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乙女の祷り  作者: 夏生由貴
乙女の祷り
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Ⅰ Agnus Dei(アニュス・デイ)~神の子羊

【登場人物】人物名および学校名は、植物の名前から取っています。


清白すずしろ…ダイコンの古名。春の七草のひとつ。

沢瀉おもだか…オモダカ科の水辺の多年草

椿つばき…ツバキ科の常緑高木

隈笹くまざさ…イネ科の竹

 わたくしの通う清白すずしろミッション女學校では、毎朝、始業前に礼拝がございます。それが終わると週に1度、講堂にて、聖書学を担当される亜米利加人の宣教師様

より教義をたまわるのでありました。


 宣教師様がお見えになるまでのあいだ、壇上でその日の御言みことばを唱えられるのが、生徒総代でいらっしゃるお姉様のお役目です。


 最下級生であるわたくしにはお姉様とお言葉を交わすよし時機おりもございませんでしたから、その寸陰(※)が、学年のへだてなく、人目をはばかることなく、お姉様を仰ぎ見ることのできる唯一の時間でございました。


 わたくしは毎週の御言をお姉様からの直々の箴言として受け止めておりましたから、わたくしにとっての信仰の対象は主イエス・キリストにあらず、お姉様であったというわけです。


 そんなわたくしの崇拝をつねに警醒となってはばむのは、胸元で結ばれている

葡萄色のリボンでございました。


 理事長の方針として早くから洋装と束髪を採り入れていた我が校は、ミッション女學校の多い此処、築地の居留地にありましても目立つ存在でございました。


 ことさらに目を惹くのが幅1寸ほどの此のリボン。わたくしは葡萄色と申しましたが、正確にはカァディナルと云うそうでございます。


 校長先生のお話によりますと、此の色は古くよりカトリック教会における権威の象徴として、教皇や枢機卿の御召しになる法衣や帽子に使われたとのこと。さはいえ、葡萄酒はキリストの血の象徴でもあるわけですから、わたくしの呼称もあながち見当はずれではないと存じます。


 リボンの両端には白い糸で百合の花のぬいとりがほどこされておりました。わたくしが《警醒となってはばむ》と申しました所以は、此処にあるのでございます。


 罪のあがないとされたイエス・キリストの血。それとおなじ色の絹地をしとねに咲く、

穢れなき乙女の花。


 祷りを捧げる両の手が此のリボンにふれるたび、やわい絹のなめらかさどころか

清冽なくびきを感じずにはいられませんでしたから、あれはまさしく啓示だったのでありましょう。


 しかし、当時のわたくしには若さゆえの無謀さと不遜さがありました。お姉様への忍びやかな深い思慕は、聲にのせず文字にもしたためなければ赦されるのだと。わたくしにとってのお姉様は、あくまで崇拝、信仰の対象でしたから、諸恋(※)を願わなければ罪にはならない。罪ではないのなら、懺悔も必要ないと。


 なによりわたくしは、お姉様ととある濃密な世界を共有している、という恍惚な想いにすっかり酔うていたのでございます。


 お姉様はまた、公然にはできぬ世心(※)を、聖書の御言を借りて余所ながら(※)に語られているようでもありました。


 お相手はどなたでしょう。在校生であることに相違はありません。視線から推そうと毎度注視してはみるのですが、双眸はつねに聖書にそそがれており、うかがい知ることができないのです。


 お姉様から想いを寄せられるとは、なんて倖せな女子おなご


 斯様にして、乙女の御園で学ぶわたくしの日々は、抗えぬごうと、甘美な禁忌と、くすぶる悋気(※)をともない、ゆるやかにめくられてゆくのでありました。

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寸陰すんいん…一時

諸恋もろごい…相思相愛

世心よごころ…恋心

※余所ながら(よそながら)…それとなく

悋気りんき…嫉妬

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