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人が手を加えていない状態、つまり、自然のままの樹木を素材とする。したがってそれは生き物である。生きているものが衰退し、崩壊していくのは至極当然である。それを更に再構築していく。自然はここに立つ作品に、風雪という鑿を加えていくはずである。
――砂澤ビッキ
月島=ディートリッド=ハンナ=シュヴァルツ。
偉大なる我がお婆ちゃんの名前である。お婆ちゃんは東北帝国大学に招かれてドイツから来た民俗学者で、伝統工芸品の収集家だった。アイヌの芸術、特に木彫工芸の魅力に取り付かれたディートリッドは北海道に住み着き、同僚の形質人類学者、月島誠三と結婚した。戦争の時代を北海道で過ごし、終戦後に私の父月島宗作を産んだ後、この世を去った。北大のために五百余にのぼる民芸品のコレクションを遺して。そして私には、偉大すぎる骨盤と背骨を遺して。
そう、私は歩く灯台と呼ばれるデカ女なのだ。スレンダーならよかったのだが、私はケツもデカイ女なのだ。八等身だが、モデル体型には程遠い。どれだけダイエットしようとも、骨盤の雄大さは隠しきれない。
私を初めて見る人は、皆一様に同じ表情をする。その目はこう言っている。
すげえ。でっかい女だなあ。
おかげで私は、容姿の良し悪しを問われたことがない。男が女を評価するときのマトリックス、可愛い――可愛くない・性格が良い―─悪いのグラフの、どこにも私はプロットされない。私の分類はただひとつ。
デカイ女。
それだけだ。
いや、わかっている。もちろんこれは、私のくだらないコンプレックスだ。それで損をしてきたとは私は思わない。私は男の欲望の対象にはならなかったが、女であるがゆえのハンデを感じたこともない。両足を肩幅に開いて腰に手をあて、色素の薄い瞳で斜め四十五度の角度で見下ろしてやれば、たいがいの男は威圧感を感じる。何をさせたって、私は男には負けない。男子の注目を浴びようとして、右往左往する必要もない。
私が美術を、とりわけ彫刻の道を選んだ理由はわかりやすい。うまれたときからアイヌの工芸品に囲まれて育ってきたからだ。
素朴な白木に刻まれた、独特の縄模様、渦巻き、不意に現われる幾何学図形。それは、自由と秩序の奇跡のような総合だ。手に持ってみる。私はその重さを感じる。目を閉じ、静かにその表面を指でたどる。それは語りかけてくる。それは歌をうたう。それは、確かにそこに存在している。そのことのたいせつさを分かってもらえるだろうか。パソコンの映像表現がどれほど発達しようとも、それが表現するものはただの影でしかない。それに触れることはできないし、それに触れられることもない。同じ時間を過ごすことも決してできない。マテリアルなもの、とりわけ木彫は、それ自身の歴史を持っている。それは私たちと同じようにこの世界の時間を過ごし、やがて消えていく。
まあようするに、古民具だけが友達の、変わり者の孤独な少女だったわけだ、私は。
別にいいじゃないか。女同士群がって、テレビのアイドルにきゃあきゃあ言ってるだけの奴らより、ずっと高尚な趣味じゃないか。
臆病で傲慢だった私は、そんなふうに開き直って、周囲の人間には心を閉ざした。
別にそれで不都合はなかった。クラスの子達も、私と友達になりたいようではなかったし。
私は木彫を通じて、亡きお婆ちゃんとつながっていた。和人が訪れる以前のアイヌモシリとも、彼女が生まれたという遠い異国とも。困ったときは彼女と話せばよかった。私は、自分が孤独であることに気づいてさえいなかった。
あの、大塚未明と出会うまでは。