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三国羅将伝  作者: 藍三郎
32/178

第七章 徐州大虐殺(一)

 渾元暦193年。

 

 徐州の農村に、奇妙な三人組が現れた。

 黒い衣に身を纏った彼らに、当初村人たちも警戒したが……

 彼らは友好的な態度を取り、村人たちに無償で食糧を提供していった。

 食糧を配り終えたら、彼らはまた別の村へと渡り歩く。

 この時代、どこの村も食糧の確保には苦心しており、彼らはまさに救いの御遣いのように扱われた。


「どうぞ、一人一個ずつ持って帰って下さい」

 

 三人組の代表は、女のような声で喋る小柄な少年で、両側には二人の大男が付き従っていた。

 大男が引いてきた食料を積んだ車に、村人たちは次々に手を伸ばす。


「ありがとうごぜぇますだ。この乱世に、貴方様のような善意の御方がおられるとは」

「いえいえ……」


 少年は謙遜しながらも、心中ではこう考えていた。


(そう……感謝するがいいさ。

 お前ら名も無い民草が、この僕の実験動物モルモットとして

 選ばれたんだからねぇ。これは栄誉ある事だよ……)


 食料の中に仕込んだ“薬”の効果は、翌日には現れるだろう。

 その結果を想像して、少年は密かに笑みを零した。




 次の村へ移る途中で、少年は天をつんざくような悲鳴を耳にした。

 近くに往ってみると……そこに広がっていたのは、多くの御車が倒れ、何人もの屍が転がる惨状だった。

 横倒しになった御者から、刀傷を負って死んでいる男の姿が見える。

 身につけた衣装からして、かなり裕福な身分らしいが、死んでしまってはそんなことは関係ない。

 大方、高貴な身分と見なした盗賊に襲われ、皆殺しにされたのだろう。

 彼らは、富を持っていたが為に殺されたのだ。 


 この有様を見て、少年は顔をしかめる。


「ふん……どれだけ富を得ようとも、浅ましい俗世のしがらみからは逃れられない。

 栄華も権力も……浮かんでは消える水泡のようなものさ。

 そんなモノに執着して、人間の本質に目を向けようとしない。

 だから人間は、いつまで経っても進歩しないんだ……」


 そう語る彼の声には、どこか物悲しい響きが篭っていた。


 


 そして……しばらく歩いた先で、何やら騒いでいる一団と遭遇した。


「へへへ…… さすがは曹一族、すげぇ財宝だぜ」

「でもよぉ、もう陶謙様の下には戻れねぇぜ?」

「構うもんか。これだけの財宝があれば、当分は遊んで暮らせる」

「それに、あいつらは薄汚い奸雄の一族だ! 皆殺しにして何が悪い!」


 甲冑の形から判断して、徐州の陶謙配下の者達と思われる。

 彼らは欲に目をぎらつかせ、足元に詰まれた金銀財宝に目を奪われていた。

 場所と時間からして先ほど遭遇した御車の一行から奪ったものだろう。


「ん? 何だ貴様……」

「黙れ」


 少年に気づいた男が声をかけたが、少年は無愛想に答えた。

 その眼は、まるで虫けらでも見るように暗く、冷たい。

 

「何でお前らみたいなのが生きているのかな。

 無駄に生きるばかりで、自分からは何一つ生み出さない。

 何の糧にもなりはしない。

 無駄だ……本当に無駄だ。お前らの存在は無駄なんだよ」


「な、何言ってやがる……!」


 あまりにも冷たい少年の対応に、男達は背筋に寒気を覚えた。

 それぞれが武器を取る。

 どの道……姿を見られ、話を聞かれたからには殺すしかない。


 男達が一斉に襲いかかった瞬間……


「もういいよ……さっさと死んじゃえよ」


 背後に付き従う二人の大男が、兵士達に踊りかかった。


 少年は背を向けて歩み出す。

 後ろから聞こえてくる兵士達の断末魔など、聞く価値も無いと言わんばかりに……


 



 青州黄巾軍を降伏させ、三十万の兵を得た曹操は、遠州での地盤を固めつつあった。

 治安の良い遠州には続々と民が移住し、それに比例して多くの人材も集まった。

 

「夢を見た、とな」

「はい……日輪をこの手で捧げ持つ夢でございます。

 これは、天下を照らすであろう御方を支えよとの啓示と受け取りました」


 曹操と面談しているのは、約八尺三寸(約191cm)の大男だ。

 縦に四角い顔で、顔に幾つか針で縫った傷痕が走っている。

 いかつい顔立ちで、がっしりした体格は不動の岩壁を思わせる。

 だが、落ち着いた低い声の持ち主で、安らぎさえ感じられた。


「ほほう。その日輪が余であると?」

「はい……御方おんかたは、全くの異文化である黄巾の民も、

 厳格な法の下見事に統治しておられる。

 曹操殿こそ、天下を統べる王に相応しき日輪と確信いたしました」


 お世辞を言うような、軟派な気質の男とは思えない。

 それは、どこまでも真摯な彼の瞳を見れば解る。


「世間で余がどう呼ばれているか知っておるのか?


 “乱世の奸雄”ぞ。


 奸雄と日輪……陰陽いんようのごとく相容れぬ存在だとは思わぬのか?」

「存じております……されど、人間とは元より“陽”だけで成り立つ存在ではありませぬ。

 人の心は、複雑怪奇に入り組んでおります。

 人が人を統べるならば、時には“陰”の道を歩むことも求められるでしょう。

 それを為せる者こそ、人間の代表となるに相応しい。

 陰と陽を併せ持つ御方こそは、ただ照らすだけではない“人間の日輪”なのです」

「物は言い様よな……」

 

 それでも、決して不快では無さそうに受け答えする曹操。


「ところで……もう一度確認するが、そなたは軍師を志望するのであったな?」

「はい……」

「てっきり武将とばかり思っておったが……人は見かけによらぬものよ」


 それは、曹操だけではなく彼と会った全員が思ったことである。

 その巨躯と歴戦の猛者のような風貌に似合わず、彼は軍師を希望していた。

 曹操は、傍らに堆く積もれた文書の山を見やる。


「そなたが持参した新たな法案を読んでみたが……見事なものだ。

 そなたの生み出した法は、青州の民により良き統治を与えることが出来るだろう」

「恐縮に存じます……」


程立ていりつと申したな。

 日輪を捧げ持つというそなたの夢は正夢だ。

 これ以降、程旻ていいくと名を改め、余を支えよ」


「仰せのままに……」


 程旻ていいく、字は仲徳ちゅうとく


 数奇な導きにより曹操の下に馳せ参じた彼は、曹操に新たな名を与えられ、

 以後その智謀を駆使して、曹操の覇業を支えていくことになる。





 そんなある日……


「た、大変でございます!!」


 武将達を集めて、会議を始めようとした矢先……

 その報は、突如として飛び込んできた。


「何事だ!」


 伝令のただならぬ顔立ちに、凶兆を感じ取る夏侯淵。


「徐州を通過していたお父上の曹嵩様以下、曹一族の方々が、従者ともども、み、皆殺しに!!」


「な、何ぃぃぃぃぃぃ!!!」


 最初にそう叫んだのは、夏侯惇と曹仁の二人だ。

 夏侯淵と曹洪は、顔面蒼白で声も出ない。

 曹操と義兄弟である彼ら四天王にとっては、曹嵩は義理の父親に当たる。


 曹操は、父・曹嵩を初めとする一族を遠州へと招き入れていた。

 かつて弱小だった頃は、戦に明け暮れるばかりで一族を省みる暇もなかったが、

 こうして安定した地盤を築いた今、親族を豊かな遠州の地で暮らさせようと思ったのだ。

 曹嵩も、その申し出に感謝し、一族揃って暮らせることを楽しみにしていた。

 その途上の護衛を申し出たのが、徐州を治める群雄、陶謙とうけんだ。


「どういうことだ? 義父上ちちうえの一行は、陶謙の護衛に守られていたはずだが」


 何とか動揺を抑えて、夏侯淵は問う。

 伝令の答えは、驚くべき最悪の展開だった。


「下手人がその護衛なのです……彼らは欲に目が眩み、曹嵩様達を殺め、

 財宝を奪って逃げ出したのです……」


 伝令は、唇を噛み締めて告げる。

 あまりの展開に、居並ぶ諸将は絶句している。

 夏侯惇は立ち上がると、憤怒と共に咆哮する。


「くそ、陶謙め!! よくもそんな奴らを護衛につけてくれたな!!」


「それは違う」


 いきり立つ夏侯惇を鎮めたのは……

 最も怒って然るべき、実の父親を殺された曹操だった。


「も、孟徳……」

「これは余の落ち度だ。陶謙の手下など、最初から信用しなければ良かった」


 曹操の顔は、どこまでも冷徹なままだった。

 全ての感情を押し殺したような、あるいは最初から存在しないような、能面のような顔立ち。

 生気の感じられない顔に、諸将は冷や水を浴びせかけられた思いになる。


「そして、父上……」


 曹操は、悲しみを感じさせない冷淡な口調で続ける。


「財産など置いていくか、後で他の者に届けさせればよかったのだ。

 己の財をひけらかすように、豪華な御車に乗って移動などすれば、

 盗賊に襲ってくださいと言っているようなものだ。

 陶謙の護衛がどうであれ、結果は同じだっただろう。

 この乱世を甘く見た者には死あるのみ……哀れなのは、巻き添えになった従者達であろうな」


 実の父親に対しても、平然と死者に鞭打つ言葉を紡ぐ曹操。

 その非情さに、諸将は圧倒されるしかなかったが……

 曹操が次に発した言葉で、それは仰天に変わる。



「徐州を攻める」



 その言葉を、耳を疑う思いで聞く将軍達。

 

「な、何言ってんだ! さっき陶謙には責任が無いって言ったじゃねぇか!」


 夏侯惇の言うとおり……曹操の言動は、まるで支離滅裂としか思えなかった。


「父上の死と、この遠征には何の関係も無い。

 陶謙には何の恨みも無い……ただ、邪魔なだけだ」


 今の曹操の言葉が、全てを物語っていた。

 父を失った怨恨ではなく……徐州を手に入れるためだけに戦を仕掛けるというのだ。

 かつての董卓と同様、陶謙もまた“邪魔”と断じた。


「だからってよぉ……」


 そんな夏侯惇を制するように、震える声で話し出したのは、荀或だ。


「……現在、冀州の袁紹は公孫贊との戦で優位に立ち、恐るべき速さで領土を拡張しています……

 今は亡き孫堅の兵力を吸収した袁術も侮れません。

 このまま長々と遠州に留まっていれば、僕達はいずれ天下の争いから取り残されます」


「領土を拡大するのに……弱小の徐州は、格好の標的というわけだな……」

 

 暗い声で言葉を返したのは、先ほどからずっと暗がりにいる于禁だ。


「はい。青州兵を率いて迅速に徐州を征圧し、曹操様の御力を世に知らしめるのです。

 諸侯に与える衝撃は、そのまま僕達を天下へと運ぶ大きな波となるでしょう」


「勿論……一歩間違えれば、オレ達はただの野蛮な侵略者だがな……」


 そう語る于禁は、言外に「それはそれで面白い」と言わんばかりに、くぐもった笑いを漏らした。


「父上の仇討ちではなく、あくまで領土拡張の為だけに徐州を攻める……

 それは理解しました。ですが、世間はそんな孟徳様の思いに気づくはずがありません。

 曹孟徳は、私怨のために兵を動かし、徐州を侵略した……

 そんな悪評が立つことは目に見えています」


 努めて感情を抑えて話す夏侯淵。

 彼は耐えらないのだ。自分の尊崇する主が、これ以上“奸雄”として扱われることを。


「そうかな。仇討ちは、民衆にとってある意味最も分かりやすい正義だ。

 逆に好意的に受け入れられるかもしれんぞ?」

「于禁……」


 他人事のような于禁の言葉に、夏侯淵は敵意の視線を送る。


 曹操は答えない。

 まるで、そんな悪評など意に介す必要も無いとばかりに。

 奸雄の悪名を受け入れることに、一切の躊躇いなど無いと言わんばかりに。



「ん?戦を始めるだか」


 曹操のすぐ傍に控え、ずっと話を聞いていないように腕の鎖を弄って遊んでいた許楮が、初めて言葉を発する。


「そうだ」

「じゃ、おら達の出番だべさ」


 事の重大さを理解しているのかわからない、簡潔な返答。

 そんな許楮の言葉に、諸将達は脳を打たれる思いをした。


 自分達は何故ここにいるのか?

 遠州を穏やかに統治する為か?

 正義を謳って、主君の父の仇を討つ為か?


 否。

 

 自分達の全ては、曹孟徳を中原の覇王にするためにある。

 将軍らは、初心を見失っていた自分を恥じた。

 もはや、彼らの目に迷いはない。


 曹操は、天下統一の為に進んで悪名を被ろうとしている。

 ならば、自分達もそれを恐れず進むまでだ。



「程旻」


 先ほどからずっと無言を貫いている、巨人の軍師に向けて、曹操は言い放つ。


「日輪たる余を支えるというそなたの誓い……今も違えるつもりはないな」

「はい……」

 

 程旻は、何の迷いも抱かずに即答した。


「そうか……ならば見せてやろう。

 燎原を焼き払う黒い劫火の猛りを。

 この曹孟徳という、暗黒の日輪の輝きをな……」



 後日……


 城の防備に荀或、典韋、李典、曹仁、曹洪を残し、

 曹操は程旻、夏侯惇、夏侯淵、許楮、于禁と十万の青州兵を率いて、徐州へと出立した。




 疼く、疼く。

 体が疼く。


 あの少年が供した食糧を食べた夜からだ。

 全身が焼けたように熱くなり、不快な感覚が体中を駆け巡っていく。

 まるで、体の奥から蟲が沸き、体中を蝕まれていくようだ。

 何よりも恐ろしいのが……その感覚が、徐々に不快なものでは無くなっていくことだ。


 傍らで眠る家族の姿を見る。

 何よりも愛しいはずの者達を見て……別の感情が湧き上がるのを抑えられない。


 口から唾液が止め処なく溢れる。

 歯は蠢き、鋭い牙に変わっていくのが分かる。

 本能から湧き出る別個の意志が、己の思考を塗り潰していく。


 その目を、鼻を、舌を、■■■って、体を覆ウ皮膚を■■■いて、中にアる■■を存分ニ■■■■■しタイ……


 アア…………


 ■イ■シタイ…………


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