第十四章 訣別(六)
「にゃ、何だってボクちゃんがこんな目に……
お腹すいた〜〜喉渇いたでしゅしゅ〜〜」
揚州での孫策との戦いに敗れた袁術は、同じ一族である袁紹を頼ろうと北上していた。
今の彼にかつての栄華の面影はなく、げっそりとやつれ果てている。
大敗につぐ大敗で財産を使い果たし、日々の生活にも困窮する有様だった。
現在彼らは、既に人のいない古びた屋敷に宿泊している。
かつては立派な建物だったかもしれないが、
時の流れによって朽ち果てたこの屋敷は、今の袁術を象徴しているかのようだった。
「どいちゅもこいちゅも、よってたかってボクちゃんを虐めて!!
ボクちゃんは皇帝でしゅよ! どーちて頭を垂れて敬おうとしないんでしゅか!!」
不平不満をぶちまける袁術だが、それで状況が改善するわけでもない。
今の袁術にあるのは、困窮の果てにあってもまるで萎まない自尊心だけだった。
だが、未だ絶望していないのにはそれなりの理由がある。
従兄弟であり、袁家の当主であり、河北一帯を統一する男、袁紹。
かつては激しく対立した両者だが、今となっては頼れるのはあの男しかいない。
南北両面から圧力を強める曹操と孫策を振り切って、今袁術は冀州へと向かっている。
多くの部下が袁術を見捨てて離反したが、残る財産をはたいて北上できるだけの兵力は繋ぎ止めた。
最も、高額の報酬というのは虚言であり、見返りを満足に払えるだけの資産など元より無いのだが。
「蜂蜜! 蜂蜜はどこでしゅか!
ボクちゃんの喉は、蜂蜜じゃないと潤わないんでしゅよ!
蜂蜜を持って来いでしゅ〜〜〜〜!!」
「は、はぁ……それが、蜂蜜は既に尽きて……」
次の瞬間、部下は袁術の持つ杖で額を打たれる。
「分からない奴でしゅね! 尽きているなら手に入れて来なしゃい!
お前らはそんなこともわからないんでしゅか!! この無能がっ!!」
理不尽に怒鳴りつける袁術。
無茶苦茶にも程がある。今は、食糧を手に入れるのにも難儀している状態なのだ。
寿春から持ち出した蜂蜜はとうに尽き果てている。
袁術が、たったの三日で飲み干してしまったのだ。
以降彼は、事あるごとに蜂蜜が舐めたい食べたいと喚きちらしている。
どんな理不尽な扱いを受けても、報酬目当てで彼に従っているが、そんな金が本当にあるのか怪しみ始めてもいた。
実際、袁術自身も喚いたところで無駄なのは分かっている。
ただ、抑え切れない不満と苛立ちを部下にぶつけて溜飲を下げているだけのことなのだ。
「袁術様!」
「おお! 蜂蜜が見つかったでしゅか!?」
部屋に入ってきた兵士を見て、袁術は目を輝かせる。
「い、いえ……袁紹様が、こちら参られましたが……」
「にゃにゅっ!?」
袁紹の名を聞いて、袁術は蛙のように飛び上がった。
その後、頭を軽く叩いて、思考を素早く切り替える。
「よくも再びこの私の前に顔を出せたものだ。
恥知らずとは貴様の為にある言葉だな、公路」
馬に乗ったまま、平伏した袁術とその配下を見下ろす袁紹。
傍には、文醜が控えている。顔良は現在業の都で南下部隊の指揮に当たっている。
金色の装束を身に纏い、金髪をなびかせる袁術は、太陽光を浴びて眼が眩むほどに光輝いていた。
彼は、袁術に“ある取引”を持ちかけられ、こうして彼の下まで出向いたのだ。
袁術にはもう、袁紹の下までたどり着けるだけの金子も食糧も残ってはいなかった。
袁紹は、嘲るような、憐れむような眼で袁術を見下ろしている。
かつては同じ袁家で激しく争っていたのに、領土を失った途端、恥も外聞も捨てて援けを求めてきたのだ。
皮肉の一つや二つも言いたくなる。
一方の袁術は……
(何でしゅか、その金ぴかは……
ちばらく見ないうちに、また趣味が悪くなったみたいでしゅね!)
もちろん、そんな本音は喉の奥に封じ込めている。
袁紹の罵言に言い返すこともなく、顔を上げて緊張した声で話しかける。
さすがの彼もよく理解していた。袁紹は自分にとって最後の希望の綱だ。
生死の分岐点……袁紹の機嫌を損ねてしまっては、全てが終わる。
「む、昔のことは水に流そうでしゅ。
もっと昔のことを思い出すでしゅよ。
ボクちゃん達、昔は仲良くやっていたじゃないでしゅか」
「知らんな。貴様の存在など、とうにこの私の記憶から消え去っているわ。
貴様と手を組んでいたこと自体、私にとっては恥ずべき汚点でしかない」
友好的に歩み寄ろうとする袁術を、傲慢に満ちた冷たい声で拒絶する袁紹。
その返答に、袁術は体を震わせる。
(ぐにゅ〜〜……やっぱりこいちゅ気に入らないでしゅ……
でも、ここは我慢しにゃいと……)
なけなしの自制心を振り絞り、不快な態度を表に出さないようにする。
「ちょ、ちょにきゃくっ!
今は同じ袁家のボクちゃん達がいがみ合っている場合ではないでしゅ!
ボクちゃん達が戦うべき相手は、あの憎き宦官の孫、曹操でしゅ!
あいちゅをぶっ殺ちて、ボクちゃん達袁家の天下を一緒に作りまちょー!」
それを聞いた袁紹は、口許に手を当て、くすくすと笑い始めた。
「公路、貴様の曹操への理解はその程度か。
ならば、そこまで落ちぶれるのも当然の成り行きと言えよう。
蜂蜜に目を曇らせ、人を見る目の無い貴様に、元より王の資格など無かったのだ。
貴様は十数年前から何も成長していない。
進化した部分と言えば、玉璽を手に入れた程度で有頂天になり、皇帝を自称するなどという痴性だけだ」
曹操という宿敵を誰よりも評価する袁紹にとって、未だに認識を改めていない袁術は愚物以外の何者でもなかった。
袁術の全人格を否定するように話し続ける袁紹。
「むぎゅ……」
「何故我が袁家に貴様のような出来損ないが生まれたのか。
詰まるところ、貴様は血が薄いのだ。
この袁紹こそが、袁家の高貴なる血統を真に受け継ぎし者なり。
己が器も弁えず、増長を繰り返した身の程知らず。それが貴様の正体だ」
袁術は強い圧迫感を覚えた。
袁紹が言葉を紡ぐたびに、彼の体が大きくなっているように見えたのだ。
目の錯覚だとわかってはいても、身を縛り付ける威圧は現実のものだ。
畏怖を隠せない袁術に、袁紹は悠然と微笑んでみせた。
「されど、私は私に傅く者には寛容だ。
いかに愚昧な輩であろうと、服従するならば救いの手を差し延べよう。
己が臣民を正しく導くこともまた、王のあるべき姿なのだからな。
公路よ、改めて答えよ。
愚かな過ちを悔い、腐った性根を改め、この袁紹に終生臣従することを誓うか、否か」
王者の威厳で服従を迫る袁紹。
返答など考えるまでも無い。元より、袁術に選択肢など無いのだから。
「誓いましゅ! 誓いましゅでちゅ!
喜んで、あにゃた様のおみ足を嘗めさせていちゃだきましゅ〜〜」
媚びへつらう目付きで見上げ、長い舌を振り回す。
蛞蝓のような舌から、涎が飛び散る。
袁紹はそれを見て、眉間に皺を寄せる。
「いらん。それより、忠誠の証ならば、他に差し出せるものがあろう」
それを聞いて、一瞬袁術の眼が鋭く輝く。
(ふん、偉ちょーな御題目を唱えても、結局欲ちいのは“これ”でちゅか……)
袁術には最初から分かっていた。
何故、袁紹が自分を助けに来たのか……それは、同じ家ゆえの情けでも何でもない。
狙いはただ一つ、自分の持つ“伝国の玉璽”だけだ。
この男もまた、己が皇帝であるという証が欲しいのだ。
やろうとしていることは自分と何も変わらない。
散々袁術を侮辱しておきながら、結局は彼も同じ穴の狢に過ぎないのだ。
(こいちゅの、自分だけはご立派なよーに見せかけるちょころが、
昔から気に喰わなかったんでしゅ!!)
歯軋りしそうになるのを抑えて、袁術は笑顔を浮かべる。
「ひょいほ〜〜い、分かっていまちゅよ。
伝国の玉璽、袁紹様に献上しまちゅでしゅ!」
左の袖から袁術が取り出したのは、黄金色に輝く印鑑だった。
両の掌に乗せて掲げられた玉璽を手に取る袁紹。
「ふむ……」
玉璽を持ち上げ、袁紹はその輝きを瞳に映す
顔を伏せた袁術は……密かに口許を歪めてみせた。
だが……
「公路…………この、愚か者が!!」
その顔を憤怒の形相に変えると同時に、掌の中の玉璽を握り潰した。
粉々に砕け散り、金色の欠片が地面に散乱する。
「ひゅぃっ!?」
両側から現れた袁紹の兵士に、取り押さえられる袁術。
目を開いて驚愕しているのは、袁紹が玉璽を壊すと言う暴挙に出たからではない。
袁紹に、自分の目論見を気づかれたからだ。
「偽の玉璽でこの袁紹を騙しおおせるとでも思ったのか!
姑息な貴様のこと、このような詐術を用いることなど見抜いておったわ!!」
掌をかざし、金色の粉を袁術の顔面に振り掛ける。
この玉璽は、形状こそ瓜二つだが、中身は鉄で作った真っ赤な偽物だった。
「あ、あひゅ…………」
袁術は、元より袁紹の傘下で終わるつもりは無かった。
まずは偽の玉璽で彼を騙し、庇護を受ける。
その上で、時を見計らって再起を図る算段だったのだ。
袁紹と曹操が正面からぶつかり合えば、両軍とも疲弊するだろう。
その時、自分の手元にある本物の玉璽が役に立つ。
戦いがこう着状態を迎えた時、正統な皇帝として再び天下に名乗りを上げる。
玉璽の威光は、戦いに疲れた者達を一斉に跪かせるだろう。
袁術にとっては、これ以上無い程完璧な作戦だった。
だが、彼の目論みは、目の前で砕かれた偽の玉璽と同じく、あえなく木っ端微塵になるのであった。
「王は従う者には寛大だが、信を裏切る者には容赦せん。さて、どうしてくれようか……」
そう言って、右の袖を乱暴に掴む袁紹。
すると、そこから金色に輝く印鑑が転げ落ちてくる。
「あ! そ、そりは!?」
愕然となる袁術を他所に、印鑑を拾い上げる袁紹。
先ほどの偽物とは違う輝きを眼に映し、袁紹は満面の笑みを浮かべる。
「その反応からすると、間違いないな……これが本物の玉璽だ!!」
「か、返すでしゅ!! ボクちゃんの、ボクちゃんの玉璽を返すでしゅ!!」
忠誠の仮面もかなぐり捨てて、手足を激しく動かす袁術。
部下に取り押さえられて動けない彼を、袁紹は冷たい視線で見下ろした。
「そんなにこの玉璽が大事か……ふん、まぁ当然よな。
才も無く、品位も無く、王の器量も無い貴様の唯一の寄る辺が、この玉璽なのだからな。
物が無ければ己の自尊心も保てない、全くどこまでも無様な男よ」
「玉璽! 玉璽ぃ!! ボクちゃんのぎょぶおはぁっ!?」
袁紹の言葉も耳に入らず、袁術は半狂乱状態で手を伸ばす。
そんな彼の顔面に、袁紹のつま先が直撃する。
「黙れ!!」
後方へと吹っ飛ばされる袁術。
仰向けに倒れ、鼻血と涎を垂らしているのが見える。
それでも気絶しない辺り、腐っても武将と言ったところか。
「お、おにょれ……こうにゃったら……おいおみゃえら!!
この金ぴか馬鹿をぶち殺すでしゅよ!
こいちゅを殺せば袁家も天下もボクちゃんのものでしゅ!!」
袁紹を指差して、部下たちに命じる袁術。
だが、誰一人として動こうとはしなかった。
「ど、どーちましたか!! 袁紹を殺せば、報酬は思いのままでしゅよ!!」
吝嗇な袁術にありえないほど破格の条件を提示されたにも関わらず、彼らは全く動こうとしない。
それは、袁紹の警備が万全だったから……だけではない。
「お、およ……?」
「くくく……公路よ、貴様の愚かしさは怒りを通り越して笑えてくるな。
まだ自分に動かせる駒があるとでも思っていたのか?
貴様は部下に命じてこの場所まで来たと思っているのだろうが……それは違う。
貴様は“連れて来られた”のだ。この袁紹の兵によってな!!」
ようやくここで、袁術も全てを悟る。
彼の兵達は、既に袁紹によって買収されていることを……
袁紹に助けを求める際に冀州に使いを送ったが、その時から既に乗っ取りは始まっていたのだ。
いや、もしかするとずっと前から……
「こ、こにょ裏切り者ぉ〜〜!!」
「ほう、ならば問おう。
報酬は思いのままと言ったが……
公路、貴様にこの者達に払うほどの財産が、本当にあるのか?
いや、あるわけがない!!」
「むにゅ!?」
図星を言われ、言葉に詰まってしまう袁術。
「この者達は聡明だ……貴様に従ったところで、見返りなど無いことに気づいていたのだ。
無能な上に富も無い主に従う価値など毛ほども無い。
より強く、より賢く、そしてより富がある方に流れるのは、人間として当然の判断だ。
この者達は、貴様より遥かに利口だった……ただそれだけの話なのだよ」
金色の輝きのみならず、その底知れない権力においても袁術を圧倒する袁紹。
「さて……この玉璽、どうしてくれようか……」
手にした玉璽を揺らして、袁術に見せ付ける。
しかし……何を思ったのか、袁紹は掌を広げ、玉璽を地面に落とす。
「ぎょ、玉璽!!」
とっさに手を伸ばそうとするが、袁紹の兵に抑えられ、その場でもがくことしか出来ない。
そんな従兄弟を凍りつくような視線で射抜くと、堂々と言い放つ。
「よく見ておけ、公路……これが……この袁本初の王道だ!!」
袁紹は、地面に置いた玉璽に向けて足を前に出す。
それを見て、袁術の全身の血が凍りつく。
まさか……そんなはずは……だが……しかし……
「ま、ましゃか……や、やめ……」
袁術の不安が極限まで膨れ上がったところで……
袁紹は、金色の杵のような脚を、玉璽へと振り下ろした。
正真正銘の玉璽は、袁術の目の前で、粉々に踏み潰された。
「にゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
喉が張り裂けんばかりに絶叫する袁術。
それとは対照的に、袁紹は込み上げる歓喜を抑えきれず、高らかに笑う。
「ふ、ふはははははははは!!
あははははははははははははははははははははは!!!!」
「お、おおおおおおおおお前、
自分が何をしたかわかっているんでしゅか!
玉璽でしゅよ!? 皇帝の証なんでしゅよぉ!?」
袁術でなくとも、この袁紹の行いは正気の沙汰とは思えまい。
漢王朝が生まれる前から、代々の統治者へと受け継がれてきた、中華の最高権力の証。
その権威たるや、四百年続いた漢王朝すらも小さく見えるほどだ。
だが、袁紹は、その玉璽をたった今、何の躊躇いも無く踏み潰したのだ。
それは、漢王朝のみならず……中華の伝統そのものを踏みにじる行為でもあった。
ただの破片となった玉璽から脚を離す袁紹。
「ふん! いいか、公路……私は貴様のように、このようなモノに縋ったりはせぬ。
何故ならば、この袁本初自身が、玉璽にも勝る尊い存在だからだ!!
我こそは、この中華に君臨せし太陽の化身!!
このようなちっぽけな輝きなどより、
眩く、気高く、末永く、この中華全土を照らしてくれようぞ!!」
袁紹と袁術、共に傲慢においては並ぶ者の無い男達だが、
玉璽という“自分以外の権威”に縋った袁術と異なり、袁紹の傲慢は己自身から生まれるものであった。
袁紹にとってはもはや、あれだけ誇っていた袁家の血さえも己を形成する一要素に過ぎない。
己こそが中華の覇王に最も相応しいという自信。
その決して揺るがぬ自信こそが、彼の傲慢の、そして力の源なのだ。
「この袁本初の創る時代に、古き権威など必要ない!!
私が導くのは、この袁紹を至尊とする新たなる中華の未来!!
唯一絶対の君主たるこの袁紹と、私に従う臣民がいればそれでよい!!
それに比べれば、旧き歴史など石ころで積み上げた楼閣に過ぎぬ!!
我が覇業の妨げとなるものは全て破壊する!
然る後に……この袁本初の手によって、天地の理は創造されるのだ!!
ふはははははは……あはははははははははは!!!」
袁紹の口舌は、既に袁術の耳には入っていなかった。
粉々になった玉璽の破片を、どうにか拾い集めようとする。
「あ、ああ! 玉璽! ぎょくぢ! ボクちゃんのぎょく……うっ!?」
突如顔面を苦悶で歪め、胸を押さえる袁術。
「ん、ぐあぁぁぁぁ……!? ごげえぇぇぇぇ……!?」
そのまま激しく全身を痙攣させると、やがて口から血の泡を吐き出す。
「ごほっ……! ごほっ……!
ぼ、ボクちゃんのぎょく、ぎょくぎょくぎょぎょぎょぎょぎょぎょ……ぎょぼあぁっ!?」
充血した目玉が飛び出んばかりに開かれる。
仰向けになって、盛大に血を吐く袁術。
袁紹が指摘したとおり、彼の膨れ上がる傲慢は玉璽を支えにしたものだったのだ。
それを目の前で壊されたことで、彼の支柱は音を立てて崩れた。
その衝撃は、刃で貫かれるより、鈍器で殴られるよりも遥かに大きなものだった。
玉璽の喪失は、彼の精神に多大な負荷を与え……最終的に、彼の心臓を破裂させた。
「……袁紹様……死んでおります」
文醜は、目を引ん剥いたまま絶命している袁術に触れ、その死を確認する。
それを聞いた袁紹は、実に無感動な表情でただ一言。
「そうか」
袁術の亡骸を一瞥した袁紹は、一切の興味を無くしたように背を向ける。
「道化よ、貴様の生涯は全てにおいて無価値であった。
貴様など、礎にする価値もない。そのまま野垂れ死ね」
用件は済んだ。
玉璽を破壊したことで、今後袁術のような漢朝の威光に縋る愚物が出てくることも無いだろう。
一方で、これは袁紹にとっても禊ぎであった。
皇帝の権威を破壊し、己を漢王朝の束縛から解き放つための……
今の袁紹の心は、どこまでも澄み切っている。
己を至高とする金城鉄壁の自信。それこそが、袁紹に限りなき力を与えるのだ。
最後の大戦に臨んで、それは必要不可欠な儀式だった。
これで、あの男と戦う準備は全て整った。
(いよいよだ……いよいよ貴様と雌雄を決する時が来たようだな、曹操!!)
たった今死んだ従兄弟のことも、玉璽のことも、袁紹の脳内から綺麗さっぱり消え去っていた。
今の彼にあるのは、宿敵との戦を間近に控えた高揚感のみだった。
「誰にも邪魔はさせぬ。滅び行く王朝などに出る幕などない。
この袁紹と貴様……勝利した方がこの中華の覇権を握るのだ。
いや、必ずこの私が勝利する!!
我が権力の限りを尽くして、貴様を完膚なきまでに粉砕してくれよう!!
ふははははは……ははははははははははは!!!」
北の袁紹と南の曹操……時代は天下分け目の決戦へ向けて流れていく。