第二十二章 長坂の戦い(十一)
「負け……たな」
曹仁は、川の浅瀬で大の字になって横たわり、今までの人生で、最も小さいであろう声で呟いた。
結局、劉備達には逃げられてしまった。
張飛の予期せぬ参戦など、言い訳は幾つもできる。
だが、結局は自分達の力不足……その一点に集約されるのだ。
(関羽……)
張飛が合流してからの関羽は、見違えるように強かった。
関羽を足止めするつもりが、逆に自分の動きを封じられてしまい、まんまと劉備を逃がしてしまった。
いや……
実際打ち合ってよく分かった。
もし、周囲に味方の兵がいなければ……
もし、関羽が逃げるのではなく、戦う道を選んでいれば……
自分はきっと、討ち取られていた。
今のように満足な体ではなく、死体として河原に横たわることになっただろう。
周囲には、その末路を辿った兵士達の屍が転がっている。
そこから少し離れた位置には、関羽に弾き飛ばされた戦斧が突き刺さっていた。
とどめは刺せたはず。だが、関羽はその時間を劉備を逃がすことに割いた。
武器を失ったとはいえ、曹仁は容易に殺せないこと判断したのだろう。
自分も、大人しく殺されてやるつもりはない。
結果として……劉備は逃げおおせ、自分は生き残ることができた。
そして、今は水の冷たさを肌で感じながら、敗北の余韻に浸っているというわけだ。
(みっともねぇ)
曹洪は、大魚を逃がしたことを気にした様子もなく、すぐに残存戦力を取り纏め、追撃の準備を始めている。
成すべきことを成す、あいつらしい。
「いつまでそうしておられるつもりですか?曹仁様」
声の主は賈栩だった。自分の頭側に立ち、こちらを見下ろしている。
思えば、既に後続が到着してもおかしくない時間だ。
「そんなところで横になられていると、風邪を引きますよ?」
「何だ、お前知らねぇのか」
「何をです?」
曹仁は、些か投げやりに、こう言い放つ。
「馬鹿は風邪を引かねぇんだよ」
賈栩はしばし目を丸くしていたが、「失礼……」と言ってくぐもった笑みを零した。
そして、一切声の調子を変えぬまま、こう告げた。
「曹仁様……張繍殿が、亡くなられました」
「……そう、か……」
そう答えるしかない。話を聞いた時は驚いたが、すぐに意外でも何でもないことに気付く。戦に死者は付き物だ。
昨日会話を交わした相手が、明日にはいなくなってもおかしくない。そういう世界に、自分はいる。
張繍という男に思いを馳せる。
曹操を陥れた、憎い仇であるはずだった。
もしも不穏な真似をするようならば、賈栩共々直ぐさま叩き斬ってやろうと思っていた。
しかしその実態は、曹仁の想像を遥かに越えて弱い男だった。
あれほど、戦場に出るのが相応しくない男もいなかっただろう。
曹仁は拍子抜けする一方、脅えながらも、罪滅ぼしのために戦場に臨む彼に、微かな好感を覚え始めていた。
それが、ここで果ててしまうとは……
「そうそう、張繍殿は、私を庇って逝かれました。実にご立派な最期でしたよ」
「何ぃ……?」
あの臆病な男が、最期にそんな根性を見せるとは。
認識を改めるべきかもしれない。
彼はただの弱虫ではなく、一人の曹操軍の戦士だったのだ。
「その割りにゃ、てめぇは何も感じちゃいなさそうだな?」
賈栩は笑顔を浮かべながら答える。
「いえいえ、そんなことはありませんよ? 張繍殿の勇姿を思うと、胸から熱いものが込み上げて参りますよ」
そう、歪みに歪んだ……されど、同情という不純の介在しない、真っさらな知的好奇心が。
「……はっ」
この男に意味の分かる反応を期待しても無駄だ。
それは、最初から分かりきっている。
賢明な男だ、と賈栩は思う。自分は、言葉を通して人の心の間隙に入り込み、毒を流し込む。
しかし、言葉の意味が通じなければ、毒も効力を発揮しない。
「ククク……」
「何が可笑しい?」
「いえ、曹仁将軍は真に賢きお方であらせられるな、と……」
「………………」
背中がむず痒い。この男に褒められると、喜びより警戒心が先に立つ。
曹仁は、水面から体を起こす。
中央で逆立っていた髪は、水に濡れて両側に垂れていた。
強くなる。
戦の意味がなんであれ……幼い頃より武の道を歩んで来た自分にとって、強くなることだけが唯一確信できる真実だ。
自分には、それ以外主君に報いる術を知らない。
自分がもっと強ければ、あそこで関羽や劉備を葬り、張繍らの死を無駄にせずに済んだはずだ。
今夜のような思いをせずに済むには、ただひたすらに強くなるしかない。
そのためには、もっと多くを学ぶ必要がある。
関羽、張飛、趙雲、いかな逆境にも負けぬ彼らのような強さを、自分も手に入れねば。
その為に、この漢水の冷たさを、河を赤く染める血の臭いを、今日の屈辱を、忘れてはならない。
「う……おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
月に向かって吠える曹仁。
後に……彼は“守る武”の才を開花させ、曹操軍を代表する大将軍となるが、それはまた先の話……
(仁兄様……)
その曹仁の姿を、曹洪はたまたま眼にした。
曹操は言った。曹仁は大器晩成型だと。
他の三人と比べて、彼には剛力以外、秀でた才能がない。
しかし、曹操の慧眼は見抜いていた。戦の中から何かを学び取り、成長する才を有していることを。
戦歴を重ね、最終的には兄弟の誰よりも優れた将軍になるやもしれない……曹操は、一度だけそんなことを口にした。
自分は、義兄達を愛し、曹操を愛していた。だから、曹操の眼を信じた。
そして、彼は自分のなすべきことを知った。
曹仁に完璧な戦を見せ、彼の才能を極限まで引き上げることを。それが曹洪の兄に対する愛情の表し方であった。
そうやって、自分を奮起させることも、曹操の狙いなのだろう。
彼は、人間の力を最大限引き出す術を知っている。
どう使えば最大の効果を生めるか知っている。
(操兄様……)
自分も、長兄の本性は知っている。兄弟の絆を謳おうと、空の器である彼に愛情などないことを。
だが、それが何だというのだろう。
元より兄弟の愛は、見返りなど求めないものだ。
兄が弟を守り、弟が兄を助けるのは当然のことなのだ。
慾という利害関係の存在する男女の愛よりも、余程清純で尊く思える。
男でも女でもない、狭間の道を選んだ自分だから、尚の事。
彼ら彼女らは、愛に理由を求めたがる。
その証明を、愛以外のもので欲しようとする。
それもまた、曹洪にとっては不純と呼ぶに値する。
兄弟に奉仕することこそが、曹子廉にとって何よりの喜びであり、生きる意味だった。
劉備が水平線の彼方に消えてから程なくして、賈栩率いる後続と、曹操のいる本隊が現れた。現在彼らは、漢津に夜営を敷いている。
「申し訳ありません、丞相閣下。劉備を取り逃がしたのは、全て私の力量不足ゆえ。いかな懲罰も、甘んじて受ける所存です」
背筋を正し、曹操の前で深々と頭を下げる曹洪。
彼に、敗北を引きずっている様子はない。
張飛の復帰という予想外の事態があったとはいえ、それは言い訳にしかならない。
ただ、全ての責を背負い、失態を精算した上で次の戦に望もうとしている。
心の整理は、既についている。そのような人物に、罰を与えたところで意味はない。
貴重な才を腐らせるのは、時間の無駄と言えた。
「よせ、余は誰も責めるつもりはない。結局、余の采配が拙かったというだけのことよ」
「慈悲を賜り、感謝致します……」
曹洪は、再び一礼する。
「ですが、後者については断じて否定させていただきます。兄様の采配に穴はありませんでした。あるとすれば……」
「運に見離されたこと、か……」
そのような言い方は好ましくない。戦に限らず、この世の全てには運の要素が混ざっているもの。
人が空気を吸って生きているように、運気の良し悪しは当然にあるものなのだ。
それを指して、運が良かった、悪かったと口にしたところで、極めて主観的な、何の解決にもならない意見でしかない。
とはいえ……今回の戦は、想定外の事態が多すぎた。
曹操の預かり知らぬ何者かが、劉備を生かそうとしている……そう考えるのは、勘繰りすぎだろうか。
理は人が造りしもの。
運は天が生み出すもの。
自分が人の理で持って天下を統べるならば、劉備は天の運を持ってそれを打ち砕こうとしている。
ならば劉備との戦は、同時に人の身で天に挑む戦いであるというのか。
(ふむ、言葉遊びよな)
だが、全部が全部冗談というわけでもない。
曹操は、劉備が天の運気に匹敵する何かの力を借りていると、半ば確信していた。
物的な根拠は何もない。あえて言うなら、根拠は自分の人を見る眼だ。
自分は、劉備を愚かな男だとは思わない。それどころか、彼の頭脳や才覚、生き延びるために必要な能力を高く評価している。
彼ほど賢く、狡猾な人間は、中華中を探してもそうはいまい。
そんな彼ならば、この期に及んで曹操軍と戦っても、勝ち目のないことなど分かるはず。
だから、劉備には何らかの裏付けがあるはずなのだ。
この曹操に対する、勝機を。
曹操の理解を越える、それこそ天の意志のような、人の合理の及ばぬ何かを……
これから先、劉備は揚州の孫権と同盟を結び、自分に対抗するつもりだろう。
そして、孫権の顔色を伺いつつ、独立を目指し、自らの国を建国。
中華に三つの国が同時に存在する状況を造り、そこから天下の覇権を狙う、といったところか。
無論、こちらはそれを全力で阻止する。一片の慈悲も与えはしない。
されど、多くの奇跡的な偶然に恵まれて、彼がそこまで至る可能性は、零ではない。
そして曹操は、零にあらざる可能性は全て有り得ることとして認識する。
だが、そこまでだ。
それ以上は行けない。“名目上”、曹操に対抗しうる国を造る。
それが……数多の幸運に恵まれた末……彼の人生でなしうる限界だ。
その境界は越えさせない。自分の天下は侵させない。
自分は、人の才覚を見抜く才能がある。
その眼は、現時点での才能のみならず、その人間がどのように成長するかにも及ぶ。
盤上遊戯の名人が、最初の局面を見ただけで、数十手先をも読んでしまうように。
しかも曹操の場合、相手はこの世で最も不確定とされる、人の心だ。
生まれ持った才を伸ばすも腐らすも、その人間の心次第。
才と心は不可分なもの。心の有り様が、才の価値を決めるのだ。
されど……こう考えられはしないか。
心の作用によって才が進化、あるいは退化するように、人の心もまた、才の形に応じて変容するものなのだと。
人間には、有限の可能性しかない。人によって、他者を凌駕するまで引き伸ばせる才能の種類は異なっている。
そして人間は、時期の差こそあれ、その才能が何なのかを本能的に悟る。
確信としてそれを知るのはほんの僅か。大半は、嗜好として顕在化し、知らず知らず己の才に見合った道を選んでしまうのだ。
最も、これは世界が正常であればの話。
大半の人間は、己の才に気付くことなく、環境に押し潰され、何が望みかを知らぬまま一生を終えてしまう。
それは、ある意味正常な世界と言えるのかもしれない。
自然界の生物が、環境によって生態を変えるように、生物の在り方と環境とは切り離せぬもの。
人間もまた、環境や社会に抗うことなく、生まれ持った役割に沿って生きるのが、生物として正しいのかもしれない。
だが、曹操はそれを異を唱える。
人間とその他の生物の間には、決定的な相違がある。
それは知性の有無。
考え、学び、創造する。そこまでなら人間に限った話でもなかろうが、物事に“意味”を見出すのは人間だけだ。
加えて、単一種族でありながら、ここまで多種多様な価値観を持つのもまた、人間だけだ。
曹操は、そんな人間を礼讚し、彼らの可能性を信じている。
人間の才は、環境や社会などに隷属してはならぬと考える。
ゆえにこそ、彼は世界の変革を望むのだ。
……それこそが、人間の心を持たぬ自分が、唯一人間に至るための道だと信じて。
さしもの曹操も、初見においてその人間の全てを見抜くことはできない。
才と未来を見抜けるのは、それなりに深く関わった人間に限られる。
だが、それはさして難しくないのだ。今の自分の立場ならば。
覇者の下には多くの味方が集まる。同時に、数多の敵を作る。
多数の人間と、深い繋がりを持つことができるのだ。
味方は言うに及ばず、敵であっても……いや、敵ならばこそ、より深く理解できる。
彼らが自分に向ける敵意、悪意、そこから生まれる戦術、戦略。
それは時に、言葉を交わすより、愛し合うより雄弁にその人間のことを伝えてくれる。劉備もその一人だ。
一度も会話を交わさなかった長坂において、ついに曹操は劉備の本質を掴むに至った。
曹操の眼から見て、劉備には“逃げの才”がある。
彼ならば、今後どれだけ絶望的な劣勢に置かれようとも、追求の手を逃れ、生き延びる。
今夜のように……
逃げに徹する劉備を相手にするならば、自分と彼は五分、いや、劉備がやや有利か。
彼ならば、逃げおおせた末に自らの国を造り、自分の侵略を跳ね退けて、平穏のまま生涯を閉じることも出来るだろう。
王が倒れれば国も傾く。彼の生き延びる才は、王者にとって最も必要な才と言える。
認める。生き延びる才において、王者の才において、彼は自分を凌駕する。
だが、そこまで。彼が天下を奪い、その手に掴むことは決してない。
彼には覇者としての才能が欠落している。攻めの戦……いや、戦に留まらず、他者から何かを奪うことに向いていない。
彼の根底には優しさがある。数十万の民を早々に見捨てなかったのは、まさにその現れ。
それがある限り……いや、もし無理に切り捨てたとしても、己を形成する根幹を失った者が、どうして勝ち残ることができよう。
まして、曹操自身の才は奪い、圧し、制覇する才。
飽くなき探究心と、目的を遂げるためなら決して立ち止まらぬ性質。
人間心理の分析も、そのために身につけた道具だ。
かつて関羽が言ったように、劉備の目的は、平穏と安定……征服と進化ではないのだ。
向上心なき者が、ひたすらに覇を、上を目指す者に勝てる道理はない。
彼我のの戦力差など、さしたる問題ではない。
戦争という分野における両者の性質の違いが、劉備に曹操を討つことを許さないのだ。
これは決定的な差だ。戦力や情勢などは、時に応じて変遷するもの。現状を見ても、未来は確定できない。
だが、人の本性は死ぬまで変わらない。ゆえに決定的な差になりうるのだ。
そのことは、既に劉備も承知していよう。
どうあっても、曹操の天下は奪えない。
だが、それで彼が諦めるだろうか?
死ぬまで曹操から逃げおおせ、自分はよくやった、弱小の身で、よくぞここまでのし上がったなどという慰めで、満足できるか?
否、絶対に否!
かつて許都で対面した時、劉備が曹操の本質を理解したように、曹操もまた、劉備を理解していた。
いや……反董卓連合軍決起の際、初めて会った時から、漠然とした予感はあった。
彼も自分と同じ、異端なる存在……目的を果たすまでは、決して止まらない人間なのだ。
同じ存在だからこそよく分かる。
だが現状において、劉備が曹操に勝つのは不可能。それを劉備も理解している。されど、劉備は諦めない。
常人ならば、それは壁にぶつかったまま、延々と壁を叩き脚を動かし続ける悪あがきに見えるだろう。
事実その通りだ。
壁がたまたま脆くなっていて、叩いたら壊れた、などという幸運があるかもしれない。
しかし、壁は一枚ではなく、目的地までには何枚、何十枚、何百枚と立ちはだかっている。
また、運よく次の壁が壊れるのを待つしかない。道が開ける前に、寿命で死んでしまうだろう。
全ての壁が、一瞬で壊れでもしない限りは。
それはもう、偶然、幸運を越えた、ありうべからざる奇跡である。
劉備が期待しているのはそれだ。
自分が、合理の壁で彼を囲うならば、彼はその壁を飛び越える奇跡を欲している。
彼の見出だした道は、曹操とは真逆、行き詰まった現実に拘泥するのではなく、現実の枠を越えた何かを探すことだろう。
その兆候は、既に顕れている。
瞬間移動を使う的盧、張飛が見せた謎の力……
その謎の中心にあるものには、既に目星がついている。
諸葛孔明。
劉備軍に突如として加入した、謎の天才軍師。その経歴は、全てが謎に包まれている。
彼の頭脳の程は分からない。少なくとも、この長坂で、策略の気配は感じられなかった。
それが問題なのだ。いかな巧妙な策であれ、“引っ掛かった後”でならば、それは必ず露見する。
此度の戦にはそれがない。だが、何の策も用いずして、曹仁、曹洪の追撃から逃れられるはずがない。
自分は、彼らを信頼している。しかし、本当に何の策もないとしたら……
策以外の“何か”を使ったと考えるのが妥当。
常識を、合理を越えた“何か”……劉備は、その一部を既に手にしている。
(そうか、それがそなたの戦い方というわけか……)
この余が求めてやまぬ人間の力ではなく、人外の力で持って天下を制しようというのだな……
余が手に入れたくても手に入らぬ、何より尊き人間の心を手にしていながら!
よかろう、かかってくるが良い。
望みを捨てず、手段を選ばず、そなたに出来る全てを尽くして余に挑むがいい。
余もまた、そなたを屠るために全力を尽くそう。
“あやつ”とは違い、そなたは決して退くまい。
余かそなた、いずれかが滅びぬ限り、乱は終わらぬ。
その膨れあがった野心を喰らい尽くした時――
余は、あるいは――