第二十四章 赤壁の戦い(一)
――よお、オメェ、勝ちたくねぇか?
赤暗い空間で、二人の男が対峙している。
両者とも、腰まで伸びた長い髪の持ち主で、顔の造型は違うが、いずれも眉目秀麗と言ってよい顔立ちをしていた。
ただ、雰囲気は正反対で、一方は端正な顔を歪めて喋り散らしているのに対し、一方は口も表情も、沈黙を守り続けていた。
――何に、だって?
おいおい、んなこたぁわかりきってんだろうがよ。平和ボケした他の重臣ならいざ知らず、オメーならよぉ。
おっとおっと、こりゃ悪ぃ。答えるまでもねぇってことかそりゃそうだわなぁ。
今のオレを見ても、さして驚いた様子はねぇってことは、もう既にオレの正体に気付いてるみてぇだなぁ。
げびげれれれ! 重畳、重畳。そいつぁ話が早ぇ。
ああ、もしかして、オレの方から接触して来るのを待ってた……とか、って、そりゃあさすがに自意識過剰って奴かぁ! げびげらららごげば!!
ま、同じく孫仲謀に仕える者同士、仲良くやっていこうぜ。オレとオメーが組めば、曹操なんぞ敵じゃあねぇ。
あのクソガキが泣き喚いて命乞いする様を、二人で見下そうじゃあねぇか。げぐげぎょろろろろろろ!!!
おおっ、オレぁ今閃いたぜ!
周瑜、公瑾に、諸葛瑾、子瑜。“瑜”と“瑾”の字が被ってんじゃねぇか!
ぎへへへ!周瑾公瑜か、諸葛瑜子瑾ならまだよかったんだがよ。
こりゃあ、オレ達が一蓮托生、一心同体だって証じゃねぇか?
ぐげぎごがげべばばば!!
あーあ、いや、この場合は名と字が反対だから、光と影、陰と陽ってとこかぁ?
んだよ、その心底下らねーって言いたげな面は。
へいへい、お高くてお堅い大都督殿は、冗談がお気に召さぬよーで。
あん? 何だって?
代償は何なのか、だぁ?
げへ、げへへ、ま、それも当然だわなぁ。美味い話にゃ裏がある。ただより高いものはない。
何かを手に入れるにゃ、それ相応の何かと交換しなければならねぇ。所謂、世間の常識って奴だ。
だぁが、安心しな。今回に限っては、代価はいらねぇ。いや、既に貰っていると言うべきかな?
胡散臭いか? 信用できねぇか?
げぎょげれれれれれ!! どぉーでもいいじゃねーかんなこたぁ。
オレが怪しかろうがそうでなかろうが、どの道オメーにゃ選択肢はねーんだからよぉ。
オメーはオメーの都合でオレを利用する。オレはオレの都合でオメーを利用する。それで結構じゃねぇか。
それに、よ……
オメーはもうすでに、代価を払った後だろうが――
再び、黒髪の男はげらげらと笑う。黒髪の男は沈黙を守る。
二人の周囲には、生きた人間は誰もいない。
ただ、赤暗い空間に聳え立つ、巨大な蛇の尾をもつ虎の像だけが、二人の会話を見つめていた。
篝火が、夜の長江を照らす。
柴桑の津に並んだ孫呉の艦隊は、今出航の時を迎えていた。
旗艦の穂先に立ち、河を見渡す周瑜。湿った夜風が、長い黒髪を静かに揺らす。
会議で開戦が決まる前から、周瑜は出航の準備を終えていた。
まるで、孫権が開戦を決めると、確信していたかのように。
端正な顔に隠された内では、数多の情報と思索が渦巻いている。
気温、風速、天候、兵の士気、船の仕上がり……
戦にまつわるありとあらゆる情報を取り込み、必勝を期した軍略に細かな修正を加えていく。
出航をあえて“遅らせた”のにも、相応の理由がある。
孫呉の勝利のためには、あの時、あの場所で、曹操軍とぶつからなければならない。これは、そのための時間調整だ。
「うふ、うふふふふ、いよいよだねぇ。もうすぐだねぇ」
無論……足元で、薄気味悪い笑みを浮かべている兇獣……彼への監視も怠らない。
「中原の人達の臓物は、一体どんな色をしているんだろう?
ああ、愉しみだなぁ。ぞくぞくするよ。
早くみんなの腹を裂いて、血と臓物の雨を体中に浴びたいよ……!」
うっとりした表情で、これから始まる戦いに思いを馳せる甘寧。
黄祖を討ち取り、周瑜に降ってからずっと、彼は獄舎に繋がれていた。
甘興覇は、血に飢え殺戮に溺れる、真性の殺人鬼。人を殺すことなくして生きていけない怪物だ。
それが、何十日も殺人を抑制されればどうなるか……彼の殺戮衝動は、極限まで高まっていた。
口調だけは穏やかなままだが、その瞳は殺人への欲求で暗く濁っている。
導火線に火のついた、爆発寸前の炸裂弾だ。
元より敵味方の概念などなく、自分以外の総ては殺戮の対象でしかない。
今の彼は、目に映る生き物総てが、舌を濡らす血袋に見えている。
勿論、隣にいる周瑜も例外ではない。命を救って貰った恩義や忠誠など、彼には欠片も存在しない。
だからこそ、周瑜は彼の傍から離れないのだ。
今の甘寧を鎮めているのは、単純な力関係。周公瑾、この男は殺せない。
殺そうと思えば、相討ちを覚悟せねばならないだろう。
彼への忠誠の念などは一切無いが、それゆえに純粋に、一個の生物として、彼を見ることができる。
だから、分かる。この男は、自分以上のバケモノだ。
これだけ“外れて”いながら、何故人間社会に適合できているのか不思議でならない。
恐らく、相応の何かを捨てているのだろう。
彼の命は、烈しく燃え盛りながらも底無しに冷たく暗い。
その気味悪いどころではない在り方は、甘寧をして寒気を覚えるほどだ。
彼の実力は、一度肌で味わっている。その瞬間、彼には屈服せざるを得ないと感じた。
殺意が消えたわけではない。彼の殺人の狂気に例外はない。
だが、彼を殺そうと思えば、返り討ちに遭うか、よくて相討ちを覚悟せねばならないだろう。
それでは、駄目だ。
甘寧の望みは、少しでも長く生き続け、ずっと人を殺し続けること。
故に彼は、己の保身を第一に考える。
彼は殺人に関して異常に優れた技能を持っているが、それを誇ったり、過信したことは一度もない。 自分は無敵の超人ではなく、彼が標的とする獲物と同じ、人間でしかないことを、正確に認識している。
どんな人間も、必ず死ぬ。自ら実践して掴んだ真理を、自身に当て嵌めぬという法はない。
ここで周瑜に逆らって、孫呉を敵に回しても、待っているのは粛清のみ。
それでは、これから始まる至高の大戦を堪能できない。
己は孤高の王者ではなく、ただの卑しくか弱い殺人鬼でしかない。
この乱世で、末永く殺人を愉しむには、強大な軍の傘が必要なのだ。
甘寧は、己の身に余る巨大な殺人衝動を、冷徹な理性で押さえ込むことのできる男だった。
人間から外れた殺人鬼としての本性と、人間らしい理性が両立している。
狂人と賢者、陽陰を併せ持つ双頭の獣、甘興覇とはそういう男だ。
周瑜も、その本質を正しく理解している。
だからこそ、この兇獣に首輪を嵌め、兇刃に仕立てあげることができるのだ。
「………………」
凌統は、そんな甘寧に冷たい視線を送っている。
その表情は、能面のように変わらぬ形を保ち続けている。
「凌統……」
隣にいる太史慈は、今の彼に、危うさを感じずにはいられなかった。
「……太史慈様。私のことが不安ですか?」
そんな太史慈の心境を見通して、凌統は先んじて言葉を発した。
「私がまだ、甘寧への憎しみを捨て切れていないのではないか、と……」
「あ、ああ……」
甘寧は父の仇であり、かつての対決では、惨敗を喫している。更に、甘寧が孫呉に降ったことで、雪辱を晴らす機会は永遠に失われてしまった。
甘寧への憎しみは、自分の想像を絶するものであるはずだ。
凌統の仮面が、静かに崩れる。だがそれは、仇敵への憤怒の相ではなく、妖気を孕んだ微笑だった。
「……ええ、否定はしませんよ。私はあの男が憎い。あの男の在り方は、絶対に認められない。
いつか、決着をつけねばならないでしょう」
「お前……」
「かつての私には迷いがありました。公の大義と個の復讐……どちらを優先すべきか。そんなものは考えるまでもありません。
国家の大義に比せば、個人の感情など泡沫に等しい。
一顧だにする価値も無いでしょう。
ですが、かつての私はそれを認められなかった。
頭では、そうあらねばならぬと理解してても…復讐に逸る心を、捨て去ることができませんでした。
だから、負けた……などと、自惚れるつもりはありません。
私とあの男との間には、途方も無い差が開いている。それは事実です。
ですが、私があの時、大義と私情の狭間で揺れていたのもまた、事実。
甘寧は言いましたよ。お前は復讐を愉しんでいる、と。
ええ、今ならば認められますよ。
亡き父の無念を晴らすため、と言ったところで、所詮は己の内なる憎しみを発散し、悦楽を得るための浅ましい行為。
正義でも、鎮魂のためでもない。あの時の私は、ただ甘寧を殺したくてたまらなかった。そのためだけに、剣を振るっていたのですよ……!」
自嘲するように語る凌統。
「なら、もう復讐は……」
「いいえ。逆です。逆ですよ太史慈様。
何が私を強くしたのか……それは、あの男への復讐の一念です。
彼への憎しみが無ければ、私は今の領域まで上がれなかったでしょう。それもまた、事実です」
どれだけ言葉を繕ったところで、所詮戦いとは殺人行為。
そこに優劣が生じるとすれば、基本的な身体能力に加え、いかに人体の破壊に情熱を注げるか、に尽きるだろう。
その理屈に則るならば、甘寧は戦いにおいて極めて理想的な資質を有していると言える。
彼の頭の中には殺人しかない。言い換えれば、思考の総てを殺人行為に注ぎ込めるということだ。
憂いもなく、迷いもなく、心は暴狂の域に在りながらも、精神は氷のように冷徹そのもの。
冷静に敵手を観察し、弱点を見逃さず、完全破壊への最短経路を導き出す。
それこそが、甘興覇の強さの根源にあるもの。
凌統が、甘寧への憎悪ゆえ強くなったように、甘寧は、この世の総てに殺意を抱き、それを糧に人越魔境の暴威を手にした。
しかも、物心ついた時には既に己の本性を正しく理解し、肯定し、殺人行為への探究を初めていた。
殺人の経験において、二人には埋め難い程の差が開いている。
「ですが、私はあの時、自分の浅ましさを認められませんでした。
甘寧の言葉に揺れたのが、何よりの証拠です。
私は、復讐という愚劣なる行いを己の根幹に据えながらも、土壇場でそれに目を背けた。自分の復讐は正しいのだと、思い込もうとした。
……これでは、勝てるはずもありませんね。
復讐を志ながらも、一方では、その復讐から遠ざかっていた。
半端な気持ちに身を置いたままでは、復讐も、大義も、何も成すことはできない……」
凌統は、一息つき、こう続けた。
「私は、甘寧を殺します」
簡潔に、かつ絶対の意志を込めて、誓いを口にした。
「ああ、心配しないで下さい。何も戦いの最中、隙を突いて殺そう、などとは思っていませんよ。
私の望みは、父上がそうしたように、正面からあの男と立ち会い、討ち果たすこと。
他者の力を借りて、勝利を盗んだところで、何の意味がありましょう。
そして、今の私では、あの男には勝てない。例え不意を打ったとしても、ね……」
あの敗戦から学んだことだ。甘寧は、自らに向けられる殺意に対して、異常なまでの反射速度を誇る。
彼は狂っていながら、恐ろしく狡猾で、賢明だ。
故に、殺した者は殺されるという、人間世界の掟を知っている。
自分が他者に殺意を抱くのと同様に、他者も自分に殺意を抱いて当然と考えている。
彼は、本質的には誰も信用しておらず、故に気を許すことも、油断することもない。
常日頃から、他者に最大の殺意を向け、他者の殺意に対し、感覚の網を張り巡らせている。
甘寧にとって、殺人とは、脳髄を蕩かす甘い蜜。他者の殺意もまた、彼にとっては芳しき蜜の香りなのだ。
「私は、必ず殺します。ですから、負ける可能性がある内は、あの男とは戦いません。
臆病と思って下さって結構。ですが、私は必勝を誓っています。そのためならば、いかな恥辱にも耐えましょう」
誓いとは、何を置いてもそれだけは完遂する、絶対の意志の表明。
己の人生の総てをかけて、果たすべき目標。ならば、最も優先すべきは、過程ではなく結果。
求めるべきは、唯一勝利のみ。よくやった、頑張った、そんな慰めは要らない。それは所詮、敗北者の末路だ。
今の自分は、あの男の足元にも及ばない。戦ったところで、敗北は必至。
ならば、奴と立ち会うに相応しい力をつけるまで、ひたすら自己を研鑽し、待ち続ける。
自分は、復讐を諦めない。
死なない限りは、負けではないのだから。
「私の憎しみも、怒りも、総てあの男に注ぎます。そして、それ以外の総ては、孫呉の為に。
復讐と大義、どちらを取るかなどと考えるから、どちらも半端になる。
迷いが生まれ、弱くなる。
ああ、私はどちらも果たしてみせる。
曹操を討ち、乱世を静めた後……甘寧は必ずや、孫呉に害なす存在となる。
誰かが奴に引導を渡さなければならないのです。
私は、その為の力を手に入れる。私の復讐を糧として」
それは、復讐と大義の融合。復讐のために大義を利用し、大義のために復讐を利用する。本来矛盾する二つが、奇跡的に噛み合っている。
「そのためには、あの男には生きていて貰わなくては困ります。
今回の作戦を成功させるのに、あの男の力は必要不可欠。そして、私が復讐を果たすためにも……
もちろん、私自身も、死ぬわけにはいかない。私は彼と共に、孫呉のために戦い続けましょう。肩を並べて戦っていれば、見えてくるものもあるはず」
「………………」
太史慈はしばし言葉を失っていた。
凌統が語ってみせた復讐の論理。それは、彼自身が語ってみせた、“迷い”という弱点を完璧に補強するものだった。
国家のために私情を捨てる。口で言うのは易いが、完全に私情を捨て去れる人間などいはしない。
特に、怒りや憎しみといった負の感情は……
捨てたつもりでいても、そこには必ず迷いが生じ、いずれは本人も知らぬ足枷となる。
凌統の場合は、最も殺したい相手が味方の側にいるという矛盾。
それを解消するため、憎しみを捨てるのではなく、その逆……復讐心を、細く、長く、絞り込む道を選んだ。
己が復讐を肯定し、暴走させるのではなく、手綱を付け、制御する。
憎しみにより得た力を、孫呉のための戦に還元するのだ。
だがそれは、残りの人生総て、復讐の鬼として生きることであり……
(これもてめぇの仕込みかよ、周瑜……!)
彼が予想したように、凌統の変貌は、周瑜が誘導したものだった。
凌統の迷いを取り去り、より強力な戦士に仕立て上げる。
今の凌統は、周瑜の狙い通り、理性で動く復讐鬼と化していた。
太史慈は、何か言おうとして、言葉を飲み込む。
今、凌統は笑っている。
凌操が死んでから、彼から笑顔は失われた。
復讐を果たすため、己の甘さを捨て、一振りの冷たい刃になろうとした。
だから、凌統の笑顔を見るのは久しぶりのことになる。
だがそれは、復讐への愉悦から生まれる笑い。沸き上がる本性の情動に、恍惚している。
彼は気付いているのだろうか?
今の己の在り方が、殺戮に溺れる甘寧と同じだということに……
それを口に出そうとして……太史慈は唇を噛み締めるに留めた。
いかに凌統が人間らしさを捨て、鬼に成り果てようとも、その結果彼が強くなれば、それは孫呉の益となる。
それに……戦場は、殺人を是とする狂気の世界。
より強き者だけが生存を許される、蠱毒の壷。
太史慈の経験上……そうした場所で生き残るのは、何かに強い執着を持つ者だ。
そのためならば、何であろうと犠牲にできる、強い執着。それが、他者を殺す覚悟を生み、生き延びる活力を生み出すのだ。
極論を言えば、戦争に人間らしさなど必要ないのだ。
凌統に根付いた復讐という目標。
それは、これから始まる弩級の戦場を生き抜く支えとなるだろう。
自分は、凌統に生き残って欲しい。
凌操に続き、その息子まで失いたくはない。
そのためには、周瑜のやり方を受け入れるしかない……
(俺がそう考えることも、計算ずくか?)
もし孫策が生きていたら――
またも益体の無い仮定を思いついたところで、太史慈は気付く。
(チッ、人のこと気にしてる場合かよ)
今、自分は迷っている。周瑜のやり方が、本当に正しいのか。
理屈で自分を納得させても、心の底では、認められない自分がいる。
凌統も言っていたではないか。迷いは死を招く、と。
これから、絶対に負けられぬ戦が始まる。
だというのに、こんな危うい精神状態では、討ち死にしに行くようなものだ。
太史慈は、燃え尽きた煙草を、江へと放った。
彼は、凌統よりも遥かに場数を踏み、戦争の何たるかを知っている。
凌統のように、自分に都合のいい理屈を考えずとも、頭を戦に相応しい状態に持っていける。
今の一瞬で、戦に不要な迷いを総て封じ込めてしまった。
鳶色の瞳には、戦意の火が点っている。
「……総ては、この戦に勝ってからだ。勝つぜ、凌統」
「はい!! 総ては、我ら孫呉のために!」
そして……復讐のために。
「周瑜様……そろそろ……」
「ああ……」
呂蒙に言われ、周瑜は一歩前に踏み出す。
周囲の船に乗る武将達の視線が、その身に注がれる。
周瑜は彼らに対し、緩やかに、されど、厳かに語りだす。
「八年……我が君主であり、我が盟友であった、先代・孫伯符が非業の死を遂げて八年だ。
孫呉が今日の発展を遂げたのは、偏に英明なる我らが君主、孫権様と、諸君ら忠臣の尽力の賜物である。
先代の死で曇りかけた孫呉の光を、絶やすどころか更に燦然と輝かせた諸君の不断の努力に、私は畏敬の念を禁じ得ない」
彼の言葉を聞く将達は、誰もが同じことを考えているだろう。
それは貴方のことだと。
親友の死を乗り越え、破格の才とそれに驕らぬ努力で、孫呉を牽引してきたのは、あの男だ。
彼は、明日の見えぬ孫呉に希望の光を点し、先頭に立って駆け抜けてきた。
自分達は、それに導かれて、付いて行ったに過ぎない。
「長い苦闘の日々を経て、私は確信した。
孫呉の民を結ぶ熱き絆。それこそが、我らの誇るべき宝である、と。
その絆で打ち立てた孫呉の地は、何者にも侵すベからざる尊きものなのだ。
だが今、驕り高ぶった逆徒が、我らが築き上げた孫呉を、横から掠め取ろうとしている。
諸君、それが許せるか」
答えは、聞くまでも無かった。
声は上がらずとも、大気を震わすような怒気が、肌に伝わって来る。
この地を治めるに相応しいのは、孫家の血統。
自分達が信じ、忠誠を捧げるに値する、唯一無二の我らが君主。
既にこの地は分かたれた一つの天下。例え覇王であろうと、漢王朝であろうと、その天下を奪うことは許されない。
曹操、許すまじ。曹操、討つべし。
皆の闘志を肌で感じ、周瑜は深く頷く。
「曹操が許せぬか。ならば剣を取れ。我らが君主も、曹操に牙を突き立てる覚悟を決められた。
孫権様が、苦渋の果てに下された決断を、過ちにしてはならぬ。
そのためには、勝利あるのみだ。
全身全霊にて侵略者を討ち、我らが天下を勝ち取るのだ!
命を燃やせ、死力を尽くせ。
さすればこの周瑜、確実なる勝利を、諸君に約束しよう」
周瑜は、孫呉の将兵総ての期待と信頼を背負ってここに立っている。
その点においては、今までと何も変わらない。
彼らは皆、周瑜の孫呉への忠誠を、その破格の才能を信じている。
周瑜の立てた完璧な軍略に乗り、各々の役割を全力で果たす。そうすることで自分達は勝利を得られる。
彼らを支えているのは、誇りや絆だけでなく、周瑜という男への絶対的な信頼だった。
船上の闘気が、更に高まる。やはり、答えは必要無かった。
決断も信任も、既に通り過ぎた場所。後はただ、迫る弩級の戦場に、持てる総てをぶつけるのみ。
周瑜は剣を抜き、進むべき航路を指し示す。
「ならばいざ行かん! 我らが戦場へ! 我らが勝利へ! 我らが天下へ!! 全艦、出撃せよ!!」
周瑜の号令と共に錨が引き揚げられ、十万の兵を乗せた孫呉の艦隊が、ついに発進する。