第十九章 孔明の出廬(三)
「うらぁぁぁぁぁっ!! どうしたどうしたぁ!」
練兵場では、張飛が百人の兵相手に調練を行っていた。
内容は単純なもので、百人がかりで張飛に挑み、一撃でも入れられれば合格、というものである。
しかし、この七年で合格者は一人もおらず、今もまた、百人の兵は皆精も根も尽き果てた様子で倒れ伏している。
「何だ何だぁ!もうへたばったのかよ! だらしねぇなぁ!
おらぁ次! 今度は三百人でかかってこい!」
その気になれば、千人の兵であろうと楽にあしらえるだろう。
今やこの荊州で、まともに張飛の相手ができるのは、関羽と趙雲だけだった。
「おいおい、あれじゃ自信を失うだけなんじゃねーの?」
劉備と関羽は上座に座り、調練の様子を眺めている。
劉備の言うことは、関羽も重々承知している。乱世の第一線で戦ってきた本物の豪傑と戦うことで、戦の厳しさと己の力量不足を痛感させる。
何せここ荊州は、もう十年以上も戦らしい戦をしていない。
それだけ劉表の外交手腕が優れていたということだが、戦を嫌い文化を偏重するあまり、軍全体が弛緩してしまうのもやむなきことだった。
まずは、その緩みと楽観を取り除く必要がある。その上で、戦での心構えや戦術を徹底的に叩き込む。
そこから先は、関羽と趙雲の役割だ。そこまでして初めて、あの曹操の軍勢に抗うことができる。
だが、劉備が懸念した通り、張飛のあまりの強さに心が折れ、戦意を喪失してしまう兵も少なくなかった。
そして、劉表軍の大半が、そんな役に立たない兵卒未満の者達で占められていた。
戦を嫌い、自ら傷つくことを厭う劉表の方針が、如実に現れている。
劉備達は所詮客人の身、劉表軍全体に影響を及ぼすには限度があった。
使い物になるのは、劉備を慕って外部から集まった兵士か、劉表軍の中でも劉表のやり方に反抗する勢力だけだ。
劉表には、劉琦と劉琮という二人の息子がいた。
劉綜は劉表によく似た、争いを嫌い文化を愛す穏やかな気質の持ち主で、父に従順なこともあって、後継者は彼だと目されている。
一方劉埼は、気性が荒く、文化を女々しいものと見做し、武に重きを置いている。
父劉表よりは、劉備に強く傾倒しており、いざ戦になれば体を張って尽くすと公言している。
しかし、彼は格別武に秀でているわけではない。体つきは劉表に似て細く、その上病弱でよく床に臥せっている。
恐らくは、天下で姑息な策略家と蔑まれている父への反発ゆえに、武人としての道を選んだのだろう。
そんな性格で、劉表に好かれるはずもない。彼は後継者争いから外され、最悪命を奪われる危険もあった。
劉琮が当主になれば、荊州は一気に曹操への恭順へと傾く。
そんな中で、反曹操を公言し、跡継ぎの地位を脅かす劉琦を生かしておく理由などあるはずもない。
彼も、荊州を出奔せざるを得なくなるだろう。その時、彼と彼に従う勢力は、劉備の大きな力になるはずだ。
最も、劉備自身がそうなるよう仕向けたのだが。
少しでも戦力は増やしたい。劉備にとって、劉表一家の内紛は付け入る格好の隙だった。
しかし、曹操が攻めて来る前に劉琦が消されては元も子もない。彼には期を見て、荊州から逃げ延びてもらおう。
とりあえず、戦力はある程度は確保できる。次は……人材だ。
「昨日、劉表に新しく二十人の軍師を紹介してもらったが……雲長の目から見て、どうだった?」
関羽はしばし考え、言葉を紡ぐ。
「いずれも才能に恵まれた、優秀で聡明な若者です。
しかし、荀或殿に程旻殿……曹操軍の第一線で活躍しておられる方々に比べれば……」
「大きく見劣りするってか……」
関羽は無言で頷いた。
官渡の戦いの序盤、劉備と離れ離れになった関羽は曹操軍に投降し、将軍の地位を授かっていた。
劉備の夫人を人質に取られて協力させられたとはいえ、世話になったことは事実。
敵味方の線を逸脱することはないが、関羽は今でも曹操軍の者達に、一定の敬意を払っている。
曹操軍にいた頃、関羽は多くの武将や軍師と面識を持った。今や関羽は、劉備の配下の中で最も曹操軍を知る男となった。
その情報は、劉備軍にとって非常に有益なものだ。
これだけでも、関羽が曹操に降った成果はあった。元より、いかなる状況でも生き延びることを第一にせよと教え込んでいる。
関羽と再会した時も、劉備は寝返ったことを一切咎めず、無事生きて再会できたことをただ喜んだ。
しかし……それで分かったことといえば、曹操軍は人材面においてもまるで隙が無く、層の厚さにおいても遥かに上回っていることだった。
あの苦しい官渡の戦いを勝ち抜いた彼らは、名実ともに中華最強の戦闘集団である。
まして、あれからもう七年以上の歳月が流れている。
当時と比べて、彼らが大きく成長していることは自明の理。無双甲冑を初めとする様々な新兵器も開発されていると聞く。
だが、それしきのことは想定の範囲内。さらに言えば、仮に曹操軍に勝る人材を揃えられたとしても、曹操に勝てるとは思えなかった。
袁紹軍を取り込み、周辺の異民族を平定した曹操の総兵力は、今や百万に達しようとしている。
さらに、元袁紹軍であろうと、優れた能力の持ち主ならば分け隔てなく取り立てる抜け目のなさ。
袁紹軍を無闇やたらに処罰せず、寛大に隅したことで、袁家の大勢力をそっくりそのまま取りこんだ。
単純に兵力を倍化させただけでなく、降伏者に寛容な姿勢は、曹操の声望を強め、周辺勢力を自発的に服従させている。
政の手腕については、もはや言うまでもない。
業を中心として中原全土に屯田制を敷き、大地を富ますことで犯罪や内乱を抑制している。
武力、知略、政治、人材、技術、声望、権勢、そして時流。完璧に完璧を重ねた覇業に、付け入る隙などありはしない。
これはもはや、人材や奇策で埋められる差ではない。
孫権、劉表、馬騰ら残る抵抗勢力が束になってかかろうとも、所詮は巨象に噛み付く蟻の如し。
曹操の治世は小揺るぎもすまい。
差し手の腕前もさることながら、既につけられた差が大きすぎる。
相手は盤上の半分を自軍の駒で埋めているも同然なのだ。
だが不思議なもので、ここまで絶望的な状況だと、もはや取るべき道は一つしかないように思える。
常識で考えれば、曹操軍を正面から打ち倒すなど不可能。
同時に、曹操を策略で出し抜くのもまた現実問題として不可能だろう。
合理的な思考を突き詰めれば、曹操を天下の座から引きずり下ろす方法など存在しないのだ。
曹操には勝てない。勝てる道はただ一つしかない。
この二つは矛盾しているが、実は「曹操に勝てない」という命題には一つの前提条件が存在する。
それは、「常識の枠内に収まる限り」というものだ。
ならば、答えを導く方法は至極簡単、それらを対偶にしてやればよい。
常識の枠内に収まる限り、曹操には勝てない。
曹操に勝つには、常識の枠を超えればよい!
それが、劉備が七年も前に出した、揺ぎ無き結論だ。
尋常なやり方で曹操に勝てぬならば、尋常ならざる方法を取ればよい。
合理的に考えて戦う手段が見つからなければ、理を超えた何かを探せばよい。
真っ当な理に従う限り、曹操に勝つことなど叶うまい。
今自分に必要なのは、曹操の鋼の合理をも打ち砕く“何か”だ。
例えばそれは“奇跡”……
袁紹が突然“病死”したように、曹操がある日突然死ぬ可能性もなくはない。
あの至強を誇った袁一族が、袁紹の急死をきっかけとして斜陽を迎えたように、曹操の死がもたらす影響は計り知れない。
人間、いつかは必ず死ぬもの。可能性は零ではない。
他には、そう、百万の大軍を一瞬で薙ぎ払う未知の古代兵器が発見されるかもしれない。
何しろこの中華の大地には、謎の古代遺跡や“道”なる神秘の力など、現行の科学で解明できないものが点在しているのだ。
それらは深い闇に閉ざされて易々と表に出ることは無いが、この世界に確実に存在している。
他ならぬ劉備自身が、その神秘の一端に触れている。
劉備の愛馬、的廬は、空間転移を行使する幻獣種であるし、その術を劉備に教えてくれたのは、的廬の前の飼い主で、劉備の学問の師、廬植先生である。
彼は仙道に通じており、本物の仙人に弟子入りしたこともあるらしい。的廬は、その仙人から譲られたものだそうだ。
先生が言うには、劉備には道術の才があるらしい。だから空間転移の術を教えてくれたのだ。
こんなことなら、もっと色んな術を学んでおけばよかった。
安直に奇跡にすがるなどと、どれだけ荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいかは分かっている。
七年間、劉備は曹操に対抗しうる何かを捜し求めていたが、その尻尾すら掴めない。曹操は全く健常そのもので、病に倒れる気配すらない。
条理を捨てて不条理を求めるやり方が、どれだけ可能性が低いかは、この七年で十分思い知らされた。
だが、それで失望する劉備ではない。
どれだけ不意を突こうが、反曹操の気運が高まろうが……まともなやり方で劉備が曹操に勝つ可能性は、完全なる零だ。
安直な希望を抱き続ければ、振って沸いた幸運に飛びつき、敵の奥深くに踏み入って、今度こそ完全に叩き潰される。
曹操に戦を挑む時……それは、勝てる絶対の確信が得られた時に限られる。
絶対を下回る程度の幸運など、曹操の合理性には遠く及ばない。ただ、死ぬだけだ。
尋常なやり方で天下に行く道が絶たれているならば、後は尋常を超えたやり方しか残されていない。
少しでも可能性の高い道を選ぶ……それもまた、劉備なりの合理だった。
ある意味では気が楽だ。勝つための手段を、自分で考えつかなくてもよい。ただ、運を天に委ねればよいのだ。
しかし、時が来るのを座して待つわけではない。
人材の収集や兵力の増強は従来通り進める。“道”や古代文明に関する、情報の収集も怠らない。
声望を広めるためなら、喜んで反曹操の御旗となろう。曹操と形の上では同格となるためにも、出来ることなら自分の国が欲しい。
つまり、前と変わらず自分に出来ることは何でもやるということだ。
例え奇跡が起こっても、その奇跡を活かせる土壌が無ければ意味がない。
いつ、どんな奇跡が起こってもよいように、自分に出来る最大限の努力をする。
天が劉備に微笑む前に、曹操に潰されてしまっては意味がない。
人を集め、軍を強くすることは、自身の命脈を守る繋がるはずだ。
結局、やることは今までと何も変わらない。
諦めず、希望を捨てず、全身全霊で生き延びるだけだ。
どうやら天は、ほとほと人を焦らすのが好きらしい。
七年も待たせた挙句、劉備の求める奇跡の入り口は、実に意外なところから現れた。
「諸葛……孔明……?」
劉備三兄弟の前で、徐庶は生き生きとその名を告げた。
彼はほんの一月程前に、劉備に仕えたいと言って荊州を訪れた青年で、初めて会った時、劉備の前で振るった熱弁は、今でもよく覚えている。
内容は、劉備こそは比類なき大徳であり、天下の救世主であるなどとどこでも聞けるようなものだが、その語気と身振り手振りには若さゆえの熱情が溢れており、その勢いには張飛でさえも圧倒された。
決して口だけの若造ではなく、文武共に優れた俊才であり、劉備軍は久々に逸材を獲得した。
その徐庶が紹介したいというのが、件の諸葛孔明なる人物らしい。
「孔明先生は、我が師が“伏龍”と例えられるほどのお方で、その才能、人格、見識、どれをとっても中華に並び立つ者などおりません。
あ、もちろん、我が師を除いてですが……」
小声で付け足す徐庶。
「今は、戦乱の続く世を儚んで、草庵に閉じこもっておられますが、それは、未だ仕えるに相応しい主を見出だしていないだけのこと。
玄徳様に会われれば、必ずやその大徳に惚れ込み、天下万民を救う理想に共鳴なさることでしょう。
伏龍は目覚め、天下に向かって飛翔するのです。
孔明先生の智恵は海よりも深く、天下の全てを見通し、森羅万象を司るほど。その才は太公望、孫子ら古の賢者に匹敵します。
殷周の易姓革命において、周の武王の傍らに太公望がいたように。
漢王朝の誕生において、高祖劉邦の傍らに張良がいたように!
孔明先生の才は、玄徳様の天下救済の、大きな力となることは間違いありません。
玄徳様! 大変な無礼であることは承知しております!
本来は、孔明先生の方から尋ねるのが筋というものでしょう!
ですが……どうか明日、私と共に、孔明先生の庵に行っていただけませんか!?」
熱く語りかける徐庶。関羽はいつも通りの無表情であるが、張飛はどこか引き攣った笑みを浮かべている。
そして、劉備は……
「いいぜ。行ってやろうじゃねぇか。その諸葛孔明とやらのところによ」
徐庶の申し出を、あっさりと快諾した。
「あ、ありがとうございます!! 玄徳様ならば、孔明先生の偉大さを理解なさると信じておりました!!
私は早速、孔明先生の草庵に向かい、このことを伝えて参ります!
孔明先生もきっと、玄徳様とお会いになる時を楽しみにされるはずです!
それでは、失礼いたします!!」
徐庶は勢いよく立ち上がると、深々と礼をした後、走ってその場を去る。
「おい、ホントに行くのかよ!?」
「ああ、明日は特に予定も無いし、俺がいなくても城のことは子龍に任せときゃどうとでもなるだろ」
「そーゆーことじゃなくてだなぁ……徐庶の言うこと真に受けてんのかよ?
あいつはいつも一生懸命で、悪い奴じゃないと思うんだが、何だかなぁ……」
張飛の言いたいことは、関羽にはよく分かる。
徐庶が劉備に向ける美辞麗句は、ただのご機嫌取りではなく、本心からの言葉だ。
彼が劉備に抱いている尊敬は本物だし、乱世を終わらせたい信念もまた、偽りではない。
だからこそ、危うい。
疑うことを知らぬ熱情は、方向を誤ったが最後何が起こるか分からない危険性を秘めている。
黄巾の乱を始め、行き過ぎた正義が乱を起こしてきた例を、関羽はいくつも知っている。
最も、それが分かっていても彼の手を借りねばならぬほど、劉備軍の人材不足は深刻なのだが。
「ああ、はっきり言って胡散くせーことこの上ねーわな。
だがな、今俺に必要なのは、そういう“胡散臭い”ものなんだよ。この八方塞がりな現状を突破できる何かなんだ!
俺らの価値観じゃ収まりきらないような、狭っ苦しい考えなんざ根こそぎ吹き飛ばしてくれるような……
俺の中の何かを変えてくれるような奴を、今俺は求めている!
徐庶の申し出は、俺にとっちゃ渡りに船なのさ。
そいつが妖しければ妖しいほど、俺に求める何かを持っている可能性は高いからな。
もちろん、益徳が思ってるように、ただの大法螺吹きか見かけ倒しかもしれねぇ。
けどよ、それはただそうだったというだけの話だ。俺らが損をするこたぁねぇ。
今俺がすべきことは、当たりと外れの中間しか無いみてーなくじを引くことじゃねー。
零か百か!どちらかに賭けることなんだ!」
「なるほど、まずは何事も試してみるということですな」
「おうよ。手間暇を惜しんじゃいられねぇ。天の機を諦めず、ひたすら地を駆け回るのが劉玄徳の覇業だからな!」
「は、その無駄に前向きなところ、徐庶といい勝負だぜ」
そう言いながら、張飛の顔には笑みが浮かんでいる。
七年間も荊州に閉じこもり、天下への道も見えず、聞こえてくるのは曹操の破竹の快進撃ばかり。
志が萎えてしまってもおかしくないと思っていたが……未だこの男には、天下への大望が燻り続けている。
やはり、この男はそんな諦めのよい男ではなかった。それでこそ、劉玄徳だ。
「兄者、兄者が求めている人材とは、曹操殿に匹敵しうる才ということなのか?」
不世出の天才、破格の英傑、曹操。
彼に並び立つ人材など、そうそういるとは思えないが……
それに対する劉備の答えは、関羽の想像を越えるものだった。
「はっ、仮に曹操がもう一人いたとしても、今の曹操には勝てねぇよ。
既にまともなやり方じゃどうしようもない程の差がついちまっているんだ。
それに……曹操と同じじゃ、所詮は曹操の頭の中にあるものに過ぎないんだよ。それじゃ……勝てねぇよ」
中途半端な希望は要らない。どうせ諦めないならば、これ以上のものを目指す!
「俺が求めているのはな、曹操を超える才か、曹操の思考の外にある“何か”なんだよ」
その後、劉表の臣下達にも諸葛孔明について聞いてみた。
知る人ぞ知る、さぞ名のある人物と思っていたが……諸葛亮、または孔明のことを知る人物は、襄陽にはいなかった。
やはり、徐庶に担がれたのだろうか……
しかし、意外な人物の口から孔明の名が飛び出した。
「諸葛……孔明様ですか?」
その名を聞いた時、劉表は目に見えて動揺していた。大きく目を開き、「まさか……そんな……」とか細い声で呟いている。
「知っているんですかい? その孔明って奴のことを……」
尋常な反応ではない。劉表の驚きようは、まさに青天の霹靂の如しだった。
劉備らの怪訝な視線を受け、劉表は慌てて居住まいを正す。
「え、ええ! 存じておりますよ。何でも大変な賢者だとか……」
劉表のこの態度は、明らかに何かを隠している。
孔明のことを知っているのは本当だろうが、それ以上の情報を知りえているように思えてならない。
それを問い質したところで、簡単には答えないだろうが……
「その孔明さんに、明日会いに行かれるのですね?」
「ああ、そのつもりだが……」
「孔明さんに伝えていただけませんか?
荊州の主劉表は、貴方を最大の待遇でお迎えする用意があると」
劉表は、先程までの狼狽をすっかり捨て去った笑顔を浮かべている。
彼がそれほどまでして迎え入れたい諸葛孔明とは、いかなる人物なのか。
「劉備さんの大徳に触れれば、孔明さんも必ずや心を動かされることでしょう。
おっと、そうと決まれば、急いで孔明先生を出迎える宴の準備を始めねばいけませんね!」
劉表は楽しくてたまらないといった様子で、揉み手をしながら立ち去っていった。
「……何なんだ」
徐庶といい、劉表といい……ほとんど名を知られていないのに、知っている者は二人とも絶賛する。
諸葛孔明を包む謎の衣が、途端に不気味な色を帯びるのが感じられた。
「ふふっ、ふふふふふ……!」
劉備らと別れた後、劉表はたまらず笑い出す。
それは、劉備に見せた爽やかな偽りの笑顔ではなく、天下の裏で策動する野心家の笑みだった。
これが笑わずにいられようか。七年以上も費やして見つけられなかった諸葛孔明の尻尾を、ようやく掴むことができた。
駒として使うにせよ、札として切り捨てるにせよ、あの劉備という男はそれなりに役立つと思っていたが……まさか自分の最も望むものを引き寄せてくれるとは!
曹操に敵視される危険を冒してでも、あの男を匿っておいた甲斐があったというものだ。
これも全ては、“あの方”の指示に従ったからだ。
あの方の言われた通りに劉備を手元に引き入れたお陰で、彼はどんな文化にも勝る宝を見つけてくれた。
やはりあの方は、未来を見通す力を持っておられる。
諸葛孔明のことも、あの方から聞いたのだ。それから七年間、劉表は極秘に、あらゆる手を尽くして孔明を探した。
だが、諸葛孔明なる人物の存在はその噂さえも掴むことができず、何の成果も挙げられぬまま七年が過ぎ去った。
されど、これまで諸葛孔明に関する一切の情報がなかったからこそ、逆に信じられる。
劉備の話した諸葛孔明が、劉表の求めていた存在であることを。
孔明さえ手中に収めれば、もはや恐れるものなど何もない。それが例え、あの曹操であってもだ。
天上天下のあらゆる文化は、我が脳髄に封ぜられる。
劉表は、己が野望の成就を悟り、恍惚に肩を震わせた。