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14 天使さん

 天使さん、天使さん。ねえ、本当にいいの?ああ、いいんだ、僕は君と居ると約束したからね。じゃあ、天使さん。質問していい?なあに?どうして天使さんは、人間なのに人間じゃないの?

「……それはね」

 もうすぐお昼に差し掛かろうとしている十一時半。僕とメイちゃんは、手を繋いで彼女のお母さんが入院しているという病院に向かっていた。朝起きたら、メイちゃんははしゃいだように僕に飛びつき、満面の笑みですり寄って来た。まるでミーちゃんのようだと思いながらも、なんだか僕も嬉しくてそれに応える。

 そうして、僕たちは色々な話をしながら病院に行く準備をし、アパートを出た。とはいっても、僕には話せる事なんてほとんどない。だから、話の主役はほとんどメイちゃんだった。

 そんな中、メイちゃんは僕の名前を聞く。人間同士の、普通のやり取り。だけど、僕に名前はない。リカちゃんのように可愛い名前もなければ、コブタ先生のように面白いあだ名もない。僕は素直に、人間じゃないから名前はないよ、と言うと、幼い少女は自分なりに理解して、天使さんと名付けた。

 そして、冒頭に戻る。人間なのに、人間じゃない。矛盾したその言葉に、純粋な小学生は何のためらいもなく疑問をぶつけてきた。きっと、リカちゃんと研修をしている時の僕もこんな感じだったのだろう。

「話したいのはやまやまなんだけど、言ってはいけないんだ」

「そうなの?どうして?」

「ルールってものがあるからね。そしたら僕は、本当の人間に就職できなくなるかもしれない」

 ほとんど正解を言ってしまっている気もするが、僕は躊躇わなかった。実際そんなルールはない。試験を受けるときに関わった人々の記憶から僕たちは消えてしまうからだそうだ。

 だけど、僕は嘘をつく。だって、これを言ったところでメイちゃんは忘れてしまうのだ。何もかも、僕の事でさえ。なら、僕は僕に関することをあまり話したくない。それは忘れられたくない、という気持ちの裏返しではないのか。そう思うと、少しだけ胸がキュウッとした。

「それよりも、僕も聞きたいことあるよ」

「なあに?」

「メイちゃんはどうして学校に行かないの?」

 その質問に、メイちゃんは何ら嫌そうな顔をするまでもなく、元気な声で返してくれた。昨日までの虚ろなメイちゃんは、もう居ないみたいだ。

「だって、お母さんを置き去りにして学校に行けないよ。お母さんが心配だもん」

 実質不登校扱いになっているだろうなと予想はしていたけど、なんと優しい理由。僕はそっか、と頷くとそれ以上を追及するのはやめた。

 メイちゃんが必要ないと思うなら、それでいい。僕は学校の大切さを教えてもらったけれど、それ以上に家族の大切さも教えてもらっている。優先順位として、お母さんが上なのは、当たり前のことかもしれない。それが幼い小学生なら尚更だ。

「あれが、お母さんの入院してる病院」

 メイちゃんが立ち止まって、指を指したその建物を僕も同じように見る。真っ白な外壁、天辺に十字のマーク、あまり大きくないけれど、それでも厳かな雰囲気を醸し出す、小さな病院。

 アパートからほど近いこの病院は、なるほどメイちゃんの足でも簡単に通えるだろう。

 無言でメイちゃんの手を引いて、病院の入り口に立つ。駐車場の脇に並べられた花壇が、寂しそうに揺らいでいた。

 病院とはどうしてこうも悲しく映るのだろう。僕には決して明るい建物には見えない。病気を抱えてやって来る人がほとんど、そして死にゆく人も居るだろう。そう考えると、病院がとてもいい場所には見えなかった。だけど、この建物は必要とされている。人を救う、大切な場所として。

 実地研修の時や、昨日も辺りをぶらぶらと散策していたけれど、ここまで不思議に感じる建物はここだけだった。人の心を大いに動かす、必要不可欠な場所、か。

 僕はメイちゃんとともに中に入ると、真っ先に受付の女性がこちらに気付いてくれた。メイちゃんの顔を見るなり、にこりと微笑を浮かべ、いらっしゃい、と声をかけてくれる。若くて綺麗な女性だった。

「メイちゃん、またお見舞い?」

「うん」

「そっちの人はお兄さんかしら。初めまして」

「違うよ、この人は天使さん。凄い人なんだよ」

「天使さん?」

 女性が僕の顔をしばし見つめる。僕もどうしていいか分からず、見つめ返した。そう言えば、他人から見たらメイちゃんと僕の関係はどう見えるんだろう。不審者に扱われなければいいけれど。

「ええと、その……初めまして」

「初めまして。メイちゃんをよろしくね」

「はい、それはもちろん」

 どうやら怪しまれずに済んだようだ。ホッとしたのも束の間、メイちゃんは早々に駆けだして、お母さんの病室があるだろう方向へと向かった。置いてけぼりの僕は、茫然として立ち尽くす。女性はフフッと微かに笑った。

「メイちゃん、走ってはいけませんよー」

「はあい」

 段々と遠くなっていくその返事に、僕は呆れて女性に事情を聞くことにした。メイちゃんのお母さんは、一体どういう状態なのだろう。

「メイちゃんのお母さんは過労で倒れたと聞きました。退院の日とか、もう分かりますか?」

「ああ、それなんですけどね……」

 女性は微妙な顔をして視線を下に落とした。受付のカウンターが、僕らを隔てているにも関わらず、彼女の考えは僕を浸透していく。もしや、あまりよくないのでは。

「一応、今週中には退院できる予定なんです。ただ、過労だけでなくて栄養失調もあって、回復に時間をかけているので……。それよりも、本人は退院したらメイちゃんとの問題でまた悩まされると嫌がっていて」

「メイちゃんを避けているんですよね」

「そうです。だから、退院してもきっとメイちゃんは置き去りにされてしまう……そう考えると、そのう……」

「複雑、ですね」

 女性の心境と僕の心境が一致している気がした。メイちゃんを喜ばせるにはもちろんお母さんには早く退院してもらいたい。だけど、退院したらまた逃げてしまうかもしれない。そう考えると、素直に退院を喜べない。

 僕はありがとうございます、と一礼してその場を去る。走り去ったメイちゃんを追いかけて、お母さんの病室は何処か探す。

 メイちゃんには当然喜んでほしい。幸せになってほしい。だから、ここは僕が何とかしなくてはいけない。メイちゃんとお母さんを向き合わせる。何とか、二人の幸せな未来を作ってあげたい。

 そんなことを考えながら病院内をうろうろしていると、突然怒号が響いた。女性の甲高いその声に、僕も看護師の人たちも声のする方に目を向けた。

 テレビを見ていて寛いでいた老人たちは訳知り顔で首を振っていた。

「また始まったよ、可哀想に」

「あんな小さな子に怒鳴らんでもいいだろうに」

 老人のその会話に僕は察しがついて、声のした方に駆けだす。休憩室から奥へと進み、あけっぴろになった病室が見え、僕は足を止めた。予想通り、そこにはメイちゃんとお母さんらしき人が立っていた。

「もう来ないでって何度言ったら分かるの!」

「でも、お母さんが心配で」

「あんたに心配されることはないわ、私はこれから一人で生きていくんだから!」

「待ってください、そんな言い方はないでしょう」

 僕はつかつかと病室内に入るないり、ドアを閉めた。外にこの怒声が響いたら迷惑だろう。

 真っ白で素っ気ない個室に、ベッドから下りて怒鳴り散らしていた女性は、僕を見るなり眉を潜めた。探るような視線に居心地の悪さを感じながらも、僕は彼女と向き合う。

 メイちゃんのお母さんは、アパートの写真で見たよりもずっとやせ細って、青白い顔をしていた。どこを見ても骨が浮き出ているかのように細く、転んだだけでも死んでしまいそうだ。そんな女性が、身体に似合わない大声でメイちゃんを攻め立てている。僕はそんな場面、見過ごせない。

「誰よ、アナタ」

「天使さん。凄い人なの」

 看護師の女性の時に紹介した時と同じように、メイちゃんは笑顔で答える。なおも笑顔を作れるメイちゃんに、僕は素直に尊敬した。本当は傷ついているはずなのに、平気そうなその顔は、小学生にはとても似合わない。

「ええと、通りがかりというか。メイちゃんと親しくさせてもらっています。よろしくお願いします」

「はあ?不審人物かしら」

 穏やかそうに見えるその顔は、歪められ、警戒心むき出しだった。出会ったばかりのメイちゃんにそっくりで、やはり親子なんだと実感する。

「メイちゃんはお母さんを心配してここまで来たんです、快く迎えてあげられないんですか」

「あなたにそんなこと、関係ないでしょう」

「関係あります。メイちゃんが苦しそうにしているのに、見過ごせませんから」

「ただのお人好しって奴かしら、虫唾が走るのよね、そういうの」

「それで構いません、どうかメイちゃんと向き合って話をしてあげられませんか」

 僕の受け流し方にお母さんは苛立った様子で、手元にあった枕に拳を入れた。非力な彼女の枕は、それでも一瞬つぶれてメイちゃんを恐怖に陥れるには充分だった。

「お母さん」

「嫌よ、もう顔も見たくないわ。うんざり。貴方のせいで人生めちゃくちゃよ」

「メイは、お母さんの事大好きだよ」

 怯えたように、ぼそぼそと言うメイちゃんの目には涙が浮かんでいた。今にも零れそうなそれを僕は受け止めるべく、メイちゃんに寄り添って背中を撫でた。少しでも安心してくれるといいのだけれど。

「いい迷惑ね、私は大嫌いだわ。分かったら金輪際ここに来ないでちょうだい。親子の縁は、ここで切れるの」

「何を言っているんですか!じゃあこれからメイちゃんはどうやって生きていけって言うんですか!」

「お人好しならあなたが面倒を見れば!いいから出てって!」

 無理やり病室から押し出された僕ら二人は、大きな音を立てて閉まる扉を茫然と見つめていた。メイちゃんはついに泣き出してしまった。よくあれだけ言われて我慢できたものだ。僕はしゃがんで、メイちゃんの頭をゆっくり撫でて、抱きしめた。メイちゃんは僕の胸で嗚咽を漏らし、どうしようもなく泣き続けた。

 母親から見放された小さな子供。縁を切られた、行き場のない小さな命。

 ――お人好しなら、あなたが面倒を見れば!

 お母さんの言葉が、頭の中で木霊する。もちろん、そう出来るのならそうしたい。

 だけど、僕には出来ない。僕は人間じゃないから。

 メイちゃんと居られるのは、もう5日も残っていないのだから。


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