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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第九章 天子奉戴(七)

 

 曹孟徳、天子奉戴……


 その知らせは、中華全土を激震させた。

 これで、曹操の覇業には漢王朝復興という道義的な正当性が与えられ、他の諸侯より一歩抜きん出た立場となった。



 冀州の州都、ぎょうにて……



「曹操ぉ…………!」


 その報を聞いて、袁紹は怒髪天に達した。

 天子を自分の道具として利用するやり口に憤った……からではない。


「何故だ! 何故貴様は腐りきった王朝などに手を貸す……!

 貴様の覇業は、王朝の手を借りねばならぬ程度のものでしかなかったのか……!」


 袁紹は、勢い良く宝剣を床に突き刺し、柄を強く握り締める。

 顔中に青筋をうかべ、出血しそうなほど歯ぎしりしている。


 天子が洛陽に現れたとの報告を聞いても、袁紹は動こうとしなかった。 

 彼の中では、漢など既に終わった王朝。

 時代は群雄が覇を競う世に突入している。

 今更、漢王朝の出る幕など無い。

 天子がどこで野垂れ死のうと気にすることは無い。

 そう考えることで、漢への未練を断ち切り、王として乱世に臨もうとしたのに。


 実は田豊にも、以前から天子を引き入れるよう進言されていた。

 漢王朝の復興にこだわらずとも、表向き天子を擁立することで人民の支持を得られる。

 天下平定後、帝位を譲り受ければ、袁家の天下を万民に認めさせることが出来る。

 田豊の献策は、全て理に叶っており、袁紹の意向を全て満たしている。


 それを理解した上で……袁紹は断固として却下した。

 

 天子を傀儡とすることに後ろめたさがあるわけではない。

 自分の歩む王道に、腐敗した王朝の隠れ蓑など不要。

 自分は一切の澱みなき黄金の太陽となって、天下に君臨する。

 そんな壮大な志を抱かなければ、天下に向き合えない。


 余人には理解しがたいだろうが、袁紹は己を偉大な人間だと思い込めば思い込むほど、力を発揮できる人間なのだ。

 

 袁紹とて、今まで大なり小なり壁にぶつかったことはある。

 普通の人間ならば、心が折れて諦めるなり、己の力不足を知り、努力を重ねるなりするだろう。


 だが、袁紹は違う。彼は決して自分の未熟を認めない。

 壁にぶつかる度、彼は自分に言い聞かせるのだ。


 自分は名門の血を引いている。

 自分は偉大な人間だ。そんな偉人が、この程度の障害で屈するはずかない。

 

 その傲慢なまでの自信が、袁紹に力を与えるのだ。


 袁紹は後ろを見ない。己を信じて前だけを見て進み続ける。

 揺るぎなき信念は、袁紹に己の器を遥かに上回る力を与え、あらゆる逆境を跳ね返してきた。


 袁紹も、それをよく理解している。

 彼とて、並み居る群雄を打ち倒し、この乱世を勝ち残るのがいかに至難であるか知っている。

 だからこそ自分には、これまで以上に強固な信念が必要なのだ。

 そのためには、己が道を曇らすいかなるものも取り込んではならない。

 限りなき傲慢、孤高にして崇高なる王者の境地に至って初めて、自分は頂点に立つことができる。

 “あの男”を越えられる。


 それなのに……



 よりによって、最も漢王朝への忠誠が薄いと思われる曹操が、天子を迎え入れ、その臣下になろうとするとは!


 あの男のことだ……あくまで自分の覇業の為に天子を利用して、いずれ皇帝に成り代わろうとするに違いない。

 田豊が、自分に献策したものと、全く同じやり方だ。

 

 それは解っている……しかし……


(曹操……貴様の上に立つ資格を持つのは、この私だけだ!!

 例え形だけとはいえ、貴様が誰かに仕えようなどと、断じて認めん!!)


 青州兵の獲得に端を発する曹操の快進撃は、袁紹も耳にしている。

 ただの弱小から、恐るべき勢いでのし上がっていく曹操軍。

 彼らの評判を聞くたび、袁紹も対抗意識を燃やし、それが戦に臨む上での力となった。

 

 曹操という素晴らしい好敵手がいるからこそ、袁紹は己の全身全霊でこの乱世を戦っていけるのだ。


 いずれ天下に群がる有象無象は消え去り、最後には自分と曹操の二人だけが残るだろう。

 その時こそ、二人を結ぶ全ての因縁に決着をつける時だ。

 この乱世は、曹操と袁紹。どちらが上に立つかを決める、決着の舞台なのだ。


 その戦に、漢王朝などという過去の遺物が介在するなど、許されることではなかった。


(曹操、私は……余計な邪魔など一切入れず、貴様と雌雄を決したかったのに!!)


 さらに柄を強く握り締め、体を震わせている袁紹。




 やがてその口許に……歪な笑みが浮かぶ。


「ふ、ふふふふ………………」


 笑い声は徐々に大きくなり、ついにそれが決壊した。


「ふはははははははははは……

 わははははははははははははははははは!!!!」


 壊れたように笑い出す袁紹。

 

「曹操! 貴様はこの袁本初を恐れたのだ!!

 己の誇りを捨てて、天子を迎え入れたのも、正面からこの私と戦うのが恐ろしかったのだ!!」 


 袁紹の舌鋒は止まらない。


「この袁本初と戦うに、何とも臆病なことよな曹操!!

 よかろう!! 貴様も漢王朝も、まとめて叩き潰してやる!!

 貴様が姑息な手で己の正当性を得ようとしても無駄なこと。

 全ては勝敗が決める!!

 絶対的にして圧倒的な完全勝利で、貴様を完膚なきまでに屈服させてくれよう!!」

 

 曹操への苛立ちは、瞬時に袁紹の中で彼への闘志に生まれ変わっていた。

 鬱屈も懊悩も彼とは無縁。

 怒りも憎しみも、全て傲慢で塗り潰し、勝利への原動力に変わっていく。

 

 彼には前しか見えていない。

 その先にあるのは、輝かしき栄光と勝利のみ。


「わははははははは……わははははははははははは!!!」


 信じ続ける力は、何よりも強い。


 己の血統への曲がらぬ信念を抱いて、袁紹はひたむきに、勝利への頂を目指す。







 長安……


 曹操が献帝と謁見した後……未だ長安に巣食う李確と郭巳を討伐すべく、夏侯淵と許楮は一軍を率いて長安に侵攻した。


 かつては精強でならした董卓軍も、李確と郭巳の統率力不足故にどんどん離散を繰り返し、

 食糧難もあって兵士達の士気も落ち、今ではただの弱小勢力でしかなかった。

 

 ここ数年、ずっと激戦を潜ってきた曹操軍と青州兵の敵ではない。

 差し向けた敵軍はたちどころに撃破され、今や長安は陥落寸前となっていた。



「んあ〜〜〜 李確ぅ〜〜 郭巳ぃ〜〜 どこにいるだぁ〜〜!」


 単身に宮殿へ入り、李確と郭巳を探す許楮。

 元より大した戦ではないが、彼ら二人を押さえれば、配下の軍勢をより早く降伏させることが出来るだろう。


 無人の宮殿を、奥へ奥へと進む許楮。

 他の者ならば、ここに誰もいないことをいぶかしんだかもしれないが……許楮は気にせずに突き進む。


 やがて、突き当たりに大きな二枚扉が見える。

 許楮は左腕の鉄球を振るって、扉を叩き破る。


 玉座の間に飛び込んだ許楮が目にしたものは…………




「あ……………………」




 床や壁を縦横無尽に走る赤い蛇のような刻印。

 

 広間の奥に鎮座する蛇の尾を持つ虎の彫像。


 

 網膜に飛び込んできた映像が、脳内を掻き乱す。



 毒々しい装飾に彩られた広間の中央で……


「ひゃははははは! ぎひひひひひひひひ!!」


「うへへへへへ! ぐひゃはははははは!!」


 口から涎を垂らし、狂った笑い声を上げる二人の男。

 その瞳は得体の知れない狂気で濁っており、痙攣するように体を暴れさせている。


 上半身裸になった彼らの体は傷だらけで、流れる血が周囲の床を濡らす。


 床に描かれた赤い蛇の紋様と、血の流れが交錯する。


 二人の傷は、戦で受けたものではない。

 彼ら自身によって負ったものだ。



 李確と郭巳は、狂乱の表情で剣を手に取り、体中を傷つけている。


「神よ! 神よ! どぉですかぁ! 私はこんなに体を傷つけました!」

「大いなる神よ! 貴方に痛みを捧げます! だから、私に、私に力をぉぉぉ!!」


 渇望するように、二人は体に赤い蛇の刻印を刻む。

 彼らの理性は既に消し飛んでいる。

 見捨てられた……その事実を、決して受け入れることなどできない。

 狂信に突き動かされるまま、見果てぬ先にあるものを求め続ける。



 誰もが目を背けたくなるであろう狂態であるが……



 彼らの狂気を遥かに上回る衝動が、許楮の脳内を襲った。



 赤い蛇、尾が蛇の虎、傷だらけの体…………



 息が荒くなる。

 視界が大きく歪む。

 心臓の動悸が激しくなる。



 

 見たくないのに眼を逸らせない。

 目蓋が引き攣る程に眼を開き、眼前の光景を凝視してしまう。



 二度と見ないと思っていたものが……



 記憶の奥底に封じていたものが……



 あってはならないものが……



 塞がったはずの傷口が裂けて、洪水の如く噴出する…………




「んああああああああああああああああああああああ!!!」






 落雷に等しい轟音が、耳朶を叩く。


「許楮! どうした!!」

 

 遅れて宮殿に到着した夏侯淵は、手勢を率いて広間に入り込む。

 彼らが眼にしたものは……




 徹底的なる“破壊”だった。



 蜘蛛の巣の如く六方を覆い尽くす亀裂。

 円形の陥没が幾つも穿たれている。

 柱はへし折れ、細かく砕け散っている。


 その中には……


 原形を留めぬほどに潰れた二人分の肉塊が、瓦礫に交って床と壁にへばりついている。



 それすらも、この圧倒的な破壊の前では些細な汚れにしか見えない。



 かつての玉座の面影も、奇怪な紋様も、いずれも完膚なきまでに消え去っていた。


 


 広間の中央で……黒髪の少年は膝と肘を突き、その場に蹲っている。

 四つんばいになり震えている姿は、まるで打ち捨てられ、雨に濡れる仔犬のようだ。


 とても、この破壊を行った張本人とは思えない。



「許楮…………」


 その破壊以上に、夏侯淵は許楮の姿に絶句した。

 いつもの彼とはまるで違うその姿に、ただその名を呟くしかできない。


「あああああ……」


 頭を抱え込み、顔を床に向けて、怯えきった声を漏らす。


「どうして……どうして“あれ”がここにあるだ……?

 おらは……おらはもう…………」




(そういえば……許楮は、孟徳様がどこかで捨てられているのを見つけて連れてきたのだったな……)


 曹操は、ある日突然彼を拾って連れて来た。

 四天王でさえも、許楮の詳しい出生を知らない。

 彼はまだ、許楮を見つけた時のいきさつを誰にも話していない。


 この玉座にあった“何か”が許楮の封じられた記憶を刺激したに違いない。

 今となってはそれを確認する術など無いが……



 震える許楮の姿を瞳に映し……夏侯淵はそれを見ていることしか出来なかった。







 徐州、下丕城……


「やぁ、いらっしゃい。いつぞやとは逆の立場になったね」


 下丕城の城門前で、来客を出迎える陳宮。

 

「クククク……そうだな」

「それで、何の用だい?」

「なぁに、昔世話になった身として、呂布将軍に一州の牧となられたお祝いをな…」


 今の賈栩は、長安での出来事をすっかり忘れ去ったような、歪んだ好奇と覇気に満ちていた。


「それで一つ……祝いの策略しなをお持ちしたのだが……」


 そう言って、賈栩は不敵な笑みを零した……




<第九章 天子奉戴 完>


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