運命の王子様は穢れた奴隷
なんとかメイド達を追い出した美波は、ふー、と一息。
て。じゃなくて!!
「せ、せんぱい……、こ、ここ、これ、どういう事ですか!?」
ミアプラ、もとい、美波は鏡の前に戻って自分を観察した。
きめ細やかな白い肌に、流れるような美しい髪の美少女が、またも自分の美しさに仰天している。綺麗なまつげ、化粧をしていなくてもピンク色の可憐な唇、まるで人工物の様に均整の取れた顔――だから誰なのこの子は!?
「わ、わ、私、十塚美波ですよね……そうですよねッ!?」
「いや、正確には美波だった、かな」
桜示先輩は肩を竦めて、
「いっぺん死んで、生まれ変わったんだ。
びっくりだろ?」
と、衝撃的な事実を事もなげに言った。
「生まれ変わった、って……先輩、よくそんなに冷静ですね!」
「そりゃ、俺だって驚いたけどさ。俺の場合、物心ついた時にはすぐに自覚できたからな。もう10年以上前の話だぜ?
……それにさ」
桜示先輩の腕が、そっと首から肩に覆いかぶさる。
彼は背中から抱きしめるようにして、髪を鼻先でくすぐる様な近い距離で、
「そんな事より、美波と会えたことが嬉しいんだ」
と、囁いた。
どきりと美波の胸が波打つ。
「やっとこうすることができた。やっと……」
想いを込めた先輩の吐息が、耳をくすぐる。
美波はたった今導かれる形で目覚めたが、その間先輩はずっと自分を探してくれてたに違いない。その強い想いを感じて、胸が弾けそうになる。
「初めてミアプラ嬢を見た時、ピンと来たんだ。
ああ、絶対あの子は美波だって」
「ミアプラと美波は全然違うのに、どうして?」
「わかるさ。――大好きな美波の事だからな」
かぁっと、耳元まで熱があがる。
そうだった。こーいうこと、平気で言う人なんだ。
人が恥ずかしくて固まっちゃうのを見て、楽しむ困った人だった。
鏡を見ると、ミアプラ嬢が、顔を真っ赤にして、どうしたらいいかわからなくなって困っていた。無敗を誇る静水の姫君も、この攻撃には形無しだ。
ああ、でも、こうして先輩に求められて、どうしようってなって、でもどこかで安心しちゃう――この感じ、懐かしい。
「でも、先輩。私達、帰らなくていいのかな」
「帰るも何も、俺達もう死んじゃったんだぜ」
「そ、そっか。そうですよね」
いまいち実感わかないが、そういうものなのだろう。
すると、桜示先輩はぎゅっと、より強く美波を抱きしめた。
「帰りたくない。帰ったら、もうこういうことできなくなるだろ」
「……?」
桜示先輩の言葉は少し意味深だった
なんだか、みんなが見てるから恥ずかしい、とか、そんな軽い意味とはちょっと違う気がした。美波は不思議に思ったが、深く受け取らない事にした。
それよりも、先輩とこうして触れ合っていられる今をもっと感じていたかった。
生まれ変わっても迎えに来てくれる、先輩の暖かさ。
えへへ、と、頬が綻ぶ。
先輩に抱きしめてもらいながら、このままずっと――……、
「あ」
そこで美波は大事な問題を思い出した。
「せ、せ、……先輩っ!」
「どうした?」
「わ、わ、わたし……――〝婚前試合〟なんて約束しちゃった!!」
結婚に興味の無かったミアプラ嬢は、〝私より強ければ誰でもいい〟という上から目線かつてきとーな条件を設定して、その結果、あれやこれやとやってるうちに彼女と結婚するための〝婚前試合〟が開催されることが決定してしまった。
桜示先輩はああ、そうだよとため息をついた。
「とんでもないこと思いつくよな」
先輩はずっとミアプラに美波という記憶を取り戻させるチャンスを伺っていたが、この大騒ぎにもう強行突破しかないと今日の様な強引な手段に出たんだ、と語った。
なんとここには忍び込んできたらしい。
想い出のシルバーアクセで記憶が蘇ったのは運が良かったとしか言いようがない。
「私、い、い、今からお父様に話して取り消してきます!」
悲鳴に近い声を上げて立ち上がる美波を、桜示先輩が、
「いやまて。中止したら暴動がおこるぞ」
と押し留めた。
「国中から、血の気の多い奴らがお前を狙って集まってるんだ。
今さら中止なんてできるか」
「そ、そんな……私――」
ミアプラ嬢にとって結婚は面倒な通例儀式でしかなかった。
だから一定水準以上の条件を満たしていれば、相手など正直誰でも良かった。
もちろん、夫を愛する自信もそのつもりすらなかったが。
だが今は違う。
目の前には、前世からの――運命の相手、そう信じたい男性がいる。
「他の人となんて、絶対嫌っ」
やっと会えたと言ってくれた人。
傍に居ると胸が疼く人。
ずっと探して見つけてくれた人。
私はこの人のお嫁さんになりたい……!
「暴動が起きても構わないから、この試合を止めます!」
目にうっすら涙を浮かべて断言する美波に、桜示先輩は目を伏せ、首を振った。
「問題はそれだけじゃないんだ」
そして自分の右手の甲を美波に向ける。
彼の持っている〝カルクス〟は、黒ずんだ奴隷だった。
あ、と、美波は息を呑む。
「奴隷が貴族とは結婚できない」
「…………」
ぞくりと身の毛がよだった。
奴隷は〝汚らわしい〟のだ。そうミアプラは教育され、その価値観で15年間生きてきた。その石を見た瞬間、美波の道徳を押し切ったミアプラの観念が、彼への気持ちを急速に萎えさせた。
美波の様子の変化は、桜示先輩にもすぐに伝わっただろう。
「……ごめんな、美波」
と、生まれを呪って謝った。
「せめて平民なら、良かったのにな」
「せ、先輩が謝る事なんてないです……」
生まれてくる事に非などあってはならない。
ミアプラならいざ知らず、美波はそう答えられる。
だがしかし――。
「でも、嫌なんだろ」
「…………」
そこには躊躇する自分が確かにいた。
心の底で、彼の事を理不尽に醜いと感じる自分がいた。
そしてそれが悔しかった。
だが、ここはそういう世界なのだ。美波の生きてきた日本とは違う。
「先輩、私……」
彼が恋しい。それには変わりがない。
でも、今の美波ではミアプラの根底的な考えを覆すことが出来なかった。
触れたいという気持ち。でも彼は汚らわしいと言う嫌悪感。
頭がおかしくなりそうだった。二人の人間が、彼を見てせめぎ合っている。
――どうしたらいいの……!?