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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第九章 天子奉戴(二)

 渾元暦196年。


 徐州に侵攻した呂布軍によって、劉備は下丕城を奪われ、再び流浪の身となる。

 呂布は徐州牧を名乗り、徐州の地に君臨。

 劉備は小沛城に逃げ、そこで親類縁者や残存兵力と合流する。

 牧の地位を追われても、徐州での劉備の人気は根強く、彼らの支援もあって劉備らは呂布軍の追撃を逃れていた。


 だが……追い打ちをかけるかのように、劉備に更なる試練が襲い掛かる。

 揚州の袁術が、大兵力を率いて徐州に侵攻を開始。

 劉備軍とぶつかることになる……



「ぶひゃひゃひゃひゃ〜〜!!

 このボクちゃんの皇帝就任の前祝でしゅよ!!

 派手な花火を上げてやれでしゅ!!」


 御輿の中に座り、遙か後方から戦況を見つめる袁術。

 玉璽を手に入れた彼は、もう既に皇帝の後継者気取りである。

 余裕綽々と言った様子で、一人騒いでいる。

 

 一方の劉備軍は、袁術軍の大兵力に完全に圧倒されている。

 兵力差はおよそ十倍以上。その上……


「ぐへへへへへ……! よわよわなんだなぁ〜〜〜!!」


 丸々と太った巨漢が、最前線で劉備軍を蹴散らす。

 袁術軍の猛将、紀霊。

 その手には三つ又の槍“三尖刀さんせんとう”が握られ、彼が武器を振るうたびに敵兵の首が飛ぶ。


「は、はやぐおわらぜて、えんじゅつざまにはちみづもらうんだなぁ〜〜!!

 ぐぇっへへへへへへへ!!」


 涎を撒き散らしながら戦う、滑稽な外見とは裏腹に、紀霊の暴力は劉備軍を恐怖に陥れていた。

 

「このデブが……調子に乗ってんじゃねぇ!!」


 張飛は高く飛び上がり、蛇矛による刃の投擲を放つ。

 だが、その奇襲は紀霊の三尖刀に絡め取られてしまう。

 ただ怪力なだけではない。反射神経も並外れている。

 恐らく野性の勘が鋭いのだろう。


「ぶへへへへへ! じゃまずんなぁ!」

「うおおおぉぉぉっ!!」


 そのまま紀霊の怪力によって引っ張られる張飛。

 地面に叩きつけられるが、その拍子に蛇矛の切っ先が三尖刀から離れる。

 再度腕を振る張飛。蛇矛の鎖が唸り、刃が紀霊の体目掛けて飛んで行く。

 今度こそ命中した……と確信したが……


「ぐへへへへへへ!」


 刃は紀霊の肉を貫くことなく、護謨毬に当たったかのように弾かれた。

 紀霊の肉体には、傷一つなく、すぐに元通りになる。


 これこそ紀霊の特異体質。

 柔軟にして強靱、弾力性のある紀霊の肉体は、刃であろうともその肉を抉ることはできず、衝撃を吸収して跳ね返してしまうのだ。

 紀霊の肉体は、強く柔らかい鎧に覆われているも同然だ。

 その弾力性に飛んだ肉体は、鋼を上回る防御力を備えていた。


「こ、この豚野郎……」


 憎まれ口を叩いた瞬間、張飛の全身に鋭い痛みが走る。

 下丕城で呂布によって受けた傷は、まだ完治しておらず、張飛を責め苛んでいた。

 本来ならば、まだ安静にしておかなければならない。

 それでも傷を押して出てきたのは、それだけ厳しい状況下にあるということだ。

 自分が紀霊を抑えておかなければ、劉備軍は数の暴力に飲み込まれ、潰走の憂き目を見るだろう。

 多少の痛みで寝ている場合ではない。


ねぇぇぇぇぇ!!」


 頭上に輝くは三尖刀の切っ先。

 落ちて来る白い刃を、とっさに体を転がして避ける張飛。

 三尖刀の切っ先が、地面にめり込む。


「野郎、これならどうだ!」


 張飛は再度蛇矛を投擲する。今度の狙いは、あの大きな目玉だ。

 いくら全身弾力性のある筋肉で覆われているとはいえ、目玉までは鍛えられないはず。

 そう踏んでいたのだが……


 張飛は再び、紀霊の肉体の神秘を目の当たりにすることになる。


 紀霊の頭が、首から下の肉の中へと瞬時に沈む。

 まるで、亀が甲羅の中へと首を引っ込めるように、紀霊の首が胴体の中へ沈んだのだ。 

 蛇矛の刃は、虚しく空を通り過ぎていく。


 張飛もこれには仰天させられた。

 加えて、首が消失したことで、狙うべき弱点が無くなってしまった。


 首が無いままで動いている紀霊は、周囲の兵を戦慄させるに足る姿をしていた。

 怯える敵兵を、三尖刀を振るって血祭りに上げて行く。

 戦場を闊歩する首無しの武将に、劉備軍は恐怖のどん底に叩き落された。


「ぐへへへへ……うへへへへへ……」


 下に沈んだ首から、紀霊のくぐもった笑い声が漏れる。

 張飛は半ば一か八かで、紀霊に突撃をかけるが……


 体の肉が震え、全身が躍動する。

 紀霊の巨躯が、今度は地面を蹴って宙に浮かび上がる。

 あの体重にして、重力の枷が存在しないかのような跳躍力だ。

 巨躯を支える両の足は、濃密な筋肉の内に強靱なバネを備えている。


 暗く、円い影が張飛を覆う。

 上を見上げると、紀霊の巨体が真っ逆さまに落ちてくる。


「ちっ……!!」


 素早くその場を退く張飛。

 轟音と共に、巨大な球体が地面に落下する。

 礫片が跳び、粉塵が舞い上がる。

 少しでも遅れていれば、あの巨体に押し潰されていただろう。


 紀霊の奇怪かつ恐るべき戦法はこれで終わらなかった。

 首を肉の内に沈めたように……今度は両手両脚が、丸い胴体の中へと吸い込まれていく。

 その間に矢が射掛けられたこともあったが……全て弾性を帯びた肉に弾かれる。

 やがて、四肢が全て胴体に収まった時……

 紀霊の姿は、体から三尖刀が伸びる一個の球体と化していた。


 もはや人型すら為していない異形の物体。

 その球体が、勢いよく跳ね上がる。

 そして、空を跳び、劉備軍の密集している地帯へと落下する。

 何人かの将兵がその下敷きになり、命を落とす。


 続けて紀霊は、三尖刀を突き出した形態のまま、体を地面と垂直に回転させる。

 馬を越える加速度で地面を転がる紀霊。

 進路上に居た将兵を、次々に轢き殺して行く。

 彼の道を阻む者は、押し潰されるか、三尖刀の牙に噛み砕かれるしかなかった。


 その中には、味方であるはずの袁術軍の兵も含まれていた。

 それでも、紀霊は一切意に介すること無く、ただ本能のままに暴れまわる。


「ぶひゅひゅひゅひゅ!!

 すごいでしゅ紀霊!! しゃしゅがはボクちゃん第一のしもべでしゅねぇ!!

 うきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!!」


 味方の巻き添えなど一切気にせず、紀霊の戦いぶりを喜ぶ袁術。

 愛玩動物ペットである紀霊が戦で暴れているのを見て、自分が敵を屠っている気分に浸っているのだ。



「らぁぁぁぁぁっ!!」


 張飛も諦めずに挑みかかるが、柔軟性に加えて高速回転まで加わった紀霊に攻撃を通すことは叶わなかった。

 その圧力に弾かれ、大きく跳ね飛ばされる張飛。





「益徳!!」


 義弟の苦戦を視界に捉え、思わず叫ぶ関羽。

 あの紀霊という将軍、恐ろしく強い。しかも今の張飛は万全の状態ではないのだ。


 出来ることならば、すぐに助太刀に入りたい……だが、それはできない。

 袁術の大軍を相手に、劉備軍の中で、兵を率いて戦えるのは自分だけ。

 指揮官が居なくなれば、たちまち軍は瓦解する。

 その上自分は、すぐ傍に居る劉備の護衛も務めなければならない。 

 その全てをこなせる武将は、関雲長以外に誰も居なかった。


「あんま無理すんなよ、益徳……」

 

 この言葉には張飛の身を案じる以外に、“無理な攻め方をしてすぐに死ぬな”という意味も込められていた。

 張飛が紀霊を抑えられなくなったら、その暴力の矛先は自分に向く。

 今は、できる限り時間を稼ぐことに徹してもらうしかない。

 その間に自分は、何とか袁術軍の逃走経路を探し出さねばならない。


 改めて、自軍の人材不足を痛感する。

 関羽と張飛は有能だが、いかんせんたったの二人では、大軍との戦では全ての状況に対応しきれない。

 もしも、彼らと同格の武将が一人でも居れば、戦況を大きく変えられるのだが……


「ちっ……こんなことなら、無理矢理にでも兄さんのところから趙雲さんを分捕っておくんだったぜ!」


 出来もしないことを、しかも過去の話を引き合いに出す辺り、相当追い詰められているらしい。

 そのことを冷静に認識しながら、劉備は必死で逃げる先を、生き延びる道を模索する。

 

 そんな中で……



「兄者! あれを!!」


 沈着冷静な彼にしては珍しく動揺した声で叫ぶ関羽。

 彼の視線の先を見ると……

 劉備の顔も、同じ驚愕の色に染まった。


 砂塵を巻き上げて、数千の騎馬隊が斜面を駆け抜けてくる。

 彼らが掲げる旗に記されしは、『呂』の一文字。


「りょ、呂布軍だと!? こんな時に!」


 よりによってこの機会に攻めてくるとは。

 呂布軍はずっと自分達を追撃していたが、何とか逃げおおせてきた。

 だが、今袁術の大軍に捕まったせいで、逃走速度が鈍ってしまった。

 そのせいで追いつかれてしまうのは、自然な流れである。

 それが解っているだけに一層腹が立つのだ。


 




「袁術軍か……」

 

 先頭を走る馬に跨る張遼は、即座に戦場を把握する。

 袁術軍の規模は劉備のおよそ十倍。

 丸い体をした異様な武将は、張飛が何とか抑えている。

 しかし、張飛の疲労の色は濃く、このままでは遠からず命を落とすだろう。

 関羽は劉備の傍で護衛と指揮を同時にこなしている。

 そのせいか、前に出ることが出来ない。


 劉備軍の命運は風前の灯だ。

 もしここで、自分達が劉備軍に強襲を掛ければ、彼らの命運は断たれる。

 確実に勝てる戦……

 ここで自分が取るべき道は…………






「き、来やがった!!」


 絶望的な声を上げる劉備。

 呂布軍の先頭を走る黄土色の髪の武将が、真っ直ぐこちらに突っ込んでくるのだ。

 その手には青龍偃月刀や方天画戟と肩を並べる大きさの、円形の刃を穂先にした槍を携えている。

 

 離れた場所から、関羽はその将軍の気魄を肌で感じ取る。

 見ただけですぐに解った。あの男が見ているのは長兄ではなく、自分なのだと。

 

 劉備軍の兵が進路を塞ごうとする。

 最大速度まで達した張遼は、脚で馬に指示を出す。

 

 地面を強く蹴り、空へと飛翔する張遼の愛馬。

 

 その跳躍は、軽がると人の波を飛び越える。

 彼は一っ跳びで、劉備と関羽の眼と鼻の先まで達した。



 青龍偃月刀を構える関羽。大輪刀を向ける張遼。

 二人の視線が交錯し、瞬間的に互いの闘気をぶつけ合う。

 

(これが、関雲長という男か……)


 一部の無駄も無い構え。己の武の全てを凝縮したような威容。

 決して主には近づけまいとする不屈の闘志。

 まさしく噂通りの、頭で思い描いていた通りの武人だ。

 そして、その瞳は…………



 関羽も張遼も動かない。

 互いの実力を理解するのに、構えを見るだけで足りる。

 一度戦いが始まれば、どちらかが死ぬしかないことも。

 どちらが勝ってもおかしく無い程、実力が拮抗していることも。

 ゆえに、迂闊に仕掛けることが出来ないのだ。


 だが、その均衡状態は長く続かなかった。

 張遼は大輪刀を高く掲げると……

 


「呂布軍の勇士達に告ぐ! 我らの領土を脅かす、薄汚い虫どもを駆逐せよ!!」

 

 張遼は馬首を返し、真っ直ぐ袁術軍の方向へと転換する。

 彼の指揮に従い、劉備軍を襲うかと思われた呂布軍は、袁術軍へと攻撃目標を変更する。


 この張遼の行動に、関羽も劉備も呆気に取られる。

 


 大輪刀を手に、先頭に立って袁術軍へと切り込む張遼。

 袁術軍の将兵は、黄色と黒の甲冑を纏い、まるで蜜蜂の群れのようだ。

 蜜蜂の大群は、手にした鋭い針のような槍を、一斉に張遼に突き立てるが……



 張遼は、それらの有象無象を、大輪刀の一振りで薙ぎ払った。

 

 円形の刃に体を両断され、宙へと吹き飛ぶ袁術軍の兵士達。

 それは、これまで戦を優位に進めていた袁術軍の心胆を、一瞬で寒からしめた。


 たったの一薙ぎで、袁術軍の先陣は大きく崩れる。

 切り開かれた突破口に、呂布軍の騎馬隊は一個の槍と化して突入する。

 全軍が一体と化したこの突撃に、貧弱な袁術軍は他愛もなく引き裂かれる。

 張遼が大輪刀を振るうたびに、敵は吹き飛ばされ、同時に彼の率いる軍もそれに呼応して、敵軍を切り崩す。

 張遼軍の迅雷の如き蹂躙に、袁術軍の被害は膨れ上がって行く。




「にゃ……にゃにゃにゃにゃ!?」


 この光景を見て、袁術は激しく狼狽する。

 それは、単に自分の軍が大きな被害を受けたからではない。


「むっきゅ――!!

 にゃんで呂布の部下がボクちゃんを襲うんでしゅか!!

 あいちゅの言ってたことと話が違うでしゅよ!!」


 ありえない出来事に、袁術は顔を真っ赤にして憤激する。

 袁術の部下達は、彼の言っている意味が理解できない。


(思えば、呂布あいちゅは二度も主人を殺している裏切り者……

 最初さいちょから仲良にゃかよくできるわけ無かったんでしゅ!!)





「とにかく……こいつは運が良い!

 今のうちに逃げるぜ!」


 張遼の突撃によって袁術軍が大打撃を受け、攻め手が緩んだ今こそは最大の好機。

 紀霊と戦う張飛も限界に達しつつある。もう、これ以上は持たない。

 何故、彼らが自分達を捨て置いて袁術に攻撃を仕掛けたのかはわからないが、劉備にとっては詮索する必要のないことだ。

 何が原因だろうと、生き延びられる可能性ができなら、迷わずそれにしがみ付くまで。


「あ、ああ……」


 関羽も同意して、部隊を後退させようとする。

 だが、劉備と違って、彼の心には揺らぎが生じていた。


 勇猛果敢に敵陣に切り込み、兵を自分の武器のように操って、袁術軍を攻め滅ぼす張遼。

 この華々しい活躍は、まさしく武人としての本懐。

 精強な軍と、高い士気を持っているからこそ出来る戦だ。

 そう……逃げるばかりの劉備軍にいたのでは、決して体験できない戦い。

 

 慌てて関羽は自分の中に芽生えた感情を打ち消す。


 自分は兄者の為に身命を尽くすのではなかったのか。

 己の欲求不満を、他人のせいにしてどうする!


 未熟な自分に腹立たしさを覚えつつも……

 関羽は、戦場を駆ける張遼の姿に、羨望を抱かずに入られなかった。




 それから……

 劉備軍は何とか体勢を立て直し、戦場を離脱することに成功する。

 よほど予想外の事態だったのか、袁術軍もその後、前線から大きく後退した。






「もう! 何てことをしてくれたんだい!!」


 下丕城に帰還した張遼を待っていたのは、陳宮の怒声だった。

 その表情に普段の余裕は無く、侮蔑を含んだ怒りに満ち満ちている。


「せっかく僕が密かに袁術との盟を推し進めていたのに!

 君のせいで全て台無しだよ!

 そのまま劉備を潰してくれればそれでよかったんだ!」


 張遼は、膝を突いて黙って陳宮の叱責を受けている。

 やがて、重々しく口を開いた。


「確かに、主君の命を仰がず、勝手な判断の下行動したことは重々反省しております。ですが……」


 陳宮を真剣な眼差しで見上げる張遼。

 その威圧の篭った視線に、陳宮はたじろく。


「陳宮殿。その盟の話、我らに一言の相談も無しとはいかがなものでしょうか」

「な、何だとぉ……!」


 口答えされたことに、顔を更なる憤怒に染める陳宮。

 感情に突き動かされるまま、更なる罵倒を繰り返そうとした時……


「私も初耳だな、陳宮」


 横から、高順の冷ややかな声が飛んだ。


 呂布と袁術の同盟……この話は、他の武官達には内密にして、陳宮が独自に進めていた。

 当然、高順や張遼が知る由も無い。呂布は、全く興味無さそうに耳を傾けてすらいない。


「何の情報も無く、敵軍が我らの領土を侵しているのを見れば、仕掛けるのは当然のこと。

 ならば、袁術の侵攻に対し、劉備軍と手を組むのもやむを得まい。

 それに……」


 張遼を弁護した上で、こう続ける。


「我ら呂布軍は、呂布将軍の武力による制覇を掲げて、この戦乱に身を投じている。

 暴力で屈服させるならいざ知らず、秘密裏に進めた盟など我らには不要。

 武力を使わぬ勝利が何になる。

 そのような姑息な密約は、呂布将軍の最強を曇らせるだけと知れ」


 静かに、されど揺るがぬ信念を込めて、陳宮を諭す高順。

 彼には彼の、決して譲れぬ呂布への忠誠がある。

 一方の陳宮は、更なる憎悪に顔を歪め、高順を睨みつけている。


(戦うことしか知らないお前達に何が解る……!

 無駄を減らすことの何が悪い!

 袁術と手を組めば、もっと広範囲で実験が出来たのに!

 低脳の分際で余計な考えを働かせて!

 お前達は黙って、この僕のやり方に従っていればいいんだよ!!)


 募る侮蔑と苛立ちが、思わず声に出そうになった時……



「んなことよりよぉ!」



 総大将、呂布の鶴の一声が、場を一瞬で静めた。

 

 呂布は張遼の下へ近寄ると、笑みを浮かべて問いかける。


「関羽はどうだった? 元気そうだったか?」

「は……さすがは関雲長。噂通りの豪傑です。

 横溢する覇気には、僅かな乱れもありません。

 しかし、劉備とその軍を守って、思うように戦えないようでした」


 その言葉を聞いて、呂布は不快そうに眉根を寄せる。


「直接相対して、改めて揺ぎ無い信念と強さを持つ漢であると実感しました。

 ですが…………」

「ですが?」


 張遼はしばし間を置いて、先ほど相対した関羽を思い出しながら続ける。


「その瞳には、どこか……迷いがあるように感じられました」


 張遼の慧眼は見抜いていた。

 関羽が、自分に敵意を向けながらも、それを抑えようとしていたことに。

 劉備を守る為に全力を尽くす。さりとて、戦に囚われて自分を見失わないように自制する心。

 その二つの矛盾が、迷いとなって瞳に現れていた。

 

 その話を聞いた呂布は、天を仰ぎ見ると……


「ヒャハ……ヒャハハハハハハハハハハハ!!!

 アヒャハハハハハハハハハハハハ!!!」


 喜色満面で、高笑いする呂布。

 その哄笑に、陳宮も高順も一瞬動揺する。


 

 思ったとおりだ。やはり、関羽はあの劉備の下で戦うことに、僅かながら迷いがあるらしい。

 考えてみれば当然のこと。

 武人とは、常に己の強さを最大限発揮したいと思うもの。

 弱小の軍を率いる戦では、その本懐は満たされない。

 呂布には、関羽の不満が手に取るようにわかる。

 そしてそれこそが、呂布にとって付け入る隙となる。


(関羽ぅ……いい加減気づけよ。

 てめぇはあんな劉備クズの下にいるべき男じゃねぇんだよ。

 俺様の下に来いよ。好き放題暴れさせてやるぜぇ!!)


 勿論関羽を気遣っているわけではない。

 強い軍を与えて、関羽の闘争本能を最大限に引き出せば、奴は更に強くなる。

 それは、いずれ訪れる自分との戦いがより楽しみなものになることを意味していた。



「張遼ぉ……」

「は……」


 張遼の顔を覗きこみ、呂布はどこか意地の悪そうな顔で言い放つ。


「次に関羽に出くわしたら、その時は本気で殺し合え。

 でねぇと俺が殺す。

 それで、勝った方が俺様と殺し合う……いいな?」


 ついに来た。

 最後通告とでも呼ぶべき呂布の言葉に、張遼の身に震えが走った。

 今まで命永らえて来たが、それは全て呂布の気紛れに過ぎない。

 次に関羽を斃せなければ、自分は呂布に見限られる。

 それは、最強への道が断たれることを意味する。

 仮に関羽に勝てたとしても、次に戦うのは依然全く勝機の見えない怪物、呂布本人だ。

 負けても死、勝ってもほぼ確実な死が待ち受ける。


 あまりにも険しい試練ながらも……張遼の心は昂ぶっていた。

 これでいい……この死が間近に迫った状況こそ、自分を追い詰め、更なる成長を促すだろう。

 自分に足りなかったものはこの危機感。

 逆境を力に変えて、自分は更なる高みへと登り詰める。

 目の前の最強を越えて……


「御意……!」


 呂布の課した最終試練に、張遼は力強く応えた。






 この一件が原因で、呂布と袁術の盟は立ち消えになり、両者は一転して対立関係となる。

 両軍の小競り合いの中で、劉備達は必死に逃げ回り、明日も知れぬ逃避行を繰り返すことになるのであった。


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