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乙女の祷り  作者: 夏生由貴
乙女の祷り
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Ⅱ Lacrimosa(ラクリモサ)~涙の日

 あれは、お姉様の修了式を明くる日にひかえた朝。いつもの礼拝が終わり、講堂で宣教師様をお待ちするあいだの出来事でございました。


 わたくしにとってはお姉様からたまわる最後の箴言でしたから、今でも諳んじることができます。


   あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。

   喜んでいる者があるか。その人は、賛美するがよい。

   信仰による祈は、病んでいる人を救い、

   そして、主はその人を立ち上がらせて下さる。

   かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。

   だから、互いに罪を告白し合い、

   また、いやされるようにお互いのために祈りなさい。

   義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである

             ※『ヤコブの手紙』第5章13・15・16節


 まばたきさえいとうわたくしの双眸は見逃しませんでした。読み終えたお姉様の

片睛から、はらりと涙が零れ落ちたのを。


 その場にいた生徒たちで気づいたのはわたくしだけだったと存じます。そうでなくとも仄暗い講堂内、お姉様はすぐにうつむき瞑目されてしまいましたから。


 ほどなくしてお姉様は壇上から降りられ、おみえになった宣教師様と、他生徒の目にはいつもとおなじに映っていたであろう一揖(※)を交わし、ご自分の席につかれたのでありました。


 《他生徒の目には》と強調しましたのは、わたくしにはいつもとおなじに映らなかったからでございます。


 一揖の前、その玉響(※)に交わされた、おふたかたの眼差しの邂逅。


 わたくしの脳内で《あの日》のお姉様とそのお相手とが、ぴたりと符合した瞬間でございました。


 ここで《あの日》についてお話しせねばなりません。


 半年ほど前になりましょうか。斜陽が辺りを染め始めた時分、講堂の片方かたえに建つ礼拝堂で、独りたたずむお姉様を認めたことがございました。


 こんな機会は二度とありますまい。お聲がけしてみようか。ご挨拶というかたちなら不躾にはならないのでは……。


 扉口に立つわたくしのはやる気持ちをおしとどめたのは、視界に入りこんできた

ある物でございました。力なく脇へ落とされていたお姉様の左手がたずさえていた物。


 それは、わたくしにとっては戒めでしかない――といって、ほどく勇気ももてない――胸元に結ばれている筈のリボンだったのございます。


 清白すずしろミッション女學校における制服のリボンは、楚々とした乙女の象徴たる装飾品と位置づけながら、その実、良識の板垣、貞操の檻から出さんとする神の子羊たちの頸枷くびかせでもありました。ほどくことは決して赦されぬ不作法であると、入学時にきつく云い渡されていたのでございます。


 それを、粛然たる礼拝堂内でほどくとは。どなたかの目にふれでもしたらお姉様とて、いえ、生徒総代という立場であればなおのこと、校長先生からの手厳しい

お咎めは免れません。


 ですが、そのリボンをにぎりしめマリア像と相対するお姉様は、後ろ姿であっても気圧されるほどに幽玄で、気づくと頬を伝っていたわたくしのとめどない涙よりも遙かに蒼みをおびた愁訴が、帰結するすべもなく彷徨っていたのでありました。


 こぶしの両側から垂れるリボンは、まるで手頸からしたたる血潮さながらで、

わたくしの目には痛々しくさえ映りました。


 ところが次の刹那、さらなる愕きがわたくしを呑みこんだのでございます。

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一揖いちゆう…軽く会釈をすること

玉響たまゆら…刹那

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