表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国羅将伝  作者: 藍三郎
171/178

間章 曹操の一族(一)


 渾元暦208年。


 漢帝国首都、ぎょう


 曹操軍が、南征のためこの都を経ってから、一ヶ月が経とうとしていた。

 かつて袁一族が築き上げたこの都は、今では曹一族の天下の中心となっている。

 整備された近代的な街並みには、多くの民が住まい、街は活気と笑顔に溢れている。


 宦官の腐敗と董卓の暴政に蹂躙され、民が貧困に喘いでいた時代。誰もが絶望し、漢王朝の終焉を確信していた。

 だが、今の業の隆盛ぶりは、かつての漢朝の全盛期に勝るとも劣らない。

 失われたはずの輝きが、この都には蘇りつつある。


 今まさに始まらんとする、南の地の戦火など、遥か遠い国の出来事であるかのように、民草は平和を謳歌していた。



 だが……いくら天下の趨勢が曹操に傾こうと、今は紛れも無き乱世である。

 平穏に見える業の都にも、確かに争いは存在していた。決して表に出ることの無い、闇の闘争が。


「さぁ吐け! 誰の手の者だ? 孫呉か、それとも涼州の馬一族か!?」


 ほの暗い地下室で、官吏達の怒声が飛ぶ。

 彼らの視線の先には、薄汚れた半裸の男が、首枷、手枷、足枷を嵌められ、鎖で壁に繋がれていた。


「他の仲間はいるのか? ならば集合場所は何処だ!」


 手にした鞭が唸り、虜囚の躯に食い込む。銃を撃った時のような、空気が破裂する音が、室内に響き渡る。


「――――――――!!!?」


 虜囚は、言葉にならない絶叫を上げる。

 鉄の鞭には、棘がびっしりと備わっており、肉に食い込んだ際、最大の苦痛を与えるよう作られている。

 更に、鞭には強酸性の薬品が塗られており、傷口から侵入して痛みを倍化する。


「さぁ吐け!」


 声を荒げながらも、男の眼に怒りの色はない。

 周囲の男達も同様だ。彼らは、凍てつくような冷たい眼で、虜囚の男を見下ろしている。


 彼らはある特殊な役職に就いている。

 拷問吏ごうもんり。拷問の専門家で、決して陽の当たることのない、闇の執行者たち。

 彼らは対象を拷問にかけるに辺り、怒りや憎しみ、喜びや可笑しさ、悲しみや憐れみといった感情を、一切排除している。

 拷問の目的は、対象を極限の状況に追い込み、秘した情報を吐かせること。

 痛め付けるのは過程に過ぎず、それに耽溺するようでは二流の拷問官だ。

 殺してしまうのは論外、少しでも長く、感情が麻痺してしまわない苦痛を与え続けるには、人体に対する深い理解と、卓越した拷問の技術が求められる。

 その店においては、医師や鍛冶師と何も変わらない。彼らは肉体を破壊し、精神を摩滅する職人なのだ。


 室内には、大小、用途も様々な拷問器具が、所狭しと置かれている。

 ここは、彼らの“職場”。人知れず造られた拷問部屋なのだ。


 地下であるにも関わらず、室内は異様な熱気に包まれていた。

 部屋の左隅に置かれた炉が、赤々と燃えていたからだ。

 拷問吏の一人が、炉から赤く熱された器具を取り出す。先端が湾曲した鋏状のそれは、人体を挟み潰すためのものだ。

 拷問吏は、鉄鋏を虜囚の左手へと近付ける。

 その親指に狙いを定めると、両の歯でその指を挟み込んだ。

 再び絶叫。肉が焦げる臭いが、室内に立ち込める。

 一気に挟み潰すのではなく、少しずつ力を込め、ゆっくり時間をかけて焼き潰そうとする。

 やがて、彼の右の親指は、炭化し、付け根から切断された。親指のみならず、左手の全ての指は同様に断たれている。

 左手の指は健在だが、裏を返せば後五回は、同じ苦しみを味わわねばならぬということだ。

 脚の方の指は、既に十本全て釘で穿たれている。

 虜囚の体は傷だらけで、他にもありとあらゆる拷問を受けて来たのが分かる。

 顔は憔悴し切っており、その瞳には生気がない。

 しかし、決して意志が挫けたわけではない。彼は死ぬまで、己が何者かを守り通す覚悟を決めていた。


 拷問吏達も、彼が口を割るまで、拷問を止めるつもりはない。次なる刑具に手を伸ばし……


 絶叫が、再び室内に響き渡った。




 拷問部屋の片隅には、煉瓦れんが大の穴が開けられている。

 この穴は、隣の部屋に通じており、拷問部屋の様子を覗き見することができた。


「ふん」


 隣部屋にいる男は、至極詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

 彼は椅子に腰掛け、残酷な拷問の光景を視線を注いでいる。

 興奮するでもなく、恐懼きょうくするでもなく、何の感情も帯びぬ自然な表情のままで、片時も目を逸らさず凝視している。



 長い黒髪を中央で分け、簡素な白い上着に、黒い脚半を穿いている。

 歳の頃は約二十。やや小柄で、細めの体を持つ、どこにでもいそうな平凡な青年だった。

 だが、彼の周囲には、帯剣した屈強な兵士達が数名、守りを固めている。


 彼の正体を思えば、このぐらいの警護は当然と言えよう。

 平民と変わらぬ姿をした彼こそは、現在、この業における最重要人物なのだから。

 それこそ、形骸化した天子を上回るほどの……



 彼の名は曹丕そうひ、字は子桓しかん

 漢帝国丞相、曹操の嫡男であり、その絶大なる権力の全てを受け継ぐと見做されている男だ。

 父親譲りの琥珀色の瞳が爛々と輝き、凄惨な拷問の光景を映し出す。


「退屈ですか? 殿下……」


 護衛の中で、唯一文官風の男が、曹丕に声をかける。

 銀髪をおかっぱにし、緑色の軍服を着た青年だ。爬虫類を思わせる顔立ちには、酷薄な笑みが浮かんでいる。

 文官ではあるが、拷問吏らと同じく、その立ち振る舞いには一部の隙もなかった。


 彼の名は劉曄りゅうよう、字は子揚しよう

 曹操の腹心の配下で、漢朝の諜報を司っている男だ。

 あの拷問吏達を束ねる立場にあり、彼自身は武に長けていなくとも、その影には、常に死と暴力が付き纏っている。



「そう見えるか?」


 曹丕の問いに、劉曄は微笑みを返した。

 この男は、帝国の諜報を司る男、自分程度の心理など、たやすく見抜いているのだろう。


「なぁ、劉曄。何だってあいつは、ああまで粘るんだ?命惜しさか?」


 口を割らない限りは殺されない。それを承知の上で、痛みに耐えているのだろうか。


「いいえ。彼らは拷問の専門家、そんなに温くはありません。

 今彼が味わっているのは、精神が壊れぬ程度に調整された、誇張ではなく、死に勝る苦しみ。

 楽になりたいと望むならば、まず先に死を選ぶはず。

 更に、ただ金で雇われただけの者ならば、ここまで粘りはしますまい。つまり……」

「その先は言わなくてもいいぜ。あれだろ? 主君への忠義って奴」


 心の底から馬鹿にしたような、軽い口調で言い放つ。


「で、どうなんだ? あいつがあのまま口を割らなかったら?」

「そんな可能性は万に一つもありません……と言いたいところですが、それは些か自信過剰でしょうね。

 心配は要りません。既に別方面からも有力な情報が上がって来ております。

 それに、あの男が、そこまでして庇うような、影響力の強い人物と言えば、自ずと限られて来ますので……」


 劉曄の顔には、嗜虐的な笑みが張り付いていた。

 彼のことだ。そう言いつつ、既に“敵”の目星はつけてあるのだろう。


「かはっ、そいつは皮肉だな。あいつが耐えれば耐えるほど、そこまでさせる程の人物が自ずと浮かび上がって来るってわけだ」


 曹丕は、そう言って嘲弄するも、直ぐに元の無表情に戻り、静かに呟いた。


「無駄、なんだよ……」


 その一言には、幾つもの意味が込められていた。






「劉曄様……」

 

 後ろを見れば、劉曄が部下と何事かを話していた。


「わかりました」


 報告を聞き終えた劉曄はいつもの蛇の笑みをこちらに向けて来る。


「殿下。先程話しておりました、別方面からの情報で、あの男の主が判明しました。漢朝の貴族絡みの人物だそうで」

「ふん」

 

 詰まらなさそうに鼻を鳴らす。自分の苦痛と苦悶が、全て徒労に終わったと知った時、あの男はどんな表情をするのだろうか?

 劉曄は見逃していない。曹丕の肩と喉元が、込み上げる歓喜で打ち震えているのを。


「それで、いかが致しますか?」

「いかがって、何がだ?」

「あの男への拷問ですよ。お楽しみでしたなら、このまま続けても構いませんが……」


 劉曄の爬虫類のような眼が、曹丕を射抜く。

 曹操の後継者たる自分を、値踏みするような眼だ。


「身体の皮を剥ぎ、高熱の油の中に放り込みますか?

 眼球を抉り、鼻を削ぎ、舌を千切り、背骨を引き抜いて殺しますか?

 重石の間に挟み込み、徐々に力を入れて押し潰しますか?

 どのような御要望にも御答えしますよ。ただ、あまり大掛かりな機材を使うのは御遠慮くださいませ。

 こちらの予算は限られておりますゆえ……」



 笑顔で語る劉曄に、曹丕は一息つくと、簡潔にこう答えた。



「楽にしてやれ」








 曹丕は、己の矮小な器を正しく理解していた。

 彼には、残虐を好む気質があった。いつ頃から、何がきっかけで芽生えたのかは分からない。

 幼少期から、人の眼を盗んで、よく虫や小動物を虐め殺していた。

 成長した後も、そうした残酷を好む嗜好は残り、こうして時折、拷問の様子を眺めて悦に浸っている。


 中途半端だ、と自分でも思う。

 自ら拷問を行うわけではない。無実の人間を罪に陥れているわけでもない。

 ただ、拷問吏達が職務として行う拷問をひそかに眺めるだけ。自分がいようがいまいが、拷問が行われることに変わりはない。

 己の歪んだ嗜好を満たすために、便乗しているに過ぎない。

 自分は所詮、悪と呼ぶにも値しないただの“悪趣味”だ。下に二語継ぎ足すだけで、その意味は天地ほども違って来る。

 欲望の赴くまま行動しようとしても、その情動を、常識や理性が容易くねじふせる。

 自分は、その程度の矮小で脆弱な“悪”しか持ち合わせていない。

 世界の規範に逆らって、我が道を切り開くような本性など、存在しないのだ。


 それは、世間的にみれば短所ではない。

 規律に従い、欲望を抑えて生きる……実に模範的な、賞賛されるべき生き方だ。

 己が、真っ当な家に生まれついていたならば。


 自分の父親は、乱世の奸雄、曹孟徳。

 破格の英傑と謳われ、周囲に畏怖と恐怖を振り撒く存在だ。

 それが誇張でないことを、曹丕はよく知っている。

 血の繋がりという、社会的にも生物学的にも、最も強く結び付いた相手。

 そんな繋がりがあるからこそ、思い知らされてしまう。父が、己の理解を遥かに越えた存在であることを。


 曹丕は、幼い頃から、父の重圧に押し潰されて来た。

 乱世の奸雄の息子が、こんな平凡な人間でいいはずがない。自分は、もっと“悪”であるべきだ。そんな脅迫観念らしきものに、曹丕は絶えず襲われていた。

 だが、皮肉なことに、そんな曹丕の“悪”を抑制したのが、他ならぬ父・曹操であったのだ。




「この世で一番愚劣な生き物は、どんな生き物だと思う?」


 ある日……劉曄とこんなことを話した。


「その仰り様では、単に頭が良い、悪いといった程度の話ではなさそうですな」

「当然だろ。学のない人間が愚かだとして、ならば、読み書きの出来ない犬猫や牛馬は同じく愚かと呼ぶべきか? 違うだろう?」


 劉曄の反応を待たずに、曹丕は話し続ける。


「俺が考える愚劣さってのはな……相手の格を認められないことさ。

 全ての人間には、いや、生物には、それぞれ定められた格がある。

 犬は犬らしく、農民は農民らしく、貴族は貴族らしく……各々の領分からはみ出さずに生きて行くことこそが、賢い生き方だと俺は思う。

 農民の家に生まれ、朝から晩まで汗水垂らして働いて、家族を養っていく。

 素晴らしい生き方じゃないか。本当の愚劣さってのはな、貴賎や貧富で決まるもんじゃねぇんだよ」


 犬が四足で歩くのを見て、愚かだと罵る者はいない。だが、犬が二足で立って歩こうとするのは、滑稽の極みだろう。


「その領分を越えて、身の丈に合わないものを求めても、どうせただの徒労に終わるんだ。

 天の恩恵を掴めるのは、背に翼に生えた者だけだ。

 地べたでどれだけ祈り焦がれようと、天は何も降ろしちゃくれない。

 そして、翼も無い奴が、同じように飛ぼうとしても墜落するだけだ。

 自ら飛翔する者と、それに見合う才覚うつわを持つ者にしか、栄光をつかみ取ることはできない。

 分不相応な望みを抱き、それを叶えるため必死に頑張っても……相応しい格が無ければ、どうあがいたって成し遂げられやしない。

 何もかもが無駄に終わるんだ。それなら、自分の身の丈に満足し、己に相応しい一生を全うした方が有意義じゃないか。

 無駄なんだよ。大きな力に逆らおうとしても」


 劉曄は、薄ら笑いを浮かべながら話を聞いている。


「それで……殿下のおっしゃる大きな力とは、丞相閣下のことと考えて宜しいのですね?」

「ああ。天下はもう親父のものになっちまった。どうやったって、覆しようがねぇ。

 劉備も孫権も阿呆アホな奴らだ。今更抵抗したって勝ち目なんざとうの昔に消え失せてらぁ。

 無駄な悪あがきなんざしねぇで、とっとと降伏しちまえばいいのによ」

「天下の民が皆、曹丕様のように諦めが良ければ、天下はすぐにでも平和になるでしょうな。

 しかし、現実はそうはならない。

 ご存知の通り、世には丞相閣下に反抗する勢力が溢れている。お陰で退屈しませんよ」


 国家の治安維持。それが劉子揚の役職だ。国内の不穏分子を摘発し、拷問に掛けて情報を吐かせる。 そうして芋づる式に反乱分子を割り出し、必要に応じて処分する。

 それは、狡猾にして陰惨なる国家の暗部であり、決して明るみに出ることはない。

 だが、彼らの働きによって、破壊工作や要人暗殺など、国家転覆を目的とした陰謀が幾つも未然に阻止されてきた。

 これは確かに闘争であり、彼らの闘争が、国家の平和に貢献してきたのもまた事実だ。

 曹操は、暗殺や無差別攻撃といった、正道に依らぬ裏工作の危険性を重々承知していた。

 だからこそ、許都にいた頃から密かに、この組織を作り上げたのだ。


 劉曄は、丞相直属の治安維持組織の長を務めている。曹操に抜擢された彼は、その才覚を遺憾無く発揮し、これまでに数多くの不穏分子をあぶり出して来た。

 少年時代の血塗られた逸話と合わせて、曹操の処刑刀として恐れられている。


「愉しいんですよ。こそこそと隠れ潜んでいる鼠を燻り出して、一網打尽にするのがね。

 この仕事に私を就かせて下さった丞相閣下には、幾ら感謝してもしたりませんよ。うふふふふ……」


 人の秘密を暴き、奈落へと突き落とす愉悦。それが劉曄の本性であるならば、成る程、この役職は、劉曄の天職に違いない。

 人は、己が心に根差した本性に従ってこそ、最大の力を発揮できる。

 それぞれに、最も相応しい役目を与えることこそ、王の務め。

 適材適所、曹操ちちが常々言っていることだ。


 己の悪を、正義の旗の下に活用する劉曄を見て、曹丕は思う。彼の“悪”の本性を、羨ましいと。


 曹操の子として、その地位を受け継ぐ者として、間接的に大勢の人間を死に追いやるのは、まだいい。

 自分は凡庸な人間であるゆえ、自分の目の届かぬ場所で知らない人間が何人死のうが、痛痒を覚えることはない。三日も経たずして忘却の沼地に沈めてしまう。

 それはそれで、普通の人間らしい非情さと言える。

 だが、劉曄のように、冷徹に、冷酷に、人を探り調べ暴き糾し苛み殺すことができるかと言えば……自信がない。

 自分はそこまで、非情に、悪に成り切れない。

 自分の内に脈打つ悪は、実に脆く割れやすいものだ。

 曹丕の中には、“悪”への強い憧れが確かにある。だが、心魂に根付いた良心故に、半端な悪に留まってしまう己を嫌悪していた。



「そこだよ。わからねぇのは。こんな世間知らずの餓鬼の俺でさえ、天下の趨勢が親父に定まってるのは分かっている。

 だが、劉備を始め、各地の奴らはまだ浅ましい抵抗を続けていやがる。

 あいつらは、群雄だの何だの呼ばれている連中は、そんなに愚かなのか?

 奴らが愚劣だとして、どうして一軍の長が務まる? どうして人望を集めることができる?

 俺にはそれが、不思議でならねぇ」


 徹底的に上から見下した言い方であるが、曹丕にとっては素朴な、真摯な疑問だった。

 劉曄は苦笑しつつ答える。


「そうですな。それは、日々反乱分子を摘発する立場にある私も、是非知っておきたいことです。

 一定の地位に付き、それ相応の才覚を持つ者達が、何故なにゆえ大局に逆らい、破滅への道を選ぶのか。

 己が王にならんとする野心、あるいは漢室への忠誠。それらが理由であるならば、殿下のおっしゃる通り、愚劣と見なして構わぬでしょう」


 劉曄は、日々耳にする反曹の者達が血涙や慟哭と共に放つ常套句を、あっさりと切って捨てた。


「ですが、仮に地方の長で賢明で、内心では丞相に逆らうことを諦めていたとしても、家臣や民までもがそうとは限らない。

 愚劣な臣民全員が、丞相閣下と戦うことを決めてしまえば、賢明な主も、その意志の波に押され、本意とは別の決断をせざるを得なくなるでしょう。

 臣民の同意無くして、王の権力は成り立ちません。最悪、自分達に相応しくないとして、引きずり降ろされることもありえます」

「ふん。それは、結局自分の意志で配下どもを染め切れなかったってことだろ。ま、愚かじゃねぇかもしれねぇが、王としちゃ力不足だな」

「手厳しいですねぇ。いいえ、“あの”丞相閣下を手本として帝王学を学ばれた殿下ならば、当然の意見でしょうか」

「あいつから教えて貰ったことなんざ殆どねぇよ。これは、程旻や荀或の仕込みだな」


 曹丕は、未来の後継者として、父の側近達に合理的な物の考え方、民を円滑に統治する方法を徹底的に叩き込まれた。

 為政者としての勉学は大変であったが、楽しかった。一つを学ぶ度に、王としての新しい見方が開けていくように感じた。


 砂が水を吸うように、曹丕は数多の知識と経験を、己が身に取り込んでいった。

 既に次期後継者として、多くの仕事を任せられている身だ。

 有用な政策を幾つか立案し、人民や臣下からの評価は高い。


 その一方で、平凡な為政者として作り替えられていく己に、嫌悪感を抱いていた。

 しかし、それでも今日に至るまで、道を踏み外そうという気は起こらなかった。父の存在があったからだ。


「曹丕様は、心から御父上のことを認めておられるのですね」

「当然だろ」


 父の前では、口が裂けても言えない台詞を、あっさり言ってのける。


「言ったはずだろ。相手の格を認められない人間は愚かだって。俺は愚劣になるのは御免だからな」

「成る程」

「ま、あえて親父を褒め讃える文句を並べようとは思わねーがな。そんなのは、お前や荀或、楽進に任せときゃいい」


 父への反抗心などは、それが芽生える前に根こそぎ刈り取られてしまった。


「分かりました。では、曹丕様」

 

 劉曄は、微笑みを浮かべたまま、次の質問を放つ。



「貴方は御父上を、愛しておられますか?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ