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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第六章 暴虐の果て(一)

 渾元暦192年。


 長安に遷都した後も、董卓の暴虐は続いていた。


 銅貨の五銖銭を改鋳して貨幣価値を落としたため、物価騰貴を招いた。

 長安の都は貧困に喘ぎ、日々の糧にさえ苦しみ、親が子を、子が親の肉を喰らう惨状が日常と化していた。

 逆らった者への制裁は今まで以上に激しくなり、惨たらしい刑罰で殺された者達の怨嗟の叫びが天に木霊した。



 董卓は、犠牲者の人骨で造った玉座に座り、無言で杯を傾けていた。


 虎牢関での敗戦こそ想定外であったが、それ以外の全ては董卓の思うがままに推移している。

 彼の目論見どおり、反董卓連合の解散の後、諸侯は互いに争い始め、長安に兵を挙げようという者はいない。

 このまま諸侯の争いを傍観し、疲弊するのを待つとしよう。

 それまで、こちらは長安にて民の怨嗟を酒の肴にしつつ、体勢を整える腹積もりだ。


 洛陽から逃れた民、長安に住んでいた民は、暴政によって苦しみの極致にいる。

 いずれ半数が死に絶え、残りの者も抵抗する気力を失うだろう。

 そして、ほんの僅かであるが、甘い誘惑をちらつかせてやる。

 民は苦しみから抜け出す希望を求めて、唯々諾々とそれに従うだろう。

 その後、民を調教して自分に絶対服従する奴隷を作り出す。

 その仮定で命を落とす者も多く出てくるだろうが、そんな脆弱な者は奴隷にする価値すらない。


 曹操によって受けた傷も既に完全に治癒している。

 例え、また反董卓連合が立ち上がろうとも、負ける要素はひとかけらも無い。


 加えて、陳宮が開発しているというあの新兵器……

 あの男は、いずれ人類の害となるものを生み出すだろうと考えて生かしておいたが、どうやら期待に応えてくれそうだ。

 “アレ”を使えば、諸国に更なる渾沌と災禍を巻き起こせよう。


 中華は暗黒の闇に閉ざされ、人類は滅亡の一途を辿るしかないのだ。


 董卓は己が行うべき暴虐の物語を、冷徹に紡いでいった。


 そこは一切の意味も快楽も歓喜も愛も大義も信念も理想も動機も理由も夢も満足も達成感も

 興味も好奇も嗜好も欲情も野望も憤怒も憎悪も嫉妬も悲哀も後悔も宿命も存在しない。


 董卓はただ、董卓が董卓であるが故に、この世界を破壊するのだ。





「………………」


 聴こえるのは、肉を抉り取り、両の歯で噛み砕く音。

 匂うのは、むせ返るような獣と血の臭い。

 見えるのは、暗がりで大きな獣の上に座り、その肉を貪る呂布の姿。


 彼の下にいるのは、一頭の大型な熊猫パンダ

 

 近隣の山から素手で殺して運んできた。

 父も無く、母も無く、山奥で過ごした幼少期は、遭遇する獣は全て敵であり、また貴重な食糧であった。

 その狩猟の過程で、彼は己の武芸を磨いたのだ。

 最も、物心ついた時から彼に敵う獣など存在しなかったが。


 血みどろの熊猫パンダの、唯一残っている頭に手を伸ばし、そのまま手刀で頭蓋を貫く。

 そこから脳髄を引きずり出し、口へと運ぶ。

 唾液を垂らしながら咀嚼すると、無感動な表情のまま飲みこむ。


 獣肉を貪る彼の顔は、いつになく無表情だった。

 常日頃から刺激を求めてやまない彼らしくない、何かに飽き果てたような顔つきである。

 

 いや……


 実のところ、これからどうするかは決めているのだ。

 それこそ、一年以上も前から……

 決行を先送りにしていたのは、とある条件を満たさなければならない為だ。


 だが、時間を掛ける必要ももう無い。後はただ行動に移すだけ。

 実に漫然と、ただ気分だけでそれを実行しようと決めた呂布は、熊猫の屍骸から立ち上がり、近くの方天画戟を手にとって、暗い室内を後にした。





 この日の長安は曇天であった。

 濃い灰色の雲は、この中華の行く末を暗示しているようだ。

 程無くして雨が降り始め、宮殿の屋根を叩く。


 董卓は玉座にもたれかかって、雨の音に耳を傾けていた。


 この冷たい雨に打たれた長安の貧民はさぞ苦しんでいるだろう。

 そんなことを実に自然に考えている自分がいる。

 

 生まれた時からそうだった。

 他者が苦しむこと、悲しむこと、嘆くことに強い興味を覚えてしまう。

 その興味は、容易く実行へと移される。

 加えて、そのことに罪悪感を抱いたことなど一度も無い。

 そんな自分を、彼はあっさりと受け入れた。

 何の迷いも無く、己が人類を滅する為に生まれたのだと認識したのだ。

 

 自分はこのまま脇目も振らず、絶対的な悪であり続けるのだろう。



 こうしてただ座っていても、頭は常に如何にして人間を苦しめて殺すかということを考えている。

 如何に長く、効率的に暴虐を行うかということを考えている。

 だから……


 董卓は、今日という日に訪れる自分の運命についても、何の予感もしていなかった。





 異変は、外で悲鳴が聞こえたから始まった。

 肉が避ける音、首が刎ねられる音と共に、犠牲者の断末魔も響き渡る。


 侵入者か……

 董卓は、全く動じることなくその正体に思考をめぐらせる。

 董卓を護衛する精鋭を、刃を交える音すら響かせずに斃す男といえば……


「よぉ……董卓」


 血に染まった方天画戟を担いだ呂布が、玉座の間に現れる。

 外には十数人の精鋭武将が護衛についていたはずだが、彼には足止めにもならなかったらしい。


 呂布の体から充溢する殺気に、血を啜った得物を見れば、彼の目的は明白だ。

 董卓の殺気もまた、自然に密度を濃くしていく。

 だが、ほんの気紛れで問うてみる。


「……何のつもりだ?」


 董卓は、自分を殺そうとした相手に対し必ず理由を聞いている。

 何故なら、その動機を辿ることで、相手に最も精神的な傷を与えられる罰を生み出すためだ。

 最も、目の前の男には、そんな手など一切通じないだろうが。

 

「てめぇの話じゃあ、他の連中を皆殺しにした後、最後にてめぇを殺す……だったな」


 呂布は薄ら笑いを浮かべて、こう切り出す。


「だがな……気が変わった……てめぇはやはり、今から殺すことにするわ」


 方天画戟を董卓に向け、明確な造反を宣告する。

 董卓は、やはり眉一つ動かさない。


 呂布は彼らしくない、くぐもった笑い声を漏らす。


「くくく……なぁ、知ってるのか?

 人間ってのは、戦えば戦うほど強くなるんだぜ?

 勿論どうしようもねぇ雑魚はいくらでもいるが、そういう人間もいるんだよ」


 彼が思い返すのは、虎牢関での関羽との立ち合い……

 彼がその途中で見せた成長は、呂布の本来の価値観を揺るがせていた。

 闘争のみを至上とする根本は、全く変わっていなかったが。


「だから、何だ?」

「わからねぇか? 外で戦争してる奴らは、これからどんどん強くなっていく!

 けどな、てめぇは違うだろ、董卓?」

「………………」

「てめぇの強さは今が最強だ。それ以上、強くなりようがねぇだろ」


 呂布は、方天画戟の尻で強く地面を叩く。


「だったら! 今てめぇを殺して、その後で強くなったあいつらと戦った方が、より強い相手と戦える!!

 そっちの方が面白そうじゃねぇか!!」


 董卓は無言のままだ。

 呂布は更に笑いながらこう続ける。


「ま、本当なら一年前に殺してやってもよかったんだが……

 あの頃はてめぇのその傷、まだ治ってなかっただろ。

 せっかくの美味しい獲物だ。最高の状態で喰わないと面白くねぇ」


 曹操が倚天の剣によって与えた深手は、完治するまでに長い時間を要した。

 傷が完全に癒えたのも、つい数日前のことだ。

 その頃合いを見計らって、呂布は董卓に挑むことを決めたのだ。


「まだ痛むってんなら、別に先送りにしても構わねぇんだぜ。どうせ殺すことには……」


 そこまで呂布が言った、次の瞬間……



 人骨の玉座が、瞬時に粉々に砕け散る。


 同時に、董卓の巨体が宙へと舞い上がった。

 董卓の跳躍の反動に玉座が耐え切れず、砕けてしまったのだ。


 跳躍した董卓は、呂布目掛けて拳を振り下ろす。

 手の筋肉を硬質化させた上での、手加減無しの全力の一撃。

 床に亀裂が走り、大きな陥没が形成される。

 もし人間がいれば、血の染みとなって岩盤の割れ目に吸い込まれていっただろう。


「……滅す」


 董卓は、拳を陥没から引き上げつつ、前を睨みつける。

 正面では、呂布が喜色満面の笑みで方天画戟を担いでいた。

 拳が炸裂する寸前、彼は素早く身を引いていた。


「ヒャハ……ヒャハハハハハハハハ!!

 どうやら全快みてーだな! 安心したぜ!!」


 完全な戦闘態勢。

 長安を丸ごと焼き尽くすような董卓の殺気を浴びても、平然と笑う呂布。

 その瞳には既に狂気の光が爛々と輝いている。


 結局……今まで呂布が言ったことにはさほどの意味はない。

 今の呂布は、そんなことは考えていない。

 董卓という怪物の存在を目の当たりにした今、理性は消し飛び、純然たる闘争本能に塗り潰されていた。


「……獣を御し切れると考えたのが我の過ち。

 我とうぬ……やはり潰し合うしかないのだな」


 この時を持って、呂奉先は董仲穎にとって、明確な障害と化した。

 もはやその武力を惜しむ気持ちなどは欠片もない。

 ただ、滅するだけだ。


 余人ならいざ知らず、この呂布を相手にするのに“虐”は必要ない。

 純粋なる“暴”を尽くして、この地上から完全に抹消するのみ。

 灼熱の太陽のごとき殺気を叩きつけてくる董卓。


 しかし、その殺気は呂布にとって糧でしかない。

 体を焦がすような殺気の中での闘争。それこそが呂布の何よりも望むものなのだ。


「ヒャハハハハハハハ!!

 さぁ、始めようぜぇ!! 董卓ぅ―――ッ!!」



 闘争と暴虐、求めるものこそ微妙に、かつ決定的に違うとはいえ、全ての存在を敵に回すという点では両者に違いはない。

 ならば、最終的には互いをこの世から消すことでしか己の道を貫き通せない。

 呂布も董卓も、ただ純粋に己が道を往こうとする点では全く同じ生物だった。

 故にこそ、この戦いは不可避だったのだろう。



 雨の降りしきる長安を舞台に……“最強”と“最悪”の喰らいあいが始まった。


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