Was will die einsame Träne?
『乙女の祷り』では聖書が話の中心だったため、イメェジしていたハイネの詩を
のせることができなかった。以下が、その詩である。
なにゆえに落つる涙ぞ?
涙ゆえわが眼は曇る。
こはまこと旧き涙、
わが眼の底にいと永く溜まりし涙。
この涙かずかずの姉妹らを待ちたれど、
姉妹らは早やすでに散りゆきぬ、
愁いゆえ、はた悦びゆえに
流れ落ち、闇と風とに散りうせぬ。
悦びを、はた悲しみを、われに与えし
かずかずの青き瞳の星々も
霧のごとくに
消え散りぬ。
さて我が恋の思いすら
風のごと、虚しく消えつ。
永く残りてとどまりし、寂しき涙
今は流れよ!
※片山敏彦氏訳『ハイネ詩集』(新潮文庫)
私の脳がぴくりと反応したのは第二連だ。【姉妹】という表現。上級生と下級生とのあいだで結ばれる秘めやかな関係(=エス)に、ぴったりではないかと。
続く【散る】という表現では、お姉様の卒業によってその甘やかな契約が否応
なく解消されてしまう哀しき未来を暗示してるのだと。
もう絶対そうに違いないと。それしか考えられないと。てゆーか、その自信は
どっから湧いてくるんだと。根拠は、なんなんだと。そんなのアレに極まってるではないかと。
…妄想、万歳(小声)。
結局『乙女の祷り』ではエスの世界を描くことができなかった。
『女学校』シリーズのほかの作品には《ガッツリ百合!》もあるのだが、いかんせん構想妄想止まりで、ひとっ文字も書けていない。
暴露ついでに、さらに告白してしまうと、百合創作はとっっってもシンドイ作業なのだ。同性なんだから、むしろ楽じゃないの? と思われるかもしれないが、
私にとっては真逆の正反対。少年同士のあれやこれやを書くほうが、比べものにならないほど楽である。
「新作の発表、もとい着手は、いったいいつになるのでせう?」
自らに問いかける今日この頃。




