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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十三章 伝説の終焉(七)

 下丕城……


「ぜぇ……ぜぇ……」


 荒い息を吐き、膝に手を当てて、その場に立ち尽くしている張飛。

 全身の傷痕は、既に発光していない。


 彼の目の前には……血塗れになった、魏続と宋憲の巨体が倒れていた。


「益徳……!」


 義弟の名を呼び、彼の下へと駆け寄る劉備。

 長兄の声を聞いた瞬間、張り詰めた糸が切れるように、張飛の身体が崩れ落ちる。

 劉備は、弟の小さな体を後ろから抱きとめた。


「兄……貴……」


 張飛はか細い声で呟く。


「馬鹿野郎、無茶しやがって……!」


 全身の傷を発光させてからの張飛の戦いぶりは、言語を絶するものだった。

 あの時、張益徳は敵を殲滅することのみを目的とする一体の獣と化していた。

 幻獣の細胞を活性化された魏続と宋憲も十分に怪物だったが……張飛の強さはそれを遥かに上回っていた。

 中空を舞い、首を絞め、骨をへし折り、胸板を引き裂く。

 その姿は、まさに悪鬼と呼ぶ他なかった。

 魏続と宋憲は、血まみれで倒れ臥したままぴくりとも動かない。


「うがぁぁぁっ! ぁっ! がぁぁぁぁぁっ!!」


 張飛は痙攣したように身をよじらせ、苦悶の声を上げ続けている。

 全身の傷痕に、焼けた鉄を流し込まれたような激痛が、絶えず彼を苛む。

 そんな義弟に対し、劉備は声をかけてやることしかできなかった。

 于禁はもうこの場にはいない。

 張飛が戦っていたころは近くにいた気もするが、いつの間にか姿を消している。

 彼は元々曹操の配下だ。

 見るべきものは見たので、また己の任務へと戻っていったのだろう。


「益徳!しっかりしろ!益徳!」


 義兄の声が、張飛の気力を蘇らせる。


(そんなに取り乱してんじゃねーよ……みっともねー……)


 兄を心配させまいと、張飛は己のの身を苛む痛みを押し殺す。


 “あの力”を使えば、こうなることは分かっていた。

 かつて、張飛を攫った教団が、彼の身に刻み付けた呪われし傷痕……

 彼らはこの蛇の紋様を“聖痕”と呼んでいた。

 彼らの吐く狂信的な言葉の意味など、当時の張飛にはまるで分からなかった。

 しかし、言葉に出来ずとも、張飛はこの傷の使い方を理解していた。


 発動させるための鍵は、張飛の頭の中にあった。

 あの教団が脳内に刷り込んだ呪文。

 それを反芻することで、傷痕が“目覚め”、張飛の力を爆発的に高める。

 激痛と引き換えに、強大な力を呼び起こす。


 彼を覆った赤い闘気は、“タオ”に酷似していた。

 魏続と宋憲を短時間で一蹴したことからもわかるように、その力は強大無比。

 しかし、代償も大きい。

 “聖痕の力”を使った後は、更なる苦痛に苛まれ、一切身動きが取れなくなってしまうのだ。

 過ぎたる力を使ってしまった反動のように……

 短時間で爆発的な力を発揮できる反面、すぐさま行動不能に陥ってしまう。

 大勢の敵を相手にする戦場では、有用とは言えない力だ。

 そんな事情もあり、何より、忘れ去りたい過去の象徴とも言える力のため、彼は義兄たちにもこの力の存在を隠し、決して使おうとはしなかった。


 それが、今回封印を解いたのは、短期決戦を見込める状況だった……だけではない。

 陳宮にいい様に操られる魏続と宋憲を見た時……彼は、どうしても自分の手で彼らを倒さねばならないと思った。

 

 それは嫌悪か、あるいは憐憫か。

 自らの忌まわしい過去の投影とも言えるあの二人を見た瞬間、張飛の理性は消し飛び、後先考えずに傷の封印を解いてしまった。



「ぐがっ! がぁぁぁぁぁっ!!」


 張飛を苛む苦痛は、依然止む気配がない。

 いや、痛みよりも深刻な問題がある。

 魏続らを倒した後でも、高ぶった闘争心は吐け口を求めて、彼の内で荒れ狂っている。

 張飛が最も恐れるのがそれだ。

 最後のたがが外れれば、自分は傍にいる劉備さえも殺してしまうだろう。

 それだけは、絶対に許されない。その強い意志で、己の中の獣を押さえ込む。


「ぬあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 一際大きな声を上げた後……張飛は意識を失った。



「益徳!益徳!」

 

 呼びかけながら、脈を取る劉備。


(よし、まだ脈はある……!)

 

 一先ず安堵する劉備だが、張飛の体は著しく衰弱している。

 その上、ここは敵地なのだ。いつ新手が襲い掛かってきてもおかしくない。

 こんなことなら、于禁の言うとおり、さっさと逃げ出すべきだった。

 最悪、自分一人で戦うことも考えて、手頃な武器を探す。


 その時……

 劉備は、背後に何者かの気配を感じた。咄嗟に振り返ると……



「お、お前は……!」








 関羽と張遼、両者の刃が交わり、火花を散らす。

 城内での戦いなので、馬も無く、互いに一振りの直剣のみで切り結んでいる。

 それだけに、二人の技量の差はよりはっきりと現れる。


 斬る、払う、突く。あらゆる型を使いこなし、一糸乱れぬ斬撃を繰り出す。

 相手の数手先を読んで、次の一手を打つ。

 あえて小さな隙を作って相手を誘い込み、そこを一気に叩く。

 

 互いの持てる技量の限りを尽くした切り合いは、全くの互角だった。

 己の力を完全に出し尽くす戦いこそ、武人の本懐。

 もし、劉備が囚われの身になっていなければ……

 下丕城が、曹操軍の攻撃を受けている最中でなければ……

 二人とも、勝負に耽溺し、快楽を覚えていたかもしれない。

 

 そんな精神的な枷も含めて、二人の戦いは互角のまま推移していた。

 だが、ここは呂布軍の本拠地。二人だけの戦いは、そう長くは続かない。



 武装した呂布軍の兵士たちが関羽と張遼の前に現れる。

 この瞬間、二人の均衡は崩れた。

 たかが十数名の兵士……関羽にとって物の数ではない。

 しかし、傍に張遼がいるとなれば話は別だ。

 彼に僅かでも隙を見せれば、即死に直結する。

 加わる力が例え微々たるものでも、天秤は張遼に傾くだろう。


 一方、張遼も、心中穏やかではなかった。

 このまま彼らの助勢を得れば、自分は関羽を倒せるだろう。

 しかし、それは同時に、一対一で関羽と決着をつける機会が永久に失われることを意味していた。

 さりとて、そんな個人の因縁に拘っている場合ではないことぐらい、張遼にもよくわかっている。

 下丕城は水没し、曹操軍の総攻撃に晒され、呂布軍は壊滅の危機にある。


 今ならばはっきりとわかる。

 沛城の陥落と、劉備三兄弟の投降は、全て曹操の仕組んだ罠だったのだ。

 劉備……いや、張飛と関羽を城の中へと送り込み、総攻撃に呼応して内部から城を崩すための策。

 

 劉備らを躊躇せず処刑しておけば、ここまで追い込まれはしなかっただろう。

 呂布が関羽と張飛に興味を抱き、彼らを生かしたままにしておくことを曹操は読んでいたのだ。


 自分にも、責がないとは言えない。

 劉備が投降した時点で、曹操が関羽らを用いて内部から城を撹乱する策は、当然読んでいて然るべき。

 張遼は、関羽らの処刑を強硬に主張すべきだった。

 それが出来なかったのは、関羽に敗北したという負い目があったからだ。

 もしかすると、張遼のそんな思考さえも、曹操は読み切っていたのかもしれない。


 何を迷う必要があろう。

 関羽に敗北し、呂布に見捨てられた時点で、武人、張遼は死んだのだ。

 今は、ただの呂布軍の将として、いかなる手を使ってでも眼前の敵を倒す。

 それが、全てを失った自分の成すべきことではないか……




 他者の手を借りても関羽を打つ覚悟を決めた張遼だったが……事態は、彼の思惑とは全く別の方向に動くことになる。


「! お前たち……!」


 張遼を助けに来たかと思われた兵士達は、あろうことか、関羽ではなく張遼に刃を向けたのだ。


「張遼、剣を捨てろ。我らは、関羽殿に加勢する」

侯成こうせい……!」


 兵士達の後ろから現れたのは、呂布軍の部将、侯成だ。

 焦げ茶色の髪に顎鬚を生やしたこの男は、張遼に冷たくもどこか申し訳なさそうな視線を送っている。

 

 最後の疑問が氷解した。

 いかな手練てだれとて、下丕城に易々と忍び込めるとは思えない。

 内部から手引きしたものがいたのだ。

 関羽らが脱走した情報が、すぐに伝わってこなかったのも、彼ら内通者が情報を遮断していたためだ。

 決壊した水を利用したとはいえ、あんなに早く下丕城が沈んだのも、彼らが要塞の弱点を伝えていたからだろう。

 曹操の城攻めの土台となったのは、彼ら内通者の存在だったのだ。

 侯成の実力は、張遼に遠く及ばない。

 しかし、今張遼は関羽を相手にしている。

 先程考えていた展開が、そのまま張遼に降り懸かってきたのだ。


 即ち、このまま戦えば張遼は……死ぬ。



「侯成……裏切るのか?」


 怒りでもなく、悲しみでもなく、声に虚しさを乗せて、張遼は問う。

 侯成にとっては、とうに乗り越えた懊悩のはずだが、やはり一抹の後ろめたさは残っているようだ。


「……張遼……お前にも分かっているはずだ。

 呂奉先についていったところで、もう未来など無いことを……」

「………………」


 侯成の言葉を、即座に否定できない時点で、自分の心もまた呂布から離れつつあることを実感せずにはいられなかった。

 

「張遼将軍! お願いです、投降してください!」

「俺たちは、貴方が死ぬところなんて見たくありません!」


 そう懇願するのは、今張遼に刃を向けている兵卒達だ。

 いずれも、見覚えのある顔ばかりである。


「貴方はこんなところで死んではいけない人です!」

「俺たちが陳宮の奴の実験体にされそうになった時、

 庇ってくださったのは張遼殿ではありませんか!」

「それは……」


 違う――

 自分は……自分はそんな立派な人間では――



「張遼……」

 

 次に言葉を発したのは、今も張遼と刃を交えている関羽だ。


「貴殿も将ならば、多くの兵卒を生かすことを考えよ。

 あの曹操を相手に、犠牲を最小限にして投降できるのは……張遼、貴殿しかおらぬ」

「将として……か……」

「捨て鉢になるな! 貴殿には、まだ貴殿を必要としてくれる者達がいるはずだ!」


 己のことだけを考えてきた。

 そうしなければ、強くなれないと思っていた。

 全てを捨てることこそ、最強への道だと信じてきた。


 だが、結局……自分は何も捨て切れてはいなかったのだ。

 関羽らの言葉に心を動かされているのが、何よりの証だ。

 不完全な己を恥じる一方、そんな自分も悪くないと思っている自分も居る。


 将としての道か……最強への道か……

 自分はどちらを選べば良いのか、未だに結論は出ない。


 しかし……

 この乱れた心で、これ以上戦いを続けても得るものなど無いことは、冷静に認識していた。


 

 最終的な結論は、合理的な判断にのみ委ねた結果……



 

 関羽に向けていた剣は、鈍い音を立てて、床へと突き刺さった。


 その音に、張遼の万感の思いが込められているようだった。








「ヒャハッ! 来いよ、赤兎ぉ!!」


 そう言って、方天画戟を地面へと突き刺す呂布。

 初めて赤兎馬と相対した時と同じだ。

 生まれ持った肉体と爪牙で戦う赤兎馬と対等の立場に立つなら、自身も武器を捨てねばならない。

 呂奉先の思考は、十数年前と全く変わっていない。

 変わらぬままに走り続けた結果、呂布と赤兎馬は、こうして殺しあおうとしている。



「ギュルルルルルル……」


 しかし……対する赤兎馬は、脳天を貫かれ、既に致命傷である。

 残った僅かな命を振り絞って、今彼は主に牙を剥こうとしている。

 既に五感も働いてはいない。

 彼はただ、本能の赴くままに、前方の巨大な殺気にぶつかっていこうとしている。


 敵を屠り潰す……赤兎馬は、そのためだけに生み出された存在なのだから。



 かつては呂布に匹敵する強さを誇り、陳宮の生体改造によって禍々しく変貌を遂げた赤兎馬が、

 ここまで弱ってしまったのは、何も曹操軍だけの功績ではない。


 赤兎馬の身体は、頭に矢を受ける前から限界に達していたのだ。


 その元凶は、目の前の男……呂奉先にある。



 日々急激な進化を続ける呂布に、赤兎馬すらも追いつけなくなっていった。

 馬上で暴れまわる呂布は、赤兎馬に想像以上に負担を与えていた。

 どこまでも上へと駆け上がる呂布の強さは、乗騎をも食い潰した。

 両者の強さの均衡が崩れた瞬間……こうなることは必然だったのだ。


 それでも、赤兎馬は呂布について行った。

 兵器である赤兎馬に、執着や意地といった感情はない。

 全ては、強者に抗おうとする本能の赴くままに。



 だが、その戦いも、もうすぐ終わろうとしている。




「ギュ……グロロロロロロロロォォォォォォン!!!」


 最期の咆哮をあげて、呂布へと突撃する赤兎馬。

 残る命の全てを燃やし尽くした赤兎馬は、この瞬間のみ……これまでの生において最強の力を引き出していた。

 大地を駆けるたびに、その身を覆う肉が剥がれ落ちて行く。

 赤き魔弾と化して、己の全てをぶつけようとする。



「ヒャハハハハハハ!! 来なぁ!!」


 呂布は徒手空拳のまま、かつての乗騎を迎え撃つ。


 今の赤兎馬の強さは、殺気だけで呂布にも伝わっている。

 だからこそ、呂布は逃げようとしない。

 赤兎馬の全てを込めた突撃を、己が身で受け止め、己が糧とするために。



 鰐のような顎を開き、牙の並んだ口で噛み砕こうとする赤兎馬。


 

 上下の顎門あぎとが閉じ、呂布の身体を包み込む。


 その瞬間――――





「ヒャハ……」





 決着は一瞬でついた。


 赤兎馬の咬みつきを呂布が受け止めた瞬間……


 呂布の両腕は、赤兎馬を口の端から裂き、亀裂は胴体にまで及んだ。



 まるで紙でも千切るように……赤兎馬の巨体は真っ二つに引き裂かれた。



「イヒャハハハハハハハハハハ――――――ッ!!!!」



 二つに裂いた赤兎馬を両手に掴み、歓喜の叫びをあげる呂布。

 乗騎を手にかけたことに対する感慨など欠片も無い。

 この瞬間でさえも、彼にとっては延々と続いてきた闘争の一環に過ぎなかった。


 赤兎馬の血が、滝のように呂布に降り注ぐ。

 濃く濁った血が、呂布の身体と大地を赤く染め上げる。


 赤兎馬の生命を、呂布が全て吸い上げているようだった。



「ヒャハ…… どこにも敵がいなくなった時の非常食として生かしておいたが……

 ま、中々いい味だったぜぇ、赤兎よぉ!」


 呂布にとっては、これが最大級の賛辞である。

 彼にとって、森羅万象の全ては闘争の糧でしかない。

 赤兎馬の亡骸を地面に投げ捨て、快楽の余韻に浸る。


 命尽きた乗騎に、一片の未練などありはしない。

 方天画戟を握った時には、呂布の意思は既に新たな敵へと向いていた。 




 下丕城は既に落ちた――


 呂布とて愚かではない。

 曹操軍の戦略が、自分から他の軍隊を切り離し、先に城を陥落させることだということは読んでいた。

 そこまで分かっていながら、呂布は曹操軍の誘導に乗っていた。

 これも、己を窮地に追いやり、より密度の濃い闘争を楽しむためである。

 そのためならば、呂布軍など幾らでも生贄として差し出してやるつもりだった。



 曹操軍は、下丕城の方向へと逃げていった。

 ならば、曹操率いる本隊も下丕城にいるのだろう。

 彼らはそこで、最後の敵……つまり、自分が来るのを待っている。

 

 方天画戟を担ぎ、呂布は自らの脚で城へと向かう。



 至上の快楽を得られる瞬間ときは……もう間近に迫っている。


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