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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十八章 覇王の生誕(八)


 曹操が烏巣に発った直後……

 官渡城塞は袁紹軍三十万による総攻撃を受ける。

 曹操軍は、程旻を代理の総司令官に据え、荀或、賈栩が補佐に当たった。

 守りの戦となれば、程旻以上の適任者はいない。

 さらに要塞の四方には、夏侯惇、夏侯淵、曹洪、張遼が陣取り、防衛部隊の指揮を執った。


 それでも、曹操軍の約三倍の大軍勢、最新の攻城兵器による猛攻は、城壁を揺るがせ、曹操軍を多いに苦しめた。 

 だが、途中で方より舞い戻った曹仁と荀攸、続々と駆けつける青州黄巾兵の助力もあり、何とか朝まで持ちこたえることが出来た。


 そして、朝日が昇ると共に、袁紹軍は後退していく……

 袁紹軍も曹操軍の頑強な抵抗のせいで著しく消耗していた。一方、官渡要塞に駆け付けた十五万の兵はいずれも気力、体力共に充実している。

 さらに、この戦は城攻めだ。城を攻める側にとっての一番の泣き所は、城を攻めている最中に背後を突かれること。

 城の内外から挟み撃ちにされるとあっては袁紹軍三十万といえども甚大な被害を被ることは必至。

 ゆえに撤退せざるを得なかった。

 元よりこの戦、曹操軍には引き分けか負けしかないが、袁紹軍には勝ちか引き分けしかない戦いだ。

 それゆえに、幾らか油断が生じていたのかもしれない。ここで一時退こうとも、自分達には次がある、と……


 だが、本陣に帰還した袁紹軍を待っていたのは、二つの凶報だった。


 烏巣食糧基地炎上。

 運び出せた食糧はほんの僅か。これで、袁紹軍の食糧は本陣の蓄えを除いてほぼ尽きてしまった。

 だが、それより袁紹を打ちのめしたのは、筆頭軍師、沮授戦死の報だった。

 十五万の内、兵の損害は五千にも満たなかったが、袁紹軍の中核たる沮授の死は、あまりにも大きかった。


 結局、昨夜が今生の別れになってしまった。彼の生前の、あのふくよかな笑みを思い出しながら、袁紹は悲しみにうちひしがれる。

 そんな彼の前に、意外な訪問者が現れた。


「お久しぶりでございます……袁紹様」

「田豊……」

「申し訳ありません、袁紹様……言い付けに背いて、来てしまいました……」


 この白髪の老人は、袁紹の最も信頼する部下であり、沮授の師匠でもある男、田豊だった。

 袁紹は、命令を破ってぎょうを離れた田豊を咎めはしない。

 心の底では、こんな時彼がいてくれたらと願っていたのだ。

 袁紹は滂沱の涙を流しながら、田豊に駆け寄る。そして、子供のように声を上げて泣き出した。

 田豊は、そんな袁紹を見て、幼い頃の彼を思い出す。


(ああ、袁紹様……)


 袁紹の背中を優しくさすりながら、田豊はしわがれた皮膚に涙が流れるのを感じるのだった。




「よく来てくれた、田豊。これほど嬉しいことはない」


 それは、袁紹の精神的な問題だけではない。

 烏巣炎上、沮授の戦死という非常事態に、末端の兵のみならず、将軍も軍師も皆浮き足立っている。 この混乱を収拾できるのは、真の筆頭軍師である田豊しかいなかった。


「済まぬ、田豊」


 その言葉には、長旅の疲れも癒えぬまま戦いへ駆り出すこと、愛弟子の死を悼む間も与えてやれぬこと、様々な申し訳なさが篭っていた。


「勿体なきお言葉……」


 田豊も、袁紹の気持ちは分かっている。長い月日を共にしてきた二人である。多くを語らずとも互いの思いは伝わっていた。


 田豊が官渡に到着したのは、つい先程のこと……

 袁紹の言い付け通り、業で政務に当たっていた田豊は、毎日官渡から最新の情報を受け取っていた。

 どんな細かな情報も漏らさず丹念に読み取り、気になることは自分の所見を記して、官渡へと送り返した。


 戦況は、全てが田豊の思い描いた絵図の通りに進行していた。

 曹操側の策はことごとく不発に終わり、袁紹軍の優位は絶対的なものとなっていった。

 だが、田豊はそこに一抹の不安を感じていた。


 あまりにも完璧すぎる。

 それは、不安とは相反するように思えて来るが、田豊は知っている。

 全てが上手くいく状況というものは、一度ひとたび想定外の事態が起こると、信じられない勢いで敗北への坂道を転げ落ちていくものだということを……

 杞憂に終わってくれればいい、そう祈りながら、田豊は官渡へと出立する。

 袁紹の命令に背いたのは、生まれて初めてのことだった。


 果たして、官渡に到着した田豊を待っていたのは、最悪の報せだった。




「私は……」


 袁紹は、田豊に背を向けたままゆっくりと話し始める。


「私は、こんな状況になっても、まだ許攸を憎みきれておらぬのだよ。

 何か間違いがあったように思えてならない……私は甘いのだろうか、田豊……」


 圧倒的優位から一気に五分かそれ以下に持ち込まれたことで、袁紹軍内における許攸への怒りは最高潮に達していた。

 だが、袁紹はそんな許攸をまだ信じているのだ。その深い優しさに、田豊は胸が熱くなる。

 幼少の頃から世話をしてきた彼には分かっていた。このお方の根底には限りない優しさがある。

 彼が終生袁紹に仕えると決めたのも、単に彼が袁家の当主だからというだけではない。


「乱世は人の心を荒ませ、大切な人の命を奪い去っていく……こんな時代は一刻も早く終わらせねばならぬ。

 これ以上、人々の悲しみを広げてはならぬ。力無き民草は、乱世の荒波に抗うことさえ叶うまい。

 それができるのは、“力”のある者だけだ。そう、私はようやく理解した……」


 袁紹は田豊に向き直ると、力強く宣言する。


「天下を平定し、人心に安寧をもたらす。それこそが、高貴なる血統を受け継ぐ者の使命なのだと!

 私には袁家の名がある! 権力ちからがある!

 その力は、天下が乱れた時、世を鎮めんがために、脈々と受け継がれて来たのだ!」


 袁紹はついに、己がこの世に生を受けた意味、己の中に流れる血の意味を理解する。


「私は、天下の頂点へと駆け上がり、袁家の名の下に、天下の全てを背負ってみせよう!

 それが、私の使命! 私の責務! 私の誇りなのだ!!」


 田豊は感動のあまり声が出なかった。高貴なる血統は、何のためにあるのか?

 何故、彼らは絶大な富と権力を有しているのか?

 安寧の時代が続くあまり、誰もが忘れていた真の“高貴なる魂”を、袁紹は取り戻したのだ。

 袁紹は、己の力ならば天下を治めることができると確信している。

 それは、天下を統べるのは己のみという、傲慢な野心にも映るだろう。

 だが、天下の全てを飲み込もうする気概なくして、どうして天上に駆け上がることができようか。

 夢を現実に変えるのは、いつだって想いの力。己を強く信じる絶対の意志が力を生み、偉業を達成するのだ。

 歴代の偉人や皇帝を見れば、それは明らかだ。


 今や袁紹は、飾りものではない真の黄金の太陽となった。

 このお方なら、必ずやこの中華の全てを隈なく照らし、輝ける新時代を創ってくれるはず……

 命尽きるまでこの方について行こう……田豊は改めて誓うのだった。


「田豊! 策を述べい!!」


 既に彼の瞳から涙は消え去っていた。袁紹軍の総大将として、軍師、田豊に命じる。

 田豊は手を打ち付けてそれに応じる。


「は! 現在曹操軍には十五万の青州兵が帰還し、総兵力は本来の三十万となりました!

 ですが!全兵力を官渡に結集させたがために、許都の防備は極めて手薄になっていると思われます!

 それこそが、私と沮授が狙っていた好機! 直ちに全軍で許都に攻め込み、天子を退け、新王朝の樹立を宣言するのです!」


 曹操軍三十万は確かに脅威だが、同時に戦力が一塊になったことで、格段に対処しやすくなった。

 これまで真綿で首を絞めるように曹操を追い込んでいたのも、彼が痺れを切らして全軍を官渡に集結させるのを狙ってのことだ。

 今なら、一万の兵でも許都を落とせるだろう。


「さすれば曹操は逆賊となり、官渡で孤立することになります。

 残る食糧から計算して、許都への侵攻は十分に可能。

 許都を攻め落とせば、食糧の確保、並びに曹操軍の糧道を絶つ二重の効果が見込めます!

 袁紹様、直ちに許都進撃の大号令をお発しください!

 我ら四十五万の精兵は、食糧を、そして勝利を求めて、死に物狂いで戦うことでしょう!

 我らが王道は、何人たりとも阻むことはできませぬ!」


 そう、絶望するにはまだ早い。

 ただ心配なのは、曹操との決着にこだわる袁紹が、曹操を避けて許都を攻める策をよしとするか、だ。

 だか、それは全くの杞憂に終わった。


「よし、直ちに文武百官を集めよ! 全軍で許都へ進撃する!! 我らが勝利は、田豊、お前の標した先にある!!」


 袁紹の瞳には、燃えるような闘志が宿っている。

 彼はもはや曹操など見ていない。彼が見据える先にあるのは、勝利と、輝かしき新時代の扉だけだ。

 だが……伝令が、慌ただしく室内に入ってくる。明らかにただ事ではない。


「袁紹様……っ!曹操軍が……曹操軍が攻めて来ました!!」







 曹操が目を覚ました時、彼は官渡要塞の自室の寝台で横になっていた。


「そ、曹操様……!」


 傍らには荀或がおり、主君の目覚めに瞳を潤ませている。状況を即座に把握する。

 自分の体には包帯が巻かれ、寝台に横たえられている。

 周囲には荀或だけでなく何人か医師がおり、慌ただしく動き回っている。

 上半身を浮かせて起き上がろうとした曹操を、荀或は慌てて制止する。


「あ、曹操様、無理しないで休んでいてくださ……」

「荀或」


 目覚めたばかりとはとは思えぬ鋭い声と眼光で荀或を呼ぶ。


「は、はい……」

「状況を説明せよ。手短にな」



 曹操が気を失う少し前……

 徐晃と張合が、見事烏巣の地下食糧庫を焼き払うことに成功。

 それと同時に、郭嘉は全軍撤退を指示。曹操は許楮に抱き抱えられ、命からがら逃げ延びた。

 こちらの被害は甚大なれど、食糧基地の焼却と、沮授の抹殺という最優先事項は見事達成することができた。

 官渡要塞の方も、青州兵の参戦により何とか袁紹軍の総攻撃を凌ぎ切った。


「それで……?」


 怪我が癒えたわけではない。現在も、身体は苦痛に苛まれ続けている。

 だが、今はそのようなことを気にしている場合ではない、それだけの事だ。


「はい、予定通り、こちらに五万残し、二十五万の兵で袁紹軍の本陣に強襲をかけました。

 総司令官は郭嘉。主だった将軍は、皆出撃しています」


 烏巣の食糧基地炎上は、確かに袁紹軍に大打撃を与えたが、敵軍を完全に崩壊させるには、まだ足りない。 

 時間を置けば置くほど、袁紹軍は息を吹き返す。この好機を逃してはならない。

 後の無くなった彼らが、許都を攻める可能性は極めて高い。

 その前に……袁紹軍の動揺が静まらぬ内に……徹底的に叩く。


 昨夜官渡要塞を攻めた袁紹軍は、少なからず疲弊している。

 それが、本陣に戻った時、食糧が尽きかけていることを知ったらどう思うか……将はともかく、兵卒は絶望の淵に沈むことから抗えまい。

 それならば、二十五万対四十五万でも、十分勝ち目はある。いや、この時を除いて、袁紹軍に勝利する機会は存在しないのだ。

 向こうには袁紹がいる。今の彼ならば、ひしぎかけた兵士達の戦意を、再び甦らせることも出来るだろう。

 その前に、電光石火の勢いで、叩く!


 この官渡の戦いにおいて、曹操軍、最初にして最後の“攻めの戦”だった。


 荀攸、賈栩は郭嘉の補佐についている。荀或は、程旻と五万の兵と共に城に残り、曹操の護衛を任されている。


「何ともはや……最終決戦に立ち会えぬとは、何とも無様なことよのう」


 自嘲するように呟く曹操。首を動かし、室内のある一点に向けて同意を求めるように呼びかける。


「のう、于禁」

「…………ふん」


 室内に隠れ潜んでいる于禁は、短く応じた。彼もまた、曹操の護衛として要塞に残っていた。

 関羽に負わされた傷はまだ癒えておらず、曹操とは怪我人同士である。


「僕や于禁がいますから、安静にしていてくださいね。貴方のことだから、こっそり抜け出して、戦いを見にいくぐらいのことはやりかねませんから」

「ははははは! そなたらは護衛ではなく見張りというわけか!

 いやいや、さすがは余の女房役、余のことなら何でもわかっておるのう。 

 確かに、今にも戦場に行きたくてうずうずしておるぞ!」


 冗談を飛ばす曹操だが、荀或は、どこか拗ねたような表情で俯いている。曹操には、荀或の気持ちが手に取るようにわかった。


「やはり、郭嘉に怒っておるのか?」

「当たり前でしょう!!」


 心の内をぴたりと言い当てられた驚きから、押し込めていた感情が一気に溢れ出す。


「あいつは、貴方を囮にして死の危険に追いやってでも、勝ちを得ようとしました!

 結局、あいつにとっては、自分の考えた作戦が成功するかどうかが一番大事で、曹操様のことはそのための道具程度にしか考えていないんですよ!

 あいつの吐く忠誠なんて、全部嘘っぱちだ!!」


 感情に任せて言い切ったところで、荀或はふと我に返る。


「も、申し訳ありませんでした……見苦しい姿を見せてしまって……」

「よい、よい」


 曹操は、気分を害した様子もなく、むしろ愉しそうに荀或を見ている。どこかに隠れている于禁もまた、表情をやや綻ばせていた。


 曹操には、荀或の気持ちがよく分かる。

 彼にとってはこの曹操こそが最優先事項。極度の依存と言い換えてもいい。

 ゆえに、曹操の命に危険が及ぶ策など容認できるはずもない。


「昨夜の作戦は、余も同意の上でやったことだ。郭嘉だけを責めるは筋違いというものぞ。

 それに、昨夜はあの作戦以外に勝つ手段はなかった。余は望んで命を賭けたのだ。これは、余の決断ぞ」


 荀或は言葉が出ない。これ以上何か言えば、それは曹操の決断を否定することに繋がるからだ。


「荀或よ、そなたは以前、降伏を選ぼうとする余を諌めたな。その時に分かっていたはずぞ。

 余が戦いを選ぶ以上、いかなる手段を用いてでも勝ちをもぎ取ろうとすることを」

「……はい……全く、その通りです」


 すっかり消沈した荀或は、それだけ言うのがやっとだった。

 そう、頭では彼も理解しているのだ。それでも、感情の奔流はどうにも止められない。


「確かに、郭嘉は余を主君という名の駒としか考えておらぬやもしれぬ。

 されど、余もまたあやつを余の目的のために利用しておる。

 そもそも君臣の関係とは、互いの利害関係が対等である時のみ成り立つものよ」

「………………」


 自分は、まだそんな乾いた考え方を受け入れられない。

 だが、自分が曹操に仕えているのも、“曹操に仕える喜び”という対価があるからこそだ。

 本質が同じものでも、言葉の違いによって印象は如何様にも変わる。

 突き詰めれば、あらゆる人間関係は利害関係として説明できるのかもしれない。


「ま……命懸けというなら今も同じことだ。

 もし郭嘉らが敗れるようならば、たった五万の兵しかおらぬここはひとたまりもあるまい」

「ああ、それについては心配要りませんよ」

 

 先程とは打って変わって、自信たっぷりに言ってのける荀或。


「郭嘉は、必ず勝ちますから」

「………………」

 

 今度は、曹操が口を開けたまま沈黙する。疑いなど微塵もないかのように、荀或の瞳は澄み切っている。


「多分、この先もずっと、僕は彼を好きにはなれないと思います。

 だけど、彼の才能は本物です。同じ軍師だからこそ分かるんです……どれだけ努力しても、埋められない差というものが。

 でも、だからこそ、僕は彼を信頼しています。それは……おかしなことでしょうか?」

「いや、全くそんなことはないぞ、荀或よ」


 曹操は微笑みながら言う。もし両者の間に深刻な亀裂が生じるようなら、何らかの手を打たねばならないと考えていたが、その心配はなさそうだ。

 いやはや、やはり人間とは不可解なもの。しかし、それゆえにこそ面白い……

 これからもあの二人は、反目しあいながらも互いに切磋琢磨していくのだろう。惜しむらくは、郭嘉の命が、そう長くは持たないことか。


「それに……李典が創った新兵器も早速投入していますし」


 その話を聞いた途端、曹操は目を輝かせる。


「ほう!ついに“あやつら”が戦場に出るか!記念すべき初陣をこの目にすることができぬとは……残念だ……実に残念だ!」







 曹操軍の強襲を知った袁紹軍は、急ぎ迎撃体制を整える。さすがは袁紹軍だけあって、迅速かつ的確に陣を敷いている。

 だが、つい先程、食糧がほぼ尽きたことを知らされたばかりか、兵士達の足取りは重い。

 もしかすると、負けるかもしれない……そんな澱んだ空気が陣全体に広がりつつあった。

 ここは袁紹軍の陣地、守りの戦は、彼らの得意とするところで、曹操軍から仕掛けて来るのは本来望ましい事態だったはずだ。

 しかし、事ここに至って、その優位は逆転していた。

 攻めの戦ならば、相手を討ち滅ぼして食糧を奪えることから、兵士達の士気は爆発的に増大するだろう。

 だが、勝利しても得るもののない守りの戦では……

 さらに、袁紹軍の兵士はこれまで完璧すぎる戦をしてきたためか、一部を除いてこのような突発的な事態に慣れていなかった。

 兵士達はうろたえ、浮足だっている。あまりに“完璧”に……“平和”に慣らされたがゆえの動揺……

 それもまた、“完璧な軍略”の欠点だった。


 そして……曹操軍の先陣を切って突っ込んでくる将の存在が、袁紹軍を更なる恐慌へ叩き落とす。


「な、何だありゃ……」

「鎧だ……鎧のバケモノだぁ!!」


 袁紹軍の最前線にいる兵士が目にしたのは、自分達の倍以上の背丈と横幅を持つ、全身隈なく薄紫色の甲冑で覆った鎧武者だった。

 その姿は、かつて宛城で死んだ、曹操軍の豪傑、典韋に酷似していた。

 しかも、一体ではない。典韋そっくりの鎧武者が、合計十体……横一列に並んで、袁紹軍に突っ込んでくる。

 典韋同様、足を使って走っているのではなく、背中の推進装置ブースターを吹かせ、地上を滑るように移動している。


「さぁて諸君! 今日は我ら無双甲冑むそうかっちゅう隊の初陣だ!

 派手に暴れてやれい!」


 中央に陣取る甲冑の中には、李典がいた。他の甲冑にも、それぞれ兵士が乗り込んでいる。


 袁紹軍の兵士は、一斉に矢を射かけるが、鉄の鎧を貫くことはできない。

 速度を緩めることなく敵軍に接近する。

 両肩の大筒が水平に倒され、砲門が火を吹く。合計二十の砲弾が群がる兵士へと降り注ぎ、爆煙の中に包み込む。

 隊列が乱れた隙をついて、敵陣に突入する甲冑達。重く、分厚い甲冑が高速で突撃すれば、それだけで凶悪な武器と化す。

 進路上にいる敵はまとめて跳ね飛ばされ、甲冑が両手に携えた斧で切り裂かれる。


 無双甲冑むそうかっちゅう悪来あくらい


 典韋を元にして李典が作り上げた、人型機械兵器である。

 内部に人が乗って操縦することができ、その戦闘能力は一般兵五百人分に相当するという。

 ただの兵士であっても将軍級の戦闘力を与える、まさに戦争の概念そのものを変えかねない兵器だった。

 開発者である李典は、ずっと前から、この無双甲冑の構想を頭に思い描いていた。

 しかし、当時の中華の技術力では、完成はおろか設計理論を組み立てることすら不可能だった。

 だが、李典は数年前、典韋に出会った。彼はまさに、李典の思い描いていた無双甲冑の理想形だったのだ。

 彼の内に秘められた様々な古代文明の技術は、これまで壁となっていた部分を次々と打ち破り、完成への道を一気に縮めた。

 こうして、機体構造については典韋を参考にすることでほぼ完成にこぎつけるも、依然重大な問題が残っていた。

 それは、人間でいうなら心臓に当たる、動力源の問題である。

 従来の油を使った内燃機関では、一分と持たずに燃料が燃え尽きてしまう。

 まともに動かそうと思えば、機体の数十倍の油樽あぶらだるが必要になる。

 そんなものを背負ってはとても戦えない。


 そのため、長い間実戦投入は見送られてきたのである。

 だが、ついに無双甲冑に生命を吹き込むことのできる、動力源が見つかった。

 それは、徐州のある鉱山でしか採取できない、太極磁石たいきょくじせきと呼ばれる鉱石で、この石は急速な回転を与えることで、莫大な電磁力を生み出すことができる。

 李典はこの希少な鉱石に目をつけ、太極磁石を核とした新たな動力機関の開発に心血を注いだ。

 折しもその年、宛城での戦いで典韋が討ち死にしており、そのこともあってか李典は無双甲冑の完成にさらに情熱を燃やすようになった。

 そして、不断の努力はついに結実したのである。


(典韋! 見ているか! これが、“悪来”の名を受け継ぐ、お前の息子達だ!!)


 この年、無双甲冑が初めて実戦投入された。この画期的な新兵器は、人や馬に続く、第三の主役となりうるものだった。

 これから、中華の戦の形は大きく変革していくことになるが、無双甲冑の駆動音は、まさにその産声であった。


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