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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十九章 孔明の出廬(一)

 渾元暦以前……


 地上では、“タオ”を用いた文明が隆盛を極めていた。

 不老長生の法により、誰もが永遠の若さと命を得た世界。

 あらゆる死の恐怖より解き放たれたこの世界こそは、古来より人々が追い求めてきた理想郷そのものであった。

 だが、その繁栄は永遠のものではなかった。

 自然に摂理に反した人間たちは、やがて天罰を受けることになる。

 それを実行したのは、他ならぬ人間たち自身であった。


 不死に至りながらも、彼らは内なる闘争心を克服することはできなかった。

 死を恐れながらも、同時に彼らは死を求めていたのだ。他者の死を、そして自分自身の死を。

 理想郷の平穏は、そんな彼らの欲求を消し去るどころか、抑圧し、膨れ上がらせていったのだ。


 やがて、“タオ”を吸収し、不死者を殺す“反動兵器はんどうへいき”の完成と共に、人類の死への欲求が爆発する。

 全世界を巻き込んだ、最終戦争の勃発であった。


 誰が敵で、誰が味方かもわからない渾沌カオスは、世界の全てを滅ぼしつくすまで続いた。


 だが、破壊の後には創造があるもの。

 文明の全てが破壊し尽くされた後でも、僅かな人類は生き残っていた。


 真っ白な状態から、再び人類の歴史は幕を開ける。

 反動兵器の効果によって、世界中の“タオ”は薄められており、彼らの不死の力は次第に失われていった。

 代を重ねるたびに、彼らは限りある命と老いる肉体を持つ、本来の人類へと回帰する。

 それでも、“タオ”による突然変異で、遺伝子そのものが変質し、

 ある年齢を境老いることのなくなる特異な種族も僅かながら生まれていった。


 常人に比べ優れた力を持つ彼らは自然と支配者層となり、新たなる文明を築き上げていく。

 なお、その発展は、旧世界からの生存者である、“始まりの四仙”の関与したところが大きい。


 渾沌の果てに生まれた新たなる世界……



 渾元暦こんげんれきの始まりである。








「ふあぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 長い熟睡から、ようやく彼女は目覚めた。紫色の寝巻に、頭には道化師が被るような毛玉つきの帽子を被っている。

 背中まで伸ばした長い黒髪に、端正な顔立ちをした美人だったが……寝起きとあってはその美貌も著しく曇っていた。

 寝ぼけ眼をこすり、手元にある機械時計からくりとけいを手にする。その時計を見た瞬間、彼女の目は驚愕に開かれる。


「いけない! 何てこと!」


 時計の針は、午前十二時を指していた。


「早く起きすぎちゃったわ! 寝不足は美容と健康の敵だってのに……ふあぁ……」


 昨日はつい夜更かししすぎた。何せ、日が沈んだ午後七時に寝てしまったのだ。

 寝不足にほどがある。最低でも、あと十二時間は寝なくては!

 時計を放り投げ、再び蒲団に包まって寝ようとするが……


「寝過ぎも体によくありません!!」


 勢いよく障子が開かれる。そこには、橙色の髪を短く纏めた、実直そうな青年が立っていた。


「あら、徐庶じょしょ君じゃない。おはよー」

「はい、おはようございます。孔明こうめい先生……って、もう正午ですよ! それを言うならこんにちわでしょう!」


 深々と頭を下げた後、青年は思いっきり突っ込む。


 この青年の名は徐庶、字は元直げんちょくという。

 彼女の知り合いの弟子で、近頃頻繁にこの草庵そうあんを訪れている。

 先程の態度の通り、今時珍しいほど実直な青年だ。悪く言えば、堅物で融通が利かない。


「全く貴女という人は! いつもいつもそんな自堕落な生活を送って……」

「いいじゃない。ここは私の家よ。いつ起きようがいつ寝ようが、どう暮らそうが、私の勝手でしょ?」


 ここは荊州の山奥にある、彼女、諸葛しょかつ孔明の庵である。

 彼女は、外界から隔絶されたこの庵で、昼夜の区別もない自堕落な生活を送っていた。

 好きな時に寝て、お腹が空けば物を食べ、それすらも面倒くさくなればまた眠る。

 当初は、傷の治療のためにこの庵で体を休めていたのだが、一度染み付いた習慣は中々変えられないのか、それとも彼女の生来の気質ゆえか。

 あれから数年経ち、傷がすっかり癒えた今となっても、彼女は相変わらず悠々自適な引きこもり生活を送っていた。


「よくありませんっ! 水鏡すいきょう先生も心配されるはずですよ。

 このままだと貴女、両手両足が退化した芋虫みたいになって、自力で動くことすらできなくなりますよ!?」

「あ~ら、貴方が冗談を言うなんて珍しい。明日は雨でも降るのかしら」

「いえ、今のは水鏡先生がおっしゃられていたことです。失礼いたしました」

「あ、そう……」


 水鏡先生というのが、徐庶の師匠である。

 彼はこの人物を心底尊敬しており、彼の言うことならば何でも聞くと思われる。

 この庵を訪れるのも、その水鏡先生の指示だそうだ。


「よろしいですか、孔明先生。貴女ほど聡明な方ならば分かっておられると思いますが、今、天下は大変な危機に瀕しているんです。

 一部の有力者が、朝廷の混乱をいいことに天下の乗っ取りを目論み、そのために戦を起こし、多くの民草が苦しめられています。

 今は北を中心に戦いが続いているようですが、いずれ戦火はこの平和な荊州に伸びて来るでしょう。

 いえ、このままでは、戦乱が中華全土に広がることは必至。

 今こそ我々は、立ち上がらなければなりません!

 中華は、天下に生きる民一人一人のもの!

 たった一人の野心のために、人々の生命や尊厳が踏みにじられるなど、あってはならない!

 横暴な独裁者に、この中華を渡してはならないのです!!」


 唾を飛ばし、拳を握り締め、熱弁を振るう徐庶。

 そんな彼を諸葛亮は冷ややかな目で見ていた。

 よくもまぁ、そこまで決まりきった文句を真顔で堂々と言えるものだ。

 反曹操の過激派と話をすれば、そっくりそのまま同じことを言うだろう。


 彼は分かっていない。どんな権力者であろうと、民の後押しなしに戦を行うことはできない。

 権力とは、大多数の民を味方につけて初めて成立するもの。さらに言えば、権力者に従う民そのものだ。

 一個人の力で、無から権力を生み出すことなど出来ない。

 ゆえに権力を築き上げるには、民に受け入れられる支配形態を考えなければならない。


 かつて中華に君臨した数多の王も、皆様々な形で民の信任を得てきた。

 その形は、明確な代価に基づく利害関係から、信仰や崇拝、果ては恐怖といった形なきものまで様々だ。

 やがて、長い月日が経つ内に、権力者の支配は民にとって自然なものとなる。

 王や天子の権威を、当たり前のものとして受け入れる。

 さすれば、権力者の地位は盤石になり、世代を越え、長きに渡って存続するようになる。

 民が求めているのは、いつだって常識と安定だからだ。

 平和が維持されていれば、それが多少不公平なものであれ、喜んで受け入れるだろう。


 このようにして権力は成り立つのだが、権力が失われる時も同様の原理が働いている。

 現状に不満を抱く民草が、変革を求め、その熱情が頂点に達した時……新たな指導者の地位と利害が一致し、戦乱は起こるのだ。

 民と権力、民と戦争は不可分なもの。権力者の罪を糾弾するならば、支配を受け入れた民全ても責められなくてはならない。

 最も、権力者が権力で利を得る以上、それが失われた時に全ての損害を被るのは当然の理なのだが。



 しかし、別に徐庶の主張が間違っているわけではない。

 諸葛亮にとって、正しいか間違っているかなど、最初からどうでもいいのだ。


 何故なら人によって価値観は様々であり、正しいと信じるものはそれぞれ異なる。

 正義は人の数だけ存在し、それはもはや大義とは呼べない。正義の質を計る明確な基準など存在しない。

 明確な正義が存在しない以上、明確な誤りもまた存在しないのだ。

 それをこの男に説いたところで馬耳東風だろう。 

 これまで生きる支えとしてきた自分の正義は、理屈や論理で曲げられるものではない。

 何も彼が特別視野が狭いというわけではない。程度の差はあれ、人間などみんなそんなもの。

 己の価値観を、正義を絶対と信じ、他者に押し付けずには生きていけない存在なのだ。


 個人の正義とは、自分一人にしか通用しない掟。

 自身の殻に閉じ込めておけば、社会へ何か影響を及ぼすこともない。

 それは同時に、その人物が社会において死んでいるも同然であることを意味する。

 だから人は、己の正義を声高に主張するのだ。この世界で生きているという、証が欲しいがために。

 どれだけ清廉潔白な聖人であろうと、私利私欲に塗れた悪人だろうと、その根底にあるのは、社会に関わりたいという意志だ。

 その意志が極端に強い者は、偉人、あるいは罪人として歴史に名を残す。

 自身の主張が他者と重なれば、それは友情や絆、あるいは愛となり、相反すれば悲しみ、憎しみ、怒りになり、最終的には敵対関係となる。

 正負の概念というのは、結局価値観の食い違いによって起こるもの。

 結合の到達点を国家とするならば、離散の到達点は戦争だ。人間はその二つを、延々と繰り返している。

 どれだけ文明が発展しても、一度世界が滅んでも、人間の本質は変わらない。

 己の正義が自己の中だけで完結することに満足せず、社会に対して主張を続けるならば、人類の破壊と創造は永遠に終わらないだろう。


 他者への関心を持たず、世界に訴えるべき主張を何も持っていない彼女に、徐庶の熱情を理解しろなど無理な話だった。


 二人の考えは全く異なるものである。

 諸葛亮の考えが徐庶に対して負であるならば、まだ反発という形で交流も生まれようが、諸葛亮の無関心はその交流そのものを断ち切る、全くの零だ。

 彼女の中にあるのは、ただ面倒くさいというものだった。


「水鏡先生もおっしゃっています! 貴女は“伏龍ふくりゅう”だと!

 素晴らしき才を持つ大器でありながら、眠ったままその力を発揮しようとはなさらない。

 ですが、それでは駄目なのです! この動乱の時代、世界を変革させうる才を眠らせておくなど、あってはならないのです!」


 何故この男は、才を無条件で素晴らしいもののように語るのだろう。あまりに強すぎて、社会に害を及ぼす才もいくらもあるというに。

 才能は土地や家と同じく、個人の持ち物である。それをどう使うかは私の勝手。何故この男に指図されなければならない。

 社会正義のためというお題目を唱えて、指図しているという自覚がない分、なお性質たちが悪い。


 まぁ、私に才能があるのは認めよう。さすがにそれを否定しては謙遜になる。


 何せ、私は生まれてこの方努力というものをしたことがない。


 望めばどんなことでも出来るだけの才能を持っていた。


 体を動かすのが面倒だから研究者の道を選んだ。

 日々の生活に追われるのが面倒だから、次々に活期的な発明をして巨万の富を築いた。

 その富に群がる人間と関わるのが面倒だから、富が無くても生きていけるよう、不老不死になった。

 今は、死ぬのが面倒だから生き続けている。


 その気になれば世界の支配者にでも何でもなれるだろう。

 面倒なのでやらないだけだ。そこに至る過程が、ではない。結果が問題なのだ。

 頂点や最強などというものは、良くも悪くも人々の期待と関心を集め、縛り付けられてしまう。

 そんな不自由な境遇に、何の価値がある。

 美しすぎるが故に摘まれ、壷に活けられて一生観賞品にされる花になるよりは、誰も何の関心も示さない、自由奔放に生い茂る草になりたい。


 私の人生なんてそんなものだ。さすがに誰も信じないので人に言ったことはないが。

 自分でも嘘臭いと思う。


 ともあれ、行き過ぎた才が人間を狂わすのは間違いない。

 自分と同等の才能を持つ男を一人知っているが、そいつも相当イカれた人格をしている。


 そいつも、私と同じく努力というものをしない。

 ただ、その理由が異なっていて、あの男は度を越えた傲慢ゆえに、才を磨こうとしないのだ。


 あの男は、自分が世界で一番偉いと本気で思っているとんでもない大バカ野郎で、みみっちい努力などしなくても、自分の望むものは全て手に入ると思っている。

 だから、自分では何もしない。何かを生み出そうとしない。

 欲しいものがあれば奪い取るし、目的があれば他者を利用してそれを成そうとする。

 彼は手駒を最小限に留め、なるべく手を下さずに目的を達成しようとするのだ。

 自分の関与が少なければ少ないほど、自分は偉大な存在である……そう思っているからだ。

 混じりっ気のない、全くの本気で。


 世界最高の才を持つ者が、こんな大バカと怠け者だというのは、世界にとって大いなる不幸だろう。


「今こそ、伏龍は目覚め、天下に向かって飛翔する時なのです!

 その時は、この徐元直、貴女の片腕となって、粉骨砕身働かせていただきます! ですから……」


「ねぇ、ねぇ、徐庶」

「は、はい!ついに天下に名乗りを上げられる気に……」


「ごはん」



 場の空気が、瞬時に凍り付く。

 徐庶は、石になったように固まっていたが、すぐに肩を落とすと、


「厨房、お借りします……」


 弱々しい声で呟いて、諸葛亮に背を向ける。


「しめしめ、これで後一時間は眠れる……」


 再び布団を被る諸葛亮。


「駄目ですっ!!」


 布団を引っぺがす徐庶。


「もう! どうして貴女はいつもそうなんですか!!」

「徐庶、貴方はまだ若いから分からないかもしれないけどね。

 人生の価値ってのは余暇の長さで決まるものなのよ。

 自分の自由に使える時間でこそ、真に求めるものが、心の安らぎが、精神的な充足が得られるの。

 大体あくせく働いて、お金を稼ぐ行為って、実はすごく歪だと思わない?

 本来金を使うはずの人間が、金に使われているのよ。

 そんな奴隷のような生活に、本当に幸せがあると思う?

 本当に大切なものは、お金じゃ買えないのよ?

 それに働くってことは、熾烈な競争社会の荒波に晒されるってことよ。

 勝負の世界は非情、負けた者は全てを失い、勝者は敗者の妬みや恨みを買う。

 結果的に心のゆとりは失われ、精神は荒んでいく。

 私は、そんな憎しみの連鎖を引き起こしたくない。私は誰も悲しませたくないの!」

「……すみません。意味が分からないんですが……」

「つまりね、こういうことよ」





「働いたら負けだと思っている」










 徐庶は諸葛亮の昼食を作った後、辞して草庵を去った。

 結局、彼女はただの一度も蒲団から出ようとしなかった。

 昼食も、蒲団に潜ったまま平らげる体たらく。

 それからすぐに寝てしまい、完全な爆睡状態でいくら徐庶が声を荒げても目を覚ますことはなかった。

 徐庶は落胆を胸に、覇気の無い足取りで草案を後にする。


「はぁ……」


 彼は失望していた。諸葛亮に、ではない。

 彼女を目覚めさせることのできなかった自分自身にだ。

 あれだけの醜態を見せられても、徐庶はまだ孔明の器を信じていたのだ。

 

「やはり、私のような未熟な若輩者に、伏龍を起こせるはずも無かった。

 眠れる龍を起こせるのは、やはり同じく龍の才気を持つお方でなければ……」


 師匠に頼みたいところだが、あの方は大変多忙らしく、ここ半年ほど会っていない。

 きっと、中華全土を飛び回り、まだ見ぬ才能を発掘したり、力なき民の助けをしているのだろう。

 水鏡先生は、賢く、優しく、慈悲深く、中華の未来を真剣に憂いておられる素晴らしいお方だ。

 その水鏡先生に認められた孔明先生が、あんな自堕落な人間であるはずがない。

 能ある鷹は爪を隠す。きっとあの方は、荒みきった世を儚むあまり、生きる気力を失っておられるのだ。

 あの方に必要なものは希望。全ての人々を幸せにできるほどの徳を持った御方に接すれば、きっと天下への熱情を取り戻されるはずだ。

 徐庶の脳裏に、ある男の顔が浮かぶ……

 世にも稀な大徳と言われ、天下の救世主と目されているお方だ。

 

「劉玄徳様。あの方ならば、きっと孔明先生を……!」


 劉備をこの草庵に連れてくるのだ。そうすれば、伏龍はまた蒼天に飛び立つはず。

 それが自分の果たすべき役割だ。



 全ては――





「水鏡先生の仰るとおりに」



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