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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第二章 反董卓連合、立つ(三)

 渾元暦191年。


 董卓を討つべく、各地の諸侯たちは結集し、

 ついに反董卓連合軍が始動しようとしていた……


 発起人である袁紹、曹操、南陽太守・袁術、徐州刺史・陶謙、涼州太守・馬騰……

 名だたる諸侯に交って、劉備三兄弟もこの地を訪れていた。



「ほほぉ〜〜これだけの諸侯が一辺に集まると壮観だねぇ」


 周囲を見回して、感嘆の声を上げる劉備。

 それぞれ意匠の違う鎧や軍旗の軍団が、一手に集結している様は、地方の垣根を越えた連合軍の結成を実感させる。


「たく、田舎者丸出しな事言ってんじゃねーよ」

「うーむ、これだけ色んなのがいるなら、

 うちの軍ももうちょっと派手にしといた方が目立っていいかな?あそこみたいに」


 劉備は袁紹軍の方向を指し示す。

 袁紹軍の将兵は、金色の鎧兜を備えたいかにも豪奢な装いをしていた。


「そんな金がどこにあんだよ!!」


 決戦の地に来たというのに、おのぼりさん気分の抜けない劉備にいらだつ張飛。


「まぁ、さすがにありゃあ無理だよな……」



「なら……白く染め上げるというのはどうだ?玄徳……」



 声をかけた方向を振り向くと、そこには旧知の男がいた。

 爽やかな微風が吹き抜け、花の香りが鼻孔をくすぐる。


「やぁ玄徳……久しぶり……というほどでも無いか」


 劉備はしばし固まっていた。

 ウェーブのかかった長い髪は真っ白で、肌も雪のように白い。

 身を包む外套マントも、貴族風の衣装も全て白一色だった。

 双眸から覗く両の瞳は、星を散りばめたようにきらきらと輝いている。

 その背後には、幾輪もの白い薔薇が咲き誇っているのが幻視できる。


 その不可解な雰囲気オーラに圧倒された劉備だったが、

 何とか、その“旧知の男”の字を呼ぶ。


「伯珪……兄さん」

 

 彼の名は公孫贊。字は伯珪。

 幽州を治める北平太守であり、劉備のかつての兄弟子でもあった。

 今回、劉備は彼を頼ることで、この反董卓連合軍に参戦することが出来たのだ。

 それに限らず、過去にも色々なことで便宜を図ってもらっているのだが……

 どうにも劉備は、浮世離れしたこの兄弟子が苦手だった。


「白はいいぞ……傷ついた心を、濁った魂を、

 その純粋なる清澄さでたちまち癒してくれる……

 白はいい!飾らぬものこそ最も美しい……そうは思わないか?玄徳……」

「は、はぁ……」


 擦り寄ってくる公孫贊。


 “白馬将軍”の異名を持つこの男は、『白』に対して過剰とも言える執着を示し、

 自分の身なりはおろか、部下の鎧や馬の体色、自身の居城まで白く染め上げる徹底振りだった。


「まぁ、それはまたの機会ということで、今は董卓を……」

「そうだ!我が弟、劉玄徳よ!

 今こそ私たちが互いに手を取り合い、天下の巨悪を討つべき時なのだ!!」


 さっきまで耽美に浸っていたと思いきや、今度は熱情を表に露にする。

 この激しすぎる性格の切り替えが、劉備にとって最も扱いに困る部分だった。


「ははは、ですね……兄さんには感謝してます……」

「気にするな、玄徳。

 何か困っている事があったら、いつでもこの兄を頼るといい。

 お前とは、白き薔薇の契りを結んだ義兄弟なのだからな……」


 ふぅ…………


 顔を劉備に寄せ、耳に息を吹きかける公孫贊。

 劉備は総身が震える思いをした。


(たく……白き薔薇の契りって何だよ。そんなもん結んだ覚えないっつーの)

 

 どうにも妖しい男ではあるが、思考回路は割りと読みやすい。

 本質は、おだてに乗りやすい単純な男だ。

 一応兄と呼んで尊敬している素振りは見せているが、劉備にとっては何かと利用しやすい金づるに過ぎなかった。



 その時、武将たちが突然ざわめき出す。

 豪奢な鎧や馬具を備えた新たな部隊が、会合の場に現れたのだ。

 その先頭に立つ男の姿を眼に止めた公孫贊は、瞳を大きく開いて呟く。


「袁紹……殿!」

「ほう、あの人が連合軍盟主の袁紹さんか」


 劉備は、この時初めて袁本初の姿を眼の辺りにした。


 袁紹は、黒髪を獅子の鬣のようにまとめ、金色の線の入った貴族の正装に身を包んでいた。

 騎乗している馬にも、美しい装飾が施されており、袁家の権勢と高貴さを前面に押し出している。


 彼の周りには、早くも何人かの諸侯が挨拶に出向いている。

 無数の諸侯からなる連合軍の中では、袁家の権威は絶大だった。


「うわぁ、見るからに貴族って感じだねぇ……

 兄さんは、ああいうの結構憧れちゃうんじゃないですか?」


 公孫贊が名家や貴族といったものに憧れているのは、その衣装を見れば一目瞭然だ。

 ならば、名門袁家の当主である袁紹を尊敬していてもおかしくない。

 あわよくば公孫贊を仲立ちとして袁家と近づこうかと思っていたのだが……


「玄徳…………これだけは言っておく」


 意外にも……袁紹を見る公孫贊は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 美しい容貌は激しく歪み、深い皺が露になっていた。

 公孫贊は、憎しみの篭った顔つきで吐き捨てる。



「私はね……あの袁紹という男が死ぬほど嫌いなんだよ」



「へ、へぇ……そりゃまたどうして……」

「確かに……袁家は名門中の名門……

 他に並ぶものの無い高貴な家柄だ……それは認める。

 私も、袁家には幼少の頃から憧憬の念を抱いていた……」


 かつての自分を思い出すように空を見上げる公孫贊。

 しかし、たちまち歯を食い縛り、再び憤怒の表情に変わる。


「だが! 袁本初! あの男は許せない!!

 あの男は、名門に生まれながらも、高貴の何たるかをまるで理解していない!!

 無駄に華美な衣装に身を包み、己の地位と財産をひけらかす!!

 己の血統に驕り昂ぶるだけの、恥知らずの俗物だ!! わかるか、玄徳!!」

「あ、いや、その……」


 突然凄んでくる公孫贊に、劉備はしどろもどろになるしかない。


「名門に生まれたなら、それ相応の気品を備えて然るべき!

 だが、あの厚顔無恥な男には、それが一欠片も存在しない!!

 あのような権力の亡者が、名門の品位を貶めていると思うと、

 腸が煮えくり返る思いだ!!

 そして……そして!何よりも何よりも許せないのが……」

 

 呼気を存分に溜めて、公孫贊は言い放つ。


「あの金色が許せない!!

 無駄に輝いているだけで、汚物を塗りたくったような醜い装飾!!

 あの金色こそは、あの男の腐りきった性根を如実に現しているじゃないか!!

 何故、素直に白でまとめない!!白こそは、この世で最も貴い色だというのに!!

 白の清楚にして純潔なる美しさを理解できないあの男に、

 名門を名乗る資格は無い……!!」


 鬱屈とした感情を一気にまくし立てたためか、荒い息を吐く公孫贊。

 一方劉備は、完全についていけないといった目で見ている。


(結局……白じゃないのが嫌なのかよ……)


 公孫贊の、袁紹に対する長々とした罵言の中で、

 劉備が理解できたのはその一点だった。

 加えて、自分が名門に生まれつけなかった嫉妬もあるのだろうか。


(けど……)


 同じ反董卓連合でありながら、公孫贊は袁紹を徹底的に敵視している。

 こんな状況は、恐らくこれ一つではあるまい。

 ここにいる諸侯は、打倒董卓という一つの目的の下集まった。

 裏を返せば、それ以外の問題は一時丸投げしてこの場に来ている。

 諸侯の間には、確執や怨恨といった、闘争の火種が山ほど転がっていそうだ。

 寄せ集めで成り立った反董卓連合の危うい状況を、劉備は徐々に理解しつつあった。




「ふふふふ……よくぞこれだけ集まったものだ!

 全ては、我が袁家の威光の賜物だな!

 やはりこの袁本初こそが、諸侯を統括し、

 この中華の未来を開拓する、統率者たるべき男なのだ!!」


 馬上から集まった諸侯を見渡し、袁紹は己の権勢に酔いしれる。

 この諸侯達全てを、自らの手駒として率いる……

 それを想像しただけで、袁紹の内なる自尊心は熱く燃え上がるのだった。


「全く、お前はどこでもいつも通りよの、袁紹」


 そんな袁紹に水を浴びせるような一声が。

 声で判別するまでも無い。

 両脇に夏侯惇と夏侯淵を伴って、曹操が袁紹軍の陣営を訪れた。


「曹操……」

「ま、それがある意味お前の美点でもあるがな」


 その琥珀色の瞳は、袁紹を品定めするように見ている。昔から気に入らない視線だ。


「ふん!お前たちもまた、この袁紹の剣である事を忘れるな!!

 寡兵とはいえ、この反董卓連合に名を連ねるのだ。

 我が采配に従い、粉骨砕身の働きを見せてみよ!!」

「何ぃ……?」


 突っかかりそうになる夏侯惇を、腕で制する夏侯淵。

 曹操は、全く気分を害した様子も無くこう応える。


「任せておけ」

 


「ぶひゃひゃひゃ〜〜〜!!

 そんにゃ威張るだけの“脳なち”にまかちぇて、

 ほんと〜に大丈夫でちゅかね〜〜〜♪」

「貴様……袁術!!」


 袁紹に負けず劣らず華美な装飾を施した袁術が、数名の将を伴って現れた。


「何だ袁術、もう袁紹の腰巾着はやめたのか?」

「ふん!もうこんなバカボンボンにはついていけないでちゅ!

 袁家はこのボクちゃんが取りまとめていくんでしゅよ〜〜ぶひゅひゅひゅ!!」

「ふざけるな!貴様のような品性の欠片もない下衆な道化に、

 袁家を名乗る資格は無い!!即刻この場から立ち去れい!!」


 ここ最近の袁紹と袁術の不仲は諸侯の知るところだが、いよいよ深刻なところまで来ているらしい。


(違う家名同士どころか、同じ家でも対立しているとはな……)


 その浅ましい争いを、夏侯淵は冷めた眼で見ている。


「いいんでちゅか〜〜?ボクちゃんが抜けたら、連合軍の勢力はがた落ちでしゅよ〜〜〜!?」

「構うものか!!貴様の手を借りねばならぬほど、

 この袁本初の誇りは地に落ちておらぬわ!!」


 袁紹は一歩も引かない構えだが、袁術の言う事は事実である。

 こんなふざけた性格だが、やはり袁家の一員だけあってその権力は絶大。

 中原より南の揚州を統括する袁術の軍は、

 諸侯の中でも群を抜いた規模を誇っていた。



「袁紹、少しは落ち着け……で、袁術。

 わざわざ微笑ましい従兄弟喧嘩を見せにここまで来たのか?」

「どこが微笑ましい喧嘩か!!」


 袁紹が突っ込んでいたが、夏侯惇も全くの同意で、

 曹操の奇抜な価値観にはどうもついていけない。


「むひゅひゅひゅ!!そーでちた!今日はおみゃえたちに、

 ボクちゃんの助っ人をしょうかいしまちゅよ〜〜!」

「助っ人ぉ?」


 こんな男に手を貸す物好きがいるのだろうか、と思った夏侯惇が声を上げる。


「えっと、江東のネコとかイヌとかワニとか……

 とにかく凄いやちゅなんでちゅ!!」


 そう言って袁術は、随伴していた男を指し示す。

 金髪に柔和な顔立ちをした、気品溢れる美男子だった。



「ほう、貴公は……」

「初めまして……袁本初殿、曹孟徳殿。

 長沙太守の孫堅と申します。以後お見知りおきを……」


 完璧な礼と姿勢で挨拶する孫堅。

 その物腰には一部の隙も無いだけでなく、友好的な柔らかさすら感じられた。

 揚州の群雄である孫堅は、南陽太守である袁術と同盟を組んで、この連合軍に参加していた。


「ひぇひぇひぇ!この男は……」


 紹介しようとした袁術の声を、曹操が遮る。


「“江東の虎”の異名ならば、余も聞き及んでおる。

 そなたが連合に加わってくれるなら、これほど心強いことは無い」

「黄巾の乱での功績ならば、貴方には負けますよ。曹孟徳殿……」

「ふっ、悪名という点でか?」


 曹操もまた、黄巾の乱で名声を上げた武将の一人だった。

 その苛烈なる戦いぶりと冷徹な状況判断は、敵どころか味方からも恐れられた。

 砦に閉じこもった黄巾軍と、その大量の増援を罠に掛け、

 食糧を運び出す事に拘った味方ごと焼き殺したという話も伝わっている。


「これは失礼……気に障られたのなら……」

「謝る必要は無い。この程度の悪名……余らが相手にする敵に比べれば些細なものよ」

「董卓……確かにあの者の悪逆は、人の為せる領域を越えている。

 我らの力を一丸として、必ずや討ち果たさねばなりません」

「うむ。共に力を合わせようぞ、孫堅殿」


 孫堅と曹操は、固い握手を交わした。

 両者とも、互いの内に宿る覇気を、一目見ただけで直感したようだ。

 自身に匹敵、あるいは上回る“格”を持つ相手に、今はただ敬意を表する。


(む……? もしかして……)

(ボクちゃん達、忘れ去られてる?)

 

 両雄の会話に取り残される袁紹と袁術。

 場の中心は、すっかり曹操と孫堅の二人に移っていた。

 


 

 袁紹と袁術、袁紹と公孫贊。

 諸侯同士でもあれだけ反目し合っているのだ。

 将兵の間でも、中の悪い勢力同士で喧嘩や小競り合いが頻発していた。

 

「オラオラオラァ!!劣等が俺の道を塞ぐんじゃねぇ!!」

「ひ、ひぃ……!」


 とある場所では、やたらと膨れ上がった大男が、肩が当たっただけの兵士を踏みつけていた。

 でっぷりと太った肥満体を貴族風の衣装で包み、長い橙色の髪をウェーブ状にして、緋色の羽根つき帽子を被っている。

 饅頭のように丸い鼻、そばかすだらけの顔、やたらと大きな口と、一目見たら忘れない容貌をしていた。



「あ〜あ、何やってんだか……」


 その光景を遠目で見ていた劉備は、

 彼らの子供の喧嘩のようなやり取りにあきれ返る。

 これが魔王董卓を討つべく集まった正義の烈士たちと言うのだから、世も末だ。


「なぁ、雲長……あれ?雲長?」


 いつの間にか……関羽の姿が消えていた。



「ぐへへへへ……頭こすり付けて百回謝れや。そうすれば……」


 兵士を足蹴にしながら、男は身勝手な要求を出す。

 そんな彼を制止したのは……


「やめろ」


 強い力で身体を押され、男の巨躯が後ろにのけぞる。

 目の前には、長い黒髪に顎鬚を生やした男……関雲長が立っていた。


「て、てめぇ!!何しやがる!!」

「貴殿の傍若無人な振る舞い、到底見過ごすことは出来ぬ……ゆえに制止したまで」

「舐めた口叩きやがって……俺が誰だか分かってんのか!!

 俺様は、袁紹軍の顔良将軍だぞ!!」


 場は一気に騒然となる。

 顔良といえば、袁紹軍の二枚看板の一人である。

 その地位は袁紹に次ぐものと見て差し支えない。

 周囲の者たちが、その蛮行を制止できなかったのも無理からぬことだ。

 だが、関羽にはそんな地位や名誉など何の脅しにもならない。


「私は、姓は関、名は羽、字は雲長という」


 名乗る価値の無い相手だと思ったが、一応は礼に乗っ取って名を名乗る関羽。


「誰もてめぇの名前なんざ聞いてねぇんだよ!!

 俺様はあの名門袁紹軍の将だぞ!てめぇら田舎の凡骨武将が、

 対等に口を聞いていい相手じゃねぇんだよ!!」

「己の非を認めず、地位を傘に着て威張り散らすその傲慢……

 もはや口で言って分かる相手ではないか」


 口調こそ物静かだが……その内には激しい怒りが脈動していた。

 “義”を踏み躙る相手を見た時、関雲長の怒りは頂点に達するのだ。



「おうおう、ああなったら雲長兄貴は止まらねーぜ」


 義兄の性格をよく知っている張飛は、静かな怒りに燃える関羽をみている。


「全く……面倒ごと起こしやがって……ん、待てよ?」

 

 劉備は顎に手を当て、頭を高速で回転させる。



「ごちゃごちゃ抜かしてんじゃね―――――っ!!!」


 激昂した顔良は、実力行使に打って出る。

 肥満体に似合わぬ瞬発力で、関羽に突進する顔良。

 武将の筋力は、見た目だけでは決して測れぬものなのだ。


 だが、関羽は……


「……!!」


 その突進を真っ向から受け止め……さらに身体を掴み、投げ飛ばす。

 顔良も踏ん張ろうとするが、想像以上の膂力に身体を持っていかれてしまう。


「ぐほぉおっ!!?」


 頭から地面に叩きつけられる顔良。


「少し頭を冷やせ」


 逆さまになった顔良に、関羽は冷たく言い放つ。


「ざけやがってぇ……」


 顔良の怒りは収まらなかった。

 瞳を憤怒と憎悪に濁らせて、関羽を睨みつける。

 関羽も、顔良の殺気の膨れ上がりを感じていた。

 いよいよ理性の箍が外れ、本気の殺し合いに発展しそうになったその時……

 


「いい加減にしろや!!」



 男の一喝が、場に轟いた。

 決して大きすぎる声ではないが……何故か心に響く叫びだった。


(兄者……)


 顔良と関羽の間に、張飛を伴った劉備が現れる。


「な、何だてめぇは……!」


 突然の乱入者に噛み付こうとする顔良だが、劉備に睨まれ、思わず竦んでしまう。

 あの傍若無人の顔良を威圧するほどの覇気が、今の劉備には漲っていた。


 喧嘩を仲裁する為に現れたのか……いや、違う。

 関羽は義兄の目論見をたちどころに悟った。


(全く……喰えないお人だ)



「てめぇら、喧嘩を売る相手を間違えてんじゃねぇか?」


 劉備の言葉は、顔良だけでは無い。

 各地で衝突している武将全ての向けられた言葉だった。

 いつしか、劉備の周りには、騒ぎを聞きつけた多くの武将が集まり始めていた。


「俺たちは何のためにここに集まった?

 日ごろの鬱憤を晴らす為か?

 つまんねぇ小競り合いをするためか?違うだろ!!」


 群衆の顔を一人一人見回して、一人一人に語りかけるように喋る劉備。


「非道の限りを尽くす魔王董卓をぶっ倒して、

 都で泣いてる天子様を助ける為だろうが!!

 くだらねぇ争いに裂く力があるなら、それを全部董卓の野郎にぶつけやがれ!!」



 初心を忘れかけていた多くの者たちは、

 劉備の言葉に打たれるものがあったようだ。

 それは、張飛と関羽も同じである。


(たく、この兄貴は……さっきまでぼやいていたと思ったら……)

(まるで別人のようだ……)



「俺たちは中華のあちこちから集められたバラバラの集団だ!

 いきなり結束だの信頼だの、無理かも知れねぇ……けどな!!

 てめぇら一人一人、決して譲れねぇ誇りってもんがあるはずだ!!

 おい、そこのあんた!」

「ああ!?」


 いきなり指を差され、顔良は動揺する。


「名門がどうのこうのと言ってたな……

 その誇りは、董卓をぶっ倒す為の支えにしろ!!

 てめぇらも同じだ!!」


 今度は自分の胸を指差して、居並ぶ群衆に語り掛ける。


「俺たちはバラバラでも、一人一人が自分てめぇの誇りに

 恥じない戦いをすれば、董卓なんぞ怖くねぇ!!

 そうすりゃ勝てる! 絶対に勝てる!!」

 

 劉備の大喝は、居並ぶ武将たちの心に染み渡っていった……

 そして、いつしか歓声が沸き起こる。

 彼らの闘志は、打倒董卓という本来の目的に軌道修正されたのだ。


(兄者、これが貴方の狙いなのか・・・?)


 結束の弱い反董卓連合の士気を高める為か。

 それとも、この場を利用して諸侯の間に己の名を広める為か。

 あるいはその両方かもしれない。

 確かに言えるのは、劉玄徳の言葉は、弛緩していた武将たちの心に、強烈な楔を打ち込んだことだ。


「あ、あんた、一体何者だ……?」


 先頭にいた武将が、劉備に名を問う。

 ここがクライマックスだ。高らかに、誇らしく、己の名を名乗り……


「おう、俺は――――――」



「劉備。字は玄徳。景帝の第八子・中山靖王劉勝の末裔……という触れ込みだったな」



 劉備の独壇場は、別の人物の声によって終幕を告げた。

 劉備のみならず、この場にいる全ての者が声のした方向を向く。

 

 曹操は、琥珀色の瞳を輝かせ、微笑みを浮かべて劉備を見ている。

 群衆の間を飛び交い、二人の視線が交錯する。



「何をやっておるか貴様らは!!」


 袁紹も曹操と共に現れた。

 自分が開いた決起集会で騒動が起こった事が、大変癇に障っているようだ。


「え、袁紹様……」


 自らの主を、すがるような、怖れるような目で見る顔良。

 何とか自分を庇ってもらおうと嘆願するが……


「き、聞いてください袁紹様!こいつらが……!」


「無様な申し開きは止めろ、顔良」


「ぶ、文醜!!」


 いつの間にか、顔良の後ろに銀髪の青年が立っていた。

 顔は整っており、小さく丸い眼鏡から知的な印象を受ける。

 彼の名は文醜。顔良と同じく、袁紹軍の二枚看板の一人である。


「お前の行いは、ここにいる全員が証人になる。

 これ以上見苦しい真似をして、袁紹様の品位を貶めるな」


 同僚に対しても冷たく、酷薄に告げる文醜。

 憤怒の形相で、袁紹が顔良の下に歩いてくる。


「この愚か者が!!」

「ぶげぇっ!!!」


 袁紹の拳が、顔良に直撃した。そのまま仰向けに倒れる顔良。


「よくもくだらん諍いでこの袁紹に恥をかかせてくれたな!

 貴様には将軍としての節度や分別が無いのかこの愚図が!!」

「申し訳ありません!申し訳ありません!袁紹様!!」


 泣きながら謝る顔良を何度も踏みつける袁紹。


「董卓軍との緒戦では、

 貴様を先陣にしてやろうと思ったが……文醜と入れ替えだ!!

 貴様はしばし後衛で頭を冷やしていろ!!」


「ひ、ひぃ!おおせのままにぃ〜〜〜!!」


 ようやく気が済んだのか……顔良から脚を離し、荒く息を吐く袁紹。

 そして……顔良の耳元に近づいて、小声で耳打ちする。


(何故私が怒っているかわかるか?それは、貴様が負けたからだ。

 如何なる状況においても、我ら袁家に非は無い。

 我ら名門が、愚民どもの下らぬ尺度で測られる由縁などないからな)


 それは、顔良の蛮行を実質容認するに等しい発言だった。


(だがそれも、勝利あってのことだ。勝利は黒を白にする。

 ゆえに、袁家に敗北は許されぬ……その事を、肝に命じておけ)

(は、はい……!)

 その時の顔良の顔には、元の下卑た笑みが浮かんでいた。



 名門が何故名門たるか……それは、他より秀でている事を周囲に認知されているからに他ならない。

 何を持って優秀とするか、それは即ち勝利である。

 勝ち続ける事によって、名門の優位性を証明する。

 いつの時代も、価値や正義は勝者が決めるもの。

 全能の支配者とは、勝利し続ける者の事なのだ。

 勝利を持って正義を貫く……それが、袁家の者が脈々と受け継いできた信念だった。



 そんな袁紹達を捨て置いて、曹操は劉備と相対する。


「お初にお目にかかる、劉玄徳殿。

 余の名は曹操。字は孟徳。

 貴公の勇名は、黄巾の乱の折に耳にしておる」

「あ、ああ……初めまして……だな」


 突如現れ、自分の名乗りを掻っ攫っていった少年に……劉備はすっかり狼狽していた。

 見た目は少年だが、張飛と同じくこの男も武将なのだろう。

 最も、張飛と違い口調や身に纏う雰囲気は完全に大人の……いや、君主のそれだった。



「皆の者、聞いたか?先ほどの劉備殿の演説を」


 曹操は、見守る群衆に語りかける。

 劉備とは違い、あくまで自然体のままで。


「各々の誇りを奮い立たせれば、董卓に勝てる……素晴らしい。

 余も全く同感だ。さすがは王族の末裔……

 漢王朝くにを思う心は、余らとは比べ物にならぬ」

「ま、まぁな……」


 先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか。

 場の主導権は完全に曹操に握られていた。


「祖の興した国の窮状を憂い、

 仁の心で乱世を救おうとするこの勇者に、拍手と喝采を」


 曹操がそう告げた直後……群衆達は、一斉に手を叩き、声を上げる。

 讃えられているのは劉備のはずなのに……

 劉備には、曹操が群衆達を操ったように思えてしまった。

 


 再び、劉備に振り向く曹操。

 その琥珀色の眼光を当てられた劉備は、

 言い様の無い焦燥と不安を感じてしまうのだ。


(見透かしてやがるのか?この俺のなかみを……)

 

 曹操は、劉備の心理を見抜いたように、笑みを浮かべる。


 ただ居るだけで人心を掌握する魔性。

 存在自体が既に破格。

 生まれながらの覇王。


 劉玄徳はこの日初めて出逢った。

 この世界に存在しないと思っていた、自分以外の“異質”に。


 相容れぬ存在……

 この時は、まだ単なる直感に過ぎなかった。

 劉玄徳が、曹孟徳から感じ取ったのは、そんな言い知れぬ不安だけだったのだ……




 宝剣を天にかざし、連合軍の盟主……袁本初は、高らかに宣言する。


「聞くがよい!皆の者!!

 董仲穎の悪逆非道は都を傷つけ、民を苦しめ、そして天子の品位を貶めた!!

 これは、漢王朝に生きる者全てへの宣戦布告である!!

 我々は、斯様な暴虐を決して許してはならない!!

 人民の怨嗟は、天を揺るがし、人民の悲嘆は地を震わせた!!

 民の悲しみと怒りこそは、我らの大義!我らの正義だ!!

 集いし勇者たちよ!!今こそ逆賊董卓を滅し、漢王朝に真の平和を取り戻すのだ!!」


 締めとばかりに宝剣を洛陽の方角に向け、声を張り上げて叫ぶ。



「董卓、討つべし!!」



 董卓、討つべし!!

 董卓、討つべし!!

 董卓、討つべし!!

 董卓、討つべし!!

 董卓、討つべし!!



 高鳴る声は怒涛となって、武将達の闘志に火をつける。



 反董卓連合軍、ここに決起す―――――――


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