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三国羅将伝  作者: 藍三郎
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第十七章 官渡の決戦(一)

 渾元暦200年。


 曹操は官渡城砦に大規模な陣を敷き、袁紹を迎え撃つ態勢を整える。

 一方の袁紹も、黄河を渡った後は、大軍に物を言わせた進撃で、曹操軍の拠点を次々に制圧。

 全軍四十五万を一つにまとめ、官渡へと軍を進める。

 そしてついに、曹操と袁紹は、官渡でぶつかり合うこととなる。


「聞け!この袁紹に付き従いし勇者達よ!」


 袁紹は、全軍の前で、士気向上のための演説をぶちまけた。


「諸君らの奮闘によって、我が軍はついに宿敵、曹操をこの官渡の地に追い詰めるに到った。

 曹操さえ討ち滅ぼせば、我らの勝利は目前だ。

 腐敗した漢王朝、小賢しくも漁夫の利を狙わんとする諸侯! 全て我らの敵ではない!

 鎧袖一触にしてくれよう! いや! 曹操軍とて、もはや恐るるに足らず!

 我が軍の圧倒的優位に揺らぎなく、全軍で押し潰し、官渡に屍を晒してくれる!

 勝敗など、既に決まっているのだ!!」


 黄金剣をかざすと、軍の中から歓声が巻き起こる。

 だが、袁紹はこれに満足せず、さらにこう続ける。


「だが今一度、諸君らに、己の心について問うて欲しい。 

 これから我らは官渡を攻略した後、許都へと攻め入ることとなる。

 諸君らの中に、天子に弓を引くこと、逆賊と見なされることに、恐れを抱くものはおるまいな?」


 大軍勢の歓声がぴたりと止んだ。

 どれだけ権威が失墜したとはいえ、民の内には、天子への畏敬の念が残っている。

 何百年と続いてきた中華の伝統、そう簡単に拭い去れるものではない。

 袁紹軍の中には、曹操のみを敵と見なし、天子と戦うことなどまるで思考の外だったという者も大勢いる。

 そんな彼らに対し、袁紹は怒ることなく、穏やかな声音で語りかける。


「よい。諸君らが後ろめたさを感じるのも最もなことだ。だが……」


 袁紹は群衆を見渡し、全体に浸透させるように声を発する。


「見渡してみよ。この大軍勢を。振り返ってみよ。我らの常勝不敗の戦歴を!

 我らこそは中華最大最強の勢力にして、大陸を照らす眩き太陽なのだ。

 世界の中心は、沈みゆく漢王朝にはない。

 今、諸君らが立っている場所こそが、新たなる世界の中心と断ずるに、些かの疑いも挟む余地はない!!

 誰に憚る必要もない。我らは既に、天の頂に立っている。この戦は断じて反抗などではない。

 とうに朽ち果てた権威にしがみつき、新時代の到来を拒もうとする腐敗汚泥の塊……

 この中華を蝕む逆賊を討つための、粛清の戦なのだ!!

 迷いを捨てよ! 勝利を目指せ! 大義は我らにある!!

 中原を制覇し、天に我らの名を轟かせ、栄光を勝ち取るのだ!!

 その時にはこの袁紹、諸君らに栄誉と褒賞、そして、希望に満ちた新王朝を築き上げることを約束しよう!!」


 袁紹の演説が終わった後、先程までの沈黙が嘘のような大歓声が沸き起こる。

 もはや彼らから、迷いは消えていた。彼らにあるのは、目先の勝利と、その先にある栄光のみ。

 その光景を見つめながら、沮授は満足げに笑っている。


「お見事アルね、エンショー様」


 実は先程の演説はほとんど彼が考えたものである。

 しかし、彼が同じ言葉を群衆に放っても、袁紹と同じようにはいかない。

 兵士達の心を揺り動かしたのは、演説の内容ではなく、袁紹の圧倒的なまでの風格だ。

 彼のあまりにも巨大な自信が、天子の権威すらも軽く吹き飛ばすほどの威厳を与えている。

 今の袁紹の王としての格は、歴代の皇帝と比しても並ぶ物がないほどだ。

 王者の威厳が、袁紹に更なる輝きをもたらしている。


(エンショー様の晴れ姿、オシショー様にも見せてあげたかったネ)


 沮授の師、田豊が今の袁紹を見れば、きっと感極まって涙を流すことだろう。

 それだけ今の袁紹は、誰の目から見ても立派な王者だった。




 群衆の歓喜の声に、袁紹は満足げに笑う。


(曹操よ……貴様が天子を担ぎ出すなどとらしくない真似をしたのは、

 せめて権威だけでも味方につけ、我が軍の矛先を鈍らせようとしたのであろうが、無駄だったな!

 我らは既に天子など眼中にない。

 それどころか、漢王朝の呪縛から離れた新しい王朝を創ろうと、更に闘志を燃やしているのだ!

 曹操よ! 貴様が漢王朝にすがったことは、我らの炎に油を注いだ結果に終わったのだ! 貴様のやったことは、何もかもが裏目というわけだ!)


「フハハハハハハハハ……アハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 己の更なる優位性を再認識し、高笑う袁紹。黄金剣を突き出し、南の方向を指し示す。


「いざ行かん! 決戦の地は官渡!

 我らが勝利を持って、この世界をあらためようぞ!!」



 四十五万の大歓声は、袁紹の耳に響き続けていた。

 沮授のみならず、古くから袁紹に付き従ってきた家臣達は、皆涙を流して主の晴れ姿に感激している。

 だが、この場にいる全ての者が、無条件に袁紹を賛美しているわけではない。

 その内の一人、許攸は態度にこそ表さないものの、冷ややかな目で袁紹を見つめていた。


(殿も臣も兵士も、あのように浮かれて、大丈夫なのか。

 まだ曹操との決着はついていないというのに……調子に乗りすぎていては、思わぬところで足元を掬われかねないぞ)


 この許攸という男、特別袁紹への忠誠心が篤い、というわけではない。

 彼が考えているのは、己の名誉と地位だけ。

 確かに、この戦に勝利すれば、中華は袁紹と彼に組した者達の天下となろう。

 しかし、敗れてしまえば、全てが水の泡なのだ。そう考えると、あまり楽観的にはなれなかった。


「そんなに浮かれて大丈夫か、なーンて顔しているアルネ」


 突然考えていることを読まれたような指摘を沮授にされ、許攸は動揺する。


「わ、私はただ……」

「ヨロシヨロシ。調子に乗りすぎないよう冷静さを保つのも、ワタシ達軍師の勤めアルネ」

「はぁ……」

「ただ、頭悩ますのはワタシ達だけでジューブンヨ。

 今は、勢いに乗るのイチバン大事ネ。エンショー様も、そのことはよーくわかってらっしゃるヨ。

 ワタシ達は必要な時に知恵を絞っていればイイネ」

「裏方に徹しろというわけですか……」

 

 まだ、完全には納得できているわけではない。

 しかし、あの袁紹の姿を見ている内に………そんな小さな疑念を抱いている自分が、酷くちっぽけに思えて来てしまう。

 胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じる。


(これが……あの方の王の器だというのか……まさか……)






 曹操と袁紹……官渡における戦いは、今までの戦の常識を覆すものだった。 

 両軍、この時のために開発した近代兵器を次々と投入。

 それはまさに中華史上初、科学大戦と呼ぶべき戦いだった。



 曹操軍は、官渡城砦を高い鉄の壁で取り囲み、篭城戦の構えをとった。

 この城壁は、かつて陳宮が改造を加えた下丕城の城壁を参考としたもので、大きさも厚さも高さもその倍以上だった。

 壁の内には砲台が設置されており、近づいて壁を壊そうとすれば、砲弾の雨が降り注ぐようになっている。

 曹操は、袁紹との決戦は最初から官渡で行われると想定していた。

 そこで、二年の歳月を費やし、官渡を難攻不落の要塞へと改造したのだ。

 兵力差では圧倒的不利にある曹操軍だが、守勢に回る以上、地の利は獲得できた。いや、造り出した。

 これまでずっと袁紹との戦いを最小限に留めておいたのも、戦力を温存したまま官渡での決戦に持ち込むことにあった。




「愚策、愚策ゥ!!」


 金城鉄壁の官渡要塞を一目見て、袁紹は鼻で笑い飛ばした。


「そうやって閉じこもっていれば数の不利を解消できるとでも思ったか?

 甘い! 甘いわ! その仰々しい城壁こそ、貴様がこの袁紹を恐れているという何よりの証!!

 王座とは、守りに回って得られるものではない。

 戦い! 討ち滅ぼし! その手で勝ち取るものなのだ!!

 貴様が我が王道を阻もうとするならば、力でこじ開けて進むまで!!

 思い知るがいい、曹操!! この袁紹に総力戦を挑んだ愚かしさをな!!」


 自信たっぷりに語る袁紹だが、決して過信ではなかった。

 曹操の大城壁に対し、袁紹も驚異の新兵器で対抗する。

 官渡要塞の正面に陣取った袁紹軍は、運び込んだ資材で十数の高台を組み上げた。

 官渡の城壁よりもさらに高く、塔と呼べるほどのものだった。

 袁紹軍は塔の上から、城壁の向こう側へ一斉に矢を放つ。

 高さの優位を確信していた曹操軍は、これによって少なからず損害を被る。

 矢の集中豪雨はほぼ一日中続き、曹操軍は砦の外に出る事すら出来なくなってしまう。


 これだけではない。上だけでなく、正面からも城壁を破る策も用意してある。

 それが、袁紹軍の大型絡繰からくり兵器、削岩車“羅號らごう”である。

 鉄の鎧で覆われたこの車は、四つの車輪が備わっており、内部に乗り込んだ操縦者によって大地を縦横無尽に駆け回る。

 その頑強な車体には、矢も砲弾も通用しない。

 近年目覚ましく進歩を遂げた、機械技術の産物だ。

 また、この“羅號”の最大の特徴は、正面に備わった円錐形の衝角にあった。

 この衝角には螺旋状の筋が引かれており、回転させることで岩や鉄を削り砕くことが出来る。

 これを数台城壁にぶつけ、正面からの破壊を敢行したのだ。

 羅號の装甲には、地雷も砲弾も通じない。一日足らずで城壁を破壊できる……はずだった。

 

 曹操軍も、これらの兵器について情報は収集済みであり、袁紹軍がそうした手に打って来ることは予測できていた。

 衝角車による突撃を見越して、城壁前には深い落とし穴を仕掛けておいた。

 これで城壁を守るばかりか、敵の駆動兵器を無力化し、さらには鹵獲ろかくも出来る一石三鳥の策であった。


 だが、袁紹軍の軍師、沮授は、この策を読んでいた。

 多数の牛馬を城壁へと走らせ、落とし穴を不発に終わらせる。

 さらに、牛馬で穴を塞ぐことで、羅號による掘削作業のための足場作りも可能となった。

 落とし穴の策を破られた曹操軍は、ついに直接羅號を迎え撃つ構えを取る。

 雑兵の攻撃などでは羅號の装甲に傷一つ付けることはできない。

 出撃するのは、張遼、許楮、曹仁ら、高い攻撃力を持つ一流の武将に限られた。


 苦戦の末……張遼、許楮がそれぞれ一機ずつ羅號を大破させる。

 それを見て取った袁紹陣営は、すぐさま羅號を引き上げさせた。

 これは戦略的撤退。虎の子の羅號を温存するためであった。


 曹操軍も、あまり深追いすることはできない。

 敵本陣には四十万近い大軍が牙を剥いて待ち構えており、高台からの掃射も依然続いていた。

 曹操軍のいかな名将を持ってしても、あの大軍を正面から突き破って、袁紹を討ち取るのは不可能。

 かといって、こちらも軍を動かせば、それこそ敵の思う壷。

 数の差に飲み込まれてしまうのは見えている。

 しかし、いつまでも手をこまねいているわけにはいかない。

 今も官渡は矢の豪雨に晒され、満足に兵も出せない状況が続いているのだ。


 この状況を打破すべく、曹操軍は新たな兵器を投入する。

 それは、“岩塊砲がんかいほう”と称される、巨大な投石器である。

 やや原始的な機構とはいえ、破壊力は抜群。

 投げられた岩は城壁を越え、袁紹軍の高台へと直撃、倒壊させる。

 これで高所からの一方的な攻撃は打ち切られた。

 この機に乗じて、曹操軍は張遼率いる精鋭部隊に奇襲を命じる。

 これで大損害を与え、敵軍に揺さぶりをかけるつもりだったが……

 敵の対応は至って冷静、高台が崩れるや否や、奇襲を見越して軍を後方に下げ、被害を最小限に留めた。


 その翌日……袁紹軍は仕返しとばかりに彼らも岩塊砲による攻撃を開始。

 城壁を越えることはできなかったが、城壁の内の砲台をことごとく破壊。

 ただの鉄の壁に変えてしまう。



「ふははははははははははは!!

 良かろう曹操! この私に抵抗する権利を許す!!

 足掻け足掻け!! そして己の無力を思い知れ!!  

 貴様の行く先には、どの道敗北の暗黒しか広がっていないのだからな!!」



 この後も、両軍一歩も引かぬ攻防は続いた。

 袁紹軍が城壁を破るために新たな兵器を投入すれば、曹操軍も奇策で打ち破る。

 袁紹軍が策略を見抜いて罠を仕掛ければ、曹操軍が新兵器を用意して対抗する。


 そうした攻防が続き、両軍とも決定的な優位を得られぬまま戦局は推移し、一月が過ぎ去った。



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