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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第三章 虎牢関の戦い(一)

 中華大陸の全人口の内、武将の占める割合はおよそ3%程度と言われている。

 武将とは、役職ではなく種族の総称であるので、軍の階級と区別するため、指揮官に相当する人物を将軍、それ以外を将兵と呼ぶ。


 武将たちは、そのほぼ全てが将兵として従軍し、戦場に赴いている。

 陳宮や賈栩のように、頭を使った軍師として働くのはごく僅かだ。

 それでも、戦に関わる役職である事には変わりない。


 これは漢王朝の法律によって義務付けられ、武将として生まれたものは必ず何処かの軍に所属する決まりになっている。

 強大な力を持つ者は、然るべき権力によって正しく管理されねばならないという考えからだ。


 最も、彼らの多くは元々戦いを好む機質として生まれるため、法で強制されるまでも無く、率先して将兵としての道を選ぶ。

 戦場における武将は、他の役職を遥かに上回る高待遇で迎えられる為、従軍を断る武将など殆ど存在しない。

 例外といえば、漢王朝の御旗である天子ぐらいのものだ。


 一つの軍において武将に占める割合はおよそ5%。

 一万の軍勢なら、その中には五百の将兵がいる計算になる。

 そして戦の趨勢を決するのは、その五百人だ。


 勿論個人差はあるが、武将一人の戦闘力は、一般兵百人分に相当する。

 これが、夏侯惇や文醜・顔良ら各軍の看板武将になると、一般兵千人分以上……まさに一騎当千の猛者と呼ぶに相応しい実力を有している。


 一般兵が束になってかかろうとも、練磨された武将には敵わない。

 最終的には、戦の勝敗は武将同士の対決で決まる。

 一般兵は、それで勝負が決まらなかった場合の保険の意味合いが強い。

 どの武将をどこに回すか。温存すべきか、突撃させるべきか。

 そう言った諸々の駆け引きを引き受けるのが、軍師の役割だ。


 武将、それは中華の戦争に咲き誇る華。

 数多の人々の心を惹きつけ、時代を変える力すら生み出す。

 そんな武将の存在こそが、何事も戦で雌雄を決する中華の気風を生んだのだろう。


 彼らは戦争だけではなく、中華という社会の主役でもあった。



 渾元暦191年。


 董卓軍と反董卓連合軍の緒戦は、陽人で始まった。


 決起集会の後も、各地の諸侯は互いに牽制しあい、董卓軍に正面から挑もうとする者は中々現れなかった。

 そんな中、反董卓軍の先陣を切ったのは、江東の勇・孫堅。

 迎え撃つ董卓軍先陣の主将は、董卓軍最強の将との呼び声高い華雄将軍だ。


「最強!!最強!!」


 陽城を巡って、両軍は一進一退の攻防を続ける。

 まさしく野生の虎の如き孫堅軍の猛攻に、予想以上に梃子摺らされた董卓軍は、いよいよ華雄自らが前線に立とうとしていた。


「最強!!最強!!」


 暴力による制覇を至上とする董卓軍において、軍を統率する指揮官が最前線で戦うのは何ら珍しい事では無い。

 総大将である董卓こそが、それを体現した男である。


「最強!!最強!!」


 将でありながら戦場に出ない臆病者は、董卓軍にいる資格は無く、尽く董卓に首を捻られた。

 華雄は敵を全く怖れることなく戦場に出ては、次々に敵将を血祭りに上げ、今の地位にまで登り詰めた。


「俺様は誰だ!!」


「華雄様です!!」


「俺様は何だ!!」


「最強です!!」


「そうだ! 俺が最強だ!!」



 出陣前から華雄を讃える配下の部将たち。

 その声を聞くたび、華雄の士気も天を穿たんばかりに高まっていく。



「華雄、最強ぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」



 華雄の登場と当時に、居並ぶ兵卒たちから歓声が沸きあがる。

 涼州にいた頃から、この出陣の仕方は恒例行事となっていた。


「ハッ!この最強・華雄様が出るからには、孫堅なんぞ怖るるに足らんわ!!

 一丁、虎狩りとしゃれこもうかァ!!」


 槍を掲げ、意気揚々と居城を後にする華雄。

 しかし……表面上の態度とは裏腹に、彼の心は千々に乱れていた。




 董卓軍最強の称号は、れっきとした彼の実力によるものだ。

 しかし、最強……といっても、あくまで董卓を除いての話だ。

 “董卓軍最強”ではなく、“董卓軍最強の将”なのにはそういった事情がある。

 華雄もまた、董卓の恐怖に屈して董卓軍に入った将の一人。

 董卓に勝てるなどとは、夢にも思った事は無い。


 董卓は人間では無い。

 あの悪逆非道は、自分たちとは全く別個の生物だから出来る事だ。


 最強を名乗りながら、董卓に屈服している事に矛盾は無い。

 何故なら、董卓は魔王なのだから。

 人の強さという概念を遥かに超越した怪物。

 だから、勝てなくても当然だ。


 馬と速さで競おうとする愚か者がどこにいる?

 魚と泳ぎで競おうとする愚か者がどこにいる?


 董卓と自身の強さを比較するのは、それと同じ事だった。

 最強なんてものは、あくまで人間という枠の中でこそ使える言葉だ。


 人間の中での最強……それでも華雄は満足していた。



 あの男が現れるまでは……




 あれは……呂布が董卓の配下に入ってから数日後のこと……



「ヒャハハハハハハハハ!!!

 何だてめぇ、弱っちいなぁ……あぁ!?」



 今でも、あの笑い声は鮮明に蘇る。


 董卓に刃を向けておきながら、無傷で董卓に降ったあの男。

 軽い嫉妬も交っていたのだろうか。

 適当な難癖をつけて、痛めつけてやろうとした事は覚えている。


 そこから先は……華雄にとって悪夢でしかなかった。



 気づいた時には、全身をズタボロにされ、呂布に足蹴にされていた。

 お互いに徒手空拳だったのだから、どんな言い訳も通じない。完敗だ。

 

 呂奉先。自分が董卓以外で初めて負けた相手だった。


 認められなかった。だが、認めるしかなかった。

 董卓に比類する強者が、この世界に存在することを。


「てめぇごときカス、殺す価値もねぇよ」


 忘れたくても忘れられない一言。

 董卓の存在に目を瞑り、己を最強と鼓舞することで

 保たれてきた華雄の自我に、この時皹が入った。




「最強! 最強! 最強ぉぉぉぉぉ!!!」


 自尊心を奮い立たせながら、敵陣に突っ込み槍を振るう。

 敵兵は次々に血煙と化し、落馬していく。

 

 何が何でも認めるわけにはいかない。

 呂布もまた、董卓と同じ化け物なのだ。比べる事が間違っているのだ。

 自分はまだ最強だ。最強だ。最強だ。

 

 俺は決して、■くなんかない……!


「俺は最強だ! 負けねぇ! 負けねぇ! 負けねぇ!!」


 最強という称号。それは華雄にとって一種の麻薬だった。

 己が最強であるという恍惚に酔いしれる事で、士気を昂揚させ、十全以上の力を発揮できる。

 これにより、華雄は幾多もの戦果を挙げてきたのだ。

 今ここで最強という支えを失えば、華雄という存在は崩壊する。


 最強、最強、最強、最強、最強、最強…………


 敵を斬りながら、屠りながら、華雄は呪文のように呟き続ける。

 壊れかけた己の戦意を、繋ぎ止める為に。



「華雄、最強ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」



 喉を引き裂かんばかりに吼えた瞬間……



 華雄の首は、胴体から離れて飛んでいった――――――



「お見事でございます、殿!」


 単騎で突っ込んできた敵将を、見事討ち取った主・孫堅を、

 白銀の鎧を着込んだ武将が讃える。

 彼の名は程普。字は徳謀。孫堅に仕える腹心の配下である。


「君たちが、他の将を払ってくれたお陰だよ。

 彼を孤立させ、一騎打ちに持ち込むことができた」 


 血に染まった直剣を鞘に仕舞いながら、穏やかな声で語りかける孫堅。

 謙遜としか思えぬ台詞に、程普は小さく苦笑する。


「それに、この男はどうも錯乱していたようだ……

 万全の状態だったなら、どうなっていたかは分からないね」


 地面に転がる華雄の生首を見下ろす孫堅。

 何かに気を取られて叫んだところを、不意を突いて首を刎ねたのだ。

 本来の技量を推し量ることはできない。



「おおっ!こいつは確か、董卓軍の華雄じゃねぇか?」


 やや野太いが、豪快な声が響いた。

 黒いもじゃもじゃ頭に赤い布を巻き、筋骨逞しい色黒の肌に黄色の甲冑を纏った男だ。


「いきなり敵の主将を討ち取るたぁ、こりゃ景気がいいや!

 このまま一気に押し切りましょうぜ!!」


 彼の名は黄蓋、字は公覆。

 彼もまた、孫堅に仕える四将軍の一人である。



「…………迅速、制圧」


 黄蓋とは対照的に、陰気な声と共に現れたのは、黒く逆立った髪に、眉毛の無い三白眼、

 鶴のように痩せこけた身体を黒装束で包んだ男だった。

 韓当、字は義公。彼も程普、黄蓋と同じ四将軍の一人だ。



 “白”の程普、“黄”の黄蓋、“黒”の韓当、そして“赤”の朱治。

 孫堅がまだ無名だった頃から付き従い、黄巾との戦いで多大な戦果を挙げた孫軍の中核とも言える四人衆である。

 彼らは猛獣の如き董卓軍に対しても、一歩も引かぬ戦いを繰り広げてきた。


「ああ、だが、一つ気になる事が……」


 優位に立っているにも関わらず、孫堅の憂いは消えない。

 果たして、その不安を裏付ける知らせが、間もなく届けられた。

 

「大変です、孫堅様!」

「どうしたんだい?朱治……」


 四将軍の一人、朱治が孫堅らの下に馳せ参じる。

 いずれも大柄な他の三人と比べ、朱治は不老年齢が19歳と若い為か、割と小柄である。

 赤い髪に青い瞳、女性らしい顔立ちをしたこの将は、息せき切って報告を伝える。


「袁術軍から送られるはずの兵糧が、まだ到着していません!

 このままでは、我が軍の食糧は間もなく尽きます!」

「なぁにぃ!?」


 耳を疑う知らせに、黄蓋は怒気を孕んだ声を上げる。


「袁術殿の下に、使者は送ったのだろう?」

「はい……しかし、袁術の返答はまるで要領を得ないもので、

 使者もすぐに帰らされたそうです……」

「何を考えているんだあの男は……!」

「…………不満、不快」


 程普は声高に、韓当は静かに不快の念を表す。



「……困ったお人だ」


 孫堅は、子供の悪戯に呆れ返ったように嘆息する。


「殿……袁術の思惑は見え透いています。

 我らの活躍で、殿の勢力が今以上に広がることを怖れたのです」


 どうにか憤激を堪えて、程普が進言する。

 袁術と孫堅の同盟は、あくまで反董卓連合に参加する為のものに過ぎない。

 孫堅は袁術の地位を、袁術は孫堅の武力を、互いに必要としていたのだ。


 だが……無駄に想像力の逞しい袁術は、勝ちもしない内からその後の事を考えるようになった。

 董卓との戦いで孫堅が功を上げれば、更に勢力を増し、いずれは自分の領土を脅かすかもしれない。

 そう考えて、孫堅を活躍させない為に、物資の支援を故意に打ち切ったのだ。


「ただでさえあんなヤローと組むのは嫌だったってのに!

 こっちの脚まで引っ張りやがるたぁ、どこまで腐ってんだあいつは!!」

 

 剛直な気質の黄蓋は憤懣やるかたない。


「この件を、袁術殿に抗議しますか?」

「一応はね。だけど、彼のことだ……

 予想外の仕事が増えただの、董卓軍の横取りを警戒しただの、

 何かと理由をつけて責任逃れを計るだろうね」

「…………姑息、卑劣」


 孫堅は改めて、陽人の陣営を見回す。

 総大将である華雄が討ち取られたのに、董卓軍の陣形は全く乱れる様子が無い。

 華雄を倒しても、決定的な損害を与えられたわけでは無いのだ。


 董卓軍は、将兵一人一人が野性の獣……

 たとえ群れを統率する者が消えても、その身には磨き抜かれた闘争本能、防衛本能が宿っているのだ。

 弱肉強食の涼州を生き抜いてきた董卓の兵たちは、一人一人が戦の何たるかを己が身に刻みつけていた。

 だからこそ、この局面で最も効果的な陣形が、自然と導き出されていた。


「ここは一旦退くしかないね。

 向こうは長期戦の構えのようだ。兵糧なしでは戦えない」


 陣営を見て、孫堅は董卓軍が徹底的に守備を固めるつもりだと察する。

 これまで討ち果たしたのは、皆功を焦って突っ走ってきた者ばかり。

 戦力はまだ温存されていると見るべきだろう。


「クソッタレがぁ!!」


 怒り狂う黄蓋を、主君は優しく諌めた。


「落ち着きたまえ、黄蓋」

「しかし、もし袁術がもっと早く補給をしていれば、祖茂の奴は……」

 

 唇を、血を流さんばかりに噛み締める黄蓋。


 祖茂は、四将軍と同じく孫堅軍の古株だった武将だ。

 一時期苦しい戦いを強いられた際……

 董卓軍の強襲から孫堅を守って討ち死にしたのだ。

 彼らの快進撃には、祖茂を失った怒りと鎮魂の念が与えている影響も大きい。


「劉備殿もおっしゃられていた。その怒りは、今は董卓に向けたまえ」

「は、はぁ……」


 悪いのは董卓……頭では分かっていても、そう簡単に納得することはできない。

 全軍に退却の指示を出す孫堅。その際に、彼は短くこう告げた。



「それに、心配は要らない。袁術殿には……いずれ思い知らせてあげるとしよう」



 孫堅を取り囲む四人は、主君の静かなる覇気に震え上がった。

 この場で一番怒っているのは、他ならぬ孫堅なのだ。

 袁術の補給が遅れた事で、祖茂を始め、どれだけの将兵が傷つき死んでいったか。

 彼はその痛みを、我が身の事のように感じているはずだ。


(やはりこの御方は虎……袁術よ、虎を飼い慣らそうとし、

 その誇りを傷つけた報いは、必ず下るであろうぞ……)


 程普は怒りを内に封じ込め、速やかに自軍の撤収の任についた。


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