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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十九章 孔明の出廬(五)


「……帰って来たようだぞ」

「本当だ、兄貴ー!」


 庵から歩いて来る劉備を見て、手を振る張飛。

 しかし、彼が近づくにつれて、気安く声をかけられない雰囲気であることに気付いた。

 劉備は歯を食いしばり、顔面を怒張させ、大地を踏み鳴らしながらこちらに歩いて来ている。


「げ、玄徳様!?」


 恐らく、徐庶は初めて目にするのであろう。

 ここまで怒りを前面に押し出した劉備の姿を。


「ど、どうしたんだよ、兄貴……」


 劉備は唇を震わせて何とか堪えていたが、やがて感情を爆発させる。


「ああああああああ!! あぁぁぁぁの無職引きこもり野郎ぉぉ!!

 好き勝手言いくさりやがってぇぇぇぇぇぇぇ!! 上等だぁぁぁぁぁ!!」


 思うがままにに叫び散らすと、近くの壁に蹴りを入れる。


「げ、玄徳様!どうか怒りをお鎮めください!」


 うろたえる徐庶。


「徐庶ぉ!!」

「は、はいっ!?」

「明日もまた来るぞぉ! 道案内しろぉ!!」

「か、かしこまりました! し、しかし、一体どうなされたのですか玄徳様!

 ま、まさか孔明先生が何か失礼なことを……」


「俺の前で、孔明ヤローの名前を出すんじゃね――!!」


「は、はい……」

 

 髪が吹き飛ぶほどの勢いで怒鳴られ、徐庶は萎縮してしまう。


「なぁ、どう思う?兄貴のあれ……」

 

 張飛は、関羽に意見を聞いてみる。


「本気で怒っているなら、また明日も来るなどという言葉は出ないはずだ。

 今はそっとしておくのが一番だろう」

「だよな……」


 さすがにこの二人は付き合いが長いだけに、劉備の心情をある程度解していた。

 劉備は常日頃から、己の感情を偽りながら生きている。その感情は、表に出ることのないまま蓄積している。

 それは喜怒哀楽様々で怒りや苛立ちという一つの方向性でくくれるものではない。

 行き場の無い感情は、何かをきっかけとして爆発する。それが傍目からは、怒っているように見えるだけだ。

 劉備は、いついかなる時も呼吸をするように嘘をつく。それは、激昂した時であっても変わらない。

 嘘は彼の生き方そのものに染み付いており、例え無意識下であろうも仮面を被ろうとする。

 幾多の感情を織り交ぜているため、本当の心情を悟らせない。

 劉備自身も、理解しえてはいないのだろう。


(しかし……我らの前とはいえ、あそこまで取り乱すなど、いつもの兄者なら有り得ぬこと……)


 それは、諸葛孔明なる人物が、劉備の器にも収まりきらない存在だからなのか……




 その日……新野城で待っていた劉表は、諸葛孔明がいないと知ってあからさまに落胆したが……

 劉備が明日また会いに行くと聞いて、すぐに機嫌を直した。

 孔明のために用意された宴会の席は、劉備のやけ酒に使われることとなった。






 そして翌日……


 劉備三兄弟と徐庶は、再び無名庵の門前に立っていた。


「兄貴ぃ~~大丈夫かよ? 昨日の酒がまだ残っているんじゃねーの」

「んあ……そうだな。気分は最悪だ。だがな、あのヤローの言葉を素面しらふで聞いていたら耳が腐る。

 こんぐれぇ酔っ払ってる方がちょうどいい」


 訳のわからない理屈を述べると、門の前に一人立つ。


「玄徳様、どうか落ち着かれますよう……」


 徐庶の願いは届かなかった。

 劉備は大きく息を吸い込み、猛烈な勢いで門を叩き始めた。


「おらぁ孔明ぇ! 起きてるかぁ!? どうせまだ寝てんだろうがこの寝坊助がぁ!!

 劉玄徳だ! 言われた通り今日また来てやったぞぉ!

 とっとと門を開けやがれ! 開けないとぶっ壊すぞおらぁ!!」


 声が枯れるほど怒鳴りつけたところで、門がまたもひとりでに開かれる。

 だが、完全に開く前に、劉備は門扉を蹴りつける。

 そして憮然とした表情のまま、先日同様兄弟達を門前に残し、一人で孔明の庵へと向かう。


「ありゃ完全な喧嘩腰だな。へっ、幽州で賊どもを相手に暴れ回っていた頃を思い出すぜ。

 まぁ、専ら荒事は俺と雲長兄貴の仕事だったが」

「そ、そんな……孔明先生……」







「ふぁぁ……何よ、また来たの?」


 襖を開き、目の前に立つ劉備を見て、諸葛亮は欠伸混じりの嘆息を漏らす。


「幼稚な暴力に恫喝、おまけに二日酔い。全く、どこまで見せびらかせば気が済むのかしら。己の小物ぶりを」

「礼には礼を返せって言うだろ。あんたの無礼には、これぐらいがちょうどいいかなと思ってよ」


 挨拶代わりに悪態をつく二人。

 劉備は乱暴に座布団に腰掛ける。


「つか何だその格好は。てめぇ、やっぱりさっきまで寝てたろ」


 今日の諸葛亮は、体面を取り繕う気など微塵もない格好をしていた。

 頭から布団を被り、顔だけ出して包まっている。

 顎を卓に置き、うずくまっている姿は、象亀ぞうがめ穿山甲せんざんこうを連想させた。


「てめぇにゃ恥じらいってもんがねぇのかよ。

 まぁてめぇにそんなもん期待するだけ無駄か」

「あ~ら、貴方に言われる筋合いはないわね。

 昨日あれだけ私にやり込められておきながら、何食わぬ顔でまたやって来る厚顔無恥さ加減には呆れを通り越して眠たくなっちゃうわぁ」

「何勝った気でいやがる。昨日は途中でてめぇが時間切れだの何だの抜かして引きこもっちまったんだろうが。

 白も黒もついてねぇ、中断状態だ。

 大体よ、てめぇの無駄に長いだけの毒舌なんざ、最初から効いちゃいねーっての」

「へぇ? 随分と鈍感なのね。

 鈍感と器の大きさを混同している馬鹿がよくいるけど、貴方もその口?

 それとも、私の言ったことが理解できないぐらい、単純に頭が悪いのかしら?」

ちげーよ。あんたの言ったことなんざ、何度も聞いてとっくに聞き慣れてんだよ。

 そんなもんで、この劉玄徳様の心を折れると思うんじゃねーぞ」



 嘘だった。


 正直に言うと、昨日はかなり堪えた。

 孔明が言葉を紡ぐたび、乱世で苦しむ民の姿が思い浮かんで、身を切り刻まれる思いがした。

 だが、聞き慣れているというのは本当だ。

 この七年間、ずっと責められ続けている。外ならぬ自分自身によって。


 もう一人の自分が、心の中で囁くのだ。

 曹操に降伏せよ……お前が生きている限り、乱世は深まり人は死ぬのだ、と……

 曹操に降ることが最善の道だということは分かっている。

 曹操に抗い続ければ、彼の愛する中華の民を苦しめ、死に至らしめるということも……

 分かり切った理屈なのに、それに背いてしまう自分の本性。

 民を幸せにしたいのに、民を苦しめてしまう矛盾。


 この七年間、彼はずっと自問自答を続けてきた。

 いくら振り払っても、決して消えることはない。

 寝ても覚めても同じ口上が繰り返され、肉体を直接切り刻まれる以上の苦痛で劉備を苛むのだ。

 それに慣れることはあっても、痛みそのものは全く変わらない。

 劉備は自ら抱えた矛盾ゆえに、永劫の拷問に苛まれ続けるのだ。


 昨日諸葛亮が放った罵利雑言は、劉備が繰り返してきたものと全く同じだ。

 いつも劉備が自問しているものと同じ文言が、諸葛亮の口から放たれている。

 ただそれだけのことだった。


「あんたの言っていることは全部正しいぜ。強欲で独りよがりの、人でなしの外道、それが俺の正体さ。

 これまで何人もの人間が、俺のせいで不幸になり、死んでいった。

 そして俺が生きている限り、それはまだまだ続くだろう……」

「あら、開き直り? そうよね、追い詰められた人間の取る道は大体そう。

 貝のように口を閉じるか、それがどうしたと開き直るかのどちらかだもんね。

 どんな追求も議論も封殺する、まさに無敵の切り札だわ」


 布団に包まったまま、諸葛亮は露骨な嘲りの笑顔を向ける。

 だが、劉備は全く動じず、話を続ける。


「ああ、そうだ。こんなのは自己満足にすらならねぇ、ただの開き直りだ。

 たが、どれだけ悩んでも、迷っても、結局答えは同じなんだ。

 俺は、立ち止まることはできねぇ。

 曹操に、この天下を預けておくことはできねぇんだ」


 煩悶と懊悩を繰り返し、眠れぬ夜を幾度となく越え、その度に導き出される答えは、決まって同じなのだ。

 


「それはつまり、天下は俺のものー!誰にも渡したくなーい!ってことかしら?

 まるで我が儘な子供ね。天下は、貴方にとって独り占めしたい玩具ってことなのね」

「ああ、そう受け取ってもらって構わねぇぜ。多分あんたの言う通りなんだろう。

 天下が俺以外の手の内にあると、居ても立ってもいられなくなる。

 天下を救うのは俺だ! 天下を救えるのは俺しかいない!

 子供ガキの頃から、俺はずっとそう信じてきた。

 それは今でも変わらねぇ。変わりようがねぇんだ!」


 いくら罪悪感が降りかかろうとも、どれだけ犠牲が生まれようとも……己の内にある本性は、それらを易々と払いのけ、前へ進む。

 天下に名乗りを上げてからの激動の半生で、そのことを嫌というほど思い知らされた。


「貴方が救いようの無い人間失格だということはよく分かったわ。

 私の想像以上の極悪人だってこともね」

「自分から死ぬことができたら、どれだけ楽だったことか」

「ええ、分かっているわ、貴方にそれは出来ない。

 何故なら貴方はいつだって、自分が生き延びることだけを考えているから!

 死ぬことなんて出来やしない。出来ないように出来ている!

 今だってそうよ。もしこの場で私が貴方に何か危害を加えようとしたら、外の二人が黙っちゃいないでしょうね。

 だから貴方はそんなに余裕こいていられるのよ」

「あんたは頭のいい人だ。全部察してくれると思っていた。

 そういう奴を脅しかけるのに、言葉は要らない」

「天下は己ただ一人のものだと言って憚らない強欲さ!

 他の何を犠牲にしてでも生き延びるようとする貪欲さ!

 こんな欲深い人間、本当に珍しいわ!

 人間なんて所詮は欲望の塊、だったら、最も欲深い人間が天下の主になるってのも、分かりやすくていいわねぇ!

 それで民草が喜ぶかどうかは、全くの別問題だけど!」


 からかうように笑う諸葛亮。


「実際のところどうなのよ。貴方は、曹操以上に人々にとって幸せな社会を実現できるわけ?

 曹操以上に立派に、合理的に! 最短最速で天下を平定できちゃう自信があるとでも言うの?

 今の平穏を崩してでも、貴方を天下の主に据えるほどの価値があるというのかしら?」


 劉備は、あっさりと首を横に振った。


「いんや、そこまで自惚れるつもりは無いさ。俺に出来て曹操あいつに出来ないことなんざねーよ。

 あいつは言った……自分の夢は、人間の可能性を極限まで追求できる社会の実現だと。

 今の価値観を全て壊して、あらゆる才が平等に評価される世界を創ることだと」

「結構なことじゃない」

曹操あいつは、自分の頭の中で思い描いたことは必ず実現する。

 そのための才能も……兵力も財力も権力も、命を賭けて従う部下たちも、何もかも揃っている」

「だったら、貴方の存在価値なんて無に等しいわね。

 貴方が無駄に頑張らなくても、貴方の理想は曹操が実現してくれるんだから。

 そういえば、貴方ってやたら曹操に勝ちたいって言うけれど、貴方の信者達と違って、曹操は悪だ、曹操が憎い、なんて言葉は使わないのよね。

 貴方は曹操という男を認めている。

 その理想も素晴らしいものだと思っているし、実力は、確実に自分に勝ると認めている。

 なのに何故、曹操と戦うことしか考えられないの?」


 それこそが、劉玄徳最大の矛盾点だった。曹操を認めていても、戦わざるを得ない。

 実のところ、答えははっきりしている……だが……


「俺は……あいつを信じられないだけだ」

「へぇ……」

「こればっかりはあんたでも分かんねぇよ。直に曹操と接したことのないあんたにはな。

 あいつは、評判も悪名も同じぐらい天下に広めている……

 けど、本当のあいつを知っているのは俺を含めたほんの一握りの人間だ。

 あいつの中には何もねぇ……何もねぇからこそ、あそこまで貪欲に、一切の容赦なく、“人間”を追い求められるんだ。

 けどよ……あいつにあるのはそれだけなんだ。それがたまたま天下統一という形に当てはまっているというだけのこと……

 もしあいつが道を踏み外したなら……その時は、誰もあいつを止められねぇ。何が起こるか、恐らくあいつ自身でさえもわからねぇ。

 そうなる前に……俺は、あいつに勝てるだけの力をつけなきゃならねぇんだ」

「つまり貴方は、曹操が暴走した時の安全装置ってわけ?

 ただの“保険”のために、天下全てを巻き込む争いを引き起こそうっての?

 そんな貴方にしか理解できない理由に、一体誰が賛同するというの?」


 これもまた、劉備の矛盾だ。

 天下平定にかける真の目的は、曹操を深く知る劉備にしか分からぬこと。

 その上で、他者を自分の軍に引き込むには、偽りの理由を作るしかない。

 偽りの大義で民を騙し、自分に従わせ、駒として戦場に送り出す。

 彼らは劉備の真意を決して知ることの無いまま、戦って死んでいく。


 劉玄徳の覇業は、嘘で塗り固めることなくして成立しないのだ……



「それだけじゃねぇさ……

 俺が天下を欲する最大の理由は、曹操の覇業に限界を感じているからなんだよ」

「あら? 貴方は曹操の理想自体には賛成なんじゃないの?」

「そう自分に言い聞かせることならできるさ。

 人間の可能性を追求する? 多いに結構。

 いや、実際あいつなら、これ以上無いほど民にとって理想的な社会を創って見せるだろうよ……人間に出来る範囲でならな。

 だがよ……俺ぁあいつと違って、そんなに人間を信用しきれねぇんだわ」

「仁の心を謳い文句にしている英傑が、またとんでもないこと言ってのけたわね」

「全ての民を幸せにする……それが俺の、決して譲れない理想だ。

 曹操のやり方は、それに近づけることはできるだろう……だが、完全じゃない。

 元々、俺の理想は、人間の力じゃ実現不可能なんだよ」


 劉備は……幼い頃から天下万民の苦しみを、自分のことのように感じることが出来た。

 人によっては、それは人の痛みを理解できる優しさなのだと言うだろう。

 世で仁者や聖人と呼ばれている人々は、皆他者の痛みを本当の意味で解せる人間に違いない。


 だが、劉備に言わせれば、そんなものはただの拷問だ。

 世界には痛みや苦しみが溢れている。

 自分のことでさえ精一杯なのに、他者の痛みまで引き受けてしまっては、ただ苦悩と煩悶に満ちた生涯を送るだけだ。

 しかも、その苦悩からは決して抜け出すことが出来ない。

 それどころか、全ての民を救えないという現実が、無力感となって全身を苛むのだ。

 そんな状態が長く続けば……壊れるか、あるいは狂うかのどちらかだ。


 人はどこかで、自分の出来ることと出来ないことに折り合いをつけていくものだ。

 自分の家族、友人、臣下……あるいは治める国そのものと、大切なものに線引きをして、それを守ることだけに全力を尽くすようになる。

 裏を返せば、それ以外の人間を救うことは諦めてしまうということ。

 無関係の人間の痛みに、鈍感になってしまう。


 劉備にはそれが出来なかった。

 日々多くの人々が死んでいく中で、劉備は彼らの苦痛や無念を、我が事のように感じていった。それは今も変わっていない。

 彼の、他者を救いたいという欲望は、日増しに膨れ上がる。

 大切な人を救えば、大切ではない人も救いたくなる。

 目の前の人間を救えば、目の前にいない人間も救いたくなる。

 中華全土の人間を救えば、今度はこの世界に生きる全ての人間を救いたくなる。

 全ての人間の命が等価値である以上、全ての人間は幸福にならねばならない。

 劉備は、その理想から目を叛けることなどできなかった。


 だが現実を見れば、全ての人々が幸せになるなど不可能だ。

 人間はどうあっても争いを捨てきれないし、不平等があるからこそ、社会というものは成立する。

 そして社会なくして人間の幸福は有り得ない。

 合理性によって組み上げられた社会だけが、人々に安寧をもたらすことができる。

 しかし、そこから完全なる幸福は生まれない……


 劉備は、その現実に満足することができなかった。

 曹操が、自分の前で完璧な覇業を見せ付ければ見せ付けるほど……逆に劉備の中では新たな衝動が強まっていく。

 それ以上の方法は無いのだろうか。本当に、全ての人々が幸せになれる世界を創ることなどできないのだろうか。

 彼は理想を諦めきれない。それゆえに追い求めるのだ。

 例え人の道を外れてでも、理想を叶える手段はないのだろうかと。

 そのために、大勢の人間を死に至らしめることになろうとも……自分自身の理想に矛盾が生じることになろうとも……

 “全ての民を救いたい”という途方も無い欲望を、裏切ることなどできなかった。


 自分はもはや己の理想の傀儡だ。

 誰の死であろうと、平等に痛みを感じることの出来る劉備の特質は……皮肉にも、誰であろうと殺すことができる冷酷さとして表出した。

 理想を裏切れない故に、他者を裏切ってしまう。

 理想を捨てきれないが故に、何を犠牲にしてでも、生き延びることに執着する。

 結果として残るのは、理想とは対極の、血塗られた屍の山だ。

 諸葛孔明の言うとおり……自分は、ありもしない理想を追い求めて足掻き続ける、救いようの無い愚者なのだろう。


 だが……まるで先の見えぬ足掻きにも、ようやく光明が見え始めた。


「だから、俺にはあんたが必要なんだよ。あんたが持っている人間以上の力……それがあれば、俺の理想に近づけるかもしれない!

 なぁ、教えてくれよ。あんたが知っている全てのことを!」


 卓に手をつき、真剣な顔で諸葛亮を見つめる劉備。

 諸葛亮はため息をつくと、心底面倒くさそうに応じる。


「はぁ~あ。もうはっきり言っちゃうけどね……

 貴方がどんな人間だろうと、どんな理想を持っていようと、私にとってはどぉぉぉぉぉでもいいことなの」

「な、何?」

 

 それでは、これまでの話は一体何だったのか。


「貴方、肝心要のことを忘れているわよ。

 いい? そもそも……何で私が、貴方に協力しなくちゃならないの?」

「ううっ!? い、今更何だそりゃ!?」

 

 思わずそう言ってしまったが、確かに孔明の言い分は正しい。

 諸葛亮が劉備に手を貸す理由など、何一つ存在しないのだ。


「言っとくけど、私は貴方の理想なんか、これっぽっちも興味ないわよ。

 だって私……人間の命なんか、塵芥ちりあくたも同然だと思っているんだもの」

 

 劉備は押し黙る。それは……劉備の思考とは、全く対極に位置する考えだった。 

 

「貴方は、本棚に埃が積もっていたらどうする? 払うでしょう?

 それでどう思う? ちょっと手が汚れたとか、埃を吸い込んで咳き込んだとか、これからはもっとこまめに掃除しようとか、そのぐらいでしょ?

 宙を舞って、外に流れていった埃のことを、いちいち気にかけたりするかしら?


 私にとって人間ってのは、その程度の価値しかないものなのよ」


 冷めた表情で人間を語る諸葛亮の声は、混じり気の無い、全くの本音だった。

 彼女は本気で、人間を埃か塵程度にしか考えていない。


「貴方はその対極よね。

 貴方は、部屋を綺麗に掃除したいくせに、埃やごみに感情移入しちゃって、捨てるかどうかということにすら迷って時間を掛けている。

 結果として、掃除はいつまでも終わらない。部屋はいつまでも汚いまんま」

「てめぇはそもそも、掃除する気力すら無さそうだがな」

「そうよ。私はゴミを目の前にしても、捨てる気も拾う気も起きない。

 それが何なのかも興味が無い。何もかもが面倒くさいの。

 そんな私が、何で貴方の部屋の掃除を手伝わなきゃならないのかしら。

 やりたきゃ勝手にやりなさいよ。私のいないところでね」


 相変わらず蒲団に包まったまま、言いたい放題の諸葛亮。


「はっきり言うわ。

 人間が何千何万何億人もがき苦しんで八つ裂きになって死のうとも、私にとっては積もった埃が風で吹き飛んだ程度のことでしかない。

 そんな人間を、貴方は許容できるというの?

 貴方は、全ての人間を幸せにしたいんでしょう?

 どうあっても、相容れないとは思わないの?」


 だが、劉備は気分を害した様子はない。むしろ、晴れ晴れした顔つきで話す。


「なるほどな……よーくわかったぜ。あんたという奴のことがよ……

 だが、だからこそ、ますます思ったぜ。やっぱりあんたは、俺と手を組むべきだってな」

「はぁ?どうしてそういう結論になるわけ?」

「あんたは他人に対して、どこまでも無関心だ。

 だが言い換えれば、余計な考えを起こさない、何も欲しがらない、無欲な人間ってことだ。

 手を組むにおいて、あんたほど信用のおける奴はいねぇよ。

 あんたの面倒くさがりな部分は、俺にとっては貴重な素質だよ。

 あんたは言ったな。俺はこの中華で稀に見る強欲な人間だと。

 強欲な俺と無欲なあんた……ぴったりな組み合わせだとは思わねぇか?」

「何なのその屁理屈は。適当なこと言ってるだけじゃない」

「あんたが言ったんだぜ。言葉はどんな不条理でも押し通すってよ。

 それに、俺もはっきり言わせてもらうぜ。あんたがどんな人間かなんて、これっぽっちも興味ねぇんだよ。

 人間はゴミクズ同然? いいぜ勝手に思ってろよ。

 俺が必要としているのはあんたじゃねぇ。あんたの頭ん中にあるものなんだよ。

 それが無きゃ、あんたこそ俺にとっちゃゴミクズ同然の存在だぜ。

 誰にも相手にされないままいつまでも寝てろよこの蓑虫野郎」

「……言ってくれるわね。でも、それで私が逆上すると思ったら大間違いよ。

 貴方はやっぱり、自分の都合しか話していないわ。

 それで私が心を動かすことを期待しているなら、無駄なことよ」

 

 それは劉備も良く理解している。

 諸葛亮は、決して他人の都合では動かないし、他人の目など毛ほども気にしない。

 どんな説得であろうと、彼女は“面倒くさい”の一言で封殺してしまうだろう。


「つまり……あんたをこの草庵から引っ張り出すには……

 あんたに、俺に協力してもいいと思わせる理由を作らなきゃ駄目ってことか」

「そーゆーことー。そんなのあるわけないけどねー」


 劉備は、顎に手を当ててしばし考える。あまり時間をかけてはいけない。

 また前回のように、いきなり眠ってしまうことも考えられる。


「曹操が天下を獲ったらよ。あんた、今みたいにのんびりとは暮らせなくなるぜ」

「何ですって?」

「あいつは、中華の人間全てが、十全に己の才を発揮できる世の中を創りたいと思っている。

 それこそが真の目的であり、天下平定はその通過点に過ぎないのさ。

 そんなあいつがあんたに目をつけたら……大変だぜ?

 あんたの内にある才能を、残らず引き出させようとするだろう。

 要職につけて、周囲にちやほやさせて、馬車馬のように働かせるんだ。

 今みたいな、ぐうたら生活は望めねぇぞ」

「確かに……それは面倒くさいわねぇ」

「だったら俺に協力しな。俺があんたの手を借りるのは、俺が俺の目的を果たす時までだ。

 それが終わったら、どこへなりとも行っちまえ。

 あんたの領分には、極力干渉しないことを約束するぜ」


 諸葛亮は、しばらく考えていたが……


「悪くない手よ。

 とりあえず、徐庶みたいに天下大義がどうのこうのとくだらない講釈を垂れなかったのは賢明ね。

 私が動くのは私のためだけ。だから、他の一切を捨てて、私の都合だけに焦点を絞るのは正解よ。

 そして私の都合ってのは、どっちがより面倒くさくないか、それに尽きるわ」


 ここまでは、劉備の読みどおりである。しかし……


「でもね、やっぱり却下。

 それで貴方にいい様にこき使われるんじゃ、結局は同じことじゃないの」

「あーくそぉ! だったらこれでどうだ!

 俺はこれからあんたが了承するまで毎日ここに押しかけるぞ!

 起きていようが寝ていようが関係あるか! この庵を兵士達で取り囲んで、昼夜問わず音楽を流し続けてやる!!」

「ちょ……何その騒音公害。それ、本気でやるつもり?」

「言ったろ。あんたは俺の理想を叶えるのに必要不可欠な存在なんだよ。

 あんたが隠しているものを曝け出させるためなら、俺は手段を選ばねぇ」

「貴方の見込み違いだったらどうするの? ただの役立たずの怠け者かもしれないのよ?」

「結構じゃねぇか。もしそうだとしても、誰も死なない、苦しまない。

 俺ががっかりして、あんたが迷惑するだけだ。そして、あんたが迷惑しても、心を痛める奴は誰もいない」 

「私がいるでしょうが……何てこと。こんなうざい男、中華の歴史を遡っても前代未聞じゃないかしら……

 はぁ……もういいわ! 今日はこれで時間切れ! とっとと帰りなさい!」

 

 またも、先日と同じ展開である。

 だが、劉備は余裕綽々である。こうなることは、既に予測していた。


「ふん、そう来ると思っていたぜ。今日は俺の勝ちってことでいいよな」

「何でそうなるのよ。貴方は貴方の勝手な理屈をぶちまけただけでしょうが」

「はっ! てめぇの方から時間切れ引き分けを持ちかけた時点で、もう負けてんだよ。

 その代わり、一日目はてめぇの白星にしといてやる。

 これで一勝一敗、ちょうどいいや、明日決着をつけようじゃねぇか。

 さっきはああ言ったが、俺も色々忙しいんだ。

 いつまでも引きこもりの話相手している暇はねーんだよ。

 明日は朝一で乗り込んでくるぞ。寝ててもたたき起こすぞ。いいか、絶対逃げんじゃねぇぞ!

 もし逃げたら、地の果てまでもてめぇを追いかけてやる!!」


 諸葛亮は心底あきれ返ったのか……その後は一切言葉を発さず、隣の部屋に引き上げていった。

 結局、彼女はずっと蒲団に包まったままだった。

 今には劉備一人が残される。


 ああは言ってみたが、実のところ確たる勝算があるわけでもない。勢いに任せて言ってみただけだ。

 ただ……引きこもり一人を連れ出すのに手間取るようでは、この先何をやっても成功などしないだろう。

 

 諸葛亮も言っていた……言葉は、使いようによっては社会を変革することもできると。

 ここで孔明を動かせぬようでは、天下万民という混沌なる魔物を意のままにすることなど叶うまい。


 “乱世の詐欺師”劉玄徳の真価が、今試されているのだ。



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