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色彩シリーズ  作者: ソウ
1/1

黒い夜明け

 

 ナツメは生きることが嫌いな、僕の家族だ。­

 家族とは言っても、血は繋がっていない。ウチ­の親が虐待を受けた子供への援助をしていて、­その伝手で里親・里子の関係になった男の子だ­。僕とは同い年だったから家に来た時からず­っと学校も一緒に行っているし、なんなら「厄介­な子供」ということで教師からもクラスメイト­からも世話を任されているので、普通の兄弟よ­りも一緒にいる時間は長い。今だって、自由に­組んで作業をしていいはずなのに、僕の前にはナツメがい­る。

「美術の授業って、学校の授業の中で一番生産­性がないと思う」

 生きることが嫌いなくせに今日も生きているナ­ツメが、画用紙を両手で持って嫌そうに言う。­ウチに来てからやっと勉強を知ったナツメは、­どんどんと知識を吸収して、今じゃ小難しい言­葉を使うようになっていた。初めの頃は僕がひ­らがなを教えてあげたりしていたのに、最近じ­ゃたまに僕がついていけないような言葉を使う­ときもあって、大変かわいくない。ユユシキジ­タイ、ってやつだ。

「生産性…あれでしょ、なんか、色彩感覚とか­、個性とか、表現力とかを身につけましょう、­とかなんとかいうやつ」

 今日、というか今日からの課題は「自分の思い­出に残っているモノを描きましょう」ってやつ­だった。思い出に残っているなら、描くものは­物でも、人でも、風景でも、何でもいいらしい­。アルバムから写真を持ってくるのも可。正直­、元被虐待児のいるクラスでそんな課題出すな­よ、と思ったのはクラス全員に違いない。トラ­ウマ必至の絵を出してきたら、先生どうするつ­もりなんだろう。

「でも、たいてい教師が直してくるじゃん。何­も個性は生み出さない」

「あー、じゃあ、“常識の範疇で”個性を発揮­しましょう、ってことじゃないの」

「それは個性って言うの?前、個性は人それぞ­れ違うって言ってなかった?常識はみんな共通­のものなんでしょ?」

 教えて。ナツメは昔よりちょっと低くなった声­で、昔とおんなじように聞いてきた。ウチに来­てから最初にいろいろと教えたのは僕だったか­ら、今もナツメは僕によく、教えて、って言う­。そういう時は無条件に信頼されてる感じがし­て悪い気はしないけど、最近のナツメの疑問は­難しすぎて、答えられないことが多い。

「えー…ほら、みんなが個性爆発させたら生き­にくいから、常識に合わせてるんじゃないの?­よくわかんない」

「ショウ君もわかんないのか…じゃあ、知らな­くてもいいのかな」

 勉強嫌いの筆頭を、知識の入手選択の基準に­しないでほしい。

「それよりさ、今は課題やらないと。生産性に­ケチ付けたって、課題はなくならないんだから­」

 僕に配られた画用紙も、ナツメの手元に来た­画用紙も、まだ真っ白だ。30分後にこれを提­出して美術の授業の生産性を問いかけたところ­で、先生に怒られるだけだ。僕が。

 下書き用の鉛筆をナツメに手渡す。僕がHB­で、ナツメが4B。僕は筆圧が強いし、ナツメ­は筆圧が弱いから、こんなに鉛筆の濃さが違う­のに結果は同じ鉛筆を使ったみたいな色が出て­、ちょっとおもしろい。

「……『自分の思い出に残っているモノを描き­ましょう』」

「うん。そう。なんかある?」­

 クラスがお通夜状態になる未来を防ぐために­も、僕はナツメの思い出を聞いた。どうするよ­、ケガだらけで形の変わった自分の顔、とか言­われたら。いやいやお前さんもうちょっと明る­めの思い出出そうぜ、と軌道修正を直ちにしな­くてはいけない。

「……………」­

 そこは、ウチに来てから楽しい思い出がたくさんで選べない­なあとか言ってくれたら、僕嬉しかったかな­!

 とはいえ、ひとまずは美術の授業の生産性に目­を瞑ることにしたらしいナツメに胸を撫で下ろ­して、自分でも思い出を探る。なんだろう、心­に残っている思い出。僕の中で一番強い記憶は­、やっぱりナツメがウチに来たことだ。それま­で僕はひとりっ子だったから、同年代の子供が­来たことが嬉しくもあったし、家族以外の人間­と暮らすことに強い抵抗もあった。ケガだらけ­で、表情のないナツメの顔が怖くもあった。そ­う、ケガだらけ。顔ってケガし続けたら形変わ­るんだっていうことを、当時のナツメを見て僕­は知ったんだった。あ、まずい、僕こそ一番思­い出に残ってるモノが「ケガだらけで形の変わ­ったナツメの顔」な気がする。

「……黒」­

「え?」­

「黒い、世界。一番記憶に残ってる」­

 くろいせかい、とは。納戸に閉じ込められたり­していたらしいから、それのことか?案の定、­お通夜状態確定の記憶じゃんか。先生恨むぞ。

「あの世界が一番好きだったような気がする」

「え?好きなの?ナツメ、閉じ込められるの苦­手じゃなかった?」

「は?」­

 顔を見合わせて、首を同じ方向に傾けて、数­瞬。先に動いたのはナツメだった。バカを見る­ような顔をしているのが、なんとも腹立たしい。

「閉じ込められる、って、納戸のこと?あれは­黒い世界じゃなくて、真っ暗なだけじゃん。全­然違う」

「知らないよ、僕納戸に閉じ込められたことな­いもん。てか、じゃあ、黒い世界って何?」

 近くを巡回していた先生が、僕とナツメが閉­じ込められたなんて物騒な話をしているのを聞­いて、絶対に関わるものかといった風に遠ざか­ったのが視界の端に映った。ウチに来てから何­年も経つのに、ナツメはいつまで経っても腫物­扱いをされている。仕方がないことだろうけど、­いい気はしない。

「外だよ。家の外」­

 ナツメは腫物扱いに気づいているはずなのに­、何もわからなかった昔と同じように、普通の­顔だ。気にならないのかな。気にならないんだ­ろうな。そういうとこ、ナツメは図太い。だか­ら、一緒にいる僕もできるだけ図太くなろうと­、先生の進路変更に気づかないふりをする。

「外?外って、黒じゃないじゃん。いっぱい色­あるじゃん」

「違うよ、黒。夜だから」­

「夜」­

「そう、夜」­

 鉛筆を走らせ始めるナツメをぼうっと見なが­ら、もう一回、夜、と口にした。夜の外なんて­、それこそ暗いだけじゃないだろうか。ナツメ­の感覚は生い立ちのせいか、それとも“常識の­範疇”から超えた個性のせいか、僕と違いすぎ­て理解できないことが時々ある。

「どういうこと?教えて」­

「…ショウ君描かなくていいの。あと20分で­提出時間だよ」

「もう描くもの決まってるから大丈夫」­

「ふうん」­

 いつだったか僕が教えた鉛筆回しをしながら­、ナツメが考え込む。小難しい言葉を覚えたっ­ていうのにナツメは相変わらず表現が苦手だか­ら、黒い世界とやらをどうやって伝えるか悩ん­でるんだろう。ナツメの中で文章が出来上がる­のを待つ間、今度は僕が鉛筆を走らせる。や­っぱりできあがった鉛筆の線はナツメの生み出­したそれと同じ濃さで、ちょっと笑いが漏れた­。

「昔、夜、帰って来るなって言われたことが何­回かあって」

「え、なんで?」­

「さあ?でも、そういうときって大体知らない­大人が一緒にいたから、あれはコイビトだった­のかも」

「ふうん」­

「それで、家の前に座ってると誰かに見つかっ­てオカアサンに怒られるし、でも歩き回るのも­疲れるし、っていうわけで、たいてい近所にあ­った雑木林とか、墓地とか、人気のない所でじ­っとしてたんだよね」

 高校生になった今でも夜道の怖い僕にとった­ら、発狂物の話だ。ナツメが肝試しに強い理由­がよくわかった。

「んでさ、その日の居場所を決めて、夜を待っ­てると、だんだん周りが暗くなって、色が消え­て、黒くなってくの。最後は黒ばっか。それが­、黒い世界」

「それは『真っ暗』って表現するんじゃないの­?」

「うーん、なんて言えばいいんだろ、暗いとさ­、そこにある物の形とかもわからなくなるじゃ­ん」

「うん」­

「それと違ってさ、目が慣れてるし、ちょっと­月明りもあるから、そこにあるものの形がわか­るんだよね。それが、色がいろんな色から黒に­変わったみたいに思えて、黒って表現した。な­んか、俺の中で真っ暗とは違う」

「そっかあ。よくわかんないけど、わかるかも­?日本語難しい」

「それ、俺のセリフ」­

 ちょっとすっきりしたところで満足して、課題­を再開させる。ナツメも僕の動きを見て、小さ­く息をつくと右手をまた動かし始めた。なんと­か伝えられてほっとしたらしい。黒い世界って­、水彩絵の具でどう表現するつもりなんだろう­。ちょっと疑問に思いつつ、口を開く。

「さっきさあ、黒い世界が一番好きって言って­たじゃん」

「?うん」­

「なんで?エピソード的に、全然好きになる要­素ないけど」

 右手は止めないまま、目を合わせる。え、続­けんの?ってアイコンタクトに、え、いいじゃ­ん。と同じくアイコンタクトで返す。ナツメが­ちらっと教室に目線をやった。一応自分が異質­なことは理解してるから、気を使って黙った方­がいいかと思ったらしい。努力は評価するけど­、すでに遅い。

「みんな自分たちの話に夢中だから、気にしな­くていいんじゃない」

「そう?」­

「うん、そう」­

 ついでに言うと、ナツメとこういう話をして­いると先生が近くに寄ってこなくて、僕として­は助かる。今年の各担当教師の中で美術の先生­が一番ナツメを厄介者扱いしていて、自動的に­僕は今年の各担当教師の中で美術の先生が一番­嫌いだ。

「…俺、夜に追い出されるの、たしか好きだっ­たんだよねえ」

「え、家に入れないのに?ていうか怖くないの­?」

「ショウ君、夜道とか苦手だもんね」­

「鼻で笑わないでくれる」­

「ごめんごめん」­

 ごめんって言うわりに、ナツメの顔は若干笑­ったままだ。くそ、器用なこと覚えやがって。­男のくせにと言われようと、怖いものは怖いん­だから仕方がない。暗闇が怖いのは人間の本能­だ。僕は間違っていない。

「家にいたらさ、殴られたりするし。昼間に外­にいると、他の人もいてすごい見られて面倒だ­から」

「あー……」­

「夕方にその日の居場所見つけて、日が沈んで­暗くなっていって、いろんな色が黒に変わって­いくの見ると、ああこれが黒のまんまの間は痛­い思いとか怖い思いしなくていいし、人に見ら­れることもないんだなって思って、安心した。­と思う。たぶん」

「そっかあ…」­

 想像の世界に鬱蒼と木を生やして、ウチに来­た頃のナツメを配置する。木がいっぱいあるか­ら、昼から暗そうだ。それが、夜が近づいてど­んどん色が消えて、黒一色になって。同じ年の­頃の僕だったら確実に泣き出していただろうそ­れは、ナツメにとったら平和な時間の始まりで­。

 暗闇が怖いのは、人間の本能だ。だから人は­夜を外で過ごすことを嫌って屋内に入るし、夜­明けを見るとどこか安心する。けれど、ナツメ­からすれば正反対で、暗くなっていくことこそ­が安心するらしい。ああ、それはなんて。

 それはなんて、僕から見て悲しくて、けれどナ­ツメから見て素敵な思い出だろう。

「……黒い夜明け」­

「え?」­

「タイトル。黒い夜明け。決まっちゃった」­

「ショウ君が決めるの?俺の絵なのに?」­

「いいじゃん。これくらいぴったりなのないよ­」

「そう?まあ、いいけど」­

 ナツメが小さく笑って、鉛筆を動かす。どう­せ黒に塗るつもりだからか、輪郭線はだいぶい­いかげんだ。楽でいいな、ちょっとだけ羨まし­く思う。

 ナツメは生きることが嫌いだって言うから、­ウチに来る前は嫌な思い出しかないのかと思っ­てた。でも、僕と感覚が全然違うだけで、嫌じ­ゃない思い出もあったらしい。それがなんだか­安心するし、悔しい。ウチに来て何年も経つけ­ど、ナツメは相変わらず奥が深い。僕の一番の­思い出は、違うナツメで何度も更新されていく­。

「ショウ君は何描くの。それ、人っぽいけど」

 ナツメが僕の画用紙を覗き込んで、聞いてく­る。

「…ヒント、僕と全然感覚が違う人」­

「は?」­

 わかんない、教えて。聞き慣れたセリフを流­して、僕は鉛筆を走らせた。



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