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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第二十三章 孫劉同盟(四)

「未来。そうおっしゃられましたな、張昭殿」


 周瑜は、静かに口を開く。


 張昭の演説により、抗戦派の人間達でさえ、大半が降伏を受け入れつつある。

 既に背水の陣。半端な精神論では、この劣勢を覆すことなどはできまい。

 

 だが、張昭は微塵たりとも油断しない。

 いかな劣勢に立たされても、頼みとする手勢を奪われても……最後は、心の刃を手に、敵陣に斬り込み、状況を打破する。

 それが周公瑾の……いや、孫伯符のやり方だ。



 孫策、周瑜、そして張昭じぶん


 袁術に孫堅の兵を奪われ、たった三人から、激動の揚州を駆け上がろうとしていたあの頃。

 苦境や困難が次々に立ちはだかっても、孫策は決して諦めず、勝利をもぎ取ろうとしてきた。

 彼の不屈の姿勢は、二人の軍師に、彼の率いる孫軍に、やがて揚州の民全体に浸透していった。


 張昭は知っている。今の周瑜は、孫策の魂を受け継いでいる。意志ではなく、その魂の形を。

 澄ました仮面の下にあるのは、勝利に飢えた貪欲なる獣の本性。

 手負いの獣と侮れば、即座に喉笛を食い破られる――





 未来……そう、大切なのは未来だ。


 過ぎ去りし日々は戻って来ない。逝ってしまった友は還って来ない。


 もし、伯符が生きていたら…… 

 彼は、どちらの道を選ぶのだろうか。

 あの孫策ならば、理不尽な侵略に敢然と立ち向かうはずだ。

 何度自分にそう言い聞かせたことか。


 だが、死者の意志は、誰にも決め付けることはできない。

 もし彼が生きていたらこうしたはずだ……そう言い切れるならば、それは信頼とは程遠い。

 それはただ、その者を理解していたという、幻想に浸りたいだけ。

 死者の心情を引き合いに出して、自分の主張を押し通そうとする、唾棄すべき行いだ。


 本当に信頼しているなら、わかるはずだ。

 どれだけ強い交わりで繋がっていても……いや、なまじ親しくなればなるほど、どうあっても、他者を完全に理解することなどできないことを……


 孫策の遺志を巡って、自分は長い間悩み続けたものだ……

 今となっては、それも懐かしい。そのような懊悩からは、自分はとうに解き放たれている。


 人の意志は、死ねば消える。だが夢は、消えることなく残り続ける……

 その夢への執着もまた、不変のものだ。

 自分を突き動かすものは妄執。ただそのためだけに、自分は存在している。


 もはや、迷いも恐れも無い。他の誰の為でもなく、自分自身の為でもなく……

 

 妄執に縋ることでしか生きて行けない本性モノであるがゆえに、自分は闘争の道を選ぶのだ。





「私が、曹操との抗戦を主張するのも、その未来を守りたいと思うが故……

 確かに、張昭殿の仰られる通り……曹操は覇者であると同時に、極めて有能な政治家です。

 高圧的な統治で、揚州の民の反発を起こすと言う愚は犯さないでしょう。

 曹操の支配の下……この揚州は、一時の平穏を得られるでしょう。引いてはそれは、中華全体の安寧にも繋がるはずです」

 

 抗戦派の間から、戸惑いの声が上がる。しかし、魯粛を含む一部の人間には分かっていた。

 事実を誤魔化すような小賢しい手では、あの張昭を打ち負かすことなどできないと……

 

「ですが、私は更に未来を見据えております。曹操とて、永遠の命を持っているわけではない。

 曹操の死後、中原より離れたこの地の安寧が約束される保障はどこにもありません。

 抗争に明け暮れる中原の者達が、この地をいかにないがしろにして来たか……ここにいる皆様方は、よくご存知でしょう」


 居並ぶ家臣団は、心の中で深く頷く。

 そう……孫堅も、孫策も、腐敗した中央の都合で振り回されてきた揚州の民を、苦難から救いたいと思ったから立ち上がったのだ。

 その志は、孫権の代になった今も変わっていない。


「一人の為政者が治めるには、この中華は広すぎるのです。

 このまま中央集権が強まったままでは、揚州は辺境の地と侮られ、搾取される構造からは抜け出せません。


 この地は独立すべきなのです。


 中央の都合に縛られるのではなく、揚州の民が支持する王を戴くことこそが、最も理想的な統治であると信じております。

 我が君主、孫権様ならば、その器に足ることも……」


 張昭は、無表情のまま周瑜の話に耳を傾けていたが、内心眉をひそめていた。


 姑息だ……

 確かに、孫権は揚州の平和の為、心を砕いておられる。

 あの方以外、この呉を治めるに相応しい方はいないだろう。それは同意する。

 だが周瑜は、そこに自分の意を混ぜ、あたかも孫権に独立の意志があるかのように語っている。


 勿論、指摘されれば周瑜は自分の言を訂正するだろう。

 しかし、家臣団にそのような認識を植えつけることには成功している。



 張昭が口を開く前に、玉座の孫権が問いを放った。


「周瑜、お前の最終目標は、この揚州の独立にあると言うのか?」

「はい。むしろ、そのような明確な大義が無ければ、あえて戦を起こす必要もありますまい。

 曹操の侵略を跳ね除けるだけではなく、遥か未来に至るまでの平和を勝ち取る為の戦。

 それでこそ、孫呉の兵の尊き血を流す意味があるというもの」


 これまで、抗戦派が降伏派に劣勢を強いられてきたのは、孫呉には、曹操と敵対する明確な理由が無いからだ。

 得る物の少ない戦いで、多大な犠牲を払う意味があるのか……武官も含め、誰もがそう考えるであろう。

 周瑜はその構図を覆し……戦の先に明確な目標を据えることで、開戦の正統性を説こうとしている。

 中央からの独立……それは、揚州人の多くが夢見て来たことだ。

 抵抗する為の戦ではなく、勝ち取る為の戦……これに対し、多くの家臣は心が奮い立つのを抑えられなかった。



「周瑜殿」


 ここで、張昭が口を挟んだ。


「その内実はどうあれ、曹操は漢王朝の丞相。彼が率いるは、漢王朝の御旗を掲げた軍勢。

 彼に抗い、独立を目指すことは即ち、漢王朝への反逆に他なりません。

 それについて、どう思われているのですか?」


 家臣団の顔色が、一転して蒼くなる。いかに中央から離れているとはいえ、彼らも漢人。

 天子に対する畏敬の念は少なからず持っている。


 曹操に抗う危険さは、何も単純な戦力差だけではない。曹操の後ろには天子がいる。

 曹操と戦うということは、即ち漢王朝に刃向かう賊軍と見做されてしまうのだ。

 そうなれば、曹操は孫呉を朝敵として、討伐する正統性を得る。張昭が最も危惧しているのがそれだ。



「はい。元より承知の上。この周瑜、孫呉の未来の為ならば、天子に弓を引く覚悟を決めております」


 周瑜は平然と言ってのけた。

 この男が、天子などに何の価値も見出していないことなど、最初から分かっていたが……

 張昭は、厳しい口調で言葉を返す。


「貴方の意志など瑣末なこと。重要なのは、それによって我らが殿が、天子に刃向かう逆賊の汚名を着せられることです」


 戦争の全ての責任は、主君とその一族が負わされる。それが国家間の争いの常識だ。


「そうはなりませぬ。我々は、あくまで揚州に不当な侵略を仕掛けてきた曹操と戦うのです。

 その上で漢王朝と交渉を行い、独立の正統性を訴え、天子に承認して頂きます」


 詭弁だ。交渉と言うが、結局それが武力を背景としたものである事に違いないのだ。

 ならばそれは、漢王朝への反逆行為と何が違うのだろうか。

 最も、黒を白、白を黒に塗り替えることこそが、政治なのだが……



「ですが……その過程で、殿が不名誉を被ることは重々承知しております。

 大変心苦しくはありますが、私はその点も含めた上で、殿に決断していただきたいのです」


 一瞬、困惑する。

 孫権に、天下への野心はない。そのことは、彼ならばよく分かっているはずであろうに。

 だから、周瑜は天子への反逆という点を上手くぼかしつつ、孫権を説得するものと思っていたが……

 彼は、あえて天子に弓引く覚悟を孫権にも求めてきた。

 無謀だ……としか言いようがない。少なくとも、自分が知る孫権という男ならば、間違ってもそんな決断を下さない。


 周瑜が、自分の知らない孫権を知っているならば話は別だが――



「独立を勝ち取る為に、我々は曹操と戦わなければならないのです。

 彼らを打ち破った時初めて、独立への道は開かれます。

 ですが、ここで降伏を選んでしまえば、その道は闇に閉ざされることになります」

「それはどうでしょうか」


 張昭が口を挟む。


「降伏することと、独立の道が断たれることは、必ずしも繋がらないでしょう。

 私は必ずしも、独立に賛成の立場にはありません……が、漢王朝の内側から働きかけるという手段でも、独立の可能性は開けるはずです」

「張昭様。貴方程の御方ならば、権力の闇の深さを御存知のはずだ。

 一度でも巨大な権力の歯車に組み込まれれば、個人の、地方の自由は失われる。

 曹操の甘言に乗せられるまま、その闇に沈んだ後では遅いのです」

 

 張昭は答えない。個人の意志を容易く溶かし込む、あまりに深い政治の闇。

 一度でも関われば、誰もが骨身に染みて理解できるだろう。

 それは、内側からでは到底崩しえない。揚州が袁術の支配下にあった頃から、それは証明済みだ。


 だからこそ……張昭は外側からの武力による変革を掲げた、孫策に仕える事を決めたのだ。

 今の自分は、その志とは矛盾することを主張している。そのことは……自分でも良く理解出来ていた。



「せやな。一度喰われてしもうたら、何ぼ腹の中で頑張ったってどうにもならへん。

 喰われる前に、殺す……大事なものを守るには、それしかないんや」



「……分かりました。しかし、貴方の話には要となる大前提が欠けている」

「はい。皆様も、ここが何よりも気になっておられる部分だと思われます。

 未来の話よりも、差し迫った現在いま……即ち、すぐ側まで迫った曹操軍を、どう撃退するか、について」


 結局、問題はその点に集約されるのだ。

 家臣団の心を降伏に流しているのは、曹操軍に勝ち目が見えないからだ。

 それさえひっくり返せば、瀕死の抗戦派は、再び息を吹き返すだろう。


「では、聞かせていただきましょうか、周瑜様。曹操軍五十万に、いかにして対処するか。

 よもや、五十万というのはただの虚言。実際の兵力はそれより遥かに低いとおっしゃられるのではないでしょうな?」


 勿論、張昭はかつて周瑜が曹操軍の兵力は、五十万だと予測したことを知っている。

 周瑜は、怯んだ素振りも見せず続ける。


「当然です。曹操は、確実にこちらを潰して余りある戦力を、惜し気もなく投入してきました。五十万……私の予想と違わぬ数を」


 家臣団の顔が、暗鬱なものに変わる。周瑜がそう断言したからには、間違いはないのだろう。

 皆、ひそかに周瑜の口から、五十万ははったりである、という言葉が出るのを期待していたのだ。



 それもまた、本人の口から否定されてしまった。

 だが……



「五十万、予想通りです。その数ならば、確実に勝利を収めることができましょう」


 自信に満ちた周瑜の言葉に、その場の全員が息を飲んだ。

 彼らの知る限り、周公瑾という男は、根拠のない過信など述べない男だ。


 だとすれば……


「……まず、あの書状は、あえて自軍の戦力を明かし、こちらの戦意を挫くことが狙いと思われます。

 それは、裏を返せば、曹操もまた、我が軍と真っ向から戦うことを、怖れている証ではないでしょうか」

 

 口ではそう言いつつも、周瑜は微塵も信じてはいなかったが。案の定、張昭は即座に反駁する。


「それは、こちらの希望的観測に過ぎませんね。

 むしろ、こちらを怖れているからこそ、いざ開戦となれば、相手も万全の備えで挑んでくるはずです」

「そうですね……しかし、それでもなお、私には勝算があります。

 まず……この戦は、長江を舞台にした水戦となるはほぼ確実。

 五十万と言っても、水戦に慣れているのは、曹操に降った荊州水軍十万程度。

 彼らにしたところで、所詮は弱者から略奪を行う程度しかできぬ水賊紛いの集団。

 長きに渡り、調練を積んで来た我が水軍とは、練度において大きく劣ります。

 何故、曹操はかくも早く降伏を迫ったのか。それは、自軍を調練する時間を稼ぐため。

 彼らに時を与えれば、我が軍の勝利は遠退き、交渉においても不利に働くことでしょう。

 ですから……私はこの時をおいて、曹操を討つ機会はないと考えます」

「……私は、軍事の専門家ではありません。

 ですが、五十万と二十万、この兵力差が、ただ兵の練度で覆るものとは思えません。

 それに、開戦となれば、ここ柴桑の防備にも兵を裂かねばなりません。形勢はより不利なものとなりましょう」

「軍事の専門家ではない、とは大変な謙遜でしょう。貴方の現状認識と戦力分析は、極めて正確です」

「それでも……貴方は勝算があると言われるのか?」


 周瑜は、首を縦に振った。


「当方には、秘策がございます。

 これが成功すれば……いえ、必ず成功しますが……現在の戦局を、一気に逆転させることができましょう」

 

 場がどよめく。周瑜がそのような秘策を持っているなど、武官達の中にも知らぬ者が大半だったのだ。

 知っているのは、魯粛を含むほんの一握り……

 呂蒙もまた絶句していた。彼もまた、知らぬ側の人間だったからだ。



 皆の関心は、いつしか降伏、開戦の二択ではなく、あの曹操軍を打倒しうる策とは一体何なのか……という点に移っていた。

 皆を代表して、張昭が問い掛ける。


「ほう。では、教えて頂きましょう。その策が一体何なのか……」


 家臣一同、固唾を飲んで議場の二人を見つめる。

 だが、周瑜の回答は……


「……今は、申し上げられません」

「……どういうことですか」

「この作戦は、万が一にも曹操軍に漏れてはなりません。

 作戦の詳細を知る者は、この中でもほんの僅かでしょう。

 この会議の防諜対策は万全、勿論、皆様がここでの話を外に漏らすとは思っておりません。

 ですが、もし開戦に至った場合、この策は孫呉の生命線になります。

 機密が漏洩する危険は、可能な限り潰していかねばなりません。それが、軍略を司る私の責任でありますゆえ……」

 

 張昭は、無表情を保っている。しかし、分かる人間ならば、彼が呆れ返っていることに気付くだろう。


「……話になりませんね。詳細は明かせない、それが何なのかも分からない策に、殿の、孫呉の民全ての命を賭けろと?」


 目茶苦茶だ。まるで出鱈目だ。


 家臣団の中には、既に疑念の色を浮かべている者もいる。

 秘策の話は、開戦に踏み切らせるためのはったりである、と……


 張昭自身は、そうは思わない。あの周瑜のこと、秘策は確かにあるのだろう。

 だがその内容を明かさないのは、会議においては不利に働くとしか思えない。

 こんな穴だらけの杜撰な論で、皆の心を動かせると思っているのか?


 否。周瑜はそんな愚かな男ではない。

 自信があるのだ。孫権に対し、開戦を決断させる絶対の自信が!

 極端な話……周瑜は、ここで何を言おうとも、開戦しょうりできる確信があるのだ。


 その根拠は一体何なのか……読めない。

 脳内にあるあらゆる情報を解析、集積、推論しても、周瑜の口にする秘策が何なのか、読めない。


「申し訳ありません。

 ただ、武を、戦を語る時の私は、一介の武人でいるつもりです。

 武人は、己を語る舌を持ちません。

 畏れながら、殿と張昭殿、そして皆様には、武人としての私を信じて頂きとうございます」

 

 深々と頭を下げる周瑜。


 確かに、あの周瑜ならば……あの天才ならば、あるいは……

 そんな期待が、皆の間に広がっていく。

 周瑜は、それだけの実績と偉業を残している。

 孫呉の間には、周瑜への絶対的な信頼……いや、“信仰”が根強く存在していた。

 周瑜は、単なる自惚れではなく、そのことをよく理解している。

 そして、自身の名声をも策として利用するのだ。


 たが……それが切り札とも思えない。

 孫権は、そんな先入観だけに惑わされる男ではない、と信じたい。


 しかし……


 この会合、降伏派の圧倒的優勢と思われて来た。

 しかしその実、既に結果は出ているのではないか……ここに至るまでの全てが、周瑜の思惑通りなのではないか。


 何の根拠もない、ただの憶測だ。

 だが、軍師として、参謀として、長きに渡り肩を並べて戦って来た周瑜という男を知っているからこそ、確信できてしまうのだ。


 ならば、もう打つ手は……

 

 


 ……詮索したところで、何の意味があろう。


 自分にあるのは言葉だけだ。

 周瑜のように、裏から策を弄する才をまるで持たぬ人間だ。

 ならば、自分はその、ただ一つしかない武器ことばに殉じよう。


 張昭は、対話の絶対性を信じているわけではない。

 そんなものがあれば、とうの昔にこの世から戦争は無くなっている。

 暴力や策略といった強制力に対して、言葉はあまりにも無力だ。


 だが……それらの“力”を行使するのは人間達だ。

 そして、人間は言葉無くしては動かない。

 言葉とは、あらゆる暴力を生み出す源泉でもあるのだ。

 人の社会も、法理も、全ては言葉で構成される。

 一時の暴力と異なり、言葉は永遠に残り、人の心を縛る。


 例え周瑜が、何らかの策略を用いて、この会合の結果を定めていたとしても……

 今から放つ言葉によって、家臣団全ての心を掌握してしまえば……周瑜の目論見は頓挫する。



「……無意味です」

「何ですと?」


 張昭は、普段通りの、冷徹極まる声音で言い放つ。


「無意味、と申し上げました。

 なるほど戦は生き物。奇跡が起こって、勝利しうる可能性も、無ではありません」


 魯粛は息を飲む。一度持ち上げて落とすのは会話の常套手段。

 張昭ともなれば、その落としようは奈落への急降下に等しかろう。


「ですが、一時の勝利が何になりましょう。

 曹操軍には、百万を越える兵がいます。五十万の兵を退けたとて、その後の報復は必至。

 今度は決して抗う気の起きぬよう、こちらを殲滅にかかるでしょう。

 もし、またも奇跡が起きて、勝利できても、同じことの繰り返し……そこにあるのは、永久に終わらない戦いの連鎖。

 いえ、漢王朝という後ろ盾に、広大な領土と収穫源を思えば、長期戦において曹操の優位は明らか。

 いたずらに戦を重ね、兵を死なせ、民を苦しめ、最終的には飲み込まれるのです。


 よろしいですか?

 勝利であれ敗北であれ……開戦という決断は、絶望の幕開けでしかないのです」


 場は静まり返っている。

 張昭は、周瑜と真逆の、最悪の可能性を次々にあげつらっていく。

 だがそれは、同時に最も現実的で、かつ最も可能性の高い予想だった。だからこそ、家臣団の心に突き刺さる。

 家臣団の心中に、暗鬱が広がっていく。


「一度でも戦端が開かれれば、戦いはいつ終わるとも知れず続き、戦火は江南の地を焼き尽くすことでしょう。

 我らの子々孫々に至るまで、苦しめ苛まれる人生を送ることになるのです」


 戦いは、一時の勝利や敗北で終わるものではない。

 戦争が新たな戦争の火種となり、いつ終わるとも知れず続く。

 やがてそれは、乱世という巨大な渦となりて、この中華を包むのだ。

 それだけは、何としても阻止せねばならない。最後に、孫権の顔を見て言い放つ。


「殿、今一度、お願い申しあげます。ここ江南の民の平穏と安寧を鑑み、どうか降伏の決断を!」

「………………」


 孫権は無言で、されど真摯に、張昭の言葉に耳を傾けていた。

 その瞳が、揺れている。

 勝利を確信するにはまだ早過ぎるが、彼が自分の言葉に影響を受けているのは確かだ。


 続けて、周瑜の様子を伺う。やはり、彼の余裕は崩れない。

 この期に及んでなお、逆転の一手があるというのか。



「張昭様。貴方の想いは、よく理解できています。

 勝利した後どうするか……戦そのものを無くすには、どうすればよいか。

 開戦という重き決断を下すならば、そこまで配慮せねばならない……当然のことでございましょう」

「その答えが……貴方の内にはあるというのですか?」

「はい……ですが、それを語るは私の役目ではありません」

「?」

「恥ずかしながら……これから語る内容は、私の発案ではありませぬ。

 孫権様。発案者たる私の友人を呼び出したいと思いますが、よろしいでしょうか?」


 またしても、意図が読めない。ここに来て、他者に議論の主役を譲るとは。

 しかし、周瑜以上に説得力を持って語れる人間が、抗戦派にいるのだろうか。



「良かろう」


 誰もが動揺する中、孫権はあっさり受け入れる。



 そして……予め示し合わせていたように、彼は議場に姿を現す。


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