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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第五章 群雄割拠(一)

 渾元暦191年。


 反董卓連合が解散した後、長安に遷った董卓を捨て置いて、諸侯同士は互いの領土と利権を巡って争うようになった。

 群雄割拠の時代の始まりである。

 

 その中心となったのは、盟主である袁紹と、その従兄弟の袁術である。


「この袁家の面汚しが!

 貴様のような愚物が袁姓を名乗るなどと、天が許してもこの袁本初が許さん!

 直ちにこの地上から消し去ってくれるわ!!」


「ぶひゃひゃひゃ〜〜!

 身の程らずのボンボンがかぁ〜〜っこつけてんじゃないでしゅよ!

 おみゃえにゃんか、蜂蜜つけてバリボリ食べてやるでしゅ!!」

 

 いよいよ表立って対立し始めた袁紹と袁術。

 群雄の中でも抜きん出た勢力を持つこの二人の争いに、諸侯は否応なく巻き込まれ、いずれかの陣営に分かれて争うようになる。




 揚州……


 とある邸宅の庭にて、二人の少年が互いに剣を取り、激しく打ち合っている。

 いずれも眉目秀麗な美少年で、有り余る才気を感じさせる。

 一方は輝く金髪に碧眼、白い肌の持ち主で、対するのは黒髪に青い瞳の、切れ長の目をした美男子だった。

 二人の身体能力は、完全に武将のそれである。

 大人顔負けの動きで剣を振るい、両者一歩も退かない攻防を繰り広げる。

 だが、やがて金髪の少年が黒髪の少年を打ち負かす。



「どうだ公瑾! これで俺の十戦十勝だな!」


 地面に倒れた親友を見て、勝利を宣言する金髪の少年。


 彼の名は孫策そんさく。字は伯符はくふ


 “江東の虎”孫堅の長子で、金髪と碧眼に、父親譲りの美貌を備えていた。

 落ち着いた父親と違い、彼は血気盛んで荒々しい気性の持ち主だった。

 最も、これは孫策がまだ十代の少年というのもある。

 

「やれやれ……やはり、剣では伯符には敵わないな」


 模擬戦用の剣を支えにして、起き上がる少年。


 彼の名は周瑜しゅうゆ。字は公瑾こうきん


 孫策の無二の親友で、彼とは兄弟同然に育てられた。

 互いに気の置けない仲であり、同時に知り合った頃からずっと、武芸や学問で競い合う仲である。

 孫策とは対照的に、沈着冷静で落ち着いた性格だが、正反対だからこそ気が合うのだろう。



「その腕ならば、きっと殿も喜んでくださるだろう」

「まだまだ! こんなもんじゃ、父上に認めてもらうには程遠い!

 公瑾! あと十回やるぞ!!」

 

 孫堅の血を引いているからか、孫策は武門においてずば抜けた才覚を発揮していた。

 その実力は、今や留守を守る孫軍の誰も敵わない領域にまで達している。

 今や、まともに立ち会えるのは周瑜だけだ。

 一応周瑜には連勝し続けているが、いずれも途中までは互角の攻防であり、最終的には孫策が体力で押し切っている。


「別に構わないが、もうすぐ勉強の時間だ。続きは、学業の成績でつけるとしようか」

「うう…… 頭じゃ公瑾にゃ敵わないな……」


 途端に弱気になる孫策。

 周瑜は幼い頃から神童と呼ばれ、勉学においては同世代で並ぶ者は無く、一流の学者に匹敵する知能を有する。

 三公の一つである、太尉を二名出した名門の出身で、若くしてそれに相応する気品を備えていた。


 二人とも智勇に優れた天才児であるが、特に孫策は武に、周瑜は文に秀でていた。


「父上が魯揚ろようから戻ってきたら、修行の成果を見せてやる!

 それで、次の戦には戦陣に加えてもらうんだ!!」

 

 碧眼を輝かせて決意を言葉にする孫策。

 彼ならば、それを実現してしまうだろうと周瑜は確信していた。


「勿論公瑾、俺を支える軍師はお前だぜ!」

「ふ…… 任せてもらおう。猪突猛進なお前でも勝てる軍略を用意してやるよ」

「あっ! 言ったなこいつ!!」

 

 孫策は周瑜の首に手を回し、軽くヘッドロックをかました。

 周瑜は笑いながら、腕を叩いて降参の合図を送っている。

 

 手を解いた孫策は青空を見上げて、遠く魯揚にいる父に思いを馳せる。


「父上、早く帰ってこないかなぁ……」

 




 一方、邸内の書斎では、一人の少年が、外から聞こえる剣戟の音を聞きながら、黙々と書物に目を走らせていた。

 明るい金髪を短く揃え、碧眼に白い肌をした美少年だ。


 彼の名は孫権そんけん。字は仲謀ちゅうぼう


 孫堅の次男で、孫策の弟でもある。

 兄の叫び声は、この書斎にも聞こえていた。

 戦に行きたいなどと、何とも兄らしい威勢の良さである。

 父を尊敬し、真っ直ぐな情熱で孫家の跡取りとしての道を進み続けている。


(でも……僕には……)


 孫権は兄ほど、盲目的に父を尊敬することが出来なかった。


 父は天下に平穏をもたらすため、義兵を募り反董卓連合に参加した。

 しかし、結果的には洛陽は灰燼と帰し、董卓は逃げ去ってしまった。


 世間では連合軍の勝利などと言われているが、まだ幼い孫権にもそれが偽りなのははっきりと分かる。


 父は……連合軍は、董卓に負けたのだ。


 その証拠に、連合軍は解散し、長安にいる董卓を捨て置いたまま、今も諸侯同士が浅ましい争いを続けているではないか。

 彼らは何も為せなかったのだ。

 大仰な謳い文句と共に兵を挙げて、数多の血を流した結果は、単に昔に逆戻りしただけだった。

 

 ならば、結果を残せば良かったのか……というと、それも違う。

 孫権は元々、父の生き方に疑問を抱いていた。


 孫堅は多くの戦で武功を上げ、今の地位まで登り詰めた。

 一介の武将が得た地位としては、もう既に十分すぎるほどだ。

 これ以上、何かを求める必要は無いのではないか。 

 そんな余力があるならば、家を守ることに全力を尽くすべきではないか……孫権にはそう思えてしまう。


 決して、孫堅は家を疎かにしているわけではない。

 むしろ、他の家から羨ましがられるほど、家族に深い愛情を注いでいる男だ。

 問題なのは、結果よりも人間としての“あり方”なのだ。


 人一人が出来ることなどたかが知れている。

 生まれた時から、その人間にやれることなど決まっている。

 ならば、その天から与えられた役割を全力で尽くすことが、人のあるべき姿ではないのか。


 父は今、長沙の太守という身分に留まらず、天下の頂を目指している。

 それは、孫権にはどうしても分不相応に思えてならない。

 父の言う、天下の平穏や安寧のためという理想は、確かに立派で尊敬すべきものだ。

 しかし、その巨大すぎる夢は、孫仲謀のあり方とはどうしても相容れないものだった。

 

 無駄に多くの血を流してでも、天下を目指す。

 そのことに一体どれほどの意義があるのか。

 父や兄は、そんな疑問など抱いたことも無いのだろう。


 だからといって、孫権は父や兄に反発して別の道を歩むつもりはない。

 そんなことができるほど、自分は勇敢ではないのだ。

 臆病者と言い換えてもいい。


 “与えられた役割を果たす”……

 孫家の次男という自分の役割を逸脱することは、決して無いだろう。


 弟の役割は、父を助け、兄を助けること。

 自分自身で何かを決定する道ではなく、上の者に従って生きる道だ。

 そんな道ならば、迷うことなく、心から安心して生を全うできる。

 幸いにも、父も兄も極めて優秀な人物だ。

 彼らを横から支えるのは、素晴らしい生き甲斐を感じさせてくれるだろう。


 父が死ねば兄が、兄が死ねばその息子が、孫家の旗印となる。

 自分は、ただ彼らを補佐していけばいいのだ。

 何も悩む必要の無い人生だ。


 孫仲謀は、自分が次男として生まれたことを心から感謝していた。


 


 

 魯揚……


 虎牢関での戦いの後、孫堅軍はそのまま洛陽に留まり、都の復興事業に力を注いでいた。

 彼らの尽力により、少しずつであるが都は修復され、人も集まりつつある。


 そして、復興事業が一段落した後、孫堅らは袁術の領土である魯揚に身を寄せていた。

 

 魯揚の邸宅にて……

 孫堅と四将軍は、卓を囲んで今後の事を協議していた。

 最大の議題は、袁術より届けられた指令書についてである。


「袁術殿からの要請です。孫堅軍はこれより、荊州の劉表りゅうひょうを討てと……」

 

 いつも通りの落ち着いた口調で、書簡を読み上げる朱治。


「くそ、あのエテ公め。また俺らをこき使うつもりかよ」


 陽人での戦い以来、袁術を憎悪している黄蓋は、顔を憤怒で塗り潰している。


 劉表は袁紹に組している。

 つまり、袁術は孫堅に自分の勢力争いの代理をさせようというのだ。

 しかし、現在の孫堅軍は未だ袁術との繋がりが切れていない。

 無視するわけにもいかないのが現状だった。


「劉表は元々、荊州のみならず揚州を支配する野心を持っていた。いずれ激突は避けられなかっただろう」


 黄蓋を落ち着かせるように、孫堅は言う。


「だが、これは我らにとって好機となる」

「と、言いますと?」

「劉表を討ち、我らが荊州を手に入れる」


 平然と言った孫堅の言葉に、場の四人は一瞬動揺する。

 孫堅がここまで露骨に野心を表明したのは、初めてのことだったからだ。


「孫堅様……」

「荊州を手に入れれば、我らにも確たる基盤が出来よう。

 もう、袁術の傘の下で機嫌を伺う必要も無い」


 孫堅は微笑を浮かべたまま続ける。

 だが、その顔にはやや暗い影が差している。

 今の彼は、温厚篤実な主君ではなく、天下に覇を狙う野心家となっていた。


「…………侵攻、占領」


 韓当が短く呟く。

 続けて黄蓋が、卓を強く叩いて立ち上がる。

 その顔は、喜色満面の笑みだった。


「はっ! そいつはいい! さすがは我らの殿だ!!」

「私は最初から、殿が袁術ごときに屈するとは思っていませんでしたよ」


 程普もまた、主君の意向に賛成のようだ。


「では、袁術と手を組んだのも最初から……」


 まだ驚きを残したままの朱治が問う。

 孫堅は、軽く笑ってこう答えた。


「さすがにそれは無いよ。

 だが、もはや漢王朝に自力で復興するような力がない事ははっきり分かった。

 それを立て直せなかった、中原の群雄たちも同じことだ」


 朝廷や袁家ら諸侯を、冷徹に非難する孫堅。ますます、いつもの彼らしくない。


「ならば、私が立つ他あるまい。

 この中華を治め、天下に平穏をもたらす。

 私にその器があるかどうかは、まだわからないがね……」


「何を仰いますか!

 俺はずっと、この中華を統べるのは、天上天下、孫文台以外に有り得ないと考えていましたよ!!」


 意気盛んに叫ぶ黄蓋。今の彼は、酒を呑む以上に孫堅の天下統一の夢に酔っていた。


「そうです。これも天命なのです。

 今にして思えば、あの玉璽が見つかったのも……」


 程普が言葉を紡ごうとした時、孫堅の厳しい声が飛んだ。


「程普」


「と、殿……」


 笑みの途絶えた孫堅の顔に、狼狽する程普。


「それについて、滅多なことを言ってはいけない。

 我々は玉璽を単に保管しているに過ぎない。

 今朝廷に返却したところで、董卓にいい様に利用されるのは見えているからね。

 玉璽は長安を董卓より解放した後、皇室に返還する。

 はっきり言っておくが、私は皇帝になるつもりはないよ。

 私はただ、この苦しみに喘ぐ乱世を鎮め、天下に安寧をもたらしたいだけだ」


「ですが、天下万民は、天子に代わる新たな統治者を求めているのではないですか?」

 

 やや消極的とも取れる孫堅の発言に、朱治が珍しく煽るような発言をする。


「…………その事は、また後で考えよう。

 今は、まず荊州を手に入れることを考えないとね」


 孫堅にしては珍しく、話題をそらせた。

 彼も迷っているのだろう。

 あくまで漢王朝への忠義を貫くか。

 忠義を捨ててでも、天下を平定する王の座を狙うか。 


 そんな主君の意を察した朱治は、荊州戦の軍略を提案する。


「当面は、劉表の先鋒を撃破していきましょう。

 劉表に、私達の力を見せ付ける形で。

 劉表は本腰を入れて攻めてくるでしょうが……ここで私達は、あえて苦戦を装います」

「袁術を戦場に引っ張り出す為だね」


 朱治の考えを呼んだ孫堅が、その意図を言う。

 陽人の戦のように快進撃を続ければ、袁術は警戒心を強め、使い捨ての駒として擦り切れるまで戦わせ続けるだろう。

 だが、大軍に敗北したと見せかけることで、袁術に危機感を与えれば、彼も重い腰を上げざるを得ない。

 袁術はこちらを利用するつもりでいるだろうが、逆にこちらが利用してやるのだ。

 陽人の戦いで、補給を断ったことへの最高の意趣返しとなるだろう。


「はい。荊州に入った袁術と劉表が正面から戦を始めたら、私たちはその隙を突いて、劉表の本拠地を攻めます。

 そのまま劉表を討ち、荊州の兵力を併呑した上で、袁術に私達の独立を認めさせましょう」

「へへへ……あのエテ公のほえ面が目に浮かぶぜ」


 猛る気持ちを抑え切れない黄蓋。

 その後も、四将軍から荊州侵攻に関する幾つもの案が出た。


 孫堅は優秀な臣下に恵まれたことを感謝しつつ、天井を見上げて一時の感傷に浸る。

 これから自分が歩む道は、長く辛い戦いになるだろう。

 それでも彼は止まるわけには行かない。

 自分を信じて夢を託してくれる、臣下達のためにも。

 

 孫堅は、聞こえないような小さな声で呟いた。



「またしばらく、伯符達とは会えなくなるだろうな……」

 

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