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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第八章 勇躍の時(五)

 それから……

 

 孫策が曲阿を拠点として、順調を勢力を拡張していたある日のこと……


「お見合いだぁ!?」


 相変わらず突然な張昭の申し出に、孫策は頓狂な声を上げる。


「はい。孫策様は、既に20を越えております。

 そろそろ跡取りのことも考えていただかねばなりません」

「でもなぁ……今は一番大事な時期だろ。もうちっと落ち着いてからでも……」

「何を仰いますか。厳しくなるのはここからです。

 比較的安定している今だからこそ、戦以外の案件を全て片付けてしまわなければ」


 結婚の話をあっさり“案件”と言ってのける張昭。

 彼にとっては、それも解決すべき膨大な業務の一つに過ぎないのだろう。


「そろそろ年貢の納め時だと思え、伯符。

 お前一体どれだけ求婚の文を貰ったと思っているんだ。

 恥ずかしがるのにも限度があるぞ」


 意地の悪そうな笑みを浮かべて言う周瑜。


「はっ、お前だって人のこと言えねぇだろ!

 江南一の美男子が、何で女ッ気の欠片もねぇんだよ!」


 周瑜の言うことを証明するように、孫策は顔を赤らめる。


「孫策様はこれまでに千七百四十五名、周瑜様は千九百六十八名の

 御婦人からの求婚の申し出を、全てお断りになられていますね」


 孫策と周瑜。

 この二人は共に絶世の美男子な上に、家柄も良く、

 ここ最近の快進撃もあってか、江東、江南中の女性達の心を虜にしていた。

 孫家の倉庫には、彼女らの恋文が山と積まれて保管されている。


「とにかく、既に日取りも相手も決めておきました。

 相手方は極めて良家の家柄で、この縁談は今後の江南戦略にも大きく関わってきます。

 決して途中で逃げ出されることの無いようお願いします」

 

 恐るべき手際の速さである。

 その上、良家との縁談を、実に冷めた態度で軍略に組み込んでいる。

 情の欠片もないような男だが、これで有能なのだから何も言えない。

 孫策は既に諦めたのか、あらん限りの不機嫌面をしている。


「お前にとっては、戦に出るよりも緊張するだろうが……まぁ頑張って来い」


 冷やかす周瑜に対し、張昭が鋭く告げる。


「周瑜、貴方もですよ」

「え……?」

「この際ですから、二人纏めて家庭を持っていただきます。

 その方が、見合いに必要な時間も短縮できますしね」

 

 本当にただそれだけの理由で、二人同時のお見合いを実行するかのような物言いだ。


「ははははは! よーしざまぁみろ!! 揃って独身卒業といこうじゃねぇか!!」


 逆に眉間に皺を寄せた周瑜の肩を、孫策は激しく叩いた。





「はぁ……結婚……ねぇ」


 その後、孫策と周瑜は街中を二人並んで歩いていた。


 張昭が見合い相手の素性を話す前に、周瑜を連れて家を出た。

 相手が誰であろうが、もう既に決まっていることだ。

 だったら、事前に期待も失望もしない方がいい。

 というより、とにかくその話題から逃げ出したかった。


 何分これまでずっと戦に明け暮れてきた孫策は、

 まだ家庭を持つということがどういうことなのか解らなかった。

 孫家の跡継ぎとしては避けては通れぬ問題なのだが、どうにも実感が沸かない。


 結局、自分はまだ親離れできていないのかもしれない。

 自分の父は孫文台で、自分はその子供なのだ。

 あの大きな父の姿が心に焼き付いている分、自分が親になることに思いが及ばなかった。


 戦のことならば実に素早く決断を下せるのに、この優柔不断ぶりは一体何なのだろうと考える。

 この際、張昭のように何もかも冷めた気分で割り切ればいいのだろうか。


 そんなことを考えながら、街中を歩いていると……



「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」



 絹を裂くような女の悲鳴が、近くの竹薮から聞こえた。

 孫策と周瑜は即座に目配せすると、急いでその方向へと向かう。


 走った先には……一匹の虎と、その前で震えている女性の姿が眼に映った。

 女は黒い長髪を真ん中で分け、菫色の着物を着用している。

 虎は鼻息荒く興奮しており、今にも女に飛び掛りそうな勢いだ。


「待てぇぇぇぇぇっ!!」


 全力で加速する孫策。

 腰の剣に手を掛け、虎を一刀両断にしようとしたその時……




「あんた、何やってるのぉぉぉ!!」


 女の声が聞こえた瞬間、孫策の顔面に、靴の裏がめり込んだ。

 そのまま吹っ飛ばされ、地面に転がる孫策。


「痛……っ! な、何しやがる!」


 痛む頬をさすりながら体を起こすと、目の前には一人の少女が立っていた。

 年は15、6か。

 黒髪を頭の両側で纏めた可愛らしい髪型ツインテールで、動きやすい桜色の衣服を着用している。

 自分はこの少女の飛び蹴りを浴びて吹き飛ばされたらしい。


「それはこっちの台詞よ! いきなり刀を抜いてうちのロンに襲い掛かるなんて……」

「ロン……?」


「ちょ、小喬しょうきょうちゃん! そんな乱暴な……」

「でも、お姉ちゃん……」


 おどおどした態度で、少女を諌める女。

 見れば、虎の方は一向に飛び掛る気配は無く、ただ唸り声を上げている。


「伯符、足下をよく見てみろ」

「あ……?」

 

 周瑜に言われ、虎の前脚を見てみると……

 鋭い突起物が、足の甲を貫いている。

 地面から突き出た尖った石を、うっかり踏んでしまったのだろう。

 その痛みで、先ほどから興奮していたのだ。


「このロンはあたし達の家族なの。それをいきなり殺そうとするなんて……」

「いえ、この人はきっと、私が襲われると勘違いしたのよ」


 長い髪の女の方は、既に状況を理解しているようだった。


「大丈夫ですか? 妹がとんだご無礼を……申し訳ありません」

「あ、いや……」


 この時、孫策は始めて彼女の顔を直視した。

 絹のように白い肌、潤んだ菫色の瞳、美しく整った瓜実顔。


 心臓が激しく振動する。

 戦で味わう興奮とは全く別個の昂ぶりに、孫策はただ戸惑っていた。

 呆けたような顔で舌も上手く回らない。



「ほら、小喬ちゃんも謝って!」

「ええ〜〜! 悪いのはそっちじゃ……」


 そこまで言って、小喬の眼は傍らに居るもう一人の男の姿を眼に止める。

 その瞬間……心臓が大きく高鳴るのを感じた。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」


 黄色い声を上げて、駆け出す少女。

 その時に孫策の肩を蹴っていったが、勿論彼女は気にしない。


「あ、あの! あなたのお名前は何と仰いますか! あたしは小喬といいます!!」 


 すっかり上気した顔で、周瑜を見上げている。

 彼女の視界には、既に周瑜以外の人間は映っていないかのようだった。


「ああ、私は周瑜という。ところで……あの虎だが」


 周瑜は少女の言葉を遮って、まだ興奮している虎のほうへ向かう。

 彼は全く恐れずに近づくと、屈みこんで虎の足を診る。


「これは酷い……まずは無理矢理にでも外さないとな……

 君達は飼い主だそうだな。彼をどうにか落ち着かせてくれ」

「は、はい!」

 

 姉の方は虎の頭をさすり、我に返った妹もそれに加わる。

 周瑜は虎の前脚を掴むと、そのまま力任せに尖った岩から引き抜いた。

 その痛みに、大きな声で吼える虎。

 

 周瑜は間髪入れずに、懐から取り出した包帯を巻く。

 二重三重に巻かれた包帯を強く縛り、溢れる血を止める。

 姉妹は優しく撫でることで、虎が暴れるのを抑えている。


「とりあえず応急処置はした。

 すぐに然るべき治療の出来る場所に連れて行った方がいいが……

 虎を診る医者などいるのかな……」


 あらゆる学問を修めた周瑜は、医学の智識も豊富だった。

 また、戦場ではこのぐらいの傷を負うなど日常茶飯事。

 簡単な応急処置の仕方ぐらい、完全に修得している。

 加えて、普段から救急用具を持ち歩いていたのが幸いした。


「私が診るしかないな……伯符、おい伯符!」

「え!?」

 

 ずっと呆けていた孫策は、周瑜の呼びかけで我に返った。


「私達でこの虎を私の家まで運ぶぞ。お前も手伝え」

「あ、それならあたしも手伝いますよ!!」


 喜んで申し出る妹。

 その間も、孫策の視線は、意識しないまま姉の方に注がれていた。





 孫策と周瑜は、姉妹を伴って、二人で虎を担いで歩く。


ロンを助けていただいて、何と御礼を申し上げてよいやら……」


 感極まった声で、感謝の声を述べる姉。

 

「いえいえ……しかし、虎なのに龍とは……ああ、この鬚ですか」


 周瑜は、虎の鼻の舌から伸びている、長い二本は鬚を見やる。

 

龍鬚虎りゅうしゅこ…… 実物は始めてみたな」

「あ、ご存知なんですか? 本当色んなことを知ってらっしゃるんですね!」


 周瑜の智識の広さに感嘆する妹。勿論、それだけの気持ちでは無いだろうが。


 龍鬚虎とは幻獣の一種で、極めて希少な種族の一つだった。

 鼻から龍のように長い鬚を伸ばし、龍のような鱗の上から虎の毛皮を被っている。

 揚州に生息すると噂されてはいたが、実際その目で見た者はほんの僅か。

 それが、こんな若い少女達に飼われていたとは……



「ちょっとあんた……さっきから何ぼけっとしているのよ」

「え?」


 妹に呼ばれて、孫策はまた我に返る。

 周瑜に向けた口調とは天と地ほども違う、ぞんざいな口の利き方だった。


ロンを落とされちゃたまったもんじゃないわ!

 どきなさい! あたしが運ぶから!!」


 そう言って、孫策を突き飛ばして虎の後ろを持ち上げる妹。

 女とは思えぬ力だが、彼女も武将なのかもしれない。

 女性の武将はさすがに珍しいが、全くいないわけではない。

 実を言うと、孫策の身近にも一人居る。

 このお転婆ぶりは“あいつ”に似ていると、別邸で帰りを待つ妹の姿を思い浮かべる。

 


 その後も、妹は周瑜に対して楽しそうに話しかけている。

 孫策は、何を言わず後ろについてとぼとぼ歩いていたが……


「あ、あの……」


 おずおずと話しかけてくる姉。

 その声を聞いた孫策は、身震いして振り向く。


「な、何でしょうか?」

 

 何故か口調が敬語になってしまう。

 この困惑した気持ちは、あの張昭に凄まれている時とも違う。

 自分の中に初めて芽生えた感情の正体を、孫策はまだつかめずに居た。


「そんなに気落ちなさらないでください。

 確かに勘違いでしたけど、

 私を本気で助けようとしてくださったことには、感謝しています……」

「ど、どうも……」


 そんな風に言われると余計恥ずかしいのだが、それを言って彼女の気分を害するのも気が引けた。

 頭は混乱していても、知らずに彼女の気持ちを気遣っている自分を意外に感じる。


「ああ、自己紹介がまだでしたね。

 私、大喬だいきょうと申します。あちらは妹の小喬です」

「大喬さんか……」


 孫策の中で、その名前が強く、深く脳裏に刻み込まれる。

 その名を頭の中で反芻するだけで、暖かな気持ちになり、心臓の動悸も激しくなる。


(全く、一体俺はどうしちまったってんだ……!)


 孫策がこの不可解な気持ちの正体に気づくのは、また後のこと……






 その後……


 張昭が設けた見合いの席で再会した孫策と周瑜と喬姉妹は、互いに仰天することになるのであった。



<第八章 勇躍の時 完>


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