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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十四章 訣別(二)

 

 易京城の外は、袁紹の大群によって完全に包囲されていた。

 騎馬や歩兵のみならず、城壁を崩すための巨大な攻城兵器も見える。

 ここ数年、袁紹軍の技術進歩は目覚ましく、大陸中から名だたる技術者を集め、数々の新兵器を開発した。

 それにより、袁紹の軍はさらに強大化し、勢力を拡張していくことになる。


 この軍勢を相手に今までよく持ちこたえたものだと、公孫贊は述懐する。

 公孫贊の白馬義従はくばぎじゅうも、数年前とは見違えるほど強くなった。

 全ては趙雲のお陰だ。彼は自身が優れた武勇を持つだけでなく、兵法の知識や戦術眼にも長けていた。

 彼の指導により、白馬陣はかつての旧態依然とした軍団から、機能的な軍隊へと生まれ変わった。

 だが……それでも埋めきれないほどの差が、袁紹との間には開いていた。



 公孫贊は、はっきりと思い知らされた……奇策を弄しようとも、有能な将がいたとしても……

 単純な兵力差というものが、どれほど絶望的であるかということを。


 こればかりは、実際に戦ってみなければわからないだろう。

 戦う前ならば、敵の数が多くとも、策やこちらの奮闘次第で勝てる可能性があるように思えてくる。

 実はこれは不利な状況下で気力を奮い起こすための自己暗示なのだが……

 全くその通り、思い込みは所詮、思い込みなのだ。


 いざ戦ってみればよく分かる……数名の将の活躍や、小賢しい策などは、数の暴力の前ではあまりに無力だということを……

 一騎当千という言葉があるが、これは千を超える敵が相手なら負けるという意味でもある。

 そして圧倒的な軍勢があれば、そんな戦い方も可能になるのだ。

 袁紹は、ずっとそうやって勝ち続けてきた。


 数に物を言わせ、敵の戦意を奪い、策をねじ伏せ、巨大な力で抵抗すら許さず飲み込んだ。

 数が多ければ、それだけ余裕が生まれる。

 その分、彼らも策を組み立て、敵の動きを先読みする時間を作ることができる。

 徹底的に攻め続け、相手が策を弄する余裕を奪い取ることもできる。

 また、圧倒的な兵力差は、それだけで相手の戦意を喪失させられる。

 戦わずして勝てば、相手の兵力をそのまま吸収できるばかりか、こちらの兵力の損失も抑えられる。

 結果として、兵力増加の速さでさえも、他と大きく差をつけることとなる。


 そして、彼の軍勢は、名実ともに中華最大となった。

 名門の基盤を最大限に活かし、実に順当な形で、袁紹は天下に王手をかけた。

 ここで公孫贊を討ち滅ぼせば、その位置はますます盤石なものとなる。

 いや、既にそうなったも同然だ。

 公孫贊を守るものは全て剥ぎ取られ、彼は今、自ら首を差し出すために戦場に赴いているのだ。



「お前達……!」


 城門前には、白い騎馬隊が公孫贊を待っていた。彼が手塩にかけて育ててきた、白馬義従の者達だった。


「何故まだここにいる?袁紹とは私一人で話をつける。お前達は城で待っていろといったはず……」


 勝敗が決した以上、死ぬのは自分一人でよい。無駄な犠牲を出すつもりはなかった。


「伯珪様……貴方は、死ににいかれるおつもりなのでしょう?」

「どうか、我らもお供させていただきとうございます!」

「我らは最後まで、白馬陣としての使命を果たしたいのです!!」

 

 彼らの熱い忠義に触れ、公孫贊は胸が熱くなった。白い頬を涙が伝うのを感じる。


「お前達こそ、白馬義従の名にふさわしい。

 お前達の真白き忠義、この公孫伯珪、天上へ昇った後も忘れまいぞ……」


 この内外揃った白さこそ、公孫贊の美学の象徴である。

 白き誇りを胸に抱き、白き剣を腰に差す。

 白き愛場に跨がって、白き従者を率いて、公孫贊は生涯最後の戦場へ向かう。



 

 易京城の庭には、公孫贊が丹精こめて育てた白薔薇園がある。

 また、池には白百合が咲き、それ以外にも木苺きいちご鈴蘭すずらん桔梗ききょう吸葛すいかずら百日紅さるすべり白詰草しろつめくさなど、様々な白い花々が咲き誇る様は、

 まるで淡い新雪が降り積もっているかのようだった。

 在りし日は、庭に咲く花々を愛でながら、乗馬や食事を楽しんだものだ。


 だが、かつて公孫贊が愛してやまなかった白き花園は、もうどこにもない。

 袁紹軍の攻撃によって、焼き尽くされ、踏み躙られてしまった。

 崩れた城壁と砲撃の嵐によって、一面瓦礫の山と化している。


 その光景に、公孫贊は胸を痛めつつも……気持ちを強く持って叫ぶ。


「公孫伯珪、ここに推参!

 袁紹よ、我が白馬陣を恐れぬならば、自ら姿を見せよ!!」


 十数万の圧力が、一斉に公孫贊へと降り懸かる。

 その気になれば、公孫贊と白馬陣は断末魔をあげる間もなく瞬時に踏み潰されるだろう。

 今の公孫贊は、巨大な金色の象に立ち向かう白蟻も同然だった。

 袁紹軍は、統率が行き届いているのか、罵声一つ返って来ない。

 やはり無謀だったか……公孫贊が強く歯を噛み締めたその時……



「世迷言を抜かすな、公孫贊」


 天上に座すかのような尊大な声が、夜空に響き渡る。


「何故この私が貴様ごときを恐れねばならぬ。

 地を這いずる雑草が、天上に立つこの袁紹と対等に口を利こうなどと、度を越えた不敬と知れ」


 馬の蹄が、まだ残っていた白い薔薇を踏み付ける。

 十万を越える大軍が、彼らの王のための道を開ける。

 袁紹の姿を目の当たりにした公孫贊軍は、その輝きに目が眩みそうになる。

 それは、比喩ではなく、実際に袁紹の体は、燦然たる輝きを放っていた。


「袁……紹……」

「どうした、今頃臆したか、公孫贊。

 だがそれも当然の反応というものだ。

 下賎な雑草ごときは、我が威光を直視することすらあたうまい!」


 陶然と語る袁紹は、全身黄金の甲冑に覆われていた。

 胸も肩も、篭手も脚も、全ての鎧が金色である。

 月明かりや篝火の光を反射して、彼のいる場所だけ太陽が現出したかのようにまばゆい光を放っている。

 獅子のたてがみのような黒髪も、今は金色に染まっている。

 公孫贊が袁紹を直に見るのは、実に虎牢関の時以来なのだが、袁紹は大きく変貌を遂げている。

 まるで金塊が人の形を成して動いているかのようだ。

 それは、姿形だけではない……その身に纏う傲慢も尊大さも、かつてとは桁違いに膨れ上がっていた。


(馬鹿な……! これが、王者の風格なのか……?)


 そう考えて、公孫贊は慌てて否定する。断じて認められない。

 あんな己の財をひけらかすような悪趣味な装飾に身を包むような男が真の王者であるはずがない。

 しかし、どれだけ不愉快だったとしても、あの男の放つ威に飲まれてしまったことは否定出来なかった。


 違う……豪奢な装いのことではない。今の袁紹は、何かが決定的に違う!


「公孫贊……何故貴様に、我が姿を拝謁させる栄誉を与えたかわかるか?」


 袁紹は、傲慢を極めたような物言いで問いかける。


「時勢の流れも読めず、愚かな抵抗を続け、この袁紹の覇業を遅らせた罪は重い。

 直ちに下馬し、土に顔面をこすりつけて詫びよ。それが今の貴様の唯一の存在価値だ」

「な……に……?」

「どうした?この袁紹が、貴様に謝罪の機会を賜ろうというのだ。泣いて喜んでひざまずけ」


 公孫贊の中で、押し殺したはずの怒りが沸々と湧いてくる。

 袁紹は、ここに戦いに来たのではない。

 ただ、敗者を辱め、その誇りを砕き、屈服する様を眺めて己の歪んだ嗜虐心を満たしたいだけなのだ。




「おらおらぁ! このもやし野郎がぁ!

 袁紹様の命令が聞けねぇってのか! さっさと土下座しやがれ!」

 

 袁紹の左側に侍る顔良がんりょうが、下品なだみ声で囃し立てる。

 右側にいる文醜ぶんしゅうも、嘲るような含み笑いを漏らしている。

 それを見て、公孫贊の怒りはさらに煽られた。

 こんな奴らに中華の未来は渡せない。

 白薔薇の貴公子が、こんな性根の腐りきった輩に屈服するなど、断じて許されない。

 先程袁紹に感じた威圧感は、やはり気の迷いだった。彼は、王の器でない。


「袁紹! 敗者を嬲り、悪趣味な鎧を身に纏い、他者を見下すだけの貴方が新時代の王とは片腹痛い!

 王とはただ財を蓄えひけらかす者に非ず!

 清廉にして潔白! 仁義に篤く、気高くも美しい魂を持つ者こそ、真の……」



「黙れ貧乏人が!!」



 袁紹の一喝が、公孫贊の口上を断ち切った。

 それは、到底王が吐くにふさわしからぬ言葉でありながら……圧倒的な迫力で、公孫贊に打ちのめした。


「王を王たらしめているものは何か! それは力だ!

 人民全てをねじふせる絶対の力こそ、王の権威の源となるのだ。

 力が従属をもたらし、力が忠誠を生み、やがて尊崇の域にまで昇華させるのだ。

 王の力とは何か……それは……」


 まず、袁紹は背後にひしめく自軍の兵を指し示す。


「兵力!!」


 続けて天に拳を振り上げ、


「権力!!」


 最後に自らの黄金の甲冑を指差し、高らかに締めくくる。


「そして、財力だ!!」



 同時に袁紹軍から凄まじい歓声が沸き上がる。

 目に見える大群のみならず、城の後方からも同じ規模の歓声が聞こえてくる。

 眼前の数でさえ絶望的なのに、それをさらに上回る大群が易京城を完全に包囲しているのだ。

 改めて、袁紹の大軍勢の驚異を思い知らされる。

 それはもはや恐怖も絶望も越えて、決して逃れられない敗北という事実そのものだった。

 袁紹は、自らの率いる軍勢が、己を讃える声を聞きながら、その権力の大きさに酔いしれる。

 そして、公孫贊に対し、今度は穏やかに語りかける。


「公孫贊……貴様の言う仁義だの清廉だの……

 いにしえの聖人とやらが飽きもせず並べ立ててきた、聞こえの良い文句が、王の道において、一体何の役に立つというのだ……?」


 袁紹は、ここで声の調子を急激に跳ね上げる。


「“実”がないのだ!

 そのような空虚な言葉に躍らされ、ありもしないものを追い求め、確たる権力の構築を怠れば、それはやがて王の権勢に皹をもたらす!

 弱き王に有象無象が付け込んだ結果が、今も滅び去ろうとする漢王朝の姿だ!!

 この袁紹は違う!

 天上天下に君臨する唯一無二の絶対権力となりて、この中華を統一する!

 古い権力も、無意味な大義も必要ない!

 頂点に昇るのは、この袁紹だだ一人でよい!

 中華の遍く全てが我が威光の前に跪いた時初めて、中華は新生を果たすのだ!!」


 袁紹の声には、僅かな揺らぎも不安も感じられない。

 彼はどこまでも己を……己の権力を信じきっている。

 そこには私利私欲はなく、ただ愚直なまでの信念があるのみだ。

 彼が纏う黄金の装いもまた、虚栄心ゆえではなく、決して揺るがぬ己の信念の象徴なのだろう。

 権力こそ、この世で最強の力だと信じ、ひたすら前へ進み続けた結果……

 袁紹は今、天下の頂に最も近い位置にいる。



 そこまでわかっていても……公孫贊は、断じて屈することが出来なかった。


「袁紹……! 何故分からぬ!

 貴様のその傲慢もまた、この中華を腐らせた者達と同じだということに……!

 私は、断じて貴様には屈しない!!」


 大勢が読めない愚行であることはわかっている。

 だが、彼もまた一人の将である以上、絶対に曲げられない美学がある。

 美学……それこそが、公孫贊のよりどころであり、生きる意味そのものだ。


「私、公孫伯珪は、貴方に一騎打ちを申し込む!

 貴方にまだ武人としての魂が残っているならば、この勝負を受けられよ!!」


 刺突剣レイピアを突き付けて、袁紹に一対一の決闘を申し込む公孫贊。

 文醜も顔良も唖然となる。どう考えても馬鹿げた申し出だ。

 既に戦の勝敗は決している。

 この状況で、総大将が己が身を危険に晒し、全てを台無しにしかねない愚を犯すとは思えない。

 公孫贊の行いは、無謀を通り越して己が思慮のなさを周囲に晒しただけだった。

 文醜達も次第に失笑を漏らし始める。


 だが、公孫贊とて、無謀なのは百も承知だ。

 それでもあえて決闘を申し込んだのは、己の誇りを守るためだ。

 まず間違いなく、袁紹はこの申し出を断るだろう。

 それでいい。袁紹は、自分に敗れることを恐れて勝負を逃げたのだ。

 あの男が、一人では何もできないお山の大将であることを証明できる。


 一人の男として、自分は、袁紹に勝っている――!


「私は死など恐れない!

 私は、貴様のように、己を醜い色で塗りたくってまで、生きようとは思わない!

 散り際こそ美しくあれ……最期まで、白く、気高く、美しく、咲き誇ってみせる!」


 誰の手も借りず、可憐に咲く一輪の花の美しさこそ、公孫贊の目指すものだ。

 誰にどう思われようと関係ない……

 袁紹に、白馬義従のものたちに、白き最後の輝きを見せつけられれば、我が人生に悔いはない。


「さぁ、袁紹! 返答やいかに!!」




 袁紹は、唇を閉じたまま、無表情で公孫贊を見つめていた。

 しかし、袁紹はここで、公孫贊が全く予期しなかった行動に出る。


「文醜、我が黄金剣をここに」

「は……」


 文醜は、袁紹の愛剣である黄金の両刃剣を、うやうやしく差し出す。

 鞘から柄まで隈なく黄金で造られた剣を受け取った袁紹は、柄を握り、鞘から刀身を抜き出す。

 黄金剣は、その刃までも黄金だった。眩しすぎる輝きが、公孫贊の目を打つ。


(まさか……)

 

 一騎打ちに応じるつもりなのか?

 自らの剣を取り出したということは、それしか考えられない。


「公孫贊。貴様はどこまでも救いがたい男だ。

 だが、私は寛大である。哀れな子羊に慈悲を賜るも王のつとめ。

 貴様に、王の慈悲をくれてやろう」

「っ!!望むところよ!!」


 公孫贊の中で、たちまち闘志がわきあがる。

 勝てる、必ず勝てる。自分が一対一で袁紹に負けるわけがない。

 袁紹は王の余裕を気取っているのだろうが、それが奴の命取りになる。

 袁紹の覇業は、今日この瞬間に潰えるのだ。この純白の英雄、公孫贊によって!

 

 垣間見えた希望は、公孫贊から美学を奪い去っていた。今の彼はひたすら生にしがみつくことしか考えていない。


「受けよ袁紹! 公孫家秘奥義、白薔薇の舞!!」


 公孫贊の両手やマントから、無数の白薔薇が乱れ飛ぶ。

 白薔薇の花びらが夜空を舞い、袁紹と公孫贊を包み込む。


 それはまるで、地上に現出した白雲のようだった。


 この白薔薇の狙いは、文醜と顔良への牽制だ。

 公孫贊も、袁紹が素直に一騎打ちに応じるとは思ってない。

 姑息な袁紹のこと、傍らの文醜と顔良に助太刀させる可能性は極めて高い。

 だが、この白薔薇によってあの二人の視界は封じられた。

 二人の動きが止まった隙に、得意の突きで、一撃のもとに袁紹を刺し殺す。

 それで勝負は決まりだ。

 白い外套マントを翻し、大地を蹴って飛翔した瞬間――



 彼の視界を舞う白い花びらが、赤く染まった。






 何が起こったのか理解できなかった。

 あの男を突き殺そうと飛び出した瞬間……熱い痛みが、彼の背中を貫いた。


 袁紹は、微笑みを浮かべて眼前の光景を眺めている。


 公孫贊は、十数本の槍に貫かれ、空中に掲げられていた。

 戦場においても清らかさを保ってきた彼の白い装いは……瞬時に赤黒く染まっている。

 胸や腹、両腕に両脚と、全身を突き抜けて飛び出した槍の穂先から、血の雫が零れ落ちる。



「か……は……」


 微かな吐息を漏らす公孫贊。

 彼を貫いたのは袁紹ではない。文醜や顔良、袁紹軍の兵士達でもない。



 あろうことか、彼に刃を向けたのは、背後を固めた白馬義従の者達だった。



「お……まえ……たち……」


 絶望に顔を凍りつかせ、何とか後ろを振り向く公孫贊。

 後ろめたそうな顔をしている者、下卑た笑みを浮かべている者……主君を刺し貫いた者達の表情は実に多彩だった。

 だがその顔を映し出す視界も、すぐにぼやけてしまう。

 同じく、槍に刺された右腕から力が失われ、刺突剣が地面に落下した。

 痛みも感じぬほどに茫然自失となった公孫贊の耳に、袁紹の高笑いが響き渡る。



「ふ……ふははははははははは!!

 あははははははははははははははは!!!

 わ――っはははははははははははははははははははははは!!!」


 今まで溜め込んでいたものを全て解き放つように……

 可笑しくて可笑しくて仕方が無い様子で、袁紹は笑い続ける。


「愚か……愚かな愚かな公孫贊よ! 何も気づいていなかったのか?

 貴様のご自慢の白馬義従とやらは、既に我が金色で塗りつぶされていたことに……!!」


 血塗れのなった公孫贊は、虚ろな瞳で勝ち誇る袁紹を見つめている。


「一騎打ちだと? 貴様がこの私と対等に闘えるなどと、一瞬でも夢を見たのか?

 公孫贊、貴様ごとき雑草を刈るのに、我が手はおろか、我が兵を使うことすら勿体無い!

 我が権力を持ってすれば、貴様の飼い犬を手なずけるなど容易いことよ!!

 誇りも忠誠も、金の力の前では吹けば飛ぶ塵芥も同然!

 どうだ? 思い知ったか? この袁本初の絶対権力を!!」


 ここで公孫贊はようやく気づいた……

 袁紹は最初から一対一で戦うつもりなど無かった。

 彼の狙いは、公孫贊をその気にさせて、最も精神的に打撃を与える方法で葬り去ることだったのだ。


 確かに……この方法は、どんな辱めよりも効果的だったと言わざるを得ない。

 長い間苦楽を共にし、信頼していたはずの部下に裏切られた苦しみは、到底言葉では言い表せない。

 体を蝕む激しい痛みさえも、その前では霞んでしまうほどだ。


 死地に赴くと分かっていながら、最後まで共に戦いたいと言ってくれた白馬の盟友達。

 だが、あれは覚悟でも何でもなかった。

 最初から袁紹と取引をして、主を謀殺するつもりだったからこそ、彼らは逃げずに公孫贊についていったのだ。


 袁紹が手にした黄金剣は、白馬義従への合図だった。

 彼が剣を抜いた瞬間に、背後から公孫贊を刺し貫けという意味の……


 


 やがて、公孫贊の身体から槍が引き抜かれ、血塗れの体が地面に落下する。

 袁紹はうつ伏せになって横たわる公孫贊に近づくと、白い頭髪を脚で踏みつけた。


「ぐ……」

「言ったはずだ。土に顔面を擦り付けて跪けとな。

 何人たりとも、この袁紹の命令に逆らうことはできぬのだ!!」


 自分の望みは、どんな手を使ってでも叶える。叶えさせる。

 公孫贊を踏みつける袁紹は、まさしく傲慢の化身と化していた。


「え、袁紹……」


 既に虫の息ながらも、口の中が血だらけになりながらも……公孫贊は、微かな声を漏らす。


「こ、こんな勝ち方が……嬉しいのか……? 恥だとは……思わないのかっ!?」


 全身を覆う怒りと共に、思いの丈を吐き出す公孫贊。

 相手の尊厳を踏みにじり、他者の手を用いて、己の手を汚さずに欲望を満たす。

 武人の誇りの対極を往く袁紹のあり方は、公孫贊にとっておぞましいものでしかなかった。


 そんな罵声を浴びても、袁紹は小揺るぎもしなかった。

 踏みつける足に力を込め、顔中に侮蔑の笑みを浮かべてこう言い放つ。


「恥だ? 嬉しいだ? そんな狭く小さい感情こそ、まさに凡俗の証よ!

 この私は既にそんなものは超越している。

 貴様の言う戦いの美学など、王の道には全く不要なもの。

 いいか、よく聞け。この袁紹が求めるものはただ一つ……それは……」


 黄金の剣を夜天に掲げ、高らかに宣言する袁紹。



「勝利だッ!!」


 

 同時に、袁紹の軍勢からも、一斉に歓声が沸きあがる。


「人民の幸福は! 天下の平定は! 勝利によって初めて得られるものだ!

 どれだけ高邁な理想を掲げたところで、勝利せねば何の意味も無い!

 勝利無くして世界の栄華も繁栄もありえない! 勝利こそが全てなのだ!!

 そして王の責務とは、いつ如何なる状況においても勝利し続けることに他ならぬ!

 誰よりも貪欲に勝利を求めるこの袁本初こそが、中華の王となるに最も相応しいのだ!!」


 公孫贊の頭を、更に強く踏みつける袁紹。


「公孫贊! 悲劇の将を気取って己に酔い痴れるだけの貴様が一体何を成し遂げたというのだ?

 結局貴様は、勝利は愚か、自分の部下の心さえ掌握できなかったではないか!

 全てを剥ぎ取られ、部下に裏切られ、泥に塗れながら死に往く貴様は、ただの無様な敗者に過ぎんのだ!!

 よく周りを見るがいい公孫贊!

 他の者達は、我が兵も貴様の兵も、皆勝利の歓喜に沸き立っている!!

 これが王の力だ! 王の勝利こそが、万民に栄光をもたらすのだ!」


 実際……袁紹が公孫贊の軍を金で懐柔したことで、袁紹軍、公孫贊軍、双方の犠牲は最小限で済んだ。

 事実だけを見れば、袁紹が多くの兵の命を救ったのだ。

 公孫贊一人の命を、生贄にすることで……


「敗者は貴様だけだ! 貴様だけが泥に塗れ、無様な姿を晒している!!

 死を恐れない? 散り際こそ美しくだと? 笑わせるな!!

 敗者には何も存在しない! 敗者が得るものなど何も無い!

 勝利から目を背け、敗北を取り繕うことに拘った貴様は、生きることを放棄したゴミにも劣る存在だということがわからんのか!!」


 今……ようやく理解できた。

 何故、袁紹がこれ程の威圧感を纏っているのか。

 それは、彼のあまりにも巨大な生きる意志のためだったのだ。

 勝利を求める限り無き熱情が、袁紹に王者と見間違わんばかりの風格を与えたのだ。


 

「この袁本初、勝利以外の何物も求めぬ! 散り際の美しさなど一切認めぬ!

 誰の目から見ても疑いようがなく芥子粒ほどの異論の差し挟む余地の無い圧勝、完勝、全勝、常勝、激勝そして勲章!!

 勝利!勝利!勝利勝利勝利勝利勝利勝利勝利勝利あるのみぃぃぃぃぃ!!!」


 瞳を血走らせ、袁紹は夜空に向かって吼え続ける。

 場を覆う歓声は、更に大きくなっていく。


 公孫贊は、もう言葉も出なかった。

 自分の信念を、美意識を、容赦なく徹底的に、完膚なきまでに否定されたのだ。

 どれだけ反駁しようとしても、袁紹に踏みにじられている自分が、袁紹の言うことを証明してしまっている。


「理解したか? 絶望したか? これが王の慈悲だ。

 最期に、貴様の器の小ささをわからせてやったのだからな……」



 絶望が……闇が……

 公孫贊の脳内を、真っ白に染め上げていく。


(見える……白い……白い世界が……)


 これが……これが、自分の目指した最期なのか。


 全てを失った敗北の無が、白の極致だというのか。




「公孫贊よ、貴様の美など所詮一輪の白い花。

 白は容易く朱に染まり、花はいずれ枯れ落ちる」


 袁紹は一時静かな口調で語りかけながら、黄金の剣を公孫贊の喉下に当てる。

 そして、すぐに顔面を嘲笑で歪めると、公孫贊に最後の言葉を投げかける。


「だが、この袁本初は言うなれば煌く黄金!!

 その輝きは未来永劫、錆びず、滅びず、朽ち果てず!!

 この中華を眩い陽光で照らし続けるのだ!!」


 黄金の剣が、煌いた瞬間……




 白髪が翻り、公孫伯珪の首は夜空に舞っていた。




「ふはははははははははははははは!!

 わはははははははははははははははははははははは!!!!」



 月光が照らす戦場で……

 公孫贊一人の死を持って、易京の戦いは決着した。

 袁紹軍も、公孫贊軍だった者達も、皆が勝利の歓喜に沸き返る。

 その中でも、袁紹の哄笑は、誰よりも大きく長く響き渡っていた……







 渾元暦199年、3月……


 袁紹は易京にて公孫贊を破り、幽州を手中に収め、河北を完全に統一する。

 その兵力は数十万に達し、北方との異民族とも手を結び、巨大なる権力を築き上げる。

 だが、中原制覇を目指す袁紹の覇気は、留まるところを知らなかった。


 必然の流れとして……

 歴史は、河北の袁紹と河南の曹操との、全面戦争へと突き進んで行く……



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