ヴィア・ラクティア共和国
窯の炎からジワリと熱の籠る部屋に、カン、カンっと金属を打ち付ける音が響く。高い音が響くたび、火花が散り、熱した鉄が変形していく。
レンガ造りの狭いその部屋には、溶けた金属の独特な匂いが漂っていた。
周囲にはハンマー、プライヤー、のみなど大小様々な器具が置かれ、男はそれらを巧みに扱い鉄の塊を器具へと変化させていた。
白髪と白髭を生やし、皮のエプロンを身に着けた初老の男が、額に玉のような汗としかめっ面を浮かべながら、まるで世の中の全てが気に食わないといった表情で金属を打ち付ける。ハンマーを振う右手に輝くのは〝ゲムーマ〟だ。
その側には御座が敷かれ、桜示が正座をしてじっと様子を伺っていた。
男の振うハンマーの音だけが響く。しばらくそんな時間が過ぎる。
このまま沈黙の中、日が暮れるのではないかと思われたところで、男はふと、
「女房は体の弱い女だった」
と独り言のように呟いた。低く、しわがれていたが、精魂を感じる声だった。
「調子が悪い日には、飯を食うのがやっとな時もあった。
そんな女を娶っちまったからには、俺はもう、子供は諦めなきゃならん。
そう腹に据えていたさ」
かつん、かつんとハンマーが金属を変形させ、そして熱した具材が水を張った瓶に捻じ込まれる。ジュウと液体が泡を吐いて鉄の熱を奪った。
「その女房がある日小汚い奴隷の赤ん坊を拾ってきた。
捨てちまえと叱ったが、どういうわけかあいつは俺のいう事を聞かなかった。
思えばあいつが俺に逆らったのはそれが最初で最後だ」
水を切った具材を、布で吹き上げる。布は使い古され、ずいぶん汚れていた。
男は金属の表面をじっと見つめ、彼の感性でしかわからない何かを観察し、再び窯の中に具材を放り込む。
「女房は死んだ。ガキはあいつの忘れ形見になった。
気は進まなかったが惚れた女の最後の頼みだ。
俺はその奴隷に、鍛冶屋の仕事を叩き込んでやることにした。
技術がありゃあ、俺が死んじまってもそう悪い飼い主には渡らねぇからな。
甘やかしたつもりはないが、その代わり悪いようにしたつもりも無い」
男は窯の火を調節するため、まきをくべる。
「だがそのガキが、はした金を持って新しい飼い主の所に行かせてくれと言ってきやがった。こいつはどういうこったろうな?」
「――申し訳ありません、親父さん」
桜示は深々と頭を下げた。
ミアプラ嬢が桜示に持たせた金額は、桜示ぐらいの奴隷の相場で3倍ほどの金額だ。決してはした金などでは無かった。
「俺が今日まで平民のように生きてこれたのは親父さんとおふくろさんのおかげあっての事。金の問題じゃない事は十分承知です」
桜示は元々お金の話になる様な真似をするつもりはなかった。だが、美波が無理のない範疇で用意したというそれを見て、恩人の生活が少しでも楽になればと持ってきたのだった。
「うるせぇ。聞きたくもねぇ」
「申し訳ありません」
桜示はもう一度頭を下げる。
「ちっとばっかし、息子が出来た気になった俺が馬鹿だった。
所詮奴隷は奴隷だってことだ。
お前とは縁切りだ。その金を持ってさっさと出て行け」
「今までありがとうございました」
やはり受け取ってもらえなかったか。親父はそういう男だ。
桜示は立ち上がり、そして数少ない荷物をまとめる。
その中には彼自身が打った鉄製の〝木刀〟があった。
金属製にも関わらず木刀というのは妙な話だが、その形状は桜示が転生前に使っていた木刀そのものだった。修業をするには慣れ親しんだ姿の武器が一番と考えて、試行錯誤して造ったものだ。鉄刀とでも呼べばいい代物だろうか。
今度はこれが修行の道具ではなく、死闘を生き残るための武器になる。
それを握り、もう一度礼をして恩人に背中を向ける。
と、
「待ちな」
親父が呼び止めた。
「お前、そんなナマクラに握ってどこ行く気なんだ」
「ナマクラって、いえ、こいつは元々刃の焼き付けは」
桜示が釈明する間もなく、男はいきり立つように近づき、その鉄刀を奪った。
「半人前のくせに、いっちょ前に武器を打ったつもりか。
こんなもん、打ち合いになればすぐ曲がっちまう」
男は乱暴に桜示の造ったその鉄刀を投げ捨てる。
そして、持っていた別の鉄刀を桜示に押し付けた。
桜示はそれを握り、震えた。
桜示のそれに比べ、変化に強い黒錆で覆われ、その上軽く、親父の職人としての技術が詰まっていた。桜示のものは〝鉄〟、親父のものは〝鋼〟。その違いがはっきりしている出来栄えだ。さらに刀身の背は銀色に輝く一筋があった。硬質のレアメタルだ。高価なそれを丁寧に焼きつけ、いざというときには防御に徹することができるように工夫が施されている。これであれば、分厚い斧を振り下ろされても、逆に相手の刃を砕くだろう。
親父は店に出す物に妥協を許さない生粋の職人気質だったが、桜示の知る限りここまでの精度は見たことなかった。これは生半可な労力で打てる代物ではない。
技術と、根気と――それから人を突き動かす強い〝何か〟が必要だ。
「親父さん、いつの間に……」
「お前のだらしないぼうっきれを見てたら情けなくてな。
手本を見せてやろうと思っただけだ」
親父はもう興味を失くしたとばかりに背中を向けて、作業に戻る。
しかし、ふと手を止めて、こう言った。
「縁は切ったが、たまには顔を見せに来い」
最後の手土産に、桜示はもう一度深々と頭を下げた。
「今まで本当に――ありがとうございました!」
そして踵を返し、鍛冶場を後にする。
残された親父のハンマーを振う音が、鍛冶場に響く。
その耳に響く高い音に紛れて、親父は、
「死ぬんじゃねぇぞ」
と、そう言うと、軽く鼻をすすった。
†
美波と桜示が転生した国、ヴィア・ラクティアは一世紀前に王国から転身した共和国である。国土は塩を含む巨大な湖を囲う様にして広がり、ミアプラの住む首都プラネタはその湖に突き出た半島に存在していた。
この国は光り輝く強大な〝カルクス〟を持つ歴代の国王によって支配されてきたが、王家より双子が生まれ、そこから数十年後には双子の王による内戦が勃発した。
戦後、泥沼と化した国は、再び王を置かない事で折り合いをつけ、そして貴族達による選挙によって選ばれた政府の樹立など原初の民主制を敷くことで平穏を得た。
だが奴隷に対する考え方はおろか、貴族による平民への支配など、選民思想の中で動き続ける社会は未だに続いていた。
美波にとっては、遠い外国の歴史を学んでいるような錯覚を受けるが……ミアプラにとって、この世界は現在眼下に広がる、歴然とした事実なのだ。
「先輩、遅いなぁ」
ミアプラはプラネタにある鍛冶屋の前で待ちぼうけを食わされていた。
指先ほどの小さな宝石をあしらった布地をフード代わりに深くかぶり、色鮮やかでゆったりとしたワンピース。彼女の服装は〝貴族の女性には違いないが、誰かはわからない〟くらいの出で立ちだ。
婚儀の噂の渦中にあるミアプラ嬢が、下手に動くと妙な噂が立つ。
それも鍛冶屋の前で呆然と立っているとなれば、ややこしい事になることは決まっていた。だからできるだけ早くこの場を立ち去りたいのだが……。
プラネタの街並みは整っていて、切り出した石などをセメントで積み上げられた家がひしめくように立ち並ぶ。ここは平民達の暮らす市街地だ。
辺りは布を張った簡易店舗が並び、野菜や魚などが売買される。
往来は激しく、客引きの呼び声や、大道芸人の管楽器が賑やかしく音を奏で、そして時折奴隷が荷台に積んだ物をどこかに運んでいく姿を何度も見た。
街は賑わっていた。が、待たされる美波の気は晴れなかった。
「先輩、遅いなぁ」
そりゃあ、16年も待ってくれた先輩に比べればほんの少しの辛抱だけど。
自分でも比較対象がおかしいと薄々感じつつ、何度目かのため息をつき、空を見上げる。よく晴れた空だ。日の光が眩しい――。
その時、ゴウッと突風が吹き、美波の顔を覆っていた布地が翻って宙を舞った。
あ、と声を上げる間もなくフードは空を舞い、
「おお、そこに居るのは麗しのミアプラ嬢ではないか!」
男の声を聞いて、ミアプラはげんなりした。
あーあ、ほら。ややこしい事になった。