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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第七章 徐州大虐殺(四)

 遠州……


 総大将不在の曹操軍は、荀或を総指揮官に据え、濮陽城で呂布軍の侵攻を迎え撃つ。

 対する呂布軍は、兵数一万ながらも驚異的な速さで進軍していた。

 途上の城にはわき目も振らず、ただ曹操がいるという濮陽城に向かって……


「来たか……呂布」


 城門前に立ち、地平線で巻き起こる砂塵を見据える荀或。

 董卓を斃したという最強の鬼神。今からそれと戦うという気負いは微塵も無い。

 自分は智謀の限りを尽くして、曹操の留守を守る……ただそれだけだ。




「ヒャハハハハハハハハ――――ッ!!!」


 赤兎馬を疾駆させ、方天画戟を旋回させる呂布。

 その暴威に、怖い者知らずの青州兵ですら近寄れない。


 実際は、青州兵達は荀或によって呂布との不必要な戦を禁じられていた。

 彼は決して呂布を侮ってはいない。

 いくら兵の数で攻めようと、斃せる相手ではないことは重々承知していた。

 


「何だ何だ高順! 曹操軍ってのは、ただのビビリの集まりじゃねーの!?」


 刺激的な闘争を期待していた呂布は、肩透かしを食らったように不満を漏らす。


「どうも、我々と入れ替わりで、曹操率いる軍勢は徐州に侵攻した後のようです」


 殺気に当てられても、臆すること無く答える高順。

 彼は、曹操軍の動きをただの臆病とは考えなかった。

 何らかの策の可能性を、油断無く考えている。


「じゃああの城に残っているのは残りカスだけか……

 ハッ!!」


 呂布は方天画戟を背中に仕舞い、腕組をする。


「雑魚どもはてめぇらにくれてやる。

 俺は城を落とし、曹操が帰ってくるまで、昼寝でもして待つぜ」


 平然と城を落とす、と宣言する呂布。

 しかも、その城を昼寝のための寝床程度にしか考えていない。


「は……ですが、あの城には罠の……」


 罠……と聞いた途端、呂布の瞳が輝き始めた。


「失礼、あえて言うまでもありませんでしたな」

 

 罠があるならば、それはそれで良い刺激になる。

 呂布にとって、己の命の危険は全て快楽に直結するのだ。




「典韋、曹仁、曹洪、出て下さい! ただし呂布は……」


「解ってるわよ。全て荀或ちゃんの狙い通りに……ね」

「がははははは! 任せろ!」


 同時に出撃する曹仁と曹洪。

 それに、典韋が続くが……


「うわっ!?」


「………………」


 彼の姿は、また一段と重厚になっていた。

 両肩の弐連大筒はより洗練された形状になり、腰の両端にも何やら火器が備え付けられている。


「ははははは! 行って来い悪来!

 強化した……いや、進化したお前の力を見せてやれ!」


「………………」

 

 典韋は機械音を鳴らしてそれに答える。

 二人の間には、既に確かな信頼関係が築かれていた。

 李典に見送られ典韋は火を吹かして疾走する。

 その速さも、以前よりずっと上がっている。


「では、李典……」

「うむ! こちらも準備万端だ!!」

「わかりました……では、城門を閉めてください!」


 荀或と李典は、残る手勢と共に城の中へ入る。

 轟音と共に、分厚い城門が閉じられる。






「………………」


 両肩から砲弾を撃ちながら、左翼を攻める典韋。

 腰に備えた直方体から、六発の弾頭を発射する。

 李典が新たに装備した“李典連装弾りてんみさいる”である。

 爆発が起こり、呂布軍の兵士を吹き飛ばしていく。


 得体の知れぬ動く甲冑に、呂布軍の兵士も怖れをなす。

 そんな中、突っ切って仕掛けたのは……


「はぁぁぁぁぁっ!!」


 黄土色の長髪が、風にたなびく。

 張遼は両腕で武器を持って、典韋へと突貫する。

 両脚だけで、荒ぶる軍馬を完全に制御している。


 張遼の持つ武器は大輪刀だいりんとうで、長い柄の先に大きな刃の輪を接続したものだった。

 呂布の方天画戟に負けず劣らず超重量武器である。

 それを張遼は、軽々と扱っている。

 その馬術といい剛力といい、呂布を髣髴とさせる戦ぶりだ。

 呂布と比べて大柄な体躯の張遼には、より重厚さが伴っている。


「………………」

 

 張遼の振り下ろしを、二挺の斧で受け止める典韋。

 衝撃が全身に走り、鎧を軋ませる。

 しかし、怪力ならば典韋も負けてはいない。


「我が名は、張遼! 曹操軍の悪来とは、貴殿のことか!」

「………………」


 典韋は答えない。その代わり、斧で答えを返す。

 柄で受け止めた張遼は、典韋の剛力を体で感じる。


「噂に違わぬ剛力……然らば、私も武で答えるまで!」


 名を聞かずとも、典韋を真の武人と見て取った張遼は、さらなる猛攻を繰り出す。

 典韋も両腕の斧で、それを撃ち払って行く。

 不意を衝いた砲撃にも、張遼は動じない。

 声すらかけることなく巧に馬を操って、砲弾を回避してしまう。

 人馬一体の猛将を相手に、典韋は一進一退の攻防を強いられる。


 早々に奥の手を使うことを決断する。

 張遼の一撃を受け止め、敵の動きが止まった瞬間……

 背中の隠し腕を解放し、張遼の脳天目掛けて振り下ろす。



「……!」


 鮮血が噴出し、生首が飛ぶ。

 地面に転がった首は……張遼の馬のものだった。

 

 軽やかに、されど重々しく着地する張遼。

 彼の優れた反射神経は、頭上に迫る刃を見咎めた刹那、馬を捨てて飛び降りたのだ。


 予期せぬ場所から繰り出された攻撃に、一瞬面食らったが……それで攻め手を緩める張遼ではない。

 馬を失っても、それに匹敵する瞬発力で、再度典韋に挑む。


 三方向から、同時に斧を繰り出す典韋。

 だが、これも全て疑似餌ダミーに過ぎない。

 張遼の大輪刀が、三つの斧を防いだ瞬間……

 脹脛ふくらはぎの部分に備わった、第四、第五の隠し腕を展開する。 

 先の攻撃も、この奇襲の為の布石に過ぎない。

 双方から斧を繰り出し、張遼の腰を両断しようとする。


 しかし……張遼は手に力を込め、大輪刀を支点として大きく体を旋回させる。

 隠し腕による挟み撃ちは的を外れ、虚しく空を切った。

 身体を回転させると同時に、大輪刀にもその勢いを乗せ、典韋の斧を撃ち払う。



 両者距離が開き、再び仕切りなおしとなった。


「ふ……あのような攻撃をしてくるぐらいだ……他に何が隠れていてもおかしくは無かろう」


 張遼は決して油断しなかった。

 いつ、どんな場所から新たな仕掛けが発動してもいいように、細心の注意を払っていたのだ。

 もはやそれは、思考を越えて身体に刻み付けられた反応だった。


 張遼は、奇策による強さを否定しない。

 それもまた一個の武であり、全力を尽くすことと考えるからだ。

 そのような相手と立ち会い、正面から打ち破れば、自分は更なる武の領域へ進める。

 戦場で遭遇する全てが、己を成長させる試練と位置づけていた。

 

 強者との戦を快楽の源とする呂布とは、違うようでどこか似ている。

 あるのは、意識して行うか、本能で行うかの違いだけなのだ。


 事実……典韋という強者を前に、張遼の心は更に昂ぶっている。

 剛力と奇策を使いこなす稀代の闘将。

 この将を乗り越えれば、自分はまた、あの男に近づける。


 典韋は、五本の腕に斧を構え、小細工なしの正面突破を敢行する。

 五方向からの変幻自在の攻撃を、張遼は全く臆さず迎え撃つ。


「いざ、参るッ!!」





 両翼を高順と張遼に任せ、呂布は単騎で中央突破を図る。

 青州兵達は仕掛ける気配がなく、まるで呂布のために道を開けているようだ。

 そのせいで、呂布は腕組をしたまま、方天画戟を振るうことも無く濮陽城の間近まで接する。

 

 赤兎馬の前足が、やや盛り上がった土を踏んだ瞬間……


 轟音と共に噴き上がる爆炎が、呂布の身体を包んだ。


 城門越しにその音を聞き届けた李典は、にやりと笑う。


「ふふふ、どうやら引っかかったようだな“李典地雷りてんじらい”に!」


 李典が開発したそれは、地中に埋めて衝撃を加えた瞬間に爆発する設置型爆弾だ。

 濮陽城の城門前には、呂布の進撃に備えて無数の地雷が埋めてある。

 あえて部隊を両翼にのみ展開し、中央を空けておいたのはこの為だ。


 爆音を聞きつけた呂布軍の兵も、爆炎に飲み込まれる主に慄然となる。

 だが……


「ヒャハハハハハハ――――ッ!!!」


 爆炎より飛翔する呂布。

 彼は、地雷を踏んだ後もそのまま速度を緩めることなく駆け抜けた。

 よって、爆破による負傷は最小限に抑えられたのだ。


 しかし、地雷は一つではない。

 呂布が突破した先にも、新たな地雷が埋められている。


 再びの爆発。

 それでも呂布は止まらない。

 噴煙を掻き分けて、爆風など物ともせずに突き進む。


 その不死身ぶりに、呂布軍はたちまち士気を取り戻す。

 呂布軍の強さは、呂布個人の武力によるところが大きいが、その強さの影響は個人だけではなく全体に波及する。

 呂布がいれば必ず勝てる。呂布がいれば負けるはずが無い。

 その想像を絶する強さは、他の兵士達にとっての精神的支柱となっていた。




 ついに呂布は城門前まで接近する。


「ヒャハハハハハ――――ッ!!」


 右腕で方天画戟を構え、赤兎馬の加速を乗せて一気に城門に突き入れる。


 現在左腕が不随で両腕が使えず、威力は大きく落ちる上に、城門は虎牢関のものより遙かに分厚く頑丈に出来ている。

 それでも、その一撃は、城門を揺るがし、鋼の門扉に亀裂を刻んだ。


「ヒャハッ!! しぶてぇなぁ!!」


 それで諦めるような呂布ではなかった。

 亀裂の入った箇所に、何度も何度も方天画戟で突いていく。


 亀裂はますます大きくなり、城門は軋み、壊れるのも時間の問題と思われた。


 その轟音を聞いた李典は……


「全く何て奴だい……そぉら!!」


 地中に埋まっている紐を、勢い良く引っ張った。



 その瞬間……辺りを爆音が包んだ。

 呂布のいる地が炸裂し、彼の姿を爆炎が包み込む。


 この紐は、地中を通して地雷に接続されており、いざとなれば残った地雷を全てを起爆させることができた。


 だが、それでも……


「ヒャハハハハハ!! いいねいいねぇ!

 歓迎の挨拶としちゃあ十分だ!!」


 呂布は依然健在だった。

 それどころか、赤兎馬ともども体には傷一つ無い。

 

 呂布と赤兎馬の驚異的な学習能力は、生まれて初めて体験した地雷すらも、既に対策を体で覚えていた。

 その対処法とは、爆発した瞬間、素早く前か上へと飛び上がること。

 先ほども、地雷が一斉に爆発した刹那、赤兎馬は本能で宙に飛び跳ねた。

 これによって、爆破の影響を最小限に抑えることが出来たのだ。

 

 初めて味わう未知の攻撃に対し、呂布の精神はいよいよ昂ぶっていく。

 戦での新たな体験は、呂布の戦意に直結し、そのまま彼の強さの向上にも繋がるのだ。


「さぁて、今度はこっちがお返しする番だ……なぁッ!!」


 もはや地雷は残されていない。

 渾身の力を込めて、最後の一撃を城門に突き入れる。


 それが限界だった。

 亀裂は門全体に広がっており、後は崩れるのを待つだけだったのだ。


 耐久の限界を越えた鋼の門扉は、木っ端微塵に砕け散る。

 それを突っ切って、呂布は城内へと突入する。


 そこに待ち構えていたのは……

 


 樹齢数千年の大木を横倒しにしたような、巨大な大砲だった。



「今だ!!」


 荀或が良く響く声で叫ぶ。


「あいよっ! “李典轟雷砲りてんごうらいほう”、発射!!」

 

 引き金となる紐を全力で引っ張る李典。

 その瞬間……砲門が爆裂し、燃える灼熱の弾頭が、轟音と共に発射される。


 

「!!!」



 避ける暇すらもない。

 呂布の等身大の炎塊えんかいは、呂布と赤兎馬に激突し、そのまま城門を抜けて外まで吹き飛ばす。


 そして、城門から遠く離れた箇所で、先ほどの地雷とは比較にならない大爆発を起こした。


 耳を劈くような爆音が、戦場全体に轟く。

 

 戦場にいる者全てが、この爆発に心奪われていた。



「直撃を確認!! やりましたなぁ、荀或殿!!」

「ええ、どうにか……」


 荀或は、李典轟雷砲の直撃を確認した後、頬に冷や汗が流れるのを感じた。


 全ては計算通り……

 頑丈な城門をこれ見よがしに用意しておけば、呂布は必ず破壊して突破しようと考えるはず。

 今までの戦歴から検証した結果であり……事実彼はその通りの行動を起こした。


 李典の埋めた地雷は“事前の念押し”に過ぎない。

 真の狙いは、呂布に城門を破らせ、その瞬間、最大火力で仕留めること……


 “李典轟雷砲”は凄まじい破壊力を誇るが、

 砲門内の火薬を内燃させるのに時間がかかる上、正面から撃っても避けられる可能性が高い。

 だから、城門を隠れ蓑にしてギリギリまで隠し、

 城門が壊れると同時に、正面から突っ込んでくる呂布に向けて発射する……

 一歩間違えれば、自分たちは即座に呂布に食い殺される。

 だがそれ以外、呂布を仕留める策は存在しなかった。



 李典の発明と荀或の智謀……二つが組み合わさって始めて成立する策だった。


「李典! 第二弾装填! 今度の目標は呂布軍です!」

「へへへ、もうやってますよ!!」


 総大将呂布が斃れれば、呂布軍は総崩れになる。

 後は、自分の智略と精強なる軍を持ってすれば、一万程度の敵を殲滅するなど造作も無い。

 曹操不在の危機を、無事乗り越えられる……はずだった。



「!!」



 だが……

 “あの男”の力は、そんな荀或らの勝算を平然と踏み躙った。



「ヒャハ……ヒャハハハハハ!!!

 アヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 再誕の哄笑。

 地獄の底から、悪鬼は再び地上に舞い戻った。

 赤兎馬から落馬し、全身に黒い煤を被りながらも……呂布は方天画戟を支えに起き上がった。


 体中のあちこちが焼け爛れ、零れる血が大地を染めている。

 それでも……まだ呂布は生きていた。

 その瞳に、燃え上がるような闘争心を宿したままで。


 眼前の現象を、李典は信じられなかった。

 あの砲撃を喰らって、生身の人間はおろか、如何なる生物とて生き残れるはずが無い。

 

 それはまさに、呂布という怪物のみが為し得る反射神経の成果だった。

 幾多もの戦場で、己の命を危機に晒したことで、呂布の危険に対する反射能力は極限まで研ぎ澄まされていた。

 その成長には、董卓との命を削る死闘も大きく影響している。

 六感の全てが危機を敏感に察知し、思考が危機の正体を理解する前に、身体が勝手に反応する。

 

 あの刹那……呂布の視界は爆発の光に覆われた。

 何が起こったのか認識する暇もない。

 だが、認識するよりも早く、身体は高速で反応していた。

 方天画戟を旋回させ、風の盾を作り出す。

 また、赤兎馬も素早く身を引いたことで、直撃を食らったもののその被害を大きく軽減することに成功したのだ。

 勿論、それだけでもまともな人間に耐え切れる圧力、熱量では無かったが。


 今の彼は、自分が何故こんな痛みを受けたのかも理解していないはずだ。

 だが、どんな形であれ、戦の痛みは呂布にとっての快楽となる。

 予期しない苦痛は、呂布の闘争本能を一瞬で沸騰させた。


 荀或は、決して呂布の強さを侮ってはいなかった。

 李典も、連射性を犠牲にしてでも李典轟雷砲に最大級の火力を備えさせた。

 万全の備えをして、可能な限り最大の威力を叩き込んだはず。


 だが……それでも呂布は生きていた。


 荀或の策に遺漏は無かった。

 ただ、その“最善の策”を真っ向からぶつけても、呂布は生き残った。

 それだけのことなのだ。



「弩弓隊!! 矢を射掛けろ!!」


 信じがたい事態ながらも、荀或は即座に命令を下す。

 彼も衝撃に打ちのめされていたが、技師である李典と比べて、軍師である彼は切り替えも迅速だった。

 李典轟雷砲は、再発射に最低でも一分強は要する。それでは余りにも遅すぎる。


 青州兵の弩弓隊が迅速に呂布を取り囲み、矢を射ようとした瞬間……


 黒い翼のような物体が、彼らの喉元を通り過ぎた。

 首から鮮血が吹き出て、残らず地面に倒れ臥す。

 彼らの命を一瞬で奪った黒い翼は、空中で大きく弧を描き、持ち主の手へと戻った。


「呂布将軍はやらせん!!」


 断固たる意志と共に声を放つのは、呂布軍の両翼の一人、高順。

 彼の両手には、“くの字”に曲がった黒い刃が握られていた。

 飛刃“黒翼こくよく”。

 飛び道具としても接近戦用としても使える、高順の武器だ。

 

 しかし、高順の相手は曹仁、曹洪が務めていたはずだが……


「くそぉ! 何だこいつらぁ!!」

「援軍ですって!? 呂布にそんな兵力が……」

 

 曹兄弟は、突如として戦場に現れた援軍によって、足止めされていた。

 彼らは呂布軍の旗を掲げてはいない。

 彼らの纏う甲冑はあろうことか、遠州の兵のものだった。

 


(遠州で謀反!? こんな時に!?)

 

 曹操の不在、呂布の侵攻。

 まるで狙い済ましたかのような造反劇。

 だが、この謀略に満ちた奇襲は、到底呂布とは結びつかない。


 それこそが、荀或の思考の抜け穴だった。

 

 彼は呂布や呂布軍の精強さに対し、調査を重ねて万全の準備を整えてきた。

 その過程で、呂布は自ら危険な戦を求めること、策を使わぬ真っ向勝負を好むことが判明した。

 それゆえに……荀或は無意識の内に、呂布と策謀とを切り離して考えてしまった。

 呂布の強さが、ただ戦においてのみ有効なものだと決め付けてしまったのだ。

 

 実際には、彼の強さは高順、張遼といった武人だけではなく、智略に長けた軍師も惹きつける。

 多くの人を魅了する生き様は、まるで曹孟徳のようだった。

 だが、荀文若は、曹孟徳に対しあまりにも熱烈な忠誠を捧げていた。

 曹操以上に優れた人間は、この世に二人といない。

 だからこそ……呂布を、曹操と同格の器として考えることが出来なかったのだ。


 聡明な荀或が、己の過ちに気づくのに時間はかからなかった。

 彼の顔を、絶望の色が染めていく。




 遠方から戦場を見渡し、この策謀の仕掛け人は不敵な笑みを零した。

 兼ねてより、遠州の張兄弟と接して、密かに謀反の種を植え付けていったのだ。

 あくまで自分の姿を覆い隠し、曹操にすら悟らせないように、巧妙に。


「ククククク……私からの贈り物、気に入ってもらえたかな?」


 賈栩は、かつての虎牢関の戦を思い出す。

 彼は、後の調査により、あの戦で指揮を執っていたのが荀或であること、彼は曹操軍に所属していることを知った。

 反董卓連合軍の中で、唯一自分と対等に渡り合った軍師。

 曹操軍に狙いを定めたのは、彼と決着をつけたかった個人的な執着も大きい。


「さぁて……いつぞやの続きをしようじゃないか、荀或坊や」





 予想外の事態に狼狽しても、それで為すべきことだけは見失わない辺り、荀或は確かに軍師であった。

 弩弓隊の攻撃は失敗に終わったが、彼らの犠牲により、時間は稼げた。

 援軍が出ようも、謀反が起きようとも、現在の最優先攻撃対象が呂布であることには変わりない。

 彼を倒せば、形勢は一気に逆転できる。


「李典! 轟雷砲を!」

「おう! 既に充填完了だ!!」


 その声と同時に、李典は紐を引っ張り、第二弾を発射する……



「ヒャハ……ヒャハハハハハハハ――――――ッ!!!!」


 砲弾が放たれる直前……

 呂布は、足下に転がる弩弓隊の死体を掴み上げる。

 そして、大きく振りかぶって城門に向けて投げつけた。


 砲弾並み……いや、それ以上の速度で飛んでいく兵士の死体。

 それは、砲門から放たれた直後の炎弾と、城門内で激突して……



「う、うわあああああっ!!?」


 視界が真っ白に染まる。

 続けて皮を剥がすような爆風が、荀或らを襲う。


「曹操様…………!」


 荀或の呟きも、李典の絶叫も、城門内で発生した爆音に呑み込まれていった。




「荀或ちゃん!」

「李てぇぇぇん!!」


 本拠地で発生した爆発に、絶叫する曹仁と曹洪。

 李典の危機を知り、典韋はすぐにでも駆けつけたかったが、張遼がそれを許さない。




「う、ぐ…………」


 距離の関係で、爆炎に飲み込まれることだけは避けられたが、衝撃波による被害は甚大だった。

 轟雷砲は見るも無残に破壊され、砲口が割れてしまっている。

 辺りには兵士や技師の死体が転がっている。李典も、倒れ臥したまま動かない。


 全身が激しく痛むが、荀或とて武将……一般人とは身体の耐久力が違う。

 死に直結するような深刻な事態だけは免れたようだ。

 

 だが、体に受けた傷よりも心を苛む痛みの方が深刻だった。

 自分は負けてしまった……

 曹操に城の留守を任せられながらも、呂布の本質を見抜けず、手痛い敗北を喫してしまった。


(僕は……僕は曹操様のお役に立てなかった……

 あの人の信頼を、裏切ってしまった……)


 この事実は、自らの死よりも辛く苦しい責め苦となった。

 

(曹操様……曹操様…………!)


 絶望に沈む彼の瞳からは、自然と涙が流れていた。

 曹操に付き従うと決めてから、決して流さないと誓っていたのに……


(僕は……僕は……!)


 静かに慟哭しながら、荀或は己の無力さに打ちのめされていた。





「ヒャハハハハハハハハハ! 楽しい!! 楽しいなぁぁぁぁぁおい!!」


 一方、呂布の歓喜は絶頂を迎えつつあった。

 これほどの刺激を味わったのは、董卓との死闘以来だ。

 曹操が来るまでの暇潰しと考え大して期待していなかったが……

 これは期待を遙かに上回る収穫だ。


 部下でこれだけ愉しませてくれるなら、一体曹孟徳はどれほどの快楽を与えてくれるのか。

 立ちはだかるであろう強敵との戦に心を躍らせながら、城へと歩を進める呂布。


 

 その姿を、荀或は揺らぐ視界の中に捉えていた。

 ああ、もうじき自分は殺される。

 曹操の期待に応えられないまま、無様な敗北を喫したまま死んでいく。

 所詮……自分はこの程度の器だったのだ。

 王佐の才などと自惚れていた自分が恥ずかしい。

 この敗北の責は、もはや死んで償うしかないではないか……


 自責の念に押し潰され、生への執着さえ捨てかけたその時……



「あ――はははははははははははは!!

 あ―――っはははははははははははははははははははははは!!!」



 底抜けに陽気な笑い声が、荀或の耳に響いた。



 それは、何とも奇妙な姿をした一団だった。

 皆、戦場に出るとは思えぬ珍奇な格好をしていた。

 色とりどりの衣装に身を包み、顔には道化師の仮面を被っている。

 馬も、顔に同様に覆面を被せられている。

 方々を渡り歩き、客に芸を見せる曲芸団サーカスのようだ。


 彼らは恐るべき速さで、戦場を縫いながら進んでいく。

 あたかも、安全に進める進路を予め見抜いていたかのように……


「まーさーに! 宴もたけなわといったところですねですねぇ!!

 いやいやまさに戦局は一進一退の攻防、

 よもや私の出番が無くなるのではなぁーいかと心配しておりましたが

 それは杞憂に過ぎないようで何より何より!」


 異様に明るい声で喋るのは、先頭を走る馬に乗っている男だ。

 この男は、一団の中でも輪を掛けて珍奇な格好をしていた。

 風にたなびく黒いマントを纏い、つばの広い黒い帽子を被り、長い黒髪を後ろで束ねている。

 そして、両目の部分がくりぬかれた赤い覆面で目線を覆っている。

 手には細身の刺突剣レイピアが握られ、手綱を握らず、両の足だけで馬の上に立っている。

 それで、少しもバランスを崩すことが無い。

 他の者が道化師ならば、彼はそれを率いる団長といった風貌だった。


「敵は人中の呂布将軍、友軍は劣勢の極み! 

 だがこれこそ我が望み! 我が雄飛勇躍の時来たれり!!」


 血風吹き荒ぶ戦場においても、彼の笑いは消えない。

 それどころか、この戦場で最も危険な場所……

 呂奉先の下へと、迷わずに馬を走らせる。

 呂布を前にしても、この男の瞳には僅かな恐れの色も無かった。


「さぁて、千客万来拍手喝采!

 この郭奉孝かくほうこうの奇想天外の大活躍、とくととくと御覧あれ!!」


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