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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第二十章 美周郎(一)

 渾元暦208年 揚州……


 “江東の小覇王”孫策の急死により、一時はその存続さえ危ぶまれた孫呉勢力であったが、跡取りとなった孫策の弟、孫権は、基本に立ち返り、各地の豪族の仲を取り持ち、民に優しいきめ細やかな善政を行うことで、地盤の安定に努めた。

 これにより、領地の混乱は迅速に収まり、長きに渡り平和を維持することができた。

 孫呉は七年をかけて急速に発展し、今や中原の曹操に次ぐ勢力となっていた。

 孫権の内政の手腕は父や兄を上回るとされ、周瑜しゅうゆ張昭ちょうしょうら先代から仕える有能な側近の存在もあり、孫呉はその繁栄を盤石なものとしていった。


 しかし、この七年全く争いがなかったわけではない。

 劉表の配下であり、江夏こうかを支配下に置く黄祖こうそが、子飼いの水賊を動かし、孫呉の領土を襲わせた。

 孫呉にとっても、荊州と揚州の州境にある江夏は、荊州進出のためには抑えておかねばならぬ重要拠点で、水賊を迎撃しつつ水軍を鍛え、黄祖との決戦に向けて力を蓄えていた。

 そして今年……孫呉軍は、艦隊を率いて黄祖の本拠地、夏口かこうに攻め入った。






「黄祖軍は、夏口に船を並べ、こちらを迎撃する構えのようです。

 船の数、兵力共にこちらが倍以上の差をつけていますが、狭い湾内ではその全ての力を出しきれません。

 一方、ここは黄祖軍の拠点、彼らにとっては庭のようなもの……地形や海流を熟知していることは元より、幾つも罠を仕掛けているものと思われます」


 そう言って、呂蒙りょもうは報告を終えた。

 

 彼の名は呂蒙、字は子明しめいという。

 かつては周瑜に取り立てられた阿蒙あもうという少年だったが、七年の時を経て凛々しい青年へと成長した。

 短く刈った銀髪に、精悍な顔立ちをした青年で、引き締まった体躯を青緑色の軍衣で包んでいる。

 沈着冷静な態度と、鼻にかけた銀縁の眼鏡が、深い知性を醸し出している。


 しかし、数年前までは、今とは全く違い、剣を手に戦場の只中に飛び込んでいく、荒々しく、勇猛果敢な戦士だった。

 だが武門一辺倒では立派な将帥にはなれないと気づき、学問に打ち込み始めた。

 元々真面目で勤勉な性格である。昼夜問わず学問にのめり込み、貪欲に知識を吸収し、今では並みの軍師以上の知性を持つ、知勇兼備の将へと成長した。

 久々に彼に会った友人は、その変貌ぶりに驚いていた。


「既に包囲は完了しております。大都督だいととく殿の指示があり次第、攻撃を開始いたします」


 大都督と呼ばれた男は、椅子に腰掛け、呂蒙の言葉に耳を傾けていた。


 周瑜しゅうゆ、字は公瑾こうきん


 孫策とは、“断金の交わり”とまで呼ばれた親友で、孫権の急死で滅びかかった孫家を立て直したのは、彼の働きによるところが大きい。

 孫策亡き後も、孫家に代わらぬ忠誠を捧げ、孫権と共に今日までの繁栄を築き上げてきた。

 呉に無くてはならぬ忠臣であり、天下に比類無き天才軍師である。

 現在彼は、軍部の全権を預かる大都督だいととくの地位にあり、その証たる青色の軍服を身にまとっていた。

 今回の黄祖討伐も、彼が指揮を執っている。


 背中まで伸びた長い黒髪を中央で分け、鋭く伸びた切れ長の眼には、青金石の瞳が輝いている。

 その肌は白磁のように滑らかで、思わず見蕩れるほどに美しい顔をしている。


 それゆえ彼は、“美周郎びしゅうろう”と称されていた。



 周瑜は眼前の船団から目を逸らさぬまま、傍らの呂蒙に話しかける。


「……これまで黄祖は、何度も水賊をけしかけ、孫呉の領土を侵してきた。

 それは、元より勝利することが目的ではない。

 我らの力を量るためだ。“来るべき決戦”に備えてな……

 我らの急所や弱点は、既に熟知していよう……が、それしきのことで、この戦況が覆るはずもない。

 今の我らには、いかなる罠であろうと正面から捩伏せるだけの力がある」

「自分も同意見です、周瑜様」

「だが……我らの戦いは、さらにその先にある。水賊相手に、貴重な孫呉の兵を、一兵たりとも無駄にしたくはない……」

「はい……」

 

 呂蒙は、五年前のことを思い出す。

 あの時、黄祖の手の者によって、孫呉にとって掛け替えのない男の命が奪われた。

 あんな悲劇はもう沢山だ。


「奴が我らの手の内を熟知しているならば、奴らの頭の内に無いものを繰り出すまで……」

「では、あれを……」

「一度は実戦で動かしておく必要がある。もう、猶予はあまりないのだからな」


 周瑜は椅子から立ち上がり、青の瞳で再度敵陣を見据える。


「かつて黄祖を討とうとした我らが大殿、孫文台は、志半ばにして斃れた。

 同じく、黄祖を後一歩追い詰めた我が友、孫伯符もまた、何者かの手にかかり、命を落とした。

 そして黄祖は今また劉表の走狗となり、我らの領土を侵している。

 奴は孫家三代にとって因縁の相手になるかもしれない。だが……


 私は、そのような思い上がりを許さない。


 奴は取るに足らぬ賊党だ。今日まで奴が生き延びて来られたのは、ただ運がよかったからに過ぎない。

 それを思い知らせるためにも、奴はこの戦で、完全に潰す。

 賊がのさばる時代は終わったことを、天下に知らしめるのだ」


 周瑜も、黄祖が孫家三代を敵に回して、ただ天運だけで生き延びて来られたとは思わない。

 奴には、引き際を見切る賢さがある。賊ならではの、乱世を生き抜くしたたかさがある。

 生き残った者が勝者……それが戦場における唯一無二、絶対の掟。

 それに照らせば、黄祖のありようも間違いではない。


 だが、それを認めるわけにはいかない。

 誇りも正義もなく、ただ卑しかない賊の生き方を認めてしまっては、彼らを更にのさばらせることになる。

 それで苦しむのは力無き民草だ。

 これから始まる新時代に、賊の生きる場所はない……それを知らしめるためにも、必ずや黄祖を叩き潰さねばならない。


 呂蒙は、思わず総身を震わせる。

 普段沈着冷静な周瑜が、時折見せる殺気……骨の髄まで凍りつくような思いがする。


(初めてお会いした頃から、冷静さの中に情熱を併せ持つ方だったが……孫策様の死後、それが氷の刃に変わってしまわれたようだ……)


 こういう時の周瑜は本当に恐ろしい。

 だが、彼の冷徹なまでの判断力と、徹頭徹尾孫家に尽くす意志の強さこそが、孫呉軍を中華屈指の水軍に鍛え上げ、幾度となく外敵を退け、孫呉の安定を守ってきたのだ。

 武人としても、軍師としても、そして臣下としても非の打ち所のない、孫呉が誇る不世出の天才。

 呂蒙は、そんな彼を強く尊敬し、いつの日か彼のような男になることを目指し、日々勉学と鍛錬に励み、こうして周瑜の側で、全てを学び取ろうとするのだった。





「ゲラララララララ! さぁて、どうでるかな? 孫呉の大都督様は!」


 黄祖は、夏口の水軍基地に陣取り、物見台から戦場となる大河を見渡していた。

 彼の左手は、湾曲した鈎状の義手になっている。大好物の油で揚げた海老を右手で掴み、口へ放り込む。

 辺りには空になった酒瓶が転がっており、彼の顔が茹でた蟹のように赤いのも、生来の肌の色のせいだけではない。

 強大な孫呉軍が攻めてきたというのに、彼には緊張の色などかけらも見えない。

 だが、油断しているわけではない。


 賊である彼にとって、人生はいついかなる時も愉しむもの。それは血で血を洗う戦場であっても変わらない。

 港を襲い、敵を殺し、金品を奪うのも、全ては己の快楽を満たすため。

 それ以上の意味など求めないし、倫理などという何の強制力もない枷には最初から縛られていない。

 彼は乱世という海を好き勝手に荒らし回る、根っからの水賊だった。それは、劉表の配下になってからも変わらない。


 元よりこの大海原は、地図も読めず、舵も切れない愚か者には渡れない。

 あちらこちらに大渦があり、油断していると突如発生した津波に飲み込まれて海の藻屑になってしまう。


 重要なのは、海の流れ、即ち世の流れを読み、それに順応する処世術。

 保身のためならば、強い相手には躊躇わず媚びを売る。強い奴が敵になったら、臆面もなく遁走する。


 海で鮫に喧嘩を売る馬鹿はいない。

 大切なのは、それが鮫かただの魚かを見極めること。

 そうすれば、鮫を恐れることもなく、旨い魚を食べ放題できる。


 強者にへつらい、弱者からは奪い取る。

 それが黄祖の生まれてずっと変わらぬ姿勢であり、最も利口と見なした生き方だった。

 事実、この生き方に忠実だったからこそ、彼はこの年までそれなりに満足して生きて来られた。

 欲望に忠実ながら引き際を心得、豪放磊落ながら切れ者。

 そんな彼の生き様に、多くの水賊が憧れ、“親分”として慕うようになっていった。


 戦況の変化を待ちつつ、酒瓶を丸ごと飲み干す黄祖。

 彼にとっては酒など水と同じ。

 むしろ酔えば酔うほど頭が冴えるため、大きな戦の際には浴びるように酒を呑む。

 そして戦いが終われば、戦勝祝い、あるいは敗北の憂さ晴らしと称して十倍の酒を呑むのである。


「親分ー! 親分ー! 孫呉の攻撃が始まりやした!」


 物見に遣わしていた部下の一人が、息せき切って入って来る。


「砲弾バンバンぶっ放してきたか? 生憎こっちの船は鉄板仕込みよ。せいぜい無駄撃ちさせちまいな」

「ち、違いますぜ!や、奴ら、とんでもねぇもん出してきやがった!」

「? なぁーんだそりゃ」

「水の上を走る、魚の化け物でさ!」


 次の瞬間……黄祖らの耳を、鈍い爆音が貫いた。


 黄祖軍の船が一隻、轟沈する音だった。







 孫呉の艦艇から発進したのは、水色の鎧を持つ、魚を模した兵器だった。

 魚の如き流線型の機体を持ち、その尾は高速で震動して推進力を生んでいる。

 機体前方の側面からは三つの爪の生えた、獣の如き腕が伸びている。



 無双甲冑、水虎スーフゥ

 

 孫呉軍が独自に開発した、水上戦用無双甲冑である。

 七年前、曹操軍の機械技師李典が開発し、官渡の決戦で多大な戦果を挙げた人型機械兵器、無双甲冑・悪来あくらい

 一兵卒を将軍級にまで引き上げるその戦闘力は強大無比、その後の袁家との戦いでも、曹操軍の主力として活躍し、敵対勢力からは鎧兜の悪魔として恐れられたという。

 現在は、約五十機ほどが量産されている。

 一機辺りにかかる費用は莫大で、そう易々と生産できるものではないが、大量生産できない理由は、動力源にある。

 無双甲冑の巨体を動かし、その名が示す無双の力の源となっているのが、太極磁石と呼ばれる鉱石である。

 徐州の一部でしか採掘できない、強力な電磁波を放つ物質で、現時点でこれを用いずして無双甲冑を 動かせない。極めて希少価値の高い物質で、五十という数に抑えられているのはそのためだ。

 しかし、百の兵より一人の将が重要視されるこの世界の戦においては、五十という数は二万の兵を上乗せする以上の脅威だった。

 剣も槍も、矢も弾も効かない鎧武者が、横にずらりと並んで突っ込んでくるのだ。

 その迫力たるや尋常なものではない。

 曹操軍の誇る無双甲冑部隊は、その武威でこれまで多くの敵軍の戦意を喪失させ、戦わずして勝利を手にしてきた。



 周瑜は、来るべき曹操との決戦において、自分達も無双甲冑か、それに順ずる兵器を手に入れなければと考えていた。

 単純に戦力差を埋めるためだけではない。相手と同じ兵器があると無いとでは、兵達の士気はまるで違ってくる。

 精強を誇る孫呉軍ですら、曹操軍の猛威に恐れをなし、降伏に傾く兵がいるのが現状だ。

 張昭を初めとする文官達がこぞって降伏になびいている今、軍部までもがそれに追従するのは何としても避けたい。

 曹操との徹底抗戦を唱える周瑜にとって、戦争に勝つためにも、また、自軍の士気を昂揚させるためにも、無双甲冑の開発は必須だった。


 曹操軍に潜ませた斥候の手で、戦場で大破した無双甲冑を密かに回収、本拠地・柴桑さいそうに運び込み、その解析と研究を全力で推し進めた。

 幸い揚州には、李典に勝るとも劣らぬ優れた技術者達が多く在住しており、周瑜に雇われた彼らは嬉々として無双甲冑の開発に取り組んだ。

 技術者達は、十数年前から漢王朝の腐敗と混乱に巻き込まれることを恐れ、平和な荊州や揚州、益州に逃れており、技術者の層という点では、曹操軍と互角以上と言ってよかった。


 動力となる太極磁石も、ある伝手つてを通して十数個ほど手に入れることが出来た。

 元々この石は、揚州でも僅かながら採掘されている。

 孫呉軍の船の一部には、この太極磁石が動力として使われているものもある。


 しかし、ただ曹操軍と同じ無双甲冑を再現しただけでは、彼らには勝てない。

 単なる数の問題だけではない。孫呉軍が必死で無双甲冑の機構を解明するのに血道を上げている間も、曹操軍は既存の無双甲冑を強化改造しているはずなのだ。

 その年月が生む性能の差は計り知れない。模倣ゆえの、避けられない弱点であった。


 よって、性能以外の部分で、曹操軍との無双甲冑との差を埋める必要があった。

 周瑜が目を付けたのは、孫呉の地形である。

 曹操軍との戦いでは、長江が戦場となることは間違いない。そして、曹操軍の無双甲冑・悪来は、水の上では全くの無力。

 ならば、水上で運用できる無双甲冑を作れば、曹操軍との水戦において差をつけられはしまいか……


 こうして完成したのが、水陸両用の無双甲冑・水虎スーフゥである。

 太極磁石の効果を応用し、機体の周囲に電磁結界を張り巡らすことで水面に浮き、水上を滑るように移動することを可能とする。

 開発者は孫呉の機械技師で、無双甲冑の解析にも携わった虞翻ぐほん博士である。



 水虎は現在全部で八機製造され、その内の六機が今回の戦に投入されている。


 六匹の水虎は長江の川面を切り裂き、黄祖軍の船に殺到する。

 艦からの砲撃では、素早く動く水虎を捕らえ切れない。あまりにも的が小さすぎるためだ。


 いかに砲弾をも防ぐ鉄板で覆われた船といえども、全てが鉄で作られているわけではない。

 必ず、木製の弱い箇所は存在する。水虎は小回りを生かして船の後方に回り込み、その部分を鋭利な爪で切り裂くのだ。 


 水虎に船底を貫かれ、沈みかけたところに孫呉艦隊の一斉砲撃を喰らってはたまったものではない。

 黄祖軍の船は、自慢の操船術を披露する暇もなく、次々に撃沈していく。

 黄祖軍は已む無く船を捨て、夏口の基地へと後退する。孫呉軍は船を接岸させると、夏口基地に軍を上陸させる。


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