第一章 董卓の暴政(二)
教祖・張角が病死し、黄巾の乱は一応の決着を見た。
しかし、地方では、まだまだ残党が跳梁跋扈しており、各地で小規模な小競り合いは続いていた。
精神的支柱を失い、瓦解した黄巾であったが、その兵力だけはまだ残存していた。
もはや彼らは当初の志など忘れ、官憲の怠慢をいいことに、略奪を繰り返す盗賊集団に成り下がっていた。
そんな中……
黄巾の乱との戦いにおいて、無名ながらも大きな戦果を挙げた義勇軍がいた。
三人の将を中核とするその義勇軍は、各地で非道の限りを尽くす賊徒を次々と潰走させ、その勢力を拡大していった。
弱きを助け強きを挫く彼らの存在は、この荒れ果てた乱世において、数少ない“正義の使者”と見なされ、一部で熱狂的な支持を得ていた……
幽州のとある山奥……
黄巾の残党が立てこもる砦の前では、血の嵐が吹き荒んでいた。
「うらぁぁぁぁぁっ!!!」
逆立った薄い茶色の髪をした少年が、手にした矛を振り回す。
矛の穂先に触れた賊徒は、血煙を吹き上げて斃れていった。
「弱ぇ!弱ぇ!弱ぇ!!そんな弱さじゃあ、この張益徳様の遊び相手にもなんねーぜ!!」
賊の死体の上に立ち、矛を振り回す少年。
その驚異的な強さに、賊徒も迂闊に近寄れずにいた。
「くそ……チビの分際で……」
「んだとコラァ!!」
少年は矛を一振りする。
その瞬間・・・離れた位置にいたはずの賊の脳天が裂け、鮮血が噴出す。
賊の頭から、矛の穂先が離れる。
穂先は柄の尖端と鎖で繋がれ、空中でしなる様はあたかも空飛ぶ蛇のようだった。
穂先は再び柄と一つになり、完全な矛が少年の手に握られる。
『蛇矛』と呼ばれる彼専用の武器だった。
「いいか!!俺は“なり”はこんなだが立派な大人なんだ!
雑魚の分際で舐めた口訊いてんじゃねぇ!!」
彼もまた武将であり、不老年齢はまだ若い14歳だった。
最も、その血気盛んな性格は、見た目どおりの精神年齢と呼べるかもしれない。
躊躇いも無く、人間を殺すことを除いては。
「そう言われたくなきゃ……もう少し落ち着く事を覚えたらどーなんだ」
「再三言ってはいるのだが、まるで改める様子は無いな」
一方……大暴れする少年を、二人の男が呆れるように見ていた。
一人は、赤紫色の髪を目の辺りまで伸ばし、獣の毛皮をあしらった外套を羽織っている。
もう一人は、腰の辺りまで届く長い黒髪を持ち、顎からは黒い髭を垂らした美丈夫だった。傍の男と比べると、頭一つ分背が高い。
「ま……不老年齢は精神年齢にも影響するって俗説もあるしなぁ……」
男は頭をぼりぼり掻くと、声を張り上げて呼びかける。
「おい益徳!ここはお前に任せたから、俺と雲長は先に砦に突入するぜぇ」
「おお!わかったぜ、兄貴!!」
少年は蛇矛を突き上げて、合図を送る。
隙だらけの彼を見て、賊徒は一斉に襲い掛かるが……
「そう焦るなよ……少しでも長生きしたくねーのかよ?」
蛇矛の穂先が離れ、中空を飛翔する。
襲い掛かった賊徒は、皆喉を裂かれて地上に斃れ伏した。
頬に飛び散った返り血を、獰猛な笑みを浮かべて舐め取る少年。
一方、二人の男は砦の正面に向かう。
砦は分厚い扉によって堅く閉ざされていた。
敵の強さを見て取り、籠城する構えなのだ。
「時間稼ぎのつもりか?往生際が悪いのなんのって……」
扉を見上げて、男は連れに目配せする。
「…………」
黒髭の男は、無言で己の武器を構える。
片刃の青龍刀を長い柄に接続した武器で、
刃には青い龍の紋様が描かれていた。
『青龍偃月刀』と称され、
その美麗さと威力は折り紙つきだが、超重量の武器ゆえに、扱える者は限られていた。
男は無言で、青龍偃月刀を縦横にそれぞれ一閃する。
分厚い門扉に十字の亀裂が走り……
轟音と噴煙と共に、切り裂かれた門扉は崩れ落ちた。
鉄の扉を豆腐でも斬るように切断したのもさる事ながら、青龍刀には刃毀れ一つ無い。
傍らの男も、全く驚いた様子も無く当然のように見ている。
蛇矛の使い手、張飛。字は益徳。
青龍偃月刀の使い手、関羽。字は雲長。
そして、彼らの長兄にして、義勇軍の長、劉備。字は玄徳。
彼らこそ、苦難に喘ぐ民を救うべく立ち上がった、三人の義兄弟だった。
砦に突入した劉備は、意外な光景を目の当たりにする。
それは、一同平伏した賊徒たちの姿だった。
「ありゃ……これは……」
早速戦闘になると思っていた劉備は、やや拍子抜けする。
「貴方様は、正義の大徳・劉玄徳様とお見受けしました!!」
先頭で土下座している頭目と思しき男が、声を張り上げる。
劉備三兄弟の名声は、この地方では知らぬ者がいないほど広まっていた。
「劉備様と義兄弟お二人の力は、まさに中華無双。到底敵いませぬ!
これは、天罰が下ったものと一同悔い改め、劉備様に帰順する事で、正義に励み、これまでの悪事を清算したいと考えております!!」
(はん……なるほど、ね)
もっともらしい事を並べ立てる頭目を見て、劉備は微かに笑みを浮かべる。
数十人の兵を容易く屠り去り、鉄の扉を簡単に切り裂く豪傑に、正面からかかっても勝ち目は無い。
ならば、何よりも命を優先して降伏するのが最善の道と判断したのだろう。
慈悲深き大徳・劉玄徳ならば、必ずや自分達を許すと信じて……
「お前ら、俺の義勇軍に入りたいってのか?」
「は、はい!劉備様の力となり、共にこの乱世を……」
歯の浮くようなお世辞を、劉備は掌をかざして押しとどめる。
「あ〜口上はいい。
それより、本当にもう悪事を働く気はねぇのか、誠意で示してもらいたいな」
「と……申しますと?」
「まず、てめぇらが各地の村や町から奪い集めてきた財宝の在り処だ。
どうせすぐには見つからねぇとこに隠してあんだろ?」
無言で押し黙る頭目。全くその通りだったようだ。
「それと……てめぇらにも、連携を取っている
他の盗賊団がいるはずだ……そいつらの隠れ家を、知っている限り教えろ」
「それを教えれば、許していただけるので……?」
「ああ、本当に改心したと信じてやるよ」
劉備の言葉に、盗賊たちの瞳に希望の光が点った。
頭目は、劉備に言われた事をぺらぺらと喋った。
「おめぇたちの心意気は分かった……しっかり悔い改めな!!」
「はい!!!」
声を揃えて叫ぶ盗賊たち。だが、劉備は次にこう付け加えた。
「地獄でな……」
銃声が響き渡る。
頭目の額には赤く丸い穴が穿たれていた。
劉備の手には、硝煙を上げる銃が握られていた。
銃身に刃が付属した、刀剣としても使える銃器だ。
銃器は、かつての古代文明で発明された、火薬と機械仕掛けで弾丸を撃ち出す飛び道具だ。
現在使われているものは、全て“遺跡”から出土したもの模造品である。
銃器は本来力の弱い一般兵が使うもので、武将にとっては刀剣や槍戟の方が己の超人的身体能力を十全に生かせるため、銃器を使う武将は少ない。
劉玄徳は、その数少ない一人だった。
「な、何しやがるんだぁぁぁぁぁぁ!!」
頭目の突然の死を見て、思わず立ち上がる一同。
劉備は間髪いれず声を上げる。
「益徳!」
「おっしゃあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
いつの間にか戻っていた張飛が、蛇矛を旋回させる。
砦の中を曲がった刃が駆け抜け、残る盗賊の首を残らず刎ね飛ばす。
鮮血が舞い上がり、生首がごろごろと転がった。
「き、汚ねぇ……許すんじゃねぇのかよ……!」
運良く座ったままだった盗賊が、怨嗟の声を上げる。
「てめぇらの改心なんざ信じられるかよ。
俺はこれ以上問題児を抱え込む気は毛頭ねぇんだ」
全く悪びれた様子も無く言ってのける劉備。
「な、何が正義だ……この卑怯も……!!」
逆上した生き残りは、劉備に襲い掛かろうとするが・・・
彼の背中が、蝉の脱皮のごとく垂直に裂け、鮮血と臓物を噴き上げる。
忽然と現れた関羽が、背中に青龍偃月刀を振り下ろしたのだ。
「おう、ありがとよ、雲長……」
「兄者の言うとおり……」
関羽は表情の読めぬ顔つきで、滔々と語り出す。
「こやつらは性根の腐りきった賊……
義勇軍に入れたとて、いずれ問題を起こす事は確実。
被害を受けた村出身の者たちとも軋轢を生み、最悪犠牲者が出る事態に発展する。
ならば、財宝の在り処と情報を吐かせた上で、皆殺しにするのが最善……」
「わかってんじゃねぇか」
その言外には……口ではああ言ってるが、到底納得していないだろうという含みを込めていた。
本当に……そうだろうか?
盗賊達の死体を見下ろしながら、関羽は思う。
この者達に、真に悔い改める心が無かったと言い切れるのだろうか?
彼らとて、乱世に追い詰められた結果このような盗賊行為に及んだのだ。
常日頃から、己の罪に苦しんでいたのかもしれない。
劉玄徳が、救いの手を差し伸べてくれる救世主に思えたのかもしれない……
いや……そんな仮定は無意味な事だ。
義勇軍という組織の運営を第一に考えるならば、今回の判断は最善……
財宝を奪い取るのも、決して私欲の為ではなく、日々膨れ上がる義勇軍の運営費にあてがう為だ。
綺麗事だけでは、組織の運営はやって行けない。
関雲長は、人と人の間の信義を何より重んじていたが、同時に物事の理も良く理解する男だった。
ならば、自分に劉備を責める事などできようはずがない。
そう……分かっている。
自分も、張飛も、分かった上でこの劉玄徳に手を貸しているのだ。
成り上がるためには手段を選ばぬ、この乱世の梟雄に。
「さて、財宝を回収してとっとと帰ろうぜ。
財宝は根こそぎ頂いて、周囲の評判もうなぎ登り・・・
おいしい商売だな!盗賊狩りってのはよ!!」
財宝を回収した後、劉備達は砦を後にする。
劉備は、帰り際に砦の全貌を見上げた。
盗賊団の立てこもっていた砦は、崖に半ば埋まった四角い箱状の建物で、
表面には幾つもの四角い穴が穿たれており、透明な板の破片が残っている。
建物の側面部には、文字の書かれた看板がつけられている。
漢字も含まれているが、中華では使われない文字もあり、解読は不可能だった。
「これも、“遺跡”の一つらしいな……」
この大陸には、このような古代文明からの遺跡と思しきものが幾つもある。
何処からか流れてきたような、異質な建造物の数々。
盗賊達は、これを根城として利用していたのだろう。
看板には『マルヤマ商事』『平岡会計事務所』などの文字が刻まれていた……
盗賊団を潰滅させて、本拠地に帰る途中……
近隣の村に立ち寄った際に、数十名の村人からなる集団が、劉備達を取り囲んだ。
邪な意図があるわけではなく、むしろ逆だった。
「劉備様!貴方様のご活躍、感激いたしました!!」
「先ほど貴方様が潰滅させた盗賊団の中には、私の妻子の仇もいたのです・・・」
「劉備様は乱世の救世主です!!」
「どうか、我々も義勇軍に加えていただけませんか?」
感動に打ち震える者、感涙に咽び泣きする者、いずれも劉備を尊敬の目で見つめている。
それに対し、劉備は朗らかな笑顔を浮かべ、爽やかに言い放つ。
「おう!てめぇらの心意気、受け取ったぜ!!
俺と一緒に、この乱世に平和をもたらそうじゃねぇか!!」
劉備の心地よい返答に、村人達は沸き返る。
飾らない態度に、熱い正義の魂を宿した男……
これが、一般的に知られている劉玄徳の“顔”だった。
(偉大なる大徳か……卑劣な詐欺師か……
それとも、劉玄徳の真価とは、そんな言葉に囚われぬほどの器なのか……)
関羽もまだ、見極められてはいない。
時には姑息に振舞う事はあれど、彼の目的にブレは無い。
多くの人々を幸せにして、いつか話した“夢”に向かって真っ直ぐ走っている。
目的の為には、手段を選ばずに……
「過程はどうだっていいんだ。
とにかく何が何でも生き延びて、この中華の天辺に立つ。
そうしなきゃあ、何も始まらねぇ。夢を叶える事もできやしねぇ」
いつか彼が言った言葉だ。
劉玄徳が胸に抱く“夢”は、限りなく純粋で尊いモノ。
あまりにも純粋すぎて、到底人間の身では為しえないほどの偉業。
だからこそ、劉玄徳は手段を選ばない。
卑怯だろうと姑息だろうと、人間の持てる限界を尽くして夢に突き進む。
そんな男だからこそ、自分は彼についてきた。
この時点で、自分は劉備と一蓮托生となったのだ。
今更彼を見捨てる事は、共に背負った責任も放棄する事に等しい。
一度信じたならば……最後まで信じぬくだけだ。命を懸けて。
「はぁ〜〜〜……やぁ〜〜〜っと終わったか」
それからおよそ1時間近く経って、劉備はようやく義勇軍志願者達から解放された。
「おいおい、どうしたよ、兄貴。あっさりヘタれてんじゃあねぇよ」
「うるせぇ。“気のいいお兄ちゃん”を演じるのも結構疲れるんだぜ……ったくよ」
「確かに、盗賊どもを撃ち殺してた時の方がよっぽど楽しそうだったもんな!
やっぱ兄貴は、悪役の方が性にあってるんじゃない?」
「くそ、否定できねぇ……」
張飛もまた、劉備の本性を知った上で、彼を兄と慕っている。
それでいて、彼に関羽のような迷いは無い。
張飛のようになれたら、とたまに思うことはある。
「で……兄者、我らはこれからどうするのだ?」
「ん、そうだな……」
「あの頭目がゲロった他の盗賊団の隠れ家を潰しに行くんだろ?」
「それも勿論なんだが……
そろそろ盗賊狩りから、次の段階に進まなきゃいけねぇんじゃねぇかと思ってな……」
「次の段階?」
「俺達の名声は、この辺じゃ知らない者はいないぐれぇに高まった。
なら、これ以上盗賊どもをぶち殺しても、大して名を上げられねぇだろ。
そろそろ、この幽州を出て、中央に名乗りを上げるのも悪くねぇはずだ」
「で、中央に出て何をしようってんだ?」
「そこなんだよなぁ……
向こうはこっちみてぇに官憲が怠け者じゃねぇだろうから、新参者の俺らが活躍できる余地はどれだけあるのやら」
「どこであろうと同じ事。我らの使命は、この乱世にはびこる悪を討つ事だ」
関羽の至極最もな一言に、劉備は頭をぼりぼり掻く。
「そりゃ分かってんよ。けどよ、どうせ潰すなら、
少しでも美味しい獲物を狙いたいところだな……」
劉備は天を見上げて嘆息する。
「あ〜あ、どっかに転がっていねぇかな……
倒しただけで大陸中の皆から一気に尊敬されるような、都合のいい『魔王』がよ……」