8
美術部の顧問に、藝大を受けてみろと言われた。そのへんの美大ではない。競争率三十倍、天下の東京藝術大学である。
私はその気になった。出来ないことだとは思わなかった。むしろ、大きな障害があるほうがよかった。集中できることがあれば、その分未明のことを考えずにいられた。
母はいい顔をしなかった。母は私に、普通の女になって欲しいようだった。私はそんなのは願い下げだった。世間のものさしで測られたら、私はただのデカ女になってしまう。愛されも必要とされもしない粗大ゴミだ。
私は私自身の手で自分の価値を作り出すことができる。それが私の喜びだし、生きている理由だ。
父は認めてくれた。少なくともその方向に進むことに関しては賛成してくれて、美術科予備校に通うことも許してくれた。
ただ、まさか一発合格するとまでは思っていなかったのだろう。合格通知を見せたときには少し寂しそうな顔をした。
未明は米粒に絵を描く男である。デッサンにおいても平面構成においても、私では到底及ばないものを持っている。だが、彼はそもそも進学を選ばなかった。
「うち、酒屋だから」
何か他にやりたいことはないのか。東京の大学とか行ってみたくないのか。
「酒屋はいい仕事だぞ」
選択の余地のある話ではないらしい。
「うちの家業だし」
そばに可愛い彼女がいるし。
と、心の中で付け加えた。
私には何も無い。旅立つことによって失うものも、別れが寂しいと言ってくれる人も、最初からいない。
「俺の足は地面にくっついちまってるからよ」
卒業の日、私の手に米粒を一つ握らせて、未明は言った。
「この町からおまえが飛んでくところを見てるよ」
私は、女々しい女だと思われたくなかった。たとえバレバレだったとしても、未練たっぷりな様子なんか見せたくなかった。
「ああ、せいぜい高く飛んでやんよ」
さらりとそう言って背中を向けた。どこに向かって飛ぶつもりなのか、自分でもわかっていないままで。
飛ぶ。
未明にも見えるぐらい高く。
その思いが私の背中を押した。その後何度も、挫けそうになる私を立ち上がらせた。
羽田空港に向かって滑走路を進む飛行機の中で私は、未明にもらった米粒を握り締めて、離陸の瞬間を待った。
がんばれ、しずく!
目を凝らしたって見えないけれど、米粒にはそう書いてある。学ランを着たモナーの大応援団が、ドラムを叩き、旗を振りかざし、声を合わせて叫んでいる。
がんばれがんばれ、しずく!
がんばれがんばれ、しずく!
何度も、何度も、そう叫んでいるのだ。