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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第四章 燃える洛陽(四)

「おほほほほ! このアタシに殺されることを光栄に思いなさい!」

 

 曹洪の鉄鞭が敵兵を絡めとる。棘のついた鞭が胴体に食い込み、骨も内臓も纏めて絞め潰す。

 

「さぁ皆、やっちゃいなさ〜〜い♪」


 曹洪の号令で、董卓軍に仕掛ける曹操軍。

 彼の巧みな用兵は、数の不利を物ともせずに曹操軍を撃破していく。


 曹子廉は、その奇抜な容姿とは裏腹に、将としては実に平均的な能力を備えていた。

 それは凡庸と言うわけではなく、指揮能力や個の武力……武将に求められる能力が全て等しく優れている……という意味である。

 夏侯惇の気魄、夏侯淵の射撃、曹仁の怪力のような突出した能力は無いが、全ての能力が高い段階で纏っている為、堅実な戦をこなしてくれる。

 個性的な将の多い曹操軍の中で、どんな戦にも適応できる彼の平均的な能力はある意味貴重だった。

 彼の奇矯な姿や喋り方は、そんな自分を少しでも目立たせる為……ではなく、単に趣味である。


「孟徳様♪ 邪魔者はみんなアタシ達が皆殺しにしておきますわ。

 ですから、貴方は董卓を……」


 鞭を振るい、兵を率い、董卓軍を追い込んでいく曹洪。


 そんな中で曹洪の視界に、黒い影が横切るのが写った。

 実体が無いかのような不定形の影は、敵兵の間を泳ぐように潜り抜けていく。

 その影に触れた瞬間、敵兵の体は切り裂かれ、鮮血を撒き散らして倒れ伏す。


「何なの……? アレ……」


 いぶかしむ曹洪だが、彼の眼を持ってしてもその実像を捉えることは出来ない。

 その間にも、黒い影は董卓軍の被害を拡げていく。

 あの影が何者であれ、こちらに害をなす気は無いようだ。

 ならば、今は董卓軍の撃滅に専念するまで。

 鞭を振るう度、軍もまたその延長線上にあるかのように動き、董卓軍を引き裂く。

 そのうち、謎の黒い影は曹洪の視界から消えていった。





「ぬぅぅぅん!!」

 

 董卓の巨腕が唸りをあげる。

 夏侯淵は素早く飛びはね、致死の一撃を避ける。

 拳が大地へと突き刺さり、岩盤を砕く。


 董卓の地を裂き、海を割る剛拳は、例え避けたとしても風圧や飛び散る礫片が凶器となって襲い掛かる。

 その勢いたるや、並みの兵士なら掠っただけで命を落とすほどだ。

 

 だが、夏侯淵には全く飛礫が当たらない。まるで、予め安全な場所を見切って避けたかのようだ。

 別方向から仕掛けている夏侯惇も、最小限の動作で飛礫を捌いている。

 曹仁に至っては、瓦礫がぶつかっても意に介さず突進する。


 空中で巧みに体勢を取り、六発矢を射る夏侯淵。

 董卓は掌を翳して矢を掴み取るが……その隙を夏侯惇、曹仁が突く。


「シャァァァァァッ!!」

「がぁらぁぁぁぁぁっ!!」


 曹仁の斧を身を逸らせてかわし、夏侯惇の大鎌を右肩で受ける。

 血が吹き出る前に、即座に肩に力を入れ、筋肉を膨張させて傷を修復する……

 だが、間髪入れずに夏侯淵の第二射が襲い掛かる。


「ぬん!!」


 右腕の筋肉に力を込める。

 瞬間、董卓の腕は鋼鉄よりも硬くなり、夏侯淵の矢を弾く盾となる。

 矢は皮膚を少し抉った程度で、全て弾き返される。


 今度は曹仁が大斧を振り下ろしてきた。

 こればかりは防御して止めるわけにはいかない。

 多少の傷ならば、受けてもすぐに修復できるが……曹仁だけは例外だ。

 この男の怪力は、自分に匹敵するものがある。

 動きは鈍重に加え、大斧を用いた振り下ろしは隙だらけだが、その分一撃必殺の威力を誇っている。

 董卓とて、まともに受けて只では済まされない。自己修復できる限界を越えてしまう。

 夏侯兄弟の迅速な攻めに、一撃の重みを持つ曹仁が加わったことで、攻撃の幅は一気に広がった。


 

 夏侯惇、夏侯淵、曹仁。


 三人の将軍の猛攻に、董卓は防戦一方となっていた。

 単に曹仁が加わったからか……否、違う。

 この苦戦は、単に数の不利によるものではない。


 彼ら三人の動きは、全てにおいて機能的だった。

 一人の行動が敵の隙を生み出し、他の二人が攻撃を仕掛ける。

 それは同時に、自分達の隙をも完全に殺している。

 攻撃する際の位置取りから、仕掛ける機会まで何もかもが完璧だった。

 

 この連携を生み出したのが誰なのかは、最初からわかっている。


 曹孟徳だ。

 

 曹操は、やや離れた位置から剣を翳し、それを振ることで三人に指示を送っている。

 彼の瞳は、董卓の攻撃の隙を全て見透かしている。

 三将軍は、指示を見、あるいは風を切る音を聞いて、曹操の指揮に従っている。

 恐らく、彼らにしか理解できない方程式があるのだろう。


 三人は、いつ死が訪れるやも知れぬ戦場にあっても冷静さを保ち、曹孟徳の采配を完璧に実行していた。

 一体どれほどの修練を積めば、可能となる芸当なのか。


 これは、幼い頃より苦楽を共にし、お互いに通じ合っている曹操と四天王だからこそ成せる業だった。


 董卓をも追い詰める巧みな連携は、全て曹操の指示によるものだ。

 それぞれ異なる個性を持つ三人の長所を、最大限に引き出した上で纏め上げている。

 類稀なる用兵……否、“用将”の才というべきか。


 だが、ならば曹操を狙えばよい……と、簡単に片付く話では無い。

 もしも董卓が曹操に向かって進めば、その隙を三人は同時に突いてくるだろう。

 曹操はその事も計算しているのだ。

 自分の身を戦場に晒すことで、囮としている。

 それが分かっている以上、誘いに乗るわけには行かない。


「ぐ…………」


 再び、夏侯惇の大鎌が胸板を切り裂いた。続けて、傷口へと突き刺さる数本の矢。

 怒涛の連続攻撃は、既に董卓を傷だらけにしていた。

 どれも致命傷では無い。時を置けばすぐに自然治癒してしまえる程度だ。

 それでも、劣勢なのは否めない。

 最も怖れることは、傷を負って動きが鈍ったところに、曹仁の一撃を叩き込まれることだ。


 もはや認めざるを得ないだろう……自分が追い込まれていることを。


 かくなる上は……

 

「我は董卓!!」


 一声叫んで、両腕を大きく広げる。

 口をすぼめて、強く息を吸い込んでいる。

 その隙を逃さず、三将軍は一斉に仕掛けるが……


 董卓は真紅の眼を見開き、咆哮する。



「森羅万象、ことごとく絶滅させる者なり!!」



「それがてめぇの遺言だぁ―――っ!!」

「ぐぉらぁぁぁぁぁぁっ!!」


 とどめを刺そうと同時に仕掛ける夏侯惇と曹仁。

 だが……


「惇、淵、仁、退け!」


 曹操の指示が耳に響く。考えるより先に、身体がその命令に従って動く。

 次の瞬間……



ァァァァァァァァァァッ!!」


 

 董卓の全身から、赤い波動が放射された。

 それは、見えるだけの闘気オーラではなく、物理的な圧力を持って押し寄せる。

 董卓に接近していた三将軍は、纏めて弾き飛ばされる。

 彼の周囲にあったものは、砂塵も岩片も纏めて吹き飛ばされた。


 曹操の指示のお陰で、三人は昏倒だけは免れた。

 武器を支えにして体勢を立て直し、董卓を見る。

 

 今の董卓は、先ほどまでとは大きく変貌していた。


 全身から炎のように吹き出る赤き闘気オーラ

 沸き立つ溶岩のように膨れ上がる筋肉。

 禍々しい輝きを放ち続ける真紅の眼。


 夏侯淵は、素早く矢を射掛ける。

 しかし、董卓は一言も発さず、ただ身体から発する闘気の勢いを強める。

 それだけで、矢は董卓に届くことなく、闘気に押されて勢いを失い、地面へと落下した。


「飛び道具か……」


 短く呟くと、真紅の闘気が、董卓の掌に集まる。

 やがてそれは赤く輝く球体となる。


「ふん……」


 掌から発射される真紅の光球。

 曹操目掛けて直進するそれを、曹仁は斧を翳して受け止める。


「ぐううううう!!」


 光球は爆発を起こし、曹仁の巨躯を大きくのけぞらせた。


「シャァラァァァァァッ!!」


 大鎌を振るって、董卓の脇腹に刃を打ち込む夏侯惇。

 彼が狙ったのは水月……どんな屈強な肉体を持つ人間とて、致命傷は避けられない急所だ。


 それでも……


「無駄だ……」


 夏侯惇の鎌は董卓の皮膚を貫くことなく、鋼の壁に当たったように止まっていた。

 唸る剛拳。惇は自ら後ろに飛び、直撃だけは免れる。

 風圧と闘気によって吹き飛ばされたのは、追撃を受けないという点では幸運と見るべきか。

 


「ふん、それがタオという奴か」


 曹操は、董卓から溢れる真紅の闘気を見てそう呟く。


 タオ


 一部の仙人や道士のみが身につけている、人智を越えた神秘の力。

 特殊な呼吸法で丹田に力を集め、全身の気を練ることでその力を外へ具現化する。

 それを駆使すれば、闘気に物理的圧力を持たせたり、肉体をさらに強化することも可能となる。


 多くの術や幻獣と同様、その存在は伝説視されていたが……董卓がその使い手だったとは。

 清廉な仙人と、暴虐の化身である董卓とは全く似通っていないが、こうもあからさまに“力”を見せ付けられては、信じざるを得ない。


 董卓は修行や勉学の結果、タオを得たのでは無い。全ては生まれ持って授かった力だ。

 彼は、突然変異種というべき存在で、運命と遺伝子の悪戯の結果、限りなく仙人に近い肉体を持って誕生した。

 人間でも武将でも仙人でもない。あえて種族名をつけるならば、“亜仙人あせんにん”とでもなるのだろうか。

 彼は規格外の筋力を持つだけでなく、能力においてもまさしく人外の魔王だったのだ。


 天は董卓に二物を与えた――


 一つは仙人に匹敵する膨大なタオ

 これだけならば、あるいは本物の仙人として、人々の信仰と尊敬の対象に成り得たかもしれない。

 だが、同時に天は董卓にもう一つの供物を捧げた。

 殺戮と暴虐を行わずにはいられない、最悪の人格を……


 この二つを授かった瞬間、董仲穎は最強最悪の暴君となる道を決定付けられていたのだ。



「うぬらの希望の灯は今吹き消した……

 絶望せよ。無力なる者達よ」


 

 あえて今迄力を温存していたのは、董卓独自の思想のためだ。

 希望に浸らせた上で、それを破壊すれば、人はより深き絶望へと突き落とされる。

 その絶望こそ、董卓が何よりも望むものだ。


 事実、夏侯淵らの顔は蒼ざめている。

 ようやく追い詰めたと思った直後……さらなる強大な力を見せ付けられたのだ。

 夏侯兄弟は、既に少なからず負傷している。全力で戦える時間も、もうあまり残されてはいない。


 彼らはこの瞬間、初めて怖れを抱いた。

 だがそれは、死への恐怖では無い。

 彼らが怖れるのは、自分達の命よりも、曹操を守りきれないかもしれないことだった。


 四天王は、皆自分達を曹操の駒として割り切っている。

 将軍の肩書きがあろうと、自分達は一般兵と同じく、曹孟徳に率いられて動く駒でしかない。

 彼らはそれを受け入れ、駒として戦う事に最高の生き甲斐を感じている。

 だからこそ曹操の下についているのだ。


 主君の命は、何よりも優先すべきこと。

 曹孟徳を守る為ならば、命を捨てる覚悟などとうに決めている。


 いざとなれば、捨て身の特攻をかけてでも曹操の退路を開くつもりだ。

 自分達の命で曹操が助かるなら、安いものだ。


 問題なのは、目の前の相手がそれすらも許してくれるか分からないことだった。



「は、ははははは! 全く、驚かせてくれるのう!」


 曹操は、闘気に覆われた董卓を見て、子供のような笑い声をあげる。

 こんな時に何を……と思う者もいるだろうが、臣下達にとっては、いつもの曹孟徳どおりの反応だ。


 だが、それでも彼らの諦念を払拭するには足らない。

 それだけ、今の董卓の力は超絶的だ。

 もはや、人の手ではどうする事もできないだろう。

 如何に曹操といえど、この窮地を打開する策があるのだろうか。


 そんな部下達の思いを知ってか知らずか……

 曹操は余裕の笑みを浮かべたまま、馬を前に進ませる。

 押し寄せる闘気の風など、まるで意に介する様子が無い。


「されど…… 余にとっては必要の無いモノだ」


 神秘の力を目の当たりにしても、相手が董卓さいあくである以上、曹操にとっては不要でしかない。

 彼が対象が何であろうが、仙人だろうが幻獣だろうが神だろうが……あくまで己の尺度にのみ従って計るのだろう。


 曹操は、倚天の剣を取り出す。


 まさか、董卓に自ら挑むつもりなのか。

 だとしたら、自殺行為以外の何者でもない。

 あの曹孟徳ですら勝負を投げた……四天王の絶望感はより深まる。


「まだ不遜な口を叩くか……」


 再び、掌に闘気を凝縮させる。

 これもまた、我流で修得した術。

 先程より一回り大きな光球が、董卓の掌に生じる。


「もうよい……消えよ――」


 短い処刑宣告と共に、掌から赤い魔弾が撃ち出される。


 触れたもの全てを破壊する真紅の太陽が、曹操に迫る。


「孟徳!!」

「孟徳様!!」


 夏侯兄弟が同時に叫ぶ。

 三人は直ちに、曹操の盾になろうと身を動かすが……


 曹操の琥珀色の瞳が、彼らを一瞥した。


 ただそれだけで……

 彼らの焦燥と絶望は、瞬く間に払拭された。


 言葉よりも、行動よりも、その瞳を見るだけで彼らには伝わった。

 曹孟徳の生きる意志を。彼は決して、諦めたわけではない事を――――





 倚天の剣を前方に伸ばした腕に沿って掲げる。

 赤い光球が、その先端に突き刺さる。

 真紅の光は剣もろとも曹操を飲み込み、肉体を消滅させる…………はずだった。



 董卓は目を見開く。

 光球は曹操を飲み込むことなく、剣の切っ先で押し留められている。

 いや、ただ止まっているのではない。

 その大きさが、徐々に縮んでいっている。

 よく見ると、光球から光が漏れ出て剣に纏わり突いているのがわかる。

 それと同時に、倚天の剣の薄紅色の刀身が、真っ赤に染まっていく。


 光球を形成している気が、倚天の剣に吸い込まれていっているのだ。 


「うぬ……その剣は……」

「余の祖父が、とある仙人に授かった曹家の家宝よ。

 何でもこの剣には、そなたらのタオや術の力を吸収してしまう効果があるそうだ」


 タオを吸い取る剣。

 曹操の余裕はこの為だったのだ。

 やはり、曹孟徳は確たる策もなく、太平楽を気取る男ではなかった。


 やがて、光球は瞬く間に気を吸い尽くされ、消滅してしまう。

 そして……吸収されていくのは、光球だけでは無い。


「ぬ…………」


 董卓の全身から発せられる闘気もまた、曹操が天に向けて掲げた倚天の剣によって吸い取られていく。

 気が吸われるのと同時に、全身から力が抜けていくのがわかる。


 

「言ったはずだ。この曹孟徳が往くは、人の道だと」


 刀身が真っ赤に染まった倚天の天を掲げる。

 吸収した気の光は、やがて刀身から伸びた光の刃と化す。


 タオを失ったまま、突進する董卓。

 だが、その進撃も、夏侯淵の矢が足止めする。


 曹操は倚天の剣を両手で構え、董卓へ微笑みかける。



「故に、余には人間以上の力など要らぬ。

 余が求めるは、全ての者が、人の可能性を究める世界よ……!」



 最大限の膨張した倚天の剣を、董卓目掛けて振り下ろす。

 真紅の光の刃は、董卓の鋼鉄の肉体を切り裂き、その身に深々と裂傷を刻んだ。


 

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