美波と桜示先輩
大きなリボンを揺らし、少女は走っていた。
彼女の名前は十塚美波。高校一年生。
甲斐葉高校に通う、剣道部のマネージャーだ。
ウサギのようにピンと張ったリボンに、まんまるとした瞳。
学校制服の上に、首からにぶら下げた十字のシルバーアクセサリーが揺れる。
すっかり寝坊してしまった彼女は、慌てふためいて体育館に向かっていた。
今日は桜示先輩の大事な試合なのに……っ!
こんな日に寝坊するなんて!
高くなりはじめた陽の光が照りつき、美波はちょっと与太る。
貧血と眩暈を感じるが、踏ん張って美波は走る。
原因はわかっている。
寝不足だ。
でも、急がないと……、――ぁ、ぅ。
視界が暗転し、脚から力が抜けた。
美波は天を仰いで、ふらりと地面に吸い込まれ……、
「おっと」
その体が何かに支えられる。
腕だ。
男の人の優しい腕……、
「お……桜示先輩ッ!!」
「遅刻だぞ」
一つ年上の先輩、黒曜桜示が美波を覗き込んでいた。
すでに剣道着に着替えていて、準備万端だった。
美波の顔が真っ赤に染まる。
「ご、ご、ごめんなさいっ!」
押しのけるようにして立ち上がると、表情を見られないように明後日の方を向く。
先輩、いきなり覗き込んでくるとか反則だよ……。
聞こえないようにそう呟いた。
「すみません、私、遅刻して……」
「それはいいよ。ちゃんと連絡入ってたし。
それよりお前、大丈夫かよ。寝不足か?」
「…………」
美波は返事をしなかった。
「ははーん」
桜示の瞳が意地悪く光る。
「さては俺のプレゼントが嬉しくて寝れなかったんだな」
「…………~~~~~~っ」
美波は、
さらに真っ赤になって、
涙目になり、
そして拳をふりあげると、
「――っ! ――っ!!」
無言の抗議を唱えながら桜示をポカポカと殴った。
――いきなり後ろからプレゼントを首にかけて来るな!
――ドキドキして全然寝れなかったよっ!
――嬉しくて死にそうだったんだぞ! 先輩のばかっ! ばかぁっ!!
「ははは、わかった、もう試合前日にプレゼントはしない。
毎回遅刻されたら困るからな」
桜示は笑いながら、美波の攻撃を受け続けた。
「おーい、黒曜ッ!!」
そこに、顧問の大声が飛び込んでくる。
「〝トイレに籠ってます〟じゃあ限界なんだよ!
さっさと試合に戻れ! お前武道をなんだと思ってやがる!」
「あ、ヤバイ……」
笑っていた桜示の顔がサッと青ざめる。
そして真顔に戻って美波の方を向くと、
「美波、気分が悪かったら控室で休んでろよ」
「だ、大丈夫です!
先輩こそ、試合、頑張ってください!」
「ああ、見とけよ」
桜示はニッと笑って、
「勝ちに行ってくるわ」
そうキザっぽい冗談を飛ばして走って行った。
美波ももう倒れない程度に、体調を鑑みながら後を追う。
「――はぁー、やれやれ」
初老の男性教諭が頭を掻きながら現れた。
剣道部顧問の大畑先生だ。
美波が遅刻を平謝りすると、先生は、
「頼むよ。ウチのエースは、お前が居ないと試合をやりたがらないんだから」
「……? どういう事ですか?」
美波が首を傾げると、
「お前が来るまで試合の引き伸ばしさせられたんだよ。
普段は人に迷惑かけるの嫌がるくせに……。
意地でもお前に応援して欲しいみたいだぜ、あいつ」
「…………」
先輩、私の事、待っててくれたんだ。
美波は胸が熱くなるのを感じた。
申し訳ないのと、それから、隠せないくらい嬉しくなった。
たぶん凄い顔になってる。
それを見ていた顧問はまた、
「はぁ、やれやれ」
と呆れた顔でぼやいた。