表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国羅将伝  作者: 藍三郎
22/178

第四章 燃える洛陽(六)

 赤々と燃える炎が、天をも焦がさんばかりに噴き上がる。


 首都洛陽は炎に包まれていた。

 

 自然現象ではありえぬ大火が街を呑み込み、人家を悉く焼き尽くす。

 立派な屋敷は音を立てて崩れ落ち、生きながら炎に焼かれる者の断末魔が天に木霊す。



 そんなこの世の煉獄の中で、圧倒的な存在感を放って闊歩する巨影が一つ。

 

「………………」


 董卓は、燃え上がる炎を瞳に映し、真紅の眼を揺らめかす。


 炎の舌が彼の身を焦がすことは無い。

 彼が放つ闘気は、炎も寄せ付けず彼の道を切り拓いている。

 炎を裂いて進む様は、かつて海を割ったとされる、古の賢者を髣髴とさせる。 


 炎に晒されているのは、董卓だけでは無かった。


 董卓の肩には、献帝が乗せられていた。

 董卓の闘気の衣によって、火の粉すらも弾かれ、自分に火の手が及ぶ心配は無い。

 だが……

 

「天子よ…… しかと見届けるがいい……

 うぬらの王朝の最期を。

 栄華を嘗め尽くした都が、煉獄の炎に焼き尽くされる様を……」


 洛陽の終焉を、天子に見せ付ける……

 これもまた、董卓が自らに課した、生き証人としての役割なのか。

 

 献帝の目には、黒焦げになって死んでいく者達が何人も垣間見える。

 絶望と怨嗟の悲鳴は、途絶えることなく耳に響いてくる。

 自分は絶対の安全圏に置かれていることが、痛烈な罪悪感を煽り立てる。


 それでも、自分は目を逸らすわけにはいかない。

 この暴挙ですら、董卓にとってはほんの戯れに過ぎない。

 自分が董卓に従わねば、さらなる地獄が描かれるだろう。


 その時……


 

 炎から逃げ延びてきた幼い少女が、董卓の前に現れる。

 体中火傷だらけで、その顔には生気がない。

 

 彼女と献帝の目が合った。

 全てを失い、必死で逃げ延びた彼女は、生きた人間に対して希望を抱いたのだろうか。

 その瞳に、僅かに光が差した直後……



 肉が潰れる音が鳴った。



 董卓は、その巨象のような足で幼女を踏み潰した。

 全く意に介することなく、蟻でも潰すように、平然と。

 地面に染み付いた血肉は、やがて炎に呑み込まれ焼失する。


 彼にとっては、殺意すら無かったのだろう。

 邪魔者を踏み殺した……とう意識すら無い。

 

 単に、たまたま左足が前に出た。

 たったそれだけの事が、少女の命運を分けたのだ。



 献帝は、心の中で少女に謝罪すると同時に、無力感に打ちのめされた。

 

 漢王朝の御旗、人民の象徴と祭り上げられたところで、自分にはか弱い少女が無残に殺されるのを止めることすらできない。

 たまたま董卓に目を付けられ、生かされているだけの存在なのだ。

 何も出来ず、ただ董卓の行いを記録するだけの存在。

 

 この悲しみと苦しみを取り除くには、心を殺して記録者に徹する他無いではないか。

 

 そう……このようにして、皆は董卓の奴隷に落ちていったのだ。

 人間らしく生きて苦しむより、心を殺して従順になった方が楽だから……



 献帝の理性は、そんな甘い欲求を寸前で押し留めた。

 諦めてはいけない。

 まだ、全てが決したわけでは無い。


 いつか誰かが、この巨悪を撃ち滅ぼす日が来るはずだ。

 それが、董卓の言う絶望を煽る為の希望だったとしても……

 自分に出来るのはそれしかない。この苦しみに耐えて、生き抜くしかない。

 未来の為に……


 奇しくも、献帝・劉協の王道もまた、曹操や劉備、そして董卓と同じく、“生き延びる事”に帰結したのだ。




 渾元暦190年。


 虎牢関で敗退し、洛陽に帰還した董卓は、突然長安への遷都を宣言する。


 長安は董卓の故郷・涼州に近く、支配下にある軍閥からの援助も得やすく、体勢を整えるには最適の場所だったのだ。

 遷都に際して、董卓は洛陽中の富豪を無実の罪で処罰し、その財産を没収した。

 そして、洛陽の民に長安への強制移住命令を出した上で、洛陽を焼き払った。

 多くの民が逃げ遅れ、燃える都と運命を共にした……


 なお、連合軍は、直ちに洛陽攻略に着手する予定だったが、曹操の提言によって一時体勢を立て直すこととなった。

 あのまま洛陽に入っていれば、連合軍も炎に呑み込まれ、壊滅的な打撃を被っていただろう。

 曹操がそこまで読んだ上で追撃を止めたのかは定かではない……


 余談だが……

 追撃を推し進めたのは袁紹で、止めたのは曹操なのだが、袁紹はこれを自分の判断として世間に広めたという……



 洛陽の炎上によって、連合軍の進撃は頓挫せざるを得なくなる。


 皆、董卓は自分達を恐れて逃げ延びたと思い込んだのだ。

 死に体の董卓などいつでも始末できる……

 そう言い聞かせることで、諸侯達は自分達の権益へと関心を移していった。

 それほどまでに、漢王朝の権威は失墜していたのだ。


 やがて連合軍は空中分解し、それぞれの利権を巡って争い始めるようになる……




 洛陽……


「これは…… 酷いものですな」


 廃墟と化した都を目の当たりにして、程普は慨嘆する。

 建物は全て黒焦げになり、辺りには民の焼死体が転がっている。


 解散した連合軍の中で、唯一洛陽に入ったのが孫堅軍だった。

 董卓の暴挙を止められなかったのは悔やんでも悔やみきれないが、せめて洛陽の復興に力を貸そう……と考えたのだ。


 だが、洛陽の惨状は、彼らの志を打ちのめすだけだった。


「ただ遷都するだけなら、こんなことをする必要はない……

 董卓……彼は何を思って、この都を焼き払ったのだ……」

 

 憂いに瞳を潤ませ、孫堅は呟く。

 彼の中では既に答えは出ている。

 董卓の暴虐に、理由など存在しないのだと。


 董卓は、存在そのものが人類にとっての敵。

 放っておけば、いずれ中華という世界を悉く破壊しつくす。

 孫堅は、早期にそれを見抜いていた。

 だからこそ、連合軍の結成に応じ、どの軍よりも率先して戦ったのだ。


 諸侯達は、一部を除いて誰もそれを理解していない。

 董卓を、ただの私欲で動くだけの俗物と思い込んでいるのだ。

 朝廷の権力を掌握したとはいえ、所詮は傾いた王朝で好き勝手やっているだけの匹夫。

 自分達に塁が及ぶ心配はない。

 そうやって董卓を見くびることが、どれだけ危険なのかを知らぬまま……


 それも已む無きこと……

 彼らの価値尺度で測るには、董卓はあまりにも規格外の存在だった。 

 直に恐ろしさを体験しなければ、彼を本当の意味で理解することは出来ないだろう。


 董卓が、そんな諸侯の油断さえも計算して撤退という選択をしたならば……

 いよいよ、尋常ならざる奸智を持つ怪物ということになる。

 ならばこそ、諸侯が一致団結して討ち滅ぼす以外に道はなかったのに……

 

 その道も、今となっては断たれた。

 結局自分達は、最初から董卓の掌の上で踊らされていたのだろう。


 廃墟と化した都を見るたび、無力感が込み上げるのを抑えられない。

 今はせめて、洛陽の復興に力を注ぐぐらいしかやる事はない。



「孫堅様!」


 そんな中、高い声が孫堅の耳に響いた。


「どうしたんだい? 朱治、韓当」


 見れば、朱治と韓当が息せき切ってこちらに走ってくる。

 その表情からして、只事ではないのは明白だ。


「…………一大、発見」

「これを御覧ください。宮殿付近の井戸の底より発見したものです」


 朱治は、恐る恐る掌の中のものを差し出す。

 光り輝く“それ”を目に留めた瞬間、孫堅は息を飲んだ。


 それは、金色に輝く印鑑だった。

 下部は四角形で一辺が四寸。

 上部は丸くなっていて、手で持つところに五匹の龍が絡み合った彫刻が施されている。

 そして、印文には『受命于天 既寿永昌』の字が刻まれている。


 孫堅は畏敬の念を隠せずに、こう呟いた。


玉璽ぎょくじ……か」


 伝国の玉璽。

 

 時の皇室が代々受け継いできた、皇帝専用の印だ。

 皇帝の証と言ってもいい、漢王朝の至宝の一つである。



「……まさかまだ洛陽に残っていたとは……

 井戸から見つけたと聞いたが、誰が探し当てたのだ?」

「はい、生存者を探していた兵卒が、井戸の中を覗いた所発見したそうです」

「その者の名前は?」

「申し訳ありません、突然の出来事で聞くのを忘れてしまい……」


 朱治らしくないが、玉璽が見つかった驚きから考えれば無理からぬことだろう。

 それだけでなく……あの兵卒は、どこか存在感が希薄で、彼が見つけたこと自体、今孫堅に言われて思い出したほどだ。

 

 孫堅は、改めて玉璽を恭しく拝む。



 その様子を、“発見者である兵卒”もまた、他の兵士達に交って見つめていた。


(孫文台…… その玉璽、精々大切に保管しておけよ。

 いずれ貴様の下に、“対価”を受け取りにいくのだからな……

 これでまた一つ、歴史は修正された……)


 その後、兵士達に問い合わせたが、玉璽を発見した者はついぞ見つからなかったと言う……



<第四章 燃える洛陽 完>


これで虎牢関の戦いも完結です


袁紹は「金と権力で天才を越えようとする」

創作のお約束に抗うキャラクターとして設定しました。

現実と違って創作じゃ「天才>>>>>>>金と権力」じゃないですか。

幾ら兵力差があっても曹操や劉備は袁紹にとって高い高い壁なんですよ。

袁紹はチャンピオンじゃなくてチャレンジャーなんです。

だから本作で最も主人公らしいのは袁紹なのかもしれません。

少なくとも作者はそう思って描いています。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ