絶対に勝てない理由と、絶対負けられない理由
転生した自分を迎えに来てくれた桜示先輩が、しかし、奴隷に生まれ変わっていた。〝美波〟は受け入れても、〝ミアプラ〟はどうしてもそれを拒絶してしまう。二つの価値観に美波は頭を抱えてしまった。
「大丈夫だ、安心しろ」
不意に先輩がそう告げた。
「解決策もちゃんとあるぜ」
「〝解決策〟……?」
「ああ、簡単だ」
ニヤッと桜示先輩が笑う。
「お前がどんなに嫌がっても結婚してやる。
16年も待ったんだ。諦めねぇからな、俺は」
そりゃ解決策でもなんでもなく、ただ強引なだけじゃないか。
「そんなのムリです!」
これはミアプラ個人の価値観だけではない。
もしルーペスと結婚すると言い出せば、ミアプラを誑かしたとして、すぐさま彼の首は宙を舞うだろう。それほどまでにこの世界の奴隷の命は安かった。
「結婚なんて……、どう頑張っても……」
「できるさ。そのための〝婚前試合〟だろ?」
「え」
美波はぎょっとなった。
「お前の出した条件はこれだ。〝私より強い男となら、立場を問わず結婚する〟。
つまり国中の誰よりも強ければ奴隷でも結婚できるってことだろう?」
確かにそんな条件を出した。
だがそれは、貴族かせいぜい平民を意図して出した条件だ。奴隷なんて、最初から眼中になかった。
それには身分以前の必然的な理由がある。
だが桜示先輩はその理由を無視し、得意げな顔をして、
「婚前試合で優勝して、俺はお前と結婚する」
と宣言した。
「………………」
美波は固まった。
どうしたらいい。彼は大きな誤解をしている。
奴隷が視野に入らなかったのには理由がある。
奴隷では、貴族に絶対に勝てないのだ。
人の身体に埋め込まれている〝カルクス〟には不思議な力がある。
それは身体能力に大きく直結していて、輝けば輝くほどその人物は超人的な力を発揮できる。15歳の少女ミアプラ嬢がそこいらの成人男性より強い理由がそれだ。
さらにはその輝きには知能にも大きく左右し、咄嗟の判断力や、思考の柔軟さなど、あらゆる部分で持つ者を持たざる者より優位にする。
――つまり、カルクスが黒ずんでいる先輩では、美波に勝つことは不可能なのだ。
そればかりか対戦相手次第では殺されてしまうかもしれない。
獣を狩るように、家畜を屠るように、肉食動物が草食動物を捕食する様に。
人が蟻を踏みつぶすように。
自然界における必然的な理として、ごくごく当然に……。
「だ……だめ」
それを想像した美波は頭振った。
「大会に出たらダメ……殺されちゃう」
「嫌だ。もう決めた」
「ダメ! 奴隷が貴族に勝てるわけないでしょ!!
先輩、こ、殺されちゃう……ッ!!」
美波は声を上げた。
「わ、私、先輩を買います!
いくら払ってもいい、今の持ち主から買い取ります!!」
これがこの世界で貴族が奴隷を愛する事の出来る唯一無二の手段だった。彼は所有物、生きた労働力、人であって人ではない――。
だからもう、お金で解決を図るしかない。
「一生傍に居てください……だから、」
「結婚は諦めろって言うのかよ」
「――……っ」
美波は言葉を失う。
「それで、お前の傍で、お前が他の男と結婚して生きていくのを、一生指咥えて見てろって言うのかよ。お前が他の男とベットで――冗談じゃねぇッ!!」
がんっ、と、桜示先輩はくず入れのバスケットを蹴っ飛ばした。
「せっかく生まれ変われたのに、俺はまた立ち止まるのはごめんだぜ!!」
〝また〟……?
二人の関係が道半ばで、一度死んでしまった事を言っているのだろうか。
とにかく、今は気持ちが先走っている先輩を止めなくてはならない。
「先輩、大会に出たらもう本当に会えなくなる!
ううん、会えなくなるどころか、死んじゃうわ!!」
美波は必死に説得したが、桜示先輩はふいっと顔を背けてこう言った。
「――勝てばいいんだよ」
「…………」
「お前の事狙う奴らを全員蹴っ飛ばして、勝ち続ければいいんだよ。
つか、負けらんねぇ。絶対負けない」
……どうしてわかってくれないの……。
いくら言葉を重ねても彼の意志は固かった。
当然かもしれない。
彼は転生してからも、ずっと美波を探し続けてくれたのだから。
だけどその愛が彼を死に導くなんて悲しすぎる。
ならば、もう……これしかない。
美波は、――いや〝静水の姫君〟は最後の手段に出た。
壁際に飾ってあった二対のレイピアを取り、一つを先輩の足元に投げる。
「なんのつもりだよ」
「取ってください、先輩」
美波はレイピアを構えて言った。
「どうしても大会に出るのであれば。
先に私を倒してください」
「…………」
桜示先輩はしばし悩んだが、
「まあ、どっちみちお前より強くないと条件を満たせないわけだしな」
そして何を思ったのか、納戸用のつっかえ棒を掴み、
「俺はこういう細い剣は苦手なんだ。
こっちでいいか?」
と言った。
嵐の際に扉を封じておくもので、長さは150センチメートルほどか。
木製の軽い棒だが、彼が構えると様になった。
「好きにしてください」
スーテラのカルクスが輝き、全身に力を漲らせる。
手加減は先輩の為にはならない。
最悪は怪我をさせてでも、彼に思い知らせなくては――ッ!!
――勝負は一瞬だった。
「…………」「…………」
美波は慄いて、腰を落とした。
彼の棒が、切っ先が、美波の眼前に突き付けられる。
「――そんな」
負けたのだ。
輝かしきスーテラを持つ〝静水の姫君〟が、ルーペスに敗北したのだ。
男にも、大人にも、軍人すら足蹴にする、至高の輝きを持つミアプラが、なんら輝きを持たないルーペスの少年に敗北した。
貴族が奴隷に太刀打ちできなかったのだ。
ありえなかった。
「16年。無駄に生きてきたつもりはないぜ」
彼はそう言って棒を振り翳し、ヒュゥンと空を斬った。
〝素振り〟だ。
生前、美波が何度も見た、その力強さに憧れた、己を鍛える先輩の太刀筋。
『左右面打ち30本!』
『一挙動30本!』
『素振り300本!』
『――始めっ!!』
体育館に響き渡る先輩の声が蘇る。
竹刀の弾ける音。力強い踏み込みの音。防具越しにぶつかり合う〝本気〟。
一太刀がそれらを美波に思い出させた。
「鍛え方も、高め方も知っている。
ずっとずっと、こんな時のために一から身体を造り直した」
剣道のエースとして名を馳せた彼に、さらに16年の歳月を与えたらどうなるのだろう。目的のため、真摯に心・技・体を鍛え直せばどうなるのか。
答えがここにあった。
その剣気は、貴族である事に身を委ね、持って生まれた力に頼り切っていたミアプラに、その狭い常識を覆させるだけの鋭さを持っていた。
「俺は勝つ。――でも」
桜示先輩は手を差し伸べて言った。
「それにはお前の力が必要なんだ」
ああ、そうだ。
この人は――この困った人は――、
たった一つの弱点を抱えていた。
そしてそれを補ったとき、彼は〝無敵〟になる。
「わかりました」
美波は頷いた。もう迷わなかった。
奴隷であろうと、なんであろうと。
今ならもう一度、信じることが出来る。
彼は勝って私を手に入れてくれる。
だから――、彼に最後の力を与えよう。
「応援してます、先輩っ!
絶対、必ず! 勝ってください!」
「おう。まかせとけ」
桜示先輩はキザっぽく笑んだ。