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未明から電話があった。直接会って話がしたいと云う。何の話かは分かっていた。
それ、を私に伝えることを重く考えているらしいことが、嬉しくもあり、切なくもあった。未明がいると、私は自分が女だと思い出してしまう。はっきりしたカタチで決着がついてくれたほうがよかった。
芸術の森へ行った。
四十ヘクタールの敷地に、木工、ガラス、陶工、あらゆる種類の工房やアトリエが設置され、併設された美術館では常に人気のある企画展が催されている。そして、野外美術館として、数多くの彫刻が、木立に囲まれた丘陵に展示されている。
それは三月の末のことで、スノーシューが要るほどではなかったが、まだ雪はずいぶん残っていた。東京から帰って間もない私には寒かったが、未明は平気な顔をしていた。
「何、どこまで行くの」
ちょっと息を切らしながら私がたずねる。
「『四つの風』を見に行こう」
未明はそう言う。
一九三一年生まれのアイヌ人、砂澤ビッキの作品だ。そういえば、写真でしか見たことがなかった。
丸太が四本、背中合わせに立っている。それぞれの正面がコの字に大きく切り欠かれている。それだけだ。
ただそれだけのものが、私を圧倒した。
彫刻と出会うということは、そういうことだ。
その高さは五メートルを超える。しかし、私を圧倒したのは物理的な大きさではなかった。晴れ上がったコバルト色の空と白い雪原の間では、それはむしろ小さい。しかしビッキはそこに柱を立てることで、宇宙の中心を作り出したのだ。
のっぺらぼうの幾何学平面に原点を置く。するとそこにX軸とY軸が引かれ、四つの象限が生まれる。ただ茫漠としていた広がりが、ひとつの座標系のもとに名づけられ整理される。それは人間の認識の力が宇宙を掌握することだ。創造という言葉の本当の意味だ。
風は此処から吹き始めるわけでも、此処に向かって吹いてくるわけでもない。しかし四つの柱がそれぞれの風に名前をつける。此処から世界の果てまでのすべての空間が、東西南北に切り分けられる。四つの風は四つの季節の象徴でもある。だから、四つの柱は時間をも支配している。
「何か見えたか」
腰を抜かしかけている私を未明が呼ぶ。
「見えた」
自分の小ささが見えた。
札幌芸術の森に、ビッキの「四つの風」は実在する。しかし、知る人は知るように、そして第一話の冒頭に引用したように、今その作品は作られたままの姿をとどめていない。これは、十年以上昔、四つの柱がまだ原型のまま聳え立っていた頃の出来事だ。




