第十一章 皇帝僭称(一)
豫州、許昌……
居並ぶ群臣は、許昌を訪れた劉備一行の処遇について、大激論を交わしていた。
「劉玄徳は未来の災厄の芽……
我らが懐に入ったのを幸いに、ただちに摘み取るべきと存じます」
その中で、反劉備派の筆頭がこの程旻だ。
彼はいつもの腕組した体勢のままで、冷静に持論を述べている。
「彼は漢王朝の末裔を自称し、己にこそ帝位を継ぐ正統性があると謳っています。
此度の訪問も、ただ単に放浪生活に行き詰まっただけのこと。
いずれは曹操殿の下を離反し、我らに牙を剥くは確実……
後顧の憂いを断つべく、無実の罪を着せてでも処断することを進言いたします」
誰よりも法を重んじる程旻が、“無実の罪”などと平然と言ってのけるのは余程のことだ。
そんな程旻の進言を、微笑みだけで返す曹操。
「失礼なぁ〜がら! 程旻殿はあの男を買いかぁ〜ぶりすぎと思いますねぇ!!
金無く才無く運も無い。取るに足らない匹夫に過ぎないではあ〜〜りませんか!!」
それに対して反論しているのが、対面に座る郭嘉である。
「郭嘉……人の才しか興味の持てぬ貴公には解るまい。劉備の底知れぬ人気というものがな」
「え〜え! あんな貧乏人の大法螺吹きのどこに魅力があるのか私にはさぁ〜〜っぱりわかりませんとも!
で・す・が! 彼奴の引き連れている関羽と張飛……あれは大変有用な駒になりえますよぉ!」
関羽と張飛……劉備に過ぎたる武。
彼らがいなければ、こんな議論はすぐに決着がついたはずだ。
「そりゃ劉備をブチッとブチ殺すのはか〜んた〜んですよぉ?
でもあの二人はそうはいかないでしょ?
許都から逃げられて、袁紹や呂布と組んで報復にでも来られたらホント厄介この上ありませんよ!!」
曹操に継いで、軍の全権を預かる者ならではの意見だ。
今はただでさえ四方を敵に囲まれた難しい情勢下。
これ以上厄介ごとの種を増やしたくは無かった。
「いいですかぁ! 彼奴らが袁紹ではなく我らの下に来たのは僥倖と見るべきです!
それならそれなら! 我が殿のご威光で劉備を屈服させた後、しもべにしてやるのが最良の選択!
関羽や張飛も我が手に転がり込んで一件落着、万事解決なのでぇぇぇす!!」
要は、劉備を人質にして関羽や張飛を自在に動かせと言うのだ。
その過程で、彼らも曹操の魅力に気づき、自然と臣従するようになる……そんな算段だ。
程旻は、それでも納得できない様子で厳つい表情を崩さない。
「先輩はどうお考えなんですかぁ!?」
郭嘉は両者の間にいる荀或へと意見を求める。
荀或はしばし考えた後、こう答えた。
「僕ですか。そうですね……心情的には程旻殿の方に近いですが……
僕は劉備を生かしておくべきと考えます」
劉備を警戒しながらも、あえて劉備を生かしておく。それが荀或の意思だった。
「関羽と張飛の武力は魅力的ですし、呂布の支配する徐州攻略において、
劉備の存在は必ずや切り札になる……僕はそう考えます」
荀或はさらにこう続ける。
「劉備も愚かではありません。飼い殺しにされない為の策は打って来るでしょう。
気づかない内に、裏で何をやってくるか解りません。
ですので、劉備を目立つ官職につけ、監視しやすい態勢を整えておくのです。
地位が大きくなればなるほど、彼は身動きが取れにくくなるでしょう。
謀反の気配があるならば、それを迅速に察知することもできます……
いかがでしょうか? 曹操様」
一段高い場所で彼らの議論に耳を傾けていた曹操は、ただ一言、こう告げた。
「劉備を豫州の牧に封じよ」
曹操の一声を持って、今回の議論の幕は下りた。
一州の領主といっても、その地位はかりそめのもの。
常時警戒態勢に置かれている、実質的には拘束と言ってもいい扱いだった。
最も、それでも関羽と張飛は劉備の下を離れなかったので、下手な手出しをすることは出来なかった。
さらに……
劉備の案件が軽く吹っ飛ぶ驚天動地の知らせが、許都へともたらされる。
袁術の、帝位僭称である。
渾元暦197年。
孫策を通じて伝国の玉璽を手に入れた袁術は、この年皇帝を名乗って寿春で即位。
国号を『仲』とし、その初代皇帝として君臨したのだ。
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
今日は中華の歴史で一番めじぇたい日でちゅ!
にゃんたって、このボクちゃんが皇帝になった日なんでしゅからねぇ!!」
皇帝即位の祝祭は、寿春で華々しく執り行われた。
先頭に袁術の顔のついた、巨大な山車に乗り、皇帝の衣装を身に纏って衆目にその姿を見せつける袁術。
花吹雪が乱れ飛び、蜜蜂の姿をした兵隊が周囲を固めている。
袁術の顔が描かれた幾つもの旗が、風になびいて青空を奇怪に彩っている。
その、どこまでも袁術らしさを追究した行軍に、見上げる群衆は唖然となるが、すぐにその場に平伏する。
無論、心から袁術を崇拝しているわけではなく、全てはその権力を恐れてのことである。
それを知ってか知らずか、袁術は唯我独尊といった様子で山車の上の玉座に座り、手などを振っている。
皇帝の証である玉璽を天に翳し、その輝きに見惚れる袁術。
「ぶひゅひゅひゅひゅ! 太陽もボクちゃんの皇帝即位を祝福していまちゅねぇ!
そう、ボクちゃんこそはこの世で最も偉い存在! 宇宙の中心に等しき存在!
宇宙皇帝袁公路でしゅよぉぉぉぉ!!」
玉璽の魔力に魅入られた袁術は、この時が人生の絶頂期にあった。
中華の諸侯達を仰天させた袁術の帝位僭称。
勿論……それに対して黙っていられないのが、正統な天子を奉戴する曹操陣営である。
「袁術の帝位僭称には如何なる理も正当性も存在せぇぇぇず、
天子を奉戴する我らとして断じて見過ごせぬ事態でありまぁぁす!
袁術を漢朝に刃向かう逆賊と見なし、たぁ〜だちに誅伐の兵を挙げるべきでしょう!!」
元よりこの男に漢朝への忠誠心などはない。
ただ、袁術の皇帝僭称は、皇帝を擁する曹操への明確な反逆と見なせる。
それならば話は別……曹操に刃向かうような振る舞いを、臣下としては許しておけない。
いきり立つ郭嘉に対し、程旻は静かに、揺ぎ無い口調で述べる。
「皇帝を名乗ろうが名乗るまいが、袁術が大兵力を有し、天下に対し多大な影響力を持つのは事実……
昨年の収穫より算定すれば、我が方に、寿春への遠征を行うほどの備蓄はない。
加えて、徐州よりいつ呂布が侵攻してくるかわからぬ情勢下。
今はより領土の護りを固めることに努めるべきであろう」
あくまで堅実な戦を重んじる、程旻らしい意見ではある。
それに対し、郭嘉は不満げな顔でこう述べた。
「ふん! そぉ〜やって倒すべき敵を野ぉ〜〜放しにしておいたから、正月のような手痛い敗戦を喫したのではあ〜りませんかぁ?」
「いたずらに出兵して兵力を損なえば、後に待つ袁紹はおろか、呂布との戦でも勝ち目はないぞ」
「兵力も食糧も、敵から奪えばよいのでぇぇぇす!
袁術軍ごとき、我らが最強の軍とこの郭嘉の智謀の前では烏合の衆に過ぎませぇぇぇん!!
むしろ、先の脅威に対抗すべく、早急に袁術を討ち滅ぼし、その勢力を残らず併呑すべし!!
ぐ〜ずぐずしていますとぉ、最近きゅ〜〜げきに力をつけている孫策に全て分捕られてしまいますよぉ!!」
「孫策か……確かに、あの勢いは侮れぬものがある」
この頃、孫策は電撃的に江東一体を制覇し、袁術すらも脅かす一大勢力と化していた。
「だが、我らが袁術と正面切って争えば、それに乗じて漁夫の利を得る可能性もある。
ここはむしろ、孫策を袁術討伐のために動かすべきではないか」
「なぁぁぁにを仰いますか!
天子を僭称する逆賊討伐と言う功績をむざむざ孫策にくれてやぁ〜るよぉ〜なものではあぁ〜〜りませんか!!
彼奴らは地位と名誉に飢えた獣! こちらが隙を見せれば、すぅ〜ぐに噛み付いてきますよぉ!!」
両者一歩も引かず、激論を戦わせる郭嘉と程旻。そんな中……
「おお、盛り上がっているようだのう」
白熱する議論の中、水を差したのは彼らの主だった。
何から棒に刺した菓子を食べている。
「おお! と、殿!!」
急いで自分の策を進言しようとする郭嘉に対し、曹操はその菓子を突きつける。
「な、何ですかぁこれは……」
「袁術の人形焼だ。皇帝即位の祝いだか何だかで、あちこちにばら撒かせておるらしい」
狐色をしたその菓子は、皇帝の衣装を着た袁術を象っていた。
その愉悦に満ちた顔を見ていると、なにやら眩暈がしてくる。
「と、殿! 何というものを!?」
「蜂蜜味で中々美味いぞ。袁術の下には、優れた菓子作りの才を持つ者がおるのかのう。
他にも、袁術飴、袁術煎餅、袁術饅頭だの、色んなものを売り出しているそうな」
当然、全て袁術の顔をしているのだろう。
もはや正常人には全くついていけない袁術の価値観に、曹操を除く重臣達は唖然となる。
「菓子だけではなく、袁術のお面、袁術の紋章、五十分の一袁術人形……
この袁術指人形などは、皇帝の衣装は勿論、以前の装束、武将、蜜蜂、看護師、侍女など、様々な格好に扮しておるのだ。
全種類集める楽しみが出てくるのう」
何処に隠していたのか、次々と袁術ゆかりの品を取り出す曹操。
彼の周りは、すっかり袁術一色となっていた。
「殿ぉ〜〜……その寛容ぶりは敵への余裕と受け取らせていただきますが……」
「ふむ。余は袁術が中々好きになってきたかもしれん。
あそこまで大っぴらに皇帝を名乗るなど、この余にすら出来ぬことだ」
他の者なら皮肉と受け取れるが、他ならぬこの曹操……本気で言っている可能性が高い。
彼にとっては、自分に存在しないものは全て眩しい才と映るようだ。
「聞いた話では玉璽を手に入れたそうだが……
それだけで皇帝に名乗るなど、いやはや、存外器の大きい男であったのう」
そんな曹操に、郭嘉は苛立ちつつも問いかける。
「袁術が面白い男かどーかはさて置きまして!
我らとしては彼奴の愚挙を捨〜て置くはできませんよぉ!
殿は如何様にお考えなのですかぁ!?」
曹操は袁術の人形焼を頬張ると、咀嚼しながら応える。
「そなたらの論議は外からも聞こえてきた。
攻めを重んじる郭嘉、守りを重んじる程旻。どちらもそなたららしいことよ。
だが、余はそなたらに謝らねばならぬ」
「と、言いますと……?」
「袁術の件については、全て荀或ともう一人に一任してきた」
「え! 先輩にですか!?」
道理でこの場に姿を現さないわけだ……
「そういうわけだから、程旻は内政に務め、郭嘉は対呂布の戦略に専念せよ。以上だ」
そう言われては、二人とも黙り込むしかない。
郭嘉が口を開いたまま唖然となる中、程旻はここで初めて言葉を発した。
「ところで、そのもう一人と言うのは……?」
「荀或が推挙した人物でな。あやつの甥で、荀攸という男だ」