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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第五章 群雄割拠(五)

 渾元暦192年。

 

 河北の支配権を巡って、冀州の袁紹と幽州の公孫贊は対立を深めていた。 

 急速に勢力を拡張する袁紹に対し、公孫贊は袁術と手を組み、袁紹との対決姿勢を明確にする。


 そして、ついに両軍は界橋かいきょうにて激突する。

 


「公孫贊! 貴様ごとき雑草が天下に旗を掲げようなどおこがましい。

 田舎者の分際で貴族の真似事をしている程度ならば見逃してやったが、

 この袁本初に刃向かうならば容赦はせん!

 頭を垂れ、我が袁家の威光にひれ伏すがいい!!

 さもなくば、貴様ご自慢の庭も城も全て焼き尽くしてやる。貴様の命と共にな!!」


 董卓戦後、袁紹軍は名門の影響力もあり瞬く間に勢力を拡張。

 現在ではひしめく群雄の中でも最大勢力と目されていた。


 兵士達は金色の鎧に身を包み、界橋を挟んで公孫贊軍を威圧する。



「袁紹! 貴様は所詮、金の魔力に取り付かれただけの俗物だ!

 我が純白の輝きで、その汚れた光沢を浄化してくれようぞ!!」


 刺突剣レイピアを袁紹軍の方向に向け、士気を昂揚させる公孫贊。

 彼の後ろには、白い甲冑を纏い、白い騎馬に跨った精鋭部隊“白馬義従”が勢ぞろいしている。

 

「往け白馬義従よ! 名門の威を借りた俗物の皮を剥ぎ取り、その醜い本性を白日の下暴き出すのだ!!」



 


 界橋において、何度も矛を交える袁紹と公孫贊の軍勢。

 それでも、双方まだ小手調べの段階らしく、大規模な衝突には至っていない。

 公孫贊側には、客人である劉備の軍も参加していた。


「おかえり〜雲長、益徳」


 前線から戻ってきた張飛と関羽を出迎える劉備。

 戦場に出たというのに、両者ともあまり甲冑や衣装が傷ついていない。


「で、どうだった? 袁紹軍ってのは」


「はっ! あんな奴ら大したことねーぜ!

 俺らが来たら途端に逃げ出しやがった! とんだビビリの集まりだ!!」


 劉備の質問に、苛立ちを爆発させるように罵る張飛。

 どうやら、まともに戦えなかったことが相当不満らしい。


「お前には聞いてないんだよ。大体、逃げ上手ってんなら俺らも人のことは言えねぇだろ」


 そう言って、劉備は視線を関羽へ送る。

 関羽は軽く髭を触った後……

 

「強い」


 簡潔に一言で答えた。


「こちらが突入をかけようとすれば、驚くべき速さで退き、鉄壁の防御を固めてくる。

 よく統率されているし、兵の抑えも効いている。

 益徳が幾ら挑発しても、全く応じて来なかった」


 義弟の口の悪さは自分たちが一番よく知っている。

 あの挑発に乗ってこないならば、相当なものだ。


「結局私も益徳も一回も打ち合えず、戦場を振り回されただけだった」

「てめぇらの強さは、虎牢関で諸侯に知れ渡っちまったからな」


 袁紹軍の敵はあくまで公孫贊……

 現時点で、あえて強敵である関羽や張飛と立ち会って無駄に兵力を削ぐ必要はない。

 そのことを、軍の末端までしっかりと浸透させている。


「よく聞く、名ばかりの軍ってのはただのデマみてーだな」

「ああ、想像以上に実の伴った軍のようだ。よほど優れた軍師が率いていると見た」


 劉備は、初めて袁紹や曹操に出会ったあの決起集会を思い出す。

 あの時、曹操からは底知れぬ魔性のようなものを感じたが、袁紹からは特に何も感じなかった。

 しかし、だからこそ危ないのではないか。

 何も感じなかったということは、即ち気づけなかったとも言えるのではないか。


 劉備は常々打算的であろうと努めているが、やはり根本では感性で人を見る人間だ。

 だから、曹操のような男の危険性は、どれだけ隠してもすぐに分かる。

 だが、その分目に見えるものを逆に見落としがちな欠点があることは、自分でも重々分かっていた。


 才なき相手と見くびって挑めば、逆に返り討ちに遭う……

 今の状況がまさにそれに近い。

 袁紹とは、その派手な言動や地位とは裏腹に、そんな隠れた怖さを持つ男なのではないか。





 界橋を挟んだ戦いは、正面衝突には至らぬものの、公孫贊軍は徐々に劣勢に追い込まれていた。

 白馬義従の苛烈な攻めを、袁紹軍は守勢に徹して凌ぎきる。

 鉄壁の守備に攻めあぐねたところに、左右や背後から奇襲を受け、あっさりと先端を崩される。

 公孫贊軍の被害は増える一方で、戦いは袁紹軍が優位に立って推移していく。


「ふはははは…… 白馬義従と名乗ったところで所詮は雑草。

 我が袁紹軍の敵ではない。

 雑草は雑草らしく、刈り取られるか踏み潰される以外道は無いのだ」


 次々と届けられる報告に、満悦する袁紹。


「見事だ、じいや……いや、田豊でんほう


 傍らにいる老人に対し、彼にしては珍しく褒め言葉を投げかける。

 

「ほっほっほ…… ありがとうございます。

 老骨に鞭打って戦場に出た甲斐がありましたわ」


 老人は、主の賛辞に対し、朗らかに笑って応える。


 袁紹の傍に侍るのは、袁紹軍の軍師で田豊、字は元皓げんこうという。

 子供程度の背丈しかない小柄な老人で、髪は銀一色で、口ひげを生やし、眉毛は目が隠れるほど太くてふさふさしていた。

 一見、ただの好々爺であるが、長年に渡って袁紹に仕え、卓越した軍略で知られる袁紹軍きっての名軍師である。


 なお、彼は“武将”ではなく“人間”だ。

 故に、不老年齢も存在せず、普通に年を取り、実年齢も見た目通りである。

 

 戦場に置いて一定以上の地位につくのは、将軍や軍師を初めとしてほぼ全てが武将である。

 ただの人間は一般兵卒か、雑用係に留まるのが関の山だ。


 そんな彼が、袁紹軍の参謀という過ぎたる地位にいる辺り、袁紹との関係の深さと彼の能力の高さをうかがわせる。

 

 実際、現在の袁紹軍の優位は、全て彼の巧みな用兵と采配によって築かれていた。


 本来は、高齢を理由に隠居するつもりだったが、虎牢関での戦いを経て意識改革をした袁紹が、彼に再び戦場に復帰するよう要請した。

 誰よりも忠誠を捧げる袁紹の頼みならば、断れるはずも無い。

 

 年を経て、田豊の頭脳は衰えるどころかさらに老獪さを増している。

 長い経験に裏打ちされた精緻な軍略は、いかな天才が相手であろうと引けを取らない。

 彼は死ぬまで戦場に立ち、余生を全て袁紹の覇業に捧げる決心を固めていた。


 また、袁紹は名門の威光の下各地から人材を集めており、田豊以外にも優れた軍師が集い、袁紹に必勝の戦略を授けていた。



 そんな中、地面を強く踏み鳴らして、本陣に一人の男が現れる。

 あの肥満体は、彼以外に有り得ない。


「袁紹様! 袁紹様!!」

「どうした? 顔良」


 胴間声で叫びながら、顔良が袁紹の前に現れる。

 彼の顔は、怒りと興奮で激しく歪んでいた。


「先ほど聞きましたが、この戦場にはあの関羽が出てきているとか!

 どうか、この俺に奴と一騎打ちさせてください!!

 必ずや討ち取って御覧に入れます!」


 理由はいうまでもなく、かつての雪辱を晴らす為である。

 反董卓連合結成の決起集会で、顔良は関羽に諸侯の前で赤っ恥をかかされた。

 あれから時が流れたが、彼の遺恨は消えることなく、体の奥底で燻り続けていたのだ。

 それが、関羽登場の報を聞き、今にも爆発せんばかりに燃え上がっている。


「ふむ…… あの時の雪辱戦か」

「それはなりませぬ」


 袁紹が何か言う前に、田豊が、穏やかな口調で……されどきっぱりと制した。


「な、何故だ!?」

「簡単なことです……顔良将軍では、あの関羽には勝てないでしょう。

 袁紹軍の大切な二枚看板を、こんなところで失うわけには行かないのです」


 田豊は、軍師に復職するに辺り各地の名だたる武将の情報を全て洗い出していた。

 虎牢関での戦況報告と、顔良の実力を冷静に比較して出た結論である。

 だが、そんなことを言われても、気性の荒い顔良が納得できるはずも無い。


「ふざけるなっ! 俺があんな下賎な侠賊上がりに負けてたまるか!

 貴様、ただの人間の分際でこの俺を……」


 拳を握り締め、今にも田豊に殴りかからんとした時……


「黙れ顔良!!」


「ひ……っ!」


 袁紹の怒声に、その巨体を震撼させる顔良。

 袁紹は椅子から立ち上がると、顔良を頭から怒鳴りつける。


「田豊は、この袁紹にとって幼い頃からの世話係であり、優秀な片腕であり、家族も同然の存在なのだぞ!!

 貴様ごときに面罵される謂れなど無いっ!

 田豊を侮辱することは、袁家を侮辱するも同然と思え!!」


「も、ももも、申し訳ありませんっ!!」


 主君に大喝され、顔良は大きく後ずさる。

 そして、逃げるように場から飛び出していった。 

 

「ふん!!」


 袁紹はまだ怒りが収まらぬといった様子で、音を立てて椅子に腰掛ける。

 田豊は、感涙の目で袁紹を見上げていた。


「……ありがとうございます。袁紹様」


 うっすらと涙を流して礼を述べる田豊に、袁紹は振り向かぬままこう答える。


「当然のことを言ったまでだ。他の奴らが何を言おうと気にするな。

 お前は他ならぬこの袁本初が認めた男。

 この世で最も尊ぶべき男の片腕なのだ。

 その栄誉を抱き、思う存分采配を振るうが良い!!」

「何と言うお言葉……この田豊、粉骨砕身、袁紹様の勝利に努める所存でございます」


 敬愛する主が、自分のことを認めてくれている……

 感動の極地に達した田豊は、深々と一礼する。


「うむ……まずはあの雑草を駆逐せねばな。

 そうすれば、お前の能力に疑問を抱く者もいなくなろう」

「はい……公孫贊の命脈を断ち切る策は、既に用意してございます」





「何故だ……何故だ! 何故勝てぬ!!」


 一方、完全に行き詰まった公孫贊は、美しい顔を歪めて自問する。


「正義のひかりは、あのような薄汚い俗物に屈してしまうのか……

 否! 断じて否!!

 我が白馬義従の力を結集し、決死の覚悟で戦えば、必ずや勝利のこうみょうが……」


「やめとけやめとけ。それじゃ敵の思う壺だ」

「何?」


 昂ぶる気概に水を差すように、匙を投げたような態度で現れる劉備。


「連中は完全に守りを固めてじわじわこちらを締め上げる作戦だ。

 で、こっちが隙を晒すのを手薬煉てぐすね引いて待ってるのさ。

 全軍突撃なんかしたら、待ち構えてる弩弓隊の的になって一巻の終わりだぜ」

「ふん、袁紹にそんな知恵が回るとは思えんな」

「とことんあいつが嫌いなんだな……

 でも、袁紹はともかく、奴の雇い入れた軍師は大したもんだぜ」

「お前に軍略の何が分かるというのだ!」

「ああ、わからねーさ! 俺ぁ戦については殆ど素人も同然だからな!」


 威張って言える事ではないことは、自分が一番よくわかっている。


「けどな、これだけは言える。兄さんの陣形は古いんだよ!」

「な、何ぃ!?」


 目を見開く公孫贊。

 兄弟子に対してここまで噛み付くことに、劉備自身が意外に感じていた。

 すっかり敬語を使って話すのを忘れていることに、彼の内なる焦燥が現れていた。


「兄さんの白馬陣は、やたらと形の美しさばっか重視して、中身は全部昔の教科書と大差無いんだよ!

 これじゃ、ちょっと頭のいい軍師が見ればすぐ弱点を見つけられちまう。

 だからこんなにズタボロに負けるんだよ!!」

「玄徳…… 例え契りを交わした弟であろうと、我が白馬義従を侮辱することは許さんぞ!!」


 公孫贊の顔つきが、この男にしては珍しく憤怒に染まる。

 真っ白い顔に、徐々に赤みが差し始める。


「なぁーんでそんな話になんだよ!

 今は許す許さないより、戦に勝つ方が大事だろうが!」

「ほう! では何か勝つ為の策があるというのか!?」


 それぐらい自分で考えろと言いたくなるのをぐっとこらえて、劉備は話し始める。


「とにかく、今の状況はジリ貧だ。

 最初の段階で敵に主導権を握られちまった以上、

 もうこっちがどう動いたところで

 相手はそれを読んで完璧な対策を打ってくるだろうぜ。

 ここは一回仕切りなおすしかねぇな」

「仕切りなおしだと?」

界橋ここを捨てて、易京城まで引き上げるんだよ。

 あの城の防衛能力は大したもんだ。

 籠城して、それこそ死に物狂いで応戦すれば、何とか追い払えるかもしれねぇ。

 で、撤退したところを背後から……」

「バカな!! 敵を背にして逃げ出すなど、この白馬将軍の誇りが許さぬ!

 それに、あのような醜い掃き溜めの色を被った連中に、

 清潔で美しい易京の庭を土足で踏み荒らさせるなど、絶対に我慢ならん!!」


 最後まで言い終わらぬ内から、劉備の策を猛烈な勢いで却下する公孫贊。


「だぁ〜かぁ〜らなぁ〜〜」


 依怙地にも程がある公孫贊に、劉備は半ば呆れ返っていた。

 

(袁紹に兄さん……

 どっちも誇りプライドが高いにも程がある奴らだが……

 金が無い方が余裕が無い分、よりどうでもいい誇りプライドに凝り固まっちまうのかねぇ……)


 まぁ、依怙地なのは自分も同じなのかもしれない。

 結局、ここで公孫贊が負けたところで、自分は客将の身。

 また何処かへ流れていけばいいだけで、大した損害ではない。

 それでも、彼にしては珍しくここまで噛み付いたのは、きわめて単純な理由……


 公孫贊を含めて、彼の部下達を死なせたくなかったからだ。


 戦に死は付き物といえ、無謀な突撃で命を落とすなど、あまりにも救われない。

 彼らを、そんな無駄な死に追いやりたくはないのだ。

 生かして還してやりたいのだ。


(勝ち目の無い敵にカッコよく挑んでそれで勝てるほど、世の中ってのは甘くねーんだよ!)

 

 心中の呟きは、かつて自分に何度も言い聞かせた台詞だ。

 結局、今の自分はそれと逆行するようなことをやっているわけだが……



「お困りのようですね。伯珪様」


 公孫贊と劉備の言い争いが続く中、突如冷静極まる声が投げかけられた。

 見ると、目の前に見慣れた顔が背筋を伸ばした姿勢で直立している。


「子龍!」

「あ、あんたは、趙雲!」


 彼はいつも通りの燕尾服姿だが、胸当てや籠手を装備し、その手には銀色に輝く槍が握られている。


「おめぇ、武将だったのかよ」


 てっきり、公孫贊の執事とばかり思っていた。

 趙雲は無言で頷く。

 そして、主の方を向くと、平静な口調のままこう言い放った。


「伯珪様。これより、敵の将軍を討ち取って来ようと思います。

 敵陣が崩れたならば、間髪入れず総攻撃を。

 ただし、それでも突破できない場合は、直ちに易京まで退いてくださいませ」


 まるで雑務でもこなすように、事も無げに言ってのける趙雲。

 敵の将軍を討つというが、それができないから苦労しているのではないか。

 彼らは一騎打ちに応じるつもりは無く、幾人もの兵卒によって守られている。

 

 そんな当然の不安をよそに、趙雲は近くにいた馬に跨ると、


「では、往ってまいります」


 それだけ告げて、前線へと駆け出していった。

 劉備は趙雲の武将としての実力の程を知らないが、あの手綱捌きは見事なものだ。


「ふふふ…… そうだな、子龍。お前ならばこの窮地を何とかしてくれるかもしれん。期待しているぞ……」


 期待に眼を輝かせる公孫贊。一方劉備は……

 

「あいつ……」





 袁紹軍の将軍、麹義きくぎは目を疑っていた。

 自分の居る部隊の下に、たった一騎で駆けて来る騎影が見えたからだ。


「ふん、馬鹿が。痺れを切らしてのこのこられにきたか」


 白い馬に跨った黒髪の男は、手に槍だけを持って真っ直ぐ走って来る。

 麹義の周囲には数百の兵がひしめいている。

 自殺行為としか思えない特攻だった。

 袁家に忠実な彼は、「一騎打ちには応じるな」という総司令からの命令を、遵守することに何の後ろめたさも無かった。

 麹義は、前線の弩弓隊に指示を下す。


「射殺せ!!」


 一斉に弓を構えた弩弓隊が、趙雲目掛けて矢を放つ。

 

 その瞬間…… 趙雲は手にした銀槍“雀蜂すずめばち”を頭上に掲げ、風車のように高速回転させる。

 同時に、大地を蹴って跳躍する愛馬。

 目標が消失したことで、矢は空しく通り抜けていく。


 高速回転する槍によって趙雲と乗騎は風に乗り、弩弓隊を頭上を滑空したまま飛び越える。

 飛翔する騎馬の姿に、兵士達は皆度肝を抜かれる。

 

 空を飛ぶと言う離れ業で、兵士の防衛を一気にやり過ごした趙雲。

 空中で敵将に狙いを定めると、槍を構えて稲妻のごとき急降下を開始する。


「このぉっ!!」


 麹義も、剣を抜いて応戦しようとするが……


 

 迎撃の刃を容易くすり抜けて、趙雲の銀槍は麹義の心臓へと吸い込まれていった。

 降下時の加速が槍に勢いを与え、胸の鎧を貫通する。

 銀の槍は、寸分違わず麹義の心臓を貫いていた。


 血に染まった槍を引き抜いた瞬間、絶命した麹義は落馬する。

 いきなり自分達の将軍が討ち取られたことに、兵卒たちが驚愕した隙に……


 趙雲は、電光石火の勢いでその場を離脱する。

 群がる兵卒には一切構わない。

 人の波を、巧に馬を操ってすり抜けていく。

 将だけを討ち取って速やかに撤収する……目的だけを果たし、それ以外には何の興味も無いと言わんばかりに……



 程無くして、別の部隊の下にも趙雲が単騎で現れた。

 趙雲は、流れる川のごとき動きで兵卒の妨害をすり抜け、瞬く間に敵将に肉薄する。

 一騎打ちを禁じられているにも関わらず、一騎打ちをせざるを得ない。

 そんな将軍の動揺も合ってか、銀槍は新たな犠牲者の心臓を貫いていた。

 そして、波が引くような速攻の撤退。目的だけを完遂することに特化した、終始無駄の無い動作。


 次の戦場に現れた趙雲は、亡霊のごとき動きで敵陣を掻い潜っていく。

 敵将の心臓を背後から貫いた直後、また亡霊のごとく存在を掻き消す。


 趙雲は、城の雑務をこなすように的確かつ完璧に物事を進めていく。

 いきなり将軍だけを失った部隊は、混乱して統率が乱れ始めていた。


 



「何ーっ!! 麹義を始め我が軍の将軍が三人も討ち取られただと!?」


 本陣にもたらされた耳を疑う知らせに、袁紹は立ち上がって叫ぶ。

 田豊も、声にこそ出さないが驚愕しているようだ。


「それで、被害はどれほどのもののなのだ!?」

「い、いえ、その三人だけです……兵卒達は一切傷ついておりません」

「将軍だけ……だと?」


 将軍だけを殺して立ち去る、神出鬼没の謎の将。

 その噂に、将軍を失った部隊のみならず、他の部隊にも動揺が生じていた。


「………………」

 

 田豊は、その謎の将に思いをめぐらすより早く、陣図に新たな陣形を書き込む。

 そして、伝令に将を失った部隊を別の将軍の下に組み込むよう、指示を下す。


「これで、今回の被害の影響は抑えられましょう……ですが……」

「単騎で麹義らを殺した謎の将……か。公孫贊の下に、そんな凄腕がいたとはな」

「袁紹様……その将は危険です。直ちに手を打たねば、深刻な事態につながりかねないかと……」

「うむ。将だけを殺して立ち去るなど、我が袁家を相手にして何たる不遜な振る舞い。生かして帰すわけにはいかぬ」

「はい……本来、公孫贊を仕留める予定だった策を使います。

 文醜、顔良両将軍を出撃させる許可を」


 田豊は、公孫贊よりもその謎の将の方が遥かに危険であると、即座に察知していた。

 故に、必殺の囲い込みで持って、直ちに戦場から除去すべきと考えていた。


「よかろう」

 

 あの二人も、長い間待たされて痺れを切らしている。ちょうどいい頃合だ。





 三人目の将の血で銀槍を染めても、趙雲の疾駆は止まらない。

 彼の心に、成果を上げた昂揚感などは微塵も無い。

 ただ、自分の行動とそれによって起こる結果を、冷静に推し量っているだけだ。


 将軍を三人も倒したのに、思ったよりも統率が乱れない。

 これも、中枢が確固たる軍略を立てているためだろう。

 全軍を、一個の意思の下完全に統率している。

 将軍を何人か失ったところで、立て直すのもまた容易なのだ。


 かくなる上は、より致命的な損害を与える将を狙うしかないが……


 そう思った趙雲の前に、数百の騎馬からなる部隊が突進してくる。

 移動中ではなく、明らかに趙雲を標的にした進軍だ。

 そして、先頭に立つのは、趙雲でもその名を知るあの二人……


「グハハハハ!! ようやく戦えるぞ!!

 これまでずっと、体がなまってしょうがなかったわい!!」


 頭上で大槌を振り回しながら、湧き上がる歓喜を抑えきれない顔良。


「顔良、田豊殿の指示を違えるなよ」


 一方、冷静に相方をたしなめるのは、二枚看板のもう一人、文醜だ。

 ややずり落ちた丸眼鏡を、指先で押し上げる。


「わかっておる!!」



 手ごわい……一目見ただけで、趙雲は両者の実力を分析していた。

 これまでのように、速攻をかけて瞬殺……というわけには行かないだろう。

 殆ど考える時間も無く、趙雲の騎馬は文醜と顔良の部隊に呑み込まれる。


「どらぁぁぁぁぁぁ!!」


 大槌を振り下ろす顔良。趙雲は、巧みな馬さばきで直撃を回避する。

 だが、そこに待っているのは文醜の突撃槍ランスの洗礼だ。

 長い円錐型の槍による神速の突きを、趙雲は銀の槍で弾く。

 回避が間に合わないほどの、一部の無駄の無い突きだった。


 兵士達は周囲を取り囲み、趙雲包囲網を形成する。

 やはり、標的は自分……どんな手ごわい将軍だろうと逃さす仕留める、必殺の陣形だ。

 


 同士討ちを恐れて弓矢こそ使わないが、兵卒達は刀剣と槍戟を構えている。

 陣の外まで追い込まれれば、たちまち無数の槍が自分を串刺しにするだろう。

 それに注意を払いつつ、文醜と顔良の二人を相手にせねばならない。

 

「ぐわっはっはっは! 死ねぇ――っ!!」


 豪快だが、荒削りな部分も多い顔良の攻撃。

 だがその隙を、傍に居る文醜の的確な攻めが完全に補っている。

 顔良の隙だらけの動きに誘われれば、瞬時に文醜に身を貫かれるだろう。

 それが分かっているから、趙雲も防戦一方にならざるを得ない。


 いや……彼の頭の中では、どうあってもこの窮地を抜け出す術は無いと、確信していた。

 諦観ではなく、あくまで冷静に判断した結果である。


 予想通り、文醜と顔良の二人は手ごわい。

 しかし、だからこそ、この二人をここに引きつけておく意味は大きい。

 可能な限り粘って、時間を稼ぐ。そうすれば、自軍の総攻撃も成功の確率が上がる。

 これまで単騎で派手に立ち回ってきたのは、最終的にこの二人を引きずり出す為だった。


 だが、この二人の波状攻撃を前に、時間を稼ぐということですら儚い望みでしかなかった。

 趙雲も、そのことは重々承知していた。承知した上で、僅かな可能性に賭けたのだ。

 それ以外に、この窮地を突破する術を見出せなかったから……


 文醜の槍が、趙雲の馬を刺し貫く。

 そのまま落馬する趙雲。

 機動力を失った以上、もはや二人の攻撃から逃れる術はない。

 自身の死を確信しても、彼の心は全く乱れることが無かった。



 その時……


「趙雲さぁぁぁぁん! 生きてるかぁぁぁぁ!!」


 包囲網が、悲鳴と共に切り崩される。

 関羽と張飛を前に出し、内部に突入してくる劉備三兄弟。



「劉備様……!」


 予想外の救援に、目を見開く趙雲。

 敵兵の排除を弟に任せ、的廬に跨った劉備は、趙雲の傍に駆け寄る。


 関羽と張飛は、即座に文醜と顔良に踊りかかった。

 関羽の姿を目の当たりにした顔良は、忌まわしい記憶が脳裏によぎる。


「関羽ぅぅぅぅぅ!!」


 顔を憤怒で染め、宿敵を叩き殺そうと大槌を振り上げる。


 そんな彼を、文醜が声高に制止する。

 

「顔良! 関羽に構うな! 劉備を狙え!!」


 両翼の兵士を動かし、張飛と関羽に突撃させる。

 今ここで重要なのは、一番弱い劉備と追い詰めた趙雲を確実に仕留めることだ。



「大丈夫か? 早く乗った乗った」

 

 倒れた趙雲を馬に乗せる劉備。

 趙雲も、すぐさまそれに従う。

 だが、そうしている間にも、張飛と関羽の相手を兵士達に任せた文醜と顔良が突っ込んでくる。


「死ね!!」

 

 突撃槍と大槌が迫り来る。

 趙雲が槍を取って迎撃しようとするが……


「趙雲さん、しっかり捕まってろよ!!」


 劉備の声を聞き、反射的にその指示に従う趙雲。

 次の瞬間……


「的廬ぉぉぉぉ!!」


 劉備と趙雲を乗せた的廬の体が、淡い光に包まれる。

 二人と一頭の姿は光の粒子に変わり、その場から消失する。


 槍と槌は、散り往く粒子の欠片を振り払うに留まった。


「ど、どうなってんだぁ!?」

「馬鹿な……」


 眼前の現象を信じられない目で見ている両将軍。

 その間にも、張飛と関羽は脱兎のごとく包囲網を離脱する。

 案の定、あれだけの兵卒ではあの程度の足止めが精一杯だろう。


 見れば、趙雲と劉備を乗せた白馬の姿が、地平線の彼方に見える。

 一体どうやってあそこまで移動したのか。

 摩訶不思議な現象としか言いようが無い。


「クソが! 逃がすかぁぁぁぁぁ!!!」


 激昂して追撃しようとする顔良を、文醜は鋭く制止する。


「追うな! 万が一失敗した場合は、直ちに本陣の防備に戻れとの命令だ!!」


 趙雲の一連の動きは、公孫贊軍の総攻撃の布石である可能性が高い。

 二枚看板を同時に動かしただけで陣形を乱している。

 それが敵に気づかれない内に、陣形を元に戻さなければならない。


 唾を吐き出す顔良。

 一方、文醜もまた、冷徹な顔の奥で、憎悪を伴った屈辱感を味わっていた……





 趙雲を背中に乗せ、本陣へと戻る劉備。

 後ろから張飛と関羽がついてくるのを確認すると、やや速度を緩める。


「なぁ趙雲さん……あんた死ぬつもりだったんだろ?」

 

 前を見たまま話しかける劉備。

 趙雲はやや面食らったようにまばたきをする。


「気づいておられたのですか?」

「何となく、な……さっき本陣で顔合わせた時も、あんたはいつも通りだった。

 けど、あんたは無闇に取り乱すような人じゃなさそうだったしな……」


 死を覚悟しての出撃でも、彼は何ら取り乱すことは無かった。

 大仰な発言とは裏腹の平静すぎる態度に、劉備は逆に違和感を覚えたのだ。


「伯珪様に、悟らせるわけにはいきませんでしたから」

「なるほどね……ま、あんたみたいな性格の武人は結構居るからさ。

 俺にはわかっちゃったんだよね」

 

 今両側にいる義弟達も、同じ状況になれば、やはり平静を取り繕って自分に接するのではないか。

 劉備はそう考えていた。


「確かに……あんたがあそこで文醜と顔良を釘付けにしていれば、

 総攻撃が上手く行って勝てたかもしれねぇ……」


 自軍の勝利の為ならば、自分の命を平然と捨て石にする忠義。

 趙雲の、冷静沈着な態度からは想像もつかない覚悟に、劉備は内心感嘆していた。

 

「ん? もしかして俺余計なことしちゃったか?」

「いえ……助けていただいたことには、感謝しております」

 

 それは、単に命を救われただけということではない。

 あのまま文醜と顔良とやり合っていても、時間稼ぎすら叶わずに命を落としていただろう。

 結局、自分の見積もりが甘かったのだ。

 ならば、命を拾って後に繋げた方が主の為になる……と、趙雲は自分の命の行方についても冷淡に、他人事のように考えていた。


 一方、「感謝」という言葉を聞いた劉備は、不敵な笑みを浮かべていた。


「なぁなぁ、趙雲さん」

「何でしょうか?」

「今回助けてやったんだから、何か俺の言うこと一つ聞いてくれないか?」


 露骨なまでに恩着せがましい言い方である。

 しかし、趙雲は一切気分を害した様子はない。

 むしろ当然のことのように受け入れる。


「何をお望みですか? 元より、今回の恩義には可能な限りの謝礼を致したいと考えておりましたが……」

「そうだな。一度、あんたの作った満漢全席フルコースを食べてみたいな。

 勿論白一色じゃないぜ! 肉も魚も山盛りの色とりどりの豪華料理だ!

 きっと、ほっぺたが蕩けるぐらい美味いんだろうなぁ……」

 

 想像しただけで、涎が零れそうになる劉備だった。


「はい。それがお望みならば、城に戻った際にでも……」


 あっさり了承しようとする趙雲だったが、劉備は手で制する。


「おっと、今のは冗談だ。本当の頼みってのはな……」


 一瞬真剣な顔になったが、いつもの軽い口調のまま、こう続ける。



「俺の下に来てくれよ。俺には、あんたみたいな凄腕が必要なんだ」



 さすがの趙雲も一瞬押し黙る。

 何とも直接的な、寝返りの申し出だった。


「貴方はいつまでも、伯珪様の下におられるつもりは無い、と?」

「まぁな。さすがにこの戦には最後まで付き合うつもりでいるけどよ」


 趙雲はしばし考えた後、冷静にこう答えた。

 不忠を促す申し出に、気分を害した様子は微塵も無い。


「それは……できません」

「何で? 兄さんのところはそんなに待遇がいいのか?」

「待遇や地位の問題ではありません。私と伯珪様は、契約を交わし主従関係となりました。

 ですから、その契約が切れるまでは、決して伯珪様の下を離れるわけには行かないのです」


 公孫贊と自分との主従関係を、あくまで事務的な契約として捉える趙雲。

 しかし、彼はその契約を、肉親の情以上に絶対的なものと考えていた。


「その契約ってのはいつ切れるんだ? 期間とかあんのか?」

「ありません。契約の失効は、伯珪様自身が申し出るか、命を落とされた時に限ります。

 伯珪様が私より先に亡くなられることは、まず有り得ないでしょうが」

 

 それは良く分かる。忠誠心に篤いこの武将ならば、命を捨てて公孫贊を守ることを一切躊躇わないだろう。


 劉備は、如何に天下の大義を説こうと、彼の意思は覆らないだろうと確信していた。

 趙雲にとっては、契約とは何にも勝る重要な事項なのだ。

 そう思って、劉備はこれ以上誘いをかけるのを止める。


「そっか…… 分かった」


 だが、続けてこう言い放つ。


「でも、世の中何が起こるかわからねぇだろ。

 絶対切れないと思っていたものも、ある日ぷっつり切れてしまうかもしれねぇ……」

「………………」


 趙雲は答えない。

 劉備の言うことは、決して否定できない。

 永久に不滅と思われていた皇帝の権威でさえ、完全に失墜しているのが今の乱世だ。

 世間には裏切りや騙まし討ちが跋扈している。

 今日あるものが、明日も続くとは誰にも言い切れない。

 

 だが……だからこそ趙雲は、契約に拘るのだ。

 何もかもが不確かなこの時世において、せめて自分だけは、己で交わした契約に嘘をつかない人間であろうと。

 他の全てが信じられなくても、自分は誰かに信じられる人間でありたい。

 だから、決して契約は破れない。

 それこそが……天下に対して何の大義も持たぬ彼にとっての唯一の信念であり、己の存在意義だった。



「だから……予約入れといていいか?

 もし契約が切れたら、今度は俺と契約してくれるって。

 そいつを俺の頼みってことにしてくれよ」


 趙雲はしばし考えた後……彼にしては珍しく、こんな答えを返した。


「……考えておきます」





 この後、公孫贊軍は劉備、趙雲を中心として懸命に戦ったが、結局袁紹軍の鉄壁の守備を切り崩すことは叶わなかった。

 已む無く、公孫贊軍は本拠地、易京まで撤退。


 袁紹はさらなる大軍を率いて追撃をかけるものの、堅牢を誇る易京城に対して、今度は袁紹軍が攻めあぐねることとなった。

 難攻不落を誇る城の守りに、ついに袁紹軍は撤退を余儀なくされる。

 公孫贊軍は白馬義従の総力を結集して背後を強襲、袁紹軍を敗走させることに成功する。


 しかし、実際には軍師田豊の策により、派手にやられたと見せかけただけで、被害は最小限で留められたという……


 その頃には、義理は果たしたということで劉備らは公孫贊の下を離れるが、結局これが永遠の別離になってしまった。

 

 この後、勢いに乗った公孫贊は追撃を開始、袁紹も数万の軍勢で迎え撃ち、両者の戦いは二年余りの長期戦に及んだ。


 そして、その二年の間に、中華は更なる激動を迎えることとなる……



<第五章 群雄割拠 完> 

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