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三国羅将伝  作者: 藍三郎
132/178

第二十章 美周郎(二)

 夏口に上陸した孫軍は、怒涛となりて黄祖軍を追い散らす。

 それは、今まで彼ら水賊によって虐げられてきた、呉の民草の恨みを晴らすような猛進であった。

 その先陣を切るのが、孫軍の勇将、太史慈たいしじである。


「どきな……! 陸に上がったてめぇらなんぞ、雑魚以下の死にかけでしかねぇんだよ!」


 茶色の長髪を振り回し、鉄甲で覆われた両脚を振り回す太史慈。

 進路上の障害となる敵を、片っ端から“蹴”散らしていく。


 盾を構えて防御の体勢を取る黄祖兵。

 しかし、太史慈の脚力はその盾ごと敵を吹き飛ばす。

 蹴りの速さと鉄脚の重量が組み合わさり、巨人の斧に等しい破壊力を生んでいるのだ。


 回し蹴りを放ち、その風圧で敵兵を宙へと舞い上げる。

 高速の蹴りの連打は、槍衾となって敵兵の群れを貫き通す。

 眼にも止まらぬ両脚は、漆黒の旋風となりて、近寄るものを全て蹂躙していく。


 黄祖軍は、そんな太史慈に恐れをなし、逃げ出す者も少なくなった。

 凶暴で荒くれ揃いの水賊であるが、彼らの本分は奪い侵すこと。

 攻めの戦になれば、その獣性を解き放って蛮行の限りを尽くすが、その分守勢に回れば酷く脆い。

 このような、劣勢に追い込まれ守りに回らざるを得ない状況に慣れていないのだ。


 まして太史慈の強さはまさに爪牙を備えた猛獣そのもの。

 本来狩る側にいるはずの彼らは、この時狩られる側へと回ったのだ。

 

 兵力においても士気においても、黄祖軍はズタズタだ。

 既に勝敗は決したも同然。

 後は、基地の最深部まで進み、黄祖の首級を取るだけだ。

 だが、一つ気になることがある。それは……


凌統りょうとう!!」


 その青年は、水色の着物を着込み、胴には青い鎧を装着している。

 青い瞳に女性のような整った顔立ち、前髪を中央で分け、長く伸びた黒髪を後ろで束ねている。

 腰にはやや反り返った刀を下げており、戦場だというのにその刀は鞘に仕舞われたままになっている。

 刀を抜かぬまま、青年は柄に手を当て、敵陣へと走り出す。

 その加速はまさに疾風。束ねた髪が風を受けて地面と水平の位置を保っている。

 殺気に満ちた黄祖兵が武器を手に脳天を叩き割ろうと襲い来る。それでもなお、凌統は刀を抜こうとしない。

 青年の目に恐れはない。それどころか、彼らを敵とさえ見なしていない。

 あれらはただの障害物だ。彼の瞳の奥にある殺意は、さらにこの先にいる男に向けられている。

 敵が自らの制空圏に入った瞬間……青い火花と共に、刃が抜き放たれる。

 刀身が虚空を駆け、敵兵の胴体に食い込む。三人の兵士は、身に纏った甲冑ごと両断される。


 限界まで刀を鞘に仕舞い、抜刀時の加速により神速の斬撃を生み出す。

 やや反った形状の刀も、より抜刀の速度を上げるため。

 これぞ、遥か東方の島国より凌家に伝わったとされる剣技“居合いあい”だった。


 凌公績こうせきは、無言のまま刀を鞘に仕舞う。藍色の瞳には、僅かながらも感情の揺れが感じられない。

 ただ、押し込められた殺意があるだけだ。


「太史慈将軍、何か?」


 まるで感情の篭らぬ冷徹な声で、太史慈に応じる。


「い、いや、無事ならそれでいい……

 あんま気ぃ張り詰めすぎんなよ、って言いたかっただけだ」

「お心遣い感謝します……ですが、私には何の問題もありません」


 確かに、凌家秘伝の抜刀術は、戦場においてさらに冴えを増している。

 並みの敵では、凌統に傷一つつけることすら敵うまい。


 だが、凌統が幼い頃から、凌家に出入りしていた太史慈の目には、そうは映らない。


 彼は危うすぎる……

 最愛の父、凌操りょうそうが黄祖軍との戦で討ち死にしてから、彼は変わってしまった。

 凌操は太史慈の友人であり、凌統と太史慈の親交はそれが切欠となっている。

 だからこそ、分かる。凌統がどれだけ父を愛していたが……父を失った凌統が、どれだけの悲しみに苛まれたか……

 大切な者を失う悲しみは、痛いほど良く分かる。他ならぬ太史慈がそうだったからだ。

 凌統にとって幸か不幸か……孫策の時と違い、凌操の場合は、殺した相手がはっきりしていた。

 その人物に対して、凌統が復讐の念に取り付かれることを、太史慈は否定し切れなかった。


「だ、駄目だ!とても勝ち目がねぇ!」

「逃げろぉぉ!!」


 太史慈、凌統の強さに恐れを成した黄祖兵は、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 だが……


 逃げる彼らの正面を、黒い影が通り過ぎた。

 瞬間……兵士達の身体が裂け、内に詰められていた鮮血と臓物が盛大に吹き出る。

 彼らの命を奪った凶器の正体は……上階から垂れ下がった鎖に接続され、振り子のように円弧を描いて揺れている、黒いいかりだった。

 犠牲者の血をたっぷり吸い、赤い雫を地面に零している。


「黄祖が言っていたよ。この世で一番役に立たないものは、戦場で逃げ出す兵士だって」


 少年らしき若い声が、朗々と響き渡る。

 いつの間にか、上層には一人の少年が座っていた。

 顎の辺りまで伸ばした雪のように白い髪。

 黒い水賊衣装を身に纏い、頭には髑髏印のついた、黒い扇型の帽子を被っている。

 顔立ちは整っているが、肉食獣のごとき双眸と、口に浮かんだ嗜虐的な笑みは、獰猛で残忍な印象しか与えない。


「だったら、僕が殺しちゃってもいいよね。

 生きていたら何の役にも立たない命でも……切り裂いちゃえばほら、あんな綺麗な花火になるんだから……」


 先程の光景を思い出し、彼はうっとりと頬を染める。


 それとは対照的に……凌統の顔は、完全なる憤怒に染まっていた。目を開き、歯を食いしばり、憎悪の篭った視線で少年を睨み付けている。


「待て、凌……」


 太史慈の制止も、彼の耳には届かない。

 次の瞬間、凌統はひとっ跳びで少年の元へと跳躍し……加速しながら刀を抜き放つ。

 斬られたことすら相手に知覚させない、神速の抜刀術、居合。

 見えない刃による一閃を……


 少年は、錨型の刃で事もなげに防いでいた。

 二人の武器がぶつかり合う金属音が、辺りに響き渡る。


 互いに至近距離、一方は憎悪に燃える瞳を、もう一方は歓喜で潤う瞳を交錯させている。


「凌統! 無理すんな、今助けに……」


 太史慈が飛び上がる前に、凌統は大声で叫ぶ。


「太史慈将軍! こいつは私が食い止めます!

 貴方は一刻も早く先に進み、黄祖の首を落としてください!

 それが私達の、果たすべき任務のはずです!!」

「ぐ……!」


 それを言われると弱い。この戦は、長江を荒らし回る水賊のかしらであり、孫家三代にとって因縁の相手である、黄祖を討ち取ることだ。

 孫呉の将兵は、打倒黄祖を胸に並々ならぬ気概でこの戦に臨んでいる。

 もし、今回もまた黄祖を取り逃がすようなことがあるならば、孫呉軍の士気に甚大な影響をもたらすことは必定。

 孫呉の今の勢いは、勝ち続けているからこそ保たれている。

 その躓きは、いずれ来るべき決戦に響いてくるだろう。

 ゆえに、先陣を走る太史慈は、何を捨ててでも先に進み、黄祖を討たねばならないという、凌統の判断は正しい。

 太史慈は、今や孫呉軍の将軍だ。私情より大義を優先させなければならないことも分かっている。


 だが、同時に太史慈は気付いていた。凌統にとって、それは建前に過ぎない。

 彼の根底にあるのは私怨。ようやく見つけた仇、誰の邪魔も入れずに、恨みを晴らしたいのだ。


 誰よりも私情で動いている男が、他者には私情を捨てろと言う。

 それは矛盾だ。

 しかし、今の太史慈の立場上、それを拒絶することはできない。

 凌統は、大義に乗っ取りながら、同時に復讐を果たすこともできるのだ。


(いつの間にやら……随分と小賢しくなりやがって……!)


 決断するのは早かった。

 自分は畢竟、どこまで行っても軍人なのだ。


「凌統ぉ! 絶対に無理をするな! もうじき後続が来る! それまで持ちこたえるだけでいい!」


 今の声が、凌統に届いたかどうかは分からない。

 返事を聞くことなく、太史慈は自分の隊を率い、奥に向かって駆け出した。







「くすくす、どうしたのぉ?そんなに張り切っちゃって。随分と僕にご執心みたいだけど……」

「五年前! 貴様が殺した男の名を覚えているか! 私と同じ刀を使った男だ!」


 凌統は、抑えられぬ殺気を込めて叫ぶ。

 五年前にも、呉は黄祖軍による侵略の危機に晒された。

 当時は領地の混乱もまだ治まらず、再起を図る孫家にとって最も苦しい時期だった。

 黄祖、そして背後にいる劉表は、今こそ好機と見做し、今までに無い大軍で孫呉を攻めた。

 その中に、この少年も加わっていたのだ。


 少年は、当時のことを思い出し、表情を笑顔に変える。


「五年前かぁ……そうそう! 楽しかったなぁ、あの頃は。いっぱい、いーっぱい殺したもんねっ!!」


 心底愉しそうにあの殺戮を語る少年を見て、凌統の怒りはさらに強まっていく。


「さっきの君の剣、どこかで見たことがあると思ったら……思い出したよ!

 あの時、一番綺麗な“なかみ”していた人のだ!」

「その武人の名は凌操! そして、私はその息子、凌統! 字は公績!」

「息子? ああ! そういうことか! これが、“仇討ち”っ奴なんだねっ! あははははははっ!」


 新鮮な喜びを得て、少年は笑う。


「あの日以来……貴様の顔と名前を忘れたことはなかった」

「嬉しいこと言ってくれるね!」

「我が父の無念、今この場で晴らしてくれる!

 覚悟せよ! 甘寧ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!」



 甘寧かんねい、字は興覇こうは


 孫策による最後の黄祖討伐の時にも現れた少年は、五年前、黄祖軍の武将として再び孫呉軍の前に立ちはだかった。

 あの時のことは、今でもはっきり思い出せる。

 凌統にとっては初陣の戦だった。

 父から教えられた剣技で外敵を討ち、父と共に主君のために戦う……凌統にとってそれは、ずっと夢見て来た時だったのだ。

 しかし、希望に満ちた彼の顔は、たちまち絶望で塗り替えられることになる……


 先行した父が、攻めあぐねているとの報が入った。凌統は後詰めに混じって、父を助けに向かった。

 この時、周瑜と太史慈率いる本隊が既に黄祖軍の旗艦を落としていた。

 既に勝敗は決しており、後は残存勢力を掃討するのみ。

 凌統の心にも、些か緩みがあったと言わざるを得ない。

 苦戦する父上を助けていいところを見せてやろう……そんな子供じみた考えさえ生まれていた。


 だが、曲がり角から顔を出した時、彼の目に映ったのは……



 あはははははははははははははははははっ!!



 耳障りな声で笑う少年と……


 

 宙空に舞う、父の生首だった。



 

 最初、凌統には目の前で起こった事態を、正しく把握することが出来なかった。

 視線を下に移し、刀を抜いたまま固まっている首無しの身体を見た時……

 父は死んだのだという現実だ、頭の中に飛び込んできた。

 受け入れるにはまだまだ早い。

 だから凌統は、その後の光景もただ見ているしかなかった。


 白い髪の少年は、父の首を刎ねたであろう、鎖で繋がれた錨型の刃を戻し、父の身体をズタズタに切り刻んだ。

 肉が裂け、骨が割れ、血が溢れ、臓物が飛び散る。

 少年は狂った笑い声を上げながら、父の亡骸を損壊する。

 口を大きく開け、髪を振り乱し、猫科の動物を思わせる銀色の瞳を、爛々と輝かせている。

 少年の顔は、まるで宝物を見つけた子供のように、歓喜に染まっていた。


「うひひ! ひひ! あひゃははははははははは!! ひぃぃははははははははははは!!」


 全身を返り血で染めていく。その赤色は、凌操だけのものではなかった。

 彼の周囲には、十数人の兵の屍が転がっている。

 どれも腹を裂かれ、頭蓋を割られ、四肢をもがれ、人の形を留めないほど破壊されている。

 皆、父に付き従っていた部下達だ。


 凌統は、その場から一歩も動けなかった。

 父を失った衝撃と、圧倒的な恐怖に、身体が完全に麻痺していたのだ。

 凌統だけではなく、他の兵達も同じだった。

 彼らはなまじ経験がある分、より鮮明に理解できたのだろう。

 目の前にいる少年が、今まで遭遇したこともない真、の怪物だということに。


 少年は、凌統達に気付く前に、長江の方角を見た。

 黄祖軍の船団が、煙を吐きながら後退しているのが映った。


「なぁーんだ、黄祖の奴、もう負けたんだ。おいてけぼりは御免だよっと」


 少年は、錨に付着した血を払うと、河に向かって去っていった。




 結果として、凌統は命拾いした。

 もしもあの時激情に任せて少年に襲い掛かっていたら……間違いなく、父の後を追うことになっただろう。

 父を倒したほどの相手に、未熟な自分が勝てるはずもない。

 冷静に判断すれば、あの時留まっていたのは正しい。

 だが、目の前で父を殺され、その仇を前にして何も出来なかったことが、どれだけ凌統の誇りを傷つけたか……想像に難くない。

 彼は己の弱さと、父を殺めその亡骸を辱めた少年、甘寧を激しく憎んだ。

 そしていつの日か、必ず彼を討ち取ることを誓うのだった。


 名将、凌操の死が、孫呉に与えた痛手は大きい。

 盟友太史慈を始め、多くの将兵が涙した。

 だが、彼らは悲しみを力に変え、黄祖への闘志をますます燃え上がらせた。

 孫策の時とは違い、孫呉の勢いは衰えることなく、それどころか、この年領地の混乱をほぼ平定し、かつてない大発展を遂げていくことになる。


 この後も、黄祖は何度か孫呉の領土を侵したが、彼は既に虎の尾を踏んでしまった。

 餌にありつくどころか、怒りに燃える孫呉の猛反撃にあい、どの戦も散々に打ち破られた。


 その五年間……凌統はひたすら鍛錬に明け暮れた。

 父の高みに昇り、そして父を越える。全ては、甘寧をこの手で殺すため。

 仇討ちという目的のために、凌統は毎日血の滲むような修練を積んだ。

 戦場においても積極的に前に出て、実戦経験を重ねた。


 その努力と鍛錬の成果もあり、凌統は在りし日の凌操を思わせる、立派な武人に成長していた。

 生前、凌操も口にしていた……凌統むすこの才能は、親である自分を凌駕すると……



 一方、甘寧もまた、黄祖軍の戦においては必ず参戦していた。

 凌操をも屠ったその戦闘能力は、孫呉の将軍達も警戒を強めた。

 彼が現れるところ、血の雨が降り、大地は赤く塗り潰される。

 黄祖軍の他の武将と比べても、まるで別格の実力者。甘寧は対黄祖戦における、最大の障害と見做された。


 大都督、周瑜は、あらゆる手を尽くして甘寧を抹消しようとした。

 しかし、甘寧は狂った精神を持ちながら、同時に恐ろしく頭の回転が速く、狡猾だった。


 程普、韓当、黄蓋、朱治……呉の四将軍が待ち伏せし、一斉に掛かって来た時は、勝ち目は薄いと見て迷わず遁走し、行く手に罠を仕掛けられた時も、その気配を敏感に察知し、即座に後退する。

 結局甘寧を討ち取ることはできず、兵卒の犠牲が増えるばかりだった。


 この五年間、凌統と甘寧は何度も戦場を同じくしながらも、一度も直接対決の機会に恵まれなかった。

 全ては、周瑜の采配によるものだ。

 彼の指示により、凌統は甘寧とかち合わぬ場所にばかり送られたのだ。

 凌統は、これに対して不満を持つことは無かった。

 父亡き後、凌統の剣の師は、同じく凌操に居合を学び、その全てを修得した周瑜となった。

 兄弟子……とは厳密には違う。周瑜が凌操に師事したのは、凌統よりも後……凌操が孫呉軍に加わった後のことだからだ。

 その後一年で……周瑜は、居合の真髄を学び取り、凌操すらも上回る使い手となった。

 自分や父が長い年月をかけて到達しようとしている高みを、周瑜はただの一年で登り詰めて行ったのだ。

 父も言っていた……周公瑾は、自分たちとは次元の違う天才なのだと。

 自分たちが苦心して一つを学ぶ間に、悠々と百を学んでいる……周瑜とはそういう男なのだ。

 嫉妬する気も起こらない、あまりにも規格外の才能。凌統も、その才に魅せられた男の一人だった。

 周瑜は多忙ゆえに、直接剣を教わる機会は殆ど無かったが、それでも凌統の実力は熟知している。

 その周瑜が、今は戦ってはならないと判断したならば、それに従うべきと思ったのだ。

 自分の目的は、父の仇甘寧をこの手で仕留めること。しかし、未熟な腕で挑んで、むざむざ返り討ちにあっては意味が無い。

 命を燃やす時……それは、甘寧に打ち勝つ絶対の自信が生まれた時のみだ。

 屈辱に耐え、憎悪を押し殺し、凌統はひたすら己の剣を磨き上げていった。


 だが、天はついにこの二人を巡り合わせた。これが周瑜の采配なのかどうかは分からない。

 いずれにせよ、仇を前にした今、凌統が己の憎悪の奔流を止めることなど、出来ようはずもなかった。


 両者の武器の間で火花が散る。弾かれた二人の間で、一定の距離が開く。


「あはっ、あははははは!」

「何が可笑しい!」

「君って、そんなに僕を殺したいんだ?

 そりゃそうだよねぇ、大事なお父さんを殺しちゃったんだから!

 君のはらわたがぐつぐつぐつぐつ煮えたぎっているのがよぉぉく分かるよ!

 君の血を浴びたら、きっと焼け爛れちゃいそうだねっ! あはははははははっ!!」


 ひとしきり笑った後、甘寧はこう言い放つ。


「そんなに僕を殺したいなら、誰の邪魔も入らないところでじっくり殺り合おうじゃないか! ついておいで!!」

「ま、待てっ!!」


 頭に血が昇った今の凌統には、甘寧以外見えていない。

 怒気を漲らせ、甘寧の後を追った。

 この場に程普、黄蓋率いる後続が到着したのは、すぐ後のことだった。





 夏口の基地内部は、極めて入り組んだ構造をしており、一見では分からない隠し通路や地下道がいくつもあった。

 今、凌統と甘寧がいるのも、そんな通路の一つ。

 逃げる甘寧を全速で追う凌統。


「あはははは! まさに鬼気迫るって感じだねっ!

 君の中身はどんな色をしているんだろ? 僕も君に興味が出てきたよ!!」

「中身だと!?」

「そうだよ! 人間は命の塊だ! その中には、夢も希望も、喜びも悲しみも、怒りも憎しみもありったけ詰まってる!

 その袋を断ち割って、赤い詰め物と共に全てが飛び散る瞬間と来たらもう……たまんないよ!

 死を迎えた時にこそ、命は最も輝くんだ! 全く人殺しって最高だよね!!」


 こいつは……こいつは!

 こいつは完全に壊れた狂人だ。

 戦に懸ける大義や名誉など、こいつには微塵もない。

 自分の歪んだ快楽のために、人を大勢殺して、何一つ恥じることはない。

 父は、こんな理由で殺されたのか……

 あの父の無惨な死に様は、ただこの男の欲望を満足させるためだけのものだったというのか……


「許さん……貴様だけは、絶対に許さんっ!!」


 せめて武人同士の立ち合いならば、父も浮かばれただろう。

 だが、こいつは武人の風上にもおけない、ただの薄汚い外道だ。

 生かしておいてはいけない存在だ。

 凌統の殺意は、さらに濃密に凝縮されていく。

 甘寧がこのような真性の快楽殺人鬼であったことは、凌統の士気を高める上では幸いだったのかもしれない。



 既に刀は鞘に仕舞われ、柄に手が掛けられている。

 怒りに任せ、一撃必殺の居合を繰り出さんとする凌統。

 だが、加速をかけた直後、眼前に黒い錨が迫って来るのが見えた。


 凌統は、直ちに刀を抜き放つ。刀によって錨は弾かれ、再び甘寧の手元に戻る。

 居合の真髄は、その比類なき加速にある。

 抜刀と自身の加速を重ね合わせることで神速を生み出し、一瞬で敵の懐に到達、知覚する間も与えず敵を両断する。

 だが、そのあまりの速さゆえ、加速中は防御も回避も不可能。

 今のように正面に刃が迫ってくれば、避けることも出来ず首をはねられてしまう。

 先程は最高速度に達する直前で、何とか踏み止まることができた。

 さすがに父を倒しただけのことはある。居合の弱点は既に知り尽くしている。


 沸々と沸き上がる怒りの中で、もっと冷静になれと自分に言い聞かせる。

 どれだけ邪悪な外道であっても、相手は父を倒し、黄祖軍随一の使い手。

 今まで周瑜や四将軍が結束して掛かっても、仕留めきれなかった相手なのだ。

 しかし、だからこそ、自分には好機がある。

 こいつは自分を舐めきっている。その気になれば、楽に殺せると思っている。

 だから、逃げない。即ち、逃がすことなくこいつを討ち、復讐を果たすことができる。


「あははははは!いいねいいね!

 その火傷しそうなほどの殺意と憎悪!

 君の命をじゅっくじゅくに熟成させてくれるよ!

 果物だって、熟れきった頃に砕くのが、一番派手に飛び散るからねぇ!!」


 甘寧は錨を振るい、中距離から猛攻を仕掛ける。

 鎖は海蛇の胴体のようにしなり、錨はうつぼの頭のように獰猛に襲い掛かる。

 反撃手段のない凌統は、居合の修行で培った俊敏な動きで凌ぐしかない。


「あは、あははははっ!! ほらほらぁ!そう簡単に死なないでよ!!

 僕は、君の真っ赤に真っ赤に熟したなかみを見たいんだ!!

 足掻いて走って焦って憎んで精一杯生きて、その命を美味しく肥え太らせておくれ!!」


 甘寧にとって、生と死は表裏一体。その生が彩りに満ちたものであればあるほど、死の輝きもまた強まるのだ。

 いうなれば、生とは実りある死を育てるための準備期間。

 信念や熱情といったものは、死の味を引き締める香辛料だ。

 ゆえに彼は、より気骨のある者との殺し合いを好む。

 甘寧は好んで闘争を行うが、呂布のように戦闘行為そのものに愉悦を感じているわけではない。

 彼は殺人鬼であって戦闘狂ではない。

 しかし、極限の死闘は獲物の魂を錬磨し、命の価値を引き上げる。

 闘争は、その者の持てる全てを引き出すのに、最も手っ取り早い手段。

 戦いの果てに散り行くなかみこそ、鑑賞する意味がある。

 彼の目的はあくまで殺人。闘争は、獲物の価値を高めるための儀式なのだ。

 人間は、己の欲望に忠実になった時こそ、最大級の力を発揮できる。

 甘寧もそれに倣っているからこそ……十全の戦闘能力を引き出せるのだ。


「ホント、今はい~い時代だよね!

 幾ら人を殺しても、それが戦場である限り、咎められることも追い回されることもないんだから!

 僕にとっては、今の乱世はまさに天国だよ!」

「貴様のような……貴様のような奴がいるから、乱世はいつまでも終わらないんだ!!」


 断じて生かしてはおけない。

 もはや父の仇という個人的な問題だけではない。

 殺人を愉悦とするこの男の在り方は、孫呉の平和に必ずや害をもたらす。

 何が何でも、この場で葬り去らねばならない。


「ふぅん、じゃあ、君は何を思って人を殺しているの? 愉しいからじゃ、ないの?」

「私が戦うのは、この孫呉の地を護るためだ!

 貴様のように、己の欲望のためなどではないっ!!」


 そうだ。私はこんな男とは違う。

 違う、違う、違うんだ!


「“違うねっ”!

 君が戦うのは、僕を殺したいからだ!

 ずっと僕と戦いたかったんだろう? 殺したかったんだろう?

 顔を見ていれば分かるよ! さっきまでの君は、本当に本当に本当に、心の底から愉しそうだった!!」

「違う、違うっ!!」


 口では否定していても、心の中に靄が広がるのを抑えられない。

 自分は、父の仇討ちのために、今まで辛い修行に耐えてきた。

 父を殺した外道を討ち果たす、それが正義だと信じて……


 だが、復讐は所詮個人の問題。民のための大義とは、対極にあるものだ。

 あの時、甘寧の姿を爆発した感情は、果たして本当に義憤であったのか……

 人は、最も望むもののためなら、十全の力を発揮できる。

 あの長い修行の日々を耐えて来られたのは、いつか復讐を遂げる日が来るのが、楽しみで楽しみで仕方なかったからではないのか……


「おやぁ? どうしたのぉ? 随分動きが悪くなったよぉ?

 僕の言ったこと、そんなに堪えちゃったのかなぁ?」


 心の揺らぎは、体の動きに即座に現れる。

 甘寧の錨を回避する凌統の足捌きは、明らかに精彩を欠いている。


「でも駄目だ駄目だ駄目だそれじゃあ駄目だ!

 そんな半端な実り具合じゃあ僕が楽しめない!

 もっと、もっともっと僕を憎んでおくれ! 怨んでおくれ!

 お父さんだけじゃ、まだ憎しみが足りないかい?

 だったら、君の大切な人をもっともっと殺してあげよう!」


 凌統の脳内が、一瞬凍り付く。こいつは今、一体何を吐かしたか……


「さっきの茶髪の人?

 それとも、君の大切なお殿様なんて、どうかなああああぁぁぁぁぁぁぁ!?」



「うおおぉぉぉぉあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 かぁぁぁぁぁぁぁんねぇぇぇぇぇぇぇぇいぃぃぃぃぃぃ!!!」



 頭の中が、瞬時に焼き尽くされる。迷いは、理性と共に消し飛んでいた。

 今の凌統にあるのは、大義や復讐心さえも超越した、甘寧への純然たる殺意のみ。

 叫んだ直後には、大地を蹴って駆け出していた。

 加速しながら、鞘から刀を抜き放つ。理性を失っていても、何千何万という反復で身に刻み付けた神速の居合には、僅かな乱れもない。

 甘寧も当然それは読んでいる。先程と同じく、正面に錨を飛ばして迎撃する。

 湾曲した黒い刃は、凌統の喉元目掛けて飛んでいく。凌統の居合は、一度最大加速に入った以上、方向転換することは不可能。

 凌操同様、彼の生首も宙に舞うかと思われたが……


 凌統の姿が、甘寧の眼前から消失する。

 錨は標的を失い、虚空を通過する。

 凌統の体は、さらにその下を駆け抜けていた。


 加速中に進行方向を曲げることはできない。

 だが、加速しながら深く身を屈めることならできる。

 突進しながら地を這うほどに体を沈めるため、相手の目には突如消えたように見えるのだ。

 そのまま谷を描くように浮上し、一刀両断にする。

 これが、従来の居合の欠点を補った……“凌家伝来”の居合、その真髄である。


 甘寧の瞳は動かない。銀色の眼は、微動だにせずに前だけを見つめている。

 彼は凌統の姿を見てはいない……






 見る必要がないからだ。


 水平に飛んでいた錨が、突如として垂直に折れ曲がる。

 その刃は、真下にいる凌統の元に落下し………



 真っ赤な鮮血が、宙空に噴き上がる――


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