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乙女の祷り  作者: 夏生由貴
乙女の祷り
8/12

Ⅷ Lux aeterna(ルックス・エテルナ)~絶えざる光もて

執筆中たまたま流していた曲なのだが、感極まり、くずおれた(精神的に)。

よって、ⅧのみBGMはこちら。

【BGM】コレッリ『トリオ・ソナタ 作品12』

you tube→https://www.youtube.com/watch?v=MXxYX06HmRM

                   *


 そして今年もまた、薄紅に染まる時季がやって参りました。


 お姉様と出逢い、お別れいたしましたこの季節で畢生(※)を終えられますこと、大変なさいわいに感じております。


 あれから50年。わたくしは一日たりともお姉様への祷りを欠かしたことはございませんでした。


 修了式の翌日からは、人目を忍んで礼拝堂を訪れ、祷りを捧げて参りましたし、女學校を卒業したのちは、洗礼を受け、町の教会で神父様のお手伝いをするかたわら祷りを捧げて参りました。


 お姉様の修了式でわたくしを苛んだ怒りと憎しみ、悲しみの情動は、あの養花天ようかてんの空に昇華されたのでありましょう。ひざまずきマリア像を見上げる心境は、50年のあいだ、たしかな静穏と安寧に満たされておりましたから。


 もはや少女からはほど遠い老いさらばえた身ではありますけれど、お姉様を

想い、祷りを捧げますときだけは、清白すずしろの学び舎で過ごした日々の、うら若き

乙女に還るのでございますよ。


 まぁ!

「今でもじゅうぶん早乙女ですよ」だなんて、神父様もお上手ですこと。


 本日は卒爾に診療所サナトリウムまでお呼びだてしまい、申しわけございませんでした。

遠方からのご足労にくわえまして、年寄りの長広舌(※)に辛抱強くおつき合いくださいましたこと、真に感謝申し上げます。


 心裡こころうちに秘めたまま、神様の御許へ参る所存でおりましたのに、今朝目覚めましたら、どういうわけかすべてを語ってしまいたい衝動に駆られたのでございます。この日をのがせば、二度とは機会の訪れない気もして参ったものですから、無理を

承知で、わがままを通させていただきました。


 神父様、これも告解となるのでしょうか。今のわたくしは、とても清々しく晴々と、今生にいとまを告げられそうな心持ちでいるのでございます……――。


 敬愛なる椿お姉様。

 お姉様のさいわいだけをひたぶるに望み、願い、祷りを捧げて参った女子おなごのおりましたこと、お伝えしとうございました。斯様かような存在をお認めになるだけでも、俗世の艱難辛苦を負うお姉様にとっては、よすがとなりえたでありましょうに。


 たやすく風にさらわれ、わけなく踏み敷かれ、造作なく泥に染められ、あっけなく破れる薄花びらのごとき存在にすぎぬことは承知でございます。


 したがそれは、炎夏を、秋霜を、厳冬をも耐え忍び、乗りこえ、春陽にふたたび芽吹いては、誇りを宿し、新たな祷りとなって、お姉様のお傍に巡り巡っておりましたこと、お伝えしとうございました。


 この祷りは、決して途絶えることなく、紡がれてきたのだと、紡がれてゆくのだと。

 この祷りは、浮世であろうと、神の御許であろうと、場処をたがえど、尽きることはないのだと、尽きさせてはならないと、お伝えできればようございました。


 これまでのごとく、この先も。

 願い事は、ただひとつ。


 敬愛なるお姉様、どうぞいつまでも安らかにわしませ。

 千載せんざいの季節を見送ろうとも、あなた様はわたしくしの中で、色褪せぬ信仰の極みであり続けましょう――。

                  *


 昭和22年。日本政府は日本国憲法の制定をもって、華族制度の廃止を決定する。

明治24年から、わずか56年後のことであった。ひとりの乙女がひとえにこいねがい続けた()()()()に比すれば、半世紀はあまりに短い。


 しかし実際は、これにさかのぼること2年前、政府が断行した財産税法によってすでに多くの華族が没落を余儀なくされていたのである。


 むろん、明治24年の乙女たちは知る由もなし。

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※ 畢生…一生

※ 長広舌…長々としゃべること

『乙女の祷り』は2009年3月に書いた『制服の頃』という詩が元になっている。『女學校』シリーズの構想を練っていた際、前にそれらしいもの書いたなぁ……と

思い出し、再利用するに至った。


 物語後半に登場のエロバカオヤジについては、存分に罵っていただいてかまわない。執筆中も「このヒヒジジイ…お前の運命は、私の胸三寸にあるんだぞ」という脅しを吐きまくっていた。


 椿のその後を慮り「憐れ、馬に蹴られて鬼籍入り」という後日談も考えたのだが、読者の嫌悪感をさそう人物も小説には必須、と生かすことにした。こんな奴の後日談など、書く気は毛ほどもないけれど。


 ヴィヴァルディの『モテット~まことの安らぎはこの世にはなく』はソプラノ

独唱のアリアである。小説はあとがきから読み始めるという方のために添えると「この歌の存在を知ってもらえただけで大満足。本編はスルーしてもOKっす」というくらい気に入っている。詩の段階であったBGMだが、語り手というよりは、椿のイメェジ。


 宗教音楽に詳しい方なら「モーツァルトの『レクイエム』ではないの」と思われたかもしれない。事実、各章のタイトルはこの『レクイエム』から取っている。

 が、あくまで曲名から受けるイメェジが各章の内容と符合しただけであって、

BGMとしてはしっくりこなかった。『乙女の祷り』では誰も亡くなっておらず、当たり前と言えば当たり前だが。

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