えて、曹操は告げる。


「来るぞ、大波が」





 大地が震えているかのような感覚が、曹操軍の者達を襲う。

 砂塵を巻き上げ、地平線の彼方から迫り来る騎馬の津波。

 彼らが掲げるは、金色に輝く『袁』の旗。


 曹操達が相手にした文醜、顔良率いる五万は、先発隊に過ぎない。

 あの後も、数隻の艦艇が白馬津に接岸し、更なる軍勢を上陸させた。

 総勢十万からなるこの軍勢こそ、援軍であり、また袁紹自ら率いる本隊でもあった。



「あ、ああ……」


 開いた口が塞がらない楽進。許楮はどこかきょとんとした目つきで敵軍を見据えている。


 こちらは疲弊した一万と五千、対して敵軍は、新たに加わった兵を加えて約十四、五万……

 しかも、歩兵や騎馬兵だけでなく、大型の攻城兵器もいくつか見える。

 袁紹軍の技術の粋を結集して造られた機械からくり兵器群だ。

 これは、小手先の戦術や将の質で跳ね返せる差ではない。

 曹操軍は、砂浜に残る小石のごとく、大波に呑まれて海に還るしかないのだ。



 曹操軍と袁紹軍は、白馬城前で向かい合う。

 一斉に弩弓を構え、砲台の用意をする袁紹軍。

 次に命令が下れば、矢と砲弾の雨が曹操軍へと降り注ぎ、抵抗すら許さず壊滅せしめるだろう。


 眼前に、あまりにも巨大な絶望を見せ付けられている状況下……

 それでも、曹操は微笑みを絶やさない。

 期待感に胸を膨らませているようにすら思える。




 やがて……袁紹軍の中央から、金色に輝く甲冑を纏った男が姿を現す。

 豪華な馬具に跨り、明るい金髪をなびかせるこの男こそ、袁紹軍の総大将、袁本初その人だった。


 曹操と袁紹、虎牢関の戦い以来、彼らはおよそ十数年ぶりに直接顔を合わせることとなった。


 両軍の間に緊張が走る。いつ戦闘が始まるか……その機会は、両軍の総大将に委ねられている。

 場合によっては、今この瞬間、いずれかの大将が討ち取られ、中原の覇王を巡る争いが決着するかもしれないのだ。


 しかし、そんな緊張とはまるで無縁なのが、この男である。


「よぉ、袁紹。久しぶりだのう」

 

 不倶戴天の宿敵同士となったかつての友に対して、曹操は以前と全く変わらぬ態度で話しかける。


「ああ、そうだな。しかし曹操……出来ることならば、このような形で再会したくはなかった」

「ふん、随分と湿っぽいことを言ってくれるではないか。そんなに余と戦うのが嫌だったのか?」

「抜かせ。次に私が貴様と対面する時……

 それは、貴様が私の前に平伏し、この袁本初に完全なる屈服を認める瞬間以外、ありえぬと考えていたからだ」

 

 自信に満ち溢れた袁紹を見て、曹操はさらに好ましそうに笑う。

 ああ……こいつは袁紹だ。

 分厚い傲慢と自尊心の鎧を纏い、やがては中身まで外面と同じになってしまった男。

 子供の頃から何も変わっていない。


「だが、それもいずれ現実となる……見るがいい……曹操……」


 黄金のマントを翻し、後方に並ぶ自らの軍勢を指し示す。 


「我が至強しきょうの軍勢を……!

 貴様が呂布や劉備と遊んでいる間に……私はこれ程の軍勢を作り上げたぞ!

 ふ、ふははは……ふははははははははは!!

 どぉぉぉぉだ!! 参ったか!! 曹操ぉ!! ははははははははは!!」


 あっという間に王の威厳を崩し、子供のように呵呵大笑する袁紹。


「負けだ! 貴様の負けだ、曹操!!

 所詮貴様ごときが天に選ばれし王者であるこの私に敵う道理など、この宇宙の何処にも存在しないのだ!!

 嘆き! 悲しみ! 悔やむがいい!! 己の器も弁えず、この王に楯突いた愚かしさをな!!」 


 続けて、人差し指を天にかざし、意地の悪そうな笑みを浮かべてこう言い放つ。 


「……私の胸の内一つで、我が軍勢は怒涛となりて、貴様の命もろとも全てを飲み込むだろう。

 精々、私の機嫌を損ねぬよう注意することだ」


 既に勝ったかのような物言いであるが、彼の言うことは全て最もである。

 この大軍が一斉に押し寄せてくれば、曹操軍はひとたまりもない。

 曹操軍の生殺与奪は、袁紹が握っているのだ。


「ふむ……余に残された道は、武器を捨ててそなたに全面降伏する……それだけということか?」

「武器だけではない! その野心も! 夢も! 全てを捨てて私の下に来てもらう!!

 そして我が覇業のため骨身を削って尽力するのだ!

 この私の下でな! この袁紹の“下”でな!!」


 よほど大事なことなのか、袁紹は二度も繰り返して言った。


「……それほど余を負かしたいのか、袁紹。

 天下の王道を唱えながらも、この余一人との決着に拘る……

 こんな誰もが分かる矛盾を抱えながらも、よくもそこまで堂々としていられるものよ」

「ふん! 私に揺さぶりを掛けようとしても無駄だ。

 私が求めるは勝利のみ!! いかな矛盾も、全ては勝利が塗り潰す!

 この袁本初が歩む道こそ、即ち天下の王道なのだ!!」


 実際、彼に一切の揺らぎはない。

 彼にとっての“王道”とは、まずは己こそが唯一無二の王であることを前提としている。

 だから、どれだけ大義と私情が混在していようと、全ては“王の意志”として最大限尊重されるべきこととなるのだ。

 自分の信じる王の道を信じる……それこそが、袁本初の王道であった。


「返答を聞こうか、曹操!

 私に屈服するか、それとも抗って死ぬか!!」


 曹操に生と死の二択を突きつける袁紹。


 曹操は、口許に手を当ててしばし考える。

 しかしそれは、実際には声に出して笑い出してしまうのを抑えるためだった。


「悪いがどちらもお断りぞ。余はとことんひねくれた子供でのう……

 そうやって二択を出されると、つい第三の選択肢を選びたくなってしまうのだ。

 この場合、三番目の選択は、“戦って生き残る”ということになるな」


 持って回った否定の言い回しに、袁紹は心底嘲るように鼻を鳴らす。


「本物の莫迦か貴様は。この状況下で勝ち目がないことぐらい、心得ておらぬとは思えんがな」

「いやぁ。そうとも限らんぞ。余の後ろには白馬城がある……まずは、そこに逃げ込むとするかのう」


 曹操軍のすぐ真後ろには、白馬城がある。

 直ちに後退すれば、袁紹軍から被害を最小限に抑えて、城へと退避できるはずだ。


「そして……狭い城の中では、十倍近い兵力差はほとんど無意味となる。

 城に中に突入させられる兵の数は限られるからのう。

 その場合、一人で千や万に匹敵する将を有する余らの方が有利となる。

 それを恐れぬならば、余を追って来るがいい。そなたに、帝王の資格があるのならな」


「………………」


 曹操の言うことは、確かに最もであった。

 曹操側には先ほど袁紹軍を散々に苦しめ、文醜、顔良を討ち取った関羽と張遼がいる。

 袁紹は真剣な顔つきで曹操の話を聞いていた。

 挑発とも取れるこの発言、普段の袁紹なら激怒するところである。しかし……


 袁紹は、冷静さを保ったままこう告げる。


「それで……私が怒って貴様を追撃し、兵を内部に突入させれば……

 城に隠してあった爆弾を作動させて、城もろとも我らを押し潰す腹積もりか?」

「!!」


 今度は、曹操は琥珀色の瞳を開けて驚く番だった。


 まさにその通りだったからである。

 更に言えば、城の中には地下通路もあり、曹操はそこに逃げ込むつもりでいた。

 そして、できるだけ多くの兵を城に誘い込んだ上で城を爆破、倒壊した瓦礫の下敷きにする作戦だった。

 叶うことならば、総大将の袁紹を始め、袁紹軍の中核となる者達を大勢巻き添えにしたかったが……



「ふふふふふ……その顔を見ると図星のようだな。

 貴様の下らん策略など、最初からお見通しよ!

 先程のように、自分の有利を得意になって説明している時点で、何か別の思惑があるのだろうと考えるのは当然のこと……!

 この私を軽く見るなよ、曹操!

 我が名は袁紹……中華の誰よりも、勝利に貪欲な男ぞ!」


 曹操は、しばし呆気に取られていたが、素直な言葉を口にする。


「…………いや、確かに驚いた。それは認めよう……」


 本音だった。恐らくは、袁紹ではなく彼の軍師の発案だろうが……それをここで追及することに意味はない。

 袁紹の言葉は袁紹軍全体の意志であり、同時に袁紹軍は袁紹そのものであるからだ。


「ふははははははは!! まさに万策尽きたと言ったところか。

 さぁ、さぁ! 己の運命を悟ったならば、直ちに下馬して我が軍門に下るがいい、曹孟徳!!」


 袁紹の最後通告とも言える言葉に対し、何故か曹操は首を傾げて問いかける。


「……? 袁紹、そなたもしかして、気づいていないのか?」

「な、何をだ!!」

「そなたはこの城に爆弾が仕掛けられていることを看破した……

 つまり、余らが城に逃げ込んだとしても、そなたらは城の中まで追撃できないのではないか?」


「…………………………あっ!!」


 顎が外れんばかりに口を開き、絶句する袁紹。


「何だ、てっきりそこまで気づいているのかと思ったぞ。

 そう……城を倒壊させることを知った時点で、そなたらはこれ以上余を追うことは出来ないのだよ」


 罠の存在に気づこうか気づくまいが、曹操を取り逃がすという結果は変わらない。

 被害を増やさずに済んだだけだ。

 曹操のことだ、城の中にも何らかの逃げ道を用意しているのだろう。

 白馬城の両側は高い断崖で挟まれており、先回りすることもできない。

 この瞬間……白馬津の戦いの結末は決せられてしまった。


「ぐ……ぐぐぐ…………」


 袁紹は顔を紅潮させ、心底悔しそうにしている。

 しかし、すぐにその顔には余裕と優越感が戻ってくる。

 これしきのことで負けを意識するほど、彼の傲慢な性根はやわなものではなかった。


「……ふ、ふふふふふ……それで勝ったつもりか?

 違うな!! 貴様は結局、私の前から尻尾を巻いて逃げる哀れな負け犬に過ぎん!!

 この袁紹に敗北感を植えつけるつもりでいるなら、無駄なことだ!!

 いいか……貴様はこの私から逃げ出したのだ!! 私に勝てないと心の中で認めたのだ!!

 この戦、負けたのは紛れも無く貴様だ、曹操!!」


 腕を真っ直ぐに戻し、曹操を指差す袁紹。


「そして! いつまでも今日のように逃げ切れると思うな!!

 いずれ貴様は追い詰められ、我が大軍勢の前に屈服するしかなくなるのだ!

 だが、この私に怯え、逃げ惑い続けるというのも悪くはないぞ!

 その時は、貴様のいなくなった中原に、この私が君臨するだけのことだからな!!

 ふはははははは……はははははははははははははは!!!」


 高笑いをする袁紹。だが、一方の曹操もまた……笑っていた。


「袁紹……全く持ってそなたは愉快な男よ。

 ふ……ふははははは……はははははははは…………」




 互いに向かい合って、哄笑する二人の総大将。



「ふははははははは……」

「ふははははははは……」


「あははははははははは!!」

「あははははははははは!!」


「あ――――っはははははははははは!! あはははははははははははは!!!」

「あ――――っはははははははははは!! あはははははははははははは!!!」


「はははははははははははははははははははははははは!!!!」

「はははははははははははははははははははははははは!!!!」


 

 狂ったような、それでいて全てを吹き飛ばすような豪快な笑いが、戦場に木霊する。

 その笑い声が止んだ瞬間……戦局は動くことになる。



「全軍、攻撃開始ぃ!!」


 黄金剣を振るって命ずる袁紹。


「全軍、白馬城へと後退せよ!!」


 倚天の剣を掲げて命ずる曹操。



 次の瞬間……無数の矢と砲弾が、集中豪雨となって曹操軍に降り注ぐ――――



「踊れ曹操! 道化らしく無様に足掻き、この王を愉しませろ!!

 ふはははははははははははは!!

 あははははははははははははははははははは!!!」




 


 それから後の結果は……彼らが話した通りだった。

 曹操軍は、袁紹軍の総攻撃から逃れて何とか白馬城まで逃げおおせた。

 袁紹軍も、爆破による倒壊を恐れて城の中まで踏み込もうとしなかった。

 そして……予測どおり、しばらく経った後で、白馬城は音を立てて倒壊したのであった。


「文醜と顔良は逝ったか」

「は、はい……」


 先発隊からの報告を、眉一つ動かさず聞き入れる袁紹。


「弔いの戦はせぬぞ。我が袁紹軍は目指すは、ただ純然たる勝利のみ。

 されど貴様達の名は、新王朝樹立に尽力した英傑として、後世の歴史に残るであろう!!

 文醜、顔良! 大儀であった!!」


 勝利を掴むまでは、決して後ろを振り返らずに突き進む……

 己が信念を改めて表明する袁紹。

 そんな彼の強靱な意志は、袁紹軍全体に伝わり、さらに士気を高めて行く。




 一方……


 袁紹軍から逃げながら、曹操は考える。

 この時点で彼は、この戦における勝敗について、一つの確信に至っていた……


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