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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第四章 燃える洛陽(三)

 的廬に二人乗りした劉備と張飛は、赤兎馬の下を離れつつ、大きく周回して自陣に戻ろうとしていた。

 彼らは、一人で呂布と戦っている関羽へ思いを馳せる。


「なぁ兄貴、雲長兄貴、大丈夫かな?」

「そうだな……適当なところで切り上げて逃げてくれればいいんだが」


 しかし、関羽の性格上、一対一の戦いを放り出して途中で逃げる事は考えにくかった。


「仕方ねぇな……一旦戻るしか…………」


 その時だった。劉備の背中を、射抜くような悪寒が通り抜けた。

 流れ矢が背中に突き刺さったのかと錯覚するほどだ。

 背後から殺気をひしひしと感じる。恐る恐る後ろを振り向くと……


「あ〜あ……」


 地平線の彼方に見えるのは……

 猛然とこちらを追ってくる、赤兎馬の影だった。


「あ、あのクソ馬! まだ生きてやがったのか!?」

「信じらんねぇ生命力だなおい……」


 驚き半分、怖れ半分ながらも、劉備は的廬をさらに加速させる。

 

 赤兎馬の赤い皮膚の下には、分厚い筋肉が何重もの層になって織り重なっている。

 過剰なまでの筋肉増強剤の投与や、強靱な筋肉を有する幻獣の細胞を移植したことによるものだ。

 その体積たるや、小さな城塞に匹敵する。

 本来ならば、赤兎馬は今の数十倍の大きさになっているはずだ。

 あまりの大きさ故自重でまともに動くこともできず、馬の形状を保つことさえ出来ないだろう。

 今の赤兎馬は、陳宮の生体改造手術によって筋肉を極限まで凝縮されており、現在の大きさを保っている。

 これは、陳宮にとっても奇跡的な産物であり、実験体となった数え切れない馬の中で、唯一改造に耐えられたのが赤兎馬なのである。


 赤兎馬の肉体は、銃弾を受けたとしても幾重もの筋肉の層が衝撃を緩和し、内臓まで届くことなく押しとどめてしまう。

 故に赤兎馬相手には、銃器による射撃は殆ど役に立たない。

 だが、さすがに至近距離での六連射は効いた様だ。

 穿たれた銃創からは、今も血が流れ続けている。

 

 赤兎馬とて万全では無い。身体には鎖の痕が痛々しく残り、流れる血が身体をさらに赤く染める。

 それでも走りを止めないのは、脳内に湧き上がる戦闘衝動が痛みを凌駕しているからだ。

 闘争本能があらゆる神経を塗り潰し、痛みを麻痺させていた。



 さすがに、以前のような神速の走りは出来ないようだ。

 それでも、文字通り馬力が違うのか、的廬も大きく消耗している為か、距離は徐々に詰められていく。

 このままでは、いずれ追いつかれるのは時間の問題である。


「だぁぁぁ! しつこすぎんぜあいつぁ!」

「どーすんだよ兄貴!!」


 空間転移は後一回だけ使えるが、それでも多少寿命を延ばす程度の効果しか期待できないだろう。

 打つ手なし……死の影が、唸り声を上げて迫ってくる。


 その時、更なる轟音が、前方から聞こえてきた。


「! 兄貴!」

 

 前を指差す張飛。見ると、砂塵を巻き上げて、騎馬の一団が前方からやってくるのが見える。

 旗や鎧から判断するに、董卓軍の別働隊のようだ。

 これが連合軍を包囲する為に出撃した部隊であることを、劉備達は知る由も無い。


「畜生! こんな時に!」


 前門の董卓軍、後門の赤兎馬。

 どちらに呑み込まれたとしても、死あるのみだ。


 そんな中……劉玄徳の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。



「益徳…… ようやく俺達にもツキが回ってきたようだぜ!」

「ツキだぁ!? この状況をどう判断したらそういうことになんだよ!!」


 むしろ“運の尽き”の間違いでは無いのか。

 張飛は劉備の余裕が理解できなかった。


「いいや! 俺ぁ今日ほどお天道様を感謝したことは無いね!

 やっぱ、俺って本当に天に昇っちまう星の下に生まれついたのかねぇ!」


 余裕を通り越して有頂天になっている劉備を見ても、張飛の困惑は深まるばかりだった。


 そうしている間にも、董卓の羅刹の軍勢は、眼と鼻の先まで迫っている。

 近づく者は、自軍以外全て攻め滅ぼすよう刷り込まれた董卓の兵士達は、武器を構えて劉備達を挽き肉にしようと構えている。

 その刃が、まさに的廬の脳天を貫かんとする寸前に……


「的廬!」


 劉備の念を受けた的廬は、瞬時にその身体を光の粒子へと変える。

 騎乗する劉備と張飛もろとも、空間の歪みの中に消えて行く。



 その直後、的廬が転移したのは、董卓軍の真後ろだった。

 だが、進撃する董卓軍が目にしたのは……殺意を漲らせて突っ込んでくる赤兎馬だった。


「グロロオオオオォォォォォン!!」


 赤兎馬に、敵味方を識別する思考など無い。

 彼らが放つ敵意を自分に向けられたものと認識したのか、それとも単なる本能故か。

 赤兎馬は一切速度を緩めず、董卓軍と激突する。

 触れた兵士を弾き飛ばし、鋭利な牙と爪で肉を引き裂く。

 だが、それによって赤兎馬の速度は多いに鈍る。血肉の底無し沼に嵌まったようなものだ。


 何が起こったかわからぬまま、赤兎馬の餌食にされる董卓軍。

 肉や骨が潰れる音が断続的に響くのを聞きながら、劉備らは全力でその場から離れていった。


「はははは! ざまぁみろってんだ!」

 

 同士討ちする董卓軍と赤兎馬を見ながら、快哉の声を上げる劉備。


「たく、凄いんだがセコいんだが……」

「人聞きの悪いこと言ってんじゃねーよ! 助かったなら全てよし、だ!」


 再び高笑いする劉備。だが、その笑いは長くは続かなかった。



「へ!?」


 地平線の先に舞い上がる砂塵……

 果たして、先ほどとは別の董卓軍がこちらに迫って来ていた。


「ちょぉぉぉ待てよおぉぉぉぉぉい!!」


 その顔から歓喜は完全に消えうせ、絶望的な表情が貼り付いていた。

 的廬の額の宝石はすっかり黒く染まっている。

 今日一日は、二度と空間転移は使えない。


「何が天の星の下、だ! やっぱお前ついてねーよ!!」

「ええい! 舐めるなよ! 逃げ続けて十余年!

 この劉玄徳の手綱さばきの妙、見せ付けてやろうじゃねぇか!!」

「かぁっこ悪ぃ……」

「るせぇ! 益徳! てめぇもちゃんと働けよ!!」


 劉備が何とか敵の群れを縫って進み、避け切れなかった敵は張飛が素手で倒す分担だ。

 限りなく無茶なのは自分達でも内心分かっていたが、勿論口には出さない。


「わーってんよ! 兄貴こそ下手打って落馬すんなよ!」

「安心しろ! 何たって俺のツキと来たら……」

「そのツキが信用できねぇんだろうがぁぁぁぁぁ!!」


 馬上で騒ぐ二人は、この後董卓軍を相手に生と死の境を百八回ほど味わうことになるのであった。





 見積もりが甘かった――


 十数回打ち合ったところで、関羽は確信の念を強めた。

 

 呂布と赤兎馬……彼らは人馬で武将二体分の力を発揮する。

 故に馬から降りれば戦闘力は半減するはず……

 これまでは、自分と益徳の二人で抑えられていた。

 ならば、呂布一人ならば互角に立ち会えるはずだ。


 そんな気休めを僅かでも抱いたことを、関羽は猛烈に後悔していた。


「ヒャハハハハハハハ――――――ッ!!!」


 虎牢関の前で、狂える笑い声が響き渡る。

 方天画戟を振るい、旋回しながら攻撃を仕掛ける呂布はまさに赤い竜巻だ。

 現れては消え、消えては現れる。全方位から迫り来る戟の乱舞は、到底肉眼では追いつけない。

 剥き出しの殺気に反応して何とか捌いているが、完全に防戦一方になってしまっている。


 馬から降りた呂布は、先ほどまでとはまるで別個の武将と化していた。

 桁違いの剛力と規格外の武器に加え、肉眼では捉えきれないほどの俊敏な動き。

 天地縦横、あらゆる方向から必殺の一撃が襲ってくる。


 赤兎馬の加速は確かに驚異的だが、初期加速が速過ぎる分、小回りには適していなかった。

 だが己の身一つとなった呂布は、足首を巧みに動かすことでより細やかかつ機敏な動きを生み出していた。

 狂気に囚われながらもあの精密さ……完全に身体に染み付き、無意識下で行っている動作なのだろう。

 今の呂布は、赤兎馬に乗っていた時と何ら変わりない……

 いや、少数の敵を相手にするならば、それ以上の戦闘力になったと言ってもいいだろう。

 まさに今、自分は呂奉先の真の力を味わっているのだ。


「ぐ…………!」

 

 方天画戟の月牙が左肩を掠める。それだけで、左肩の肉がぜ、激痛が襲う。


「ヒャハハハハハハハ! こんなモンなのかぁ!? ああ!?」


 憤怒と歓喜、狂気と狂喜。

 あらゆる感情を混在させて、呂布は攻め続ける。


 関羽は必死で痛みを堪え、呂布の対応に専念する。

 この赤い暴嵐は、相手を屠り尽くすまで止まりはしない。

 僅かでも気を抜けば、たちまち肉塊へと変えられるだろう。

 

 それでも、呂布の猛攻は容赦なく関羽の身体を抉り、刻み、削って行く。

 飛び散る関羽の鮮血と、赤い方天画戟、返り血を被った呂布。

 それらが一体となって、彼ら二人のいる場所は赤い旋風に包み込まれる。


 痛みと共に、死神の足音が近づいてくる。

 精神は折れなくとも、肉体はそれに先んじて限界を迎える。

 戟の穂先が右肩を貫いた瞬間、関羽の身体は崩れ落ち、膝を突く。


「ヒャハハハハハハ!! もう終わりかぁ?

 まぁそこそこは楽しめたぜ! あぁばよっ!!」


 方天画戟を振り下ろす呂布。


「………………」


 この時関羽が抱いたのは、死への諦めか…………否。



「!!」


 呂布は、一瞬虚を突かれたような顔になる。

 方天画戟は関羽を真っ二つにしないまま、宙に持ち上がったまま止まっている。

 いや、弾かれたというべきか。


 考えるまでも無い、関羽が青龍刀を振るって打ち払ったのだ。

 だが、今の動きは……


 青龍偃月刀を持ち、立ち上がる関羽。

 満身創痍であるが、瞳の奥の闘志の炎は消えていない。



「おいてめぇ……今のは何だ? もっかい見せろや!!」

 

 そう叫ぶや否や、方天画戟を横薙ぎに振るう呂布。

 しかし、その一撃もまた、青龍偃月刀により防がれる。


 いや……防ぐだけでは無い。

 関羽は方天画戟の勢いを殺しつつ、青龍偃月刀を突き出す。

 その先端は、呂布の頬を掠め、皮膚を裂く。


 小指程度の長さしかない、ほんの僅かな切り傷……

 これが、この戦いで呂布が初めて血を流した瞬間だった。

 

 僅かな痛み……それを感じた瞬間、呂布の顔が歓喜に綻んだ。


「おいおい……何やってんだてめぇはよぉぉぉぉぉ!!」


 戟を振るい、神速の五連撃を放つ呂布。

 それらも全て、関羽の青龍刀に防がれ、反撃を許してしまう始末だ。

 この事実に、呂布は強く興味を惹かれずにはいられなかった。



 関羽自身にも理解できない。

 何ゆえ今呂布と五分に渡り合っているのか。

 

 だが、彼の本能は記憶していたのだ。

 赤い魔人との死闘を。超人的な動作の全てを。


 身体に刻んだ記憶は、命の危機に際して表出する。

 呂布の攻撃の一つ一つに対する僅かな隙……

 それを突いて、捌いた上で反撃する動作……

 頭で考えずとも、身体が勝手に実行する。

 日々の弛まぬ鍛錬で、武を全身に刻み付けた関羽だからこそ出来る芸当だった。


 傷だらけになりながら、関羽は己の武を進化させていた。

 僅かな間に蓄積した経験を、成長という形で昇華させた。

 自身も気づかぬまま、無意識の内に。



「は……っ!!」


 方天画戟の合間を縫って青龍偃月刀を突き出す。

 呂布の首筋を捉え、僅かな傷を負わせる。

 もう少し深く入っていれば、致命傷になり得る一撃だ。


 呂布は意に介した様子は無い。

 ますます、関羽に対する興味が強まって行く。

 


 この男は自分より弱い。それは間違いない。

 だが、今の関羽は、先ほどと違って自分の攻撃を凌ぎきっている。

 その不可解な現象に、呂布はようやく答えを見つけることができた。


「良くわかんねーが…… こういうコトか?


 てめぇはさっきより、強くなった――」


「………………」

 

 関羽は答えない。彼自身にも分かっていないのだから当然の事だ。

 元より質問するつもりは無かったのか、呂布は一人で確信を強める。


「ヒャハ…… ヒャハハハハハハハハ!!

 アヒャハハハハハハハハハハハハ!!!」


 哄笑する呂布。彼の顔は、新しい何かを発見した喜びに満ち満ちていた。


「そうかそうか! そうだったのか! こいつは大発見だ!!」


 次に放った言葉――

 それは、彼にとって一つの大きな分岐点となる事実だった。



「人間ってのは、強くなるもんなんだな!!」



 弱肉強食……


 弱い者は死に、強い者だけが生き残る。

 それが、自然界の掟であり、呂布にとっても唯一絶対の価値観であった。

 

 物心ついた時からずっと、呂布は敗北というものを知らなかった。

 目に付いた敵は、手傷すら負うことなく殺してきた。

 数少ない例外は、董卓や赤兎馬など自分と同じ規格外の化け物だけだ。


 弱い者は弱い。強い者は強い。

 その摂理は決して覆ることは無い。

 呂布はその事に大して全く疑問を抱くこと無く生きてきた。


 だが、その当然の理を覆しうる存在が、今目の前にいる。


 関雲長……彼は全身傷だらけにされながらも、弱るどころか更に強くなっている。

 人間は成長する……この事実は、ただ屠るだけの人生を送ってきた呂布にとって、これまでの価値観を破砕するに足るものであった。



「ヒャハハハハハハ!! ヒャハハハハハハハハ!!」


 嬉しくてたまらないといった様子で笑い続ける呂布。

 それでも決して隙が見えないため、関羽も攻撃は止め、武器を地に刺して体力を少しでも回復しようとする。


 呂布は方天画戟を肩に担ぐと、関羽に語りかける。


「いやぁ、お前最高だぜ……

 だが、このままやれば、どうせ俺が勝つだろう。

 てめぇは死んで終わりだ」


「………………」


 彼の言うことを、関羽は肯定せざるを得なかった。

 幾ら成長したとはいえ、これまでに受けた損傷が大きすぎる。

 流れた血は、確実に体力を奪っている。

 このまま凌ぎ続けても、いずれ体力が底を尽くだろう。

 それは即ち、関羽の敗北……死に直結する。


 だが、呂布は一際大きく声を張り上げてこう続けた。


「けどな! てめぇはもっともっと強くなる! 戦えば戦うほど強くなる!

 だったら! その強くなったてめぇと殺しあった方が、

 ずっとずっと楽しい殺し合いができるってことじゃねぇか!!」


 面食らったように目を見開く関羽。

 この男の言い分は、到底まともな将兵が口にする台詞ではない。

 それでも、呂布にとってはこの上なく楽しい提案だった。


 呂布は背を向けて、関羽の下から離れて行く。


「今日は仕舞いだ…… てめぇの命、預けておくぜ。

 次に殺しあう時まで、強くなっておけよ。

 俺様を満足させるぐらいにな!!」


 情けをかけられた関羽だが、去っていく呂布を見送る事しかできない。

 知らぬ内に、体力は限界をとうに越えていた。

 今では、立っているだけで精一杯なのだ。


 関羽とて武人……この出来事に、屈辱を感じないわけでは無い。

 だがこの時、関羽の脳裏に長兄の言葉が浮かんだ。


 生き延びれば、勝ち――――


 少なくとも、自分はまだ生きている。

 また呂布と戦って勝てるかどうかは分からない。

 それでも、生きている限り、未来に望みは繋いだ。


 あの男の言いなりになるのは癪だが、今は強くなるしかない。


 信念も大義も無く、ただ闘争と殺戮のみを求める男、呂布。

 彼の存在は、劉玄徳の道において必ずや障害となるだろう。


 自分が打ち倒さねばならない。

 あの男を凌駕するほどに強くならねばならない。


 それが、自分達の夢を実現することにも繋がるのだから……



 青龍偃月刀を強く握り締め、関羽は静かに闘志を新たにする。


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