3.嫉妬と転換
女体化の呪いは正確には変身の呪いという。
イシククルのように女の体になる呪いだけでなく、全くの別人になるものから牛の姿になるものやゴブリンの姿になるものまで多種多様だ。
俺が特にこの変身の呪いを専門にしているは、イシククルにとって不幸中の幸いかもしれない。
とはいえ、俺はヒヨッコ。そんな簡単に解けない。
早く解いた方がお互いの為だろうと、図書室で呪いの研究をすることにした。
かけた相手が叔父で更に彼を説得できたらいいのだが。
俺が図書室の本を漁っていると、バングウェウルが図書室に入って来るのが見えた。
……なんであいつが。
いや、図書室の利用は自由にしていいものだから仕方ない。
彼を見なかったことにして、本棚を眺める。
この「女体化研究~お湯をかけたら女に!?~」という本は使えそうだな。
そう手を伸ばしたらそれより先に本を取られた。
バングウェウルだ。
「……あんた、その本読むのか?」
「えっと、そう、です。」
彼はオドオドしながら答えた。
なんでそんな怯えてるんだか知らないが、もっと堂々としていればいいのに。
「あ、あの、でも、もしアラルさんが読むなら、先にどうぞ。」
「俺の名前知ってたのか。」
「よくヴェルタから聞いてるんで……。」
ヴェルタの名前が出てきて思わずしかめ面になる。
俺の話をよくするほど、ヴェルタと仲が良いのか。
「バングウェウル?どこ?」
不意に声が聞こえた。
間違えようがない、この声はヴェルタのものだ。
「ヴェルタ!こっちだよ。」
図書室だから周りに配慮したのだろう、彼は少し低いトーンでヴェルタの名前を呼んだ。
「あ、いた。
もう、どこにいるか先に……」
ヴェルタはバングウェウルの姿を見てニッコリ笑って寄ってきた。
しかし、バングウェウルの後ろにいた俺の姿を見つけると、その笑顔が瞬時に消える。
「アラル、さん。」
その小さな声は震えていた。
「……その本はあんたが先に取ったんだ。あんたが借りれば良い。」
俺はバングウェウルの横を通り抜ける。
「えっ?あっ、待って!
なら、わ、俺が読み終わったら教えます!」
「必要ない。」
ヴェルタの横も何も言わずに通り抜け、俺はサッサと図書室を出ることにした。
バングウェウルにはあんな砕けた喋り方をするのか。
あいつの姿を見ただけで、あんな嬉しそうに笑って。
ああ、もう、嫉妬でおかしくなる。
*
俺はその後抜け殻のようになっていた。
授業を受けた記憶が全くない。
今何月何日何曜日何時何分俺は誰だ?
「アラル、ちょうどよかった。
親父から返事が来て……。
……アラル?」
イシククルに話かけられても、呻き声のような返事しか出来ない。
彼女とバングウェウルの二人が微笑み合っている妄想がずっと頭から離れなかった。
ヴェルタ。あんな、あんな可愛い姿をあのバングウェウルには見せるのか。
ニコニコ笑って、もう、とか怒っちゃって。
バングウェウルのどこがいいんだ。顔か?性格か?
俺はヴェルタに認めてもらいたくて、垢抜けた格好するようにして成績も一番になるようにしてるのに。
「アラル〜。お前大丈夫かよ?」
「無理……。」
「なんだなんだ?フラれたのか?」
イシククルはゲラゲラ笑うが、おれか今にも泣きそうになると「ず、図星?」と押し黙った。
「そうだよ!フラれたんだよ!悪いか!」
「い、いやそんな……。いい気味だなんて全然……。
それより、親父からの返事読んでくれねえか?」
ぐいと手紙を押し付けられる。
俺はめそめそしながらも、手紙を読む。
……これは。
「……叔父さんは亡くなってる……?」
「ああ、そうなんだ。メイドの話は信用なんねえな。
叔父の子供の方も叔父の仕事を継いで研究に明け暮れてるらしいんだ。
とてもオレを呪ったりするとは思えない。」
「なるほど……。
そりゃお前の親父さんだって、叔父が生きてるんだったら真っ先に疑ってるか……。」
盲点だった。
では、叔父じゃないとすると誰が?
「……なんか他に、この間の記憶の魔法で思い出せたことはないのか?」
「うん……。」
これは困った。
また振り出しに戻ったというわけか。
「……仕方ない。
なんか、方法を見つけよう。
お前にかけた呪いが誰のものかわかる方法……。
俺のようなひよっこでも出来るもの……。」
「あるか?」
「わからん。
図書室に行こう。
何かわかるかもしれない。」
俺はこう言ったが、わかるとは思えなかった。
最近はずっと図書室に通い詰めている。
それでも手掛かりになるものはゼロだ。
むしろ、ヴェルタとバングウェウルの関係を知ってしまった。辛い。
「……やっぱオレ、一生女で生きるしかねえのかなあ……。」
イシククルの切なげな表情に俺は何も言えなかった。
俺も失恋したしお互い一生童貞かもな、なんて言えない。
*
俺たちが図書室に向かっていると、複数人の男子グループがイシククルを呼び止めた。
「クルちゃーん!ねー、いつ俺たちと遊んでくれんの?」
「そうそう!
いつも断るじゃん。今日はダメなの?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、クルの腕を掴む。
「ご、ごめんなさい……。
こっちに来たばかりでやることがあって……。」
「えー、半日も暇ないわけ?
もしかして俺たちのことからかってる?」
嫌なやつらだ。
イシククルは困った顔をする。
……女の格好だからこんなのに絡まれるのか。
「悪い、イ……、クルは今日俺と用があって。
ナセル先生のとこでガーゴイルの移動を手伝わされるんだ。
そうだ、人手が足りなくて困ってたんだ。君達も一緒にやってくれないか?」
俺が適当に言うと、彼らはごにょごにょと何やら言って去っていく。
ガーゴイルの移動なんて全身を痛める作業誰もやりたがらないのだ。
「あ、ありがとう〜!アラル〜!」
イシククルが首に抱きついて来た。
く、重い。その乳鉛でも入ってるのか?
「重い!離れろ!」
「またまたあ、照れちゃって。
私がこぉんなに可愛いからって、照れなくてもいいんだぞ?」
照れてない。本当に重い。
「何か勘違いしてるみたいだけど、お前はそんなに可愛くないぞ。
あの気持ち悪い喋り方と歩き方、なんとかしろ。」
「ほえ?何言ってるのわからないな……。」
「それだよそれ!
ああ、もう、離れろ!」
イシククルはグフグフ笑いながら「アラルくんってばカッコいい!抱いて〜!」などと言っている。
全く、からかうのもいい加減に……
「……アラルさん……。」
澄んだ声にハッと振り返る。
ヴェルタがいた。
横にはあのバングウェウルもいる。
「ヴェルタ……。」
「コシボルカの祭りはその方と出られては?」
「は、何言ってるんだ……。」
「私は構いませんから。
では、ご機嫌よう。」
しまった、ヴェルタがとんでもない勘違いをしている。
俺はグフグフ汚く笑うイシククルを放り投げ、ヴェルタの腕を掴んだ。
「待ってくれ、違う。」
「何が違うんですか。」
「こいつは……君が想像する以上に下品な奴で、すぐこうやってふざけるんだ。
抱きついてくるのもそうだし、抱いて、なんてことも……」
「もういいです。やめてください。」
ヴェルタは手を上げて俺の言葉を止める。
「私が……悪かったのでしょう。
あなたが、クルさん仲良くしているの知っていたのに、パートナーを解消しないで。
でももういいです。大丈夫ですから。
あなたのことを悪く言ったりしません。私の気が変わったと言いますから。」
「待て、なんの話だ?」
「婚約です。
……父に解消するようお願いしますから……だから。」
「な、なあ!違うってば!
こいつと俺はなんでもない!君が考えてるような関係じゃ……!」
「もうやめて!」
ヴェルタが俺の手を振り払った。
彼女の金に変わった瞳に涙が溜まり、毛先が白くなっていく。
肌も指先から白くなっている。
しまった……!
「ヴェルタ、」
「もういい!あなたが何か言うたび私が惨めになるの!」
彼女の全身は白く輝いていた。
美しいとこんな時ですら思ってしまう。
「嫌い……あなたなんか……大っ嫌い……!」
彼女は俺の頬を打つ。
それから走ってどこかに行ってしまった。
「……え?何今の。」
「……アラルさん。」
彼女に叩かれた頬を抑える俺をバングウェウルが軽蔑したように見て来た。
「あなた、最低ですね。
婚約者がいるのに、別の女の人と付き合って。」
「……違う……。」
何故こいつにこんなことを言われなくてはならない。
そもそもこいつが……こいつがヴェルタを奪ったんじゃないか。
「何が違うの!?
ヴェルタがどれだけあなたのことで悩んでたか……!
あなた、ヴェルタを苦しめて恥ずかしくないの!?」
バングウェウルに募られ、腹が立つ。
なんだよこいつ。女みたいな話し方して。
「だから、違うって言ってるだろ!
俺とこいつは、昔馴染み!友達!こいつの見た目はアンゴラ兎みたいかもしれないけど、中身はエロガキだからな!?誰が付き合うか!」
「なんで罵るのかなー?」
「そうやって中身はおっさんですからあって言う女ほど信用ならないんだからね!
どうせ乳に目が眩んだんでしょ!確かにフワフワのプルンプルンの乳よ!?
だけど違うじゃない!乳なんか……乳なんか一過性よ!おばあさんになったら垂れるんだからね!」
「誰が乳に惑わされるか……!
大体俺は巨乳派じゃない!確かに揺れる乳に心を奪われる時もある!しかし、乳よりも太もも!そうだろう!?」
「待ってくれ、論点がズレてる。」
「あーそう、太もも。
クルちゃんとやらの太ももはそんなに良いのかしら?
是非堪能したいものだわ。」
「誰がこいつの体なんか触るかよ。
お前こそ、ヴェルタの……ヴェルタの太もも……ウ……。」
俺はついに泣いた。
こんなオカマみたいな奴がヴェルタは好きなのか?どうしてだ。
「ちょ、ちょっと泣かないでよ。
言いすぎた?ごめんね。
ほら、ハンカチ。」
バングウェウルのハンカチはレースのハンカチだった。
乙女。
「……鼻かんでいいか?」
「かんだらぶっ殺すわよ。
それはムウェル家の家紋が入ってるちゃんとしたハンカチなんだから……。」
ハンカチの四隅を見る。
ワニの家紋があった。確かにムウェル家の物だ。
……ムウェル家?
「ムウェル家?」
「ムウェル家に息子なんかいないぞ。
あそこは三姉妹だ。」
「あ、しまった。」
バングウェウルは口を抑える。
詐欺師か?泥棒か?早急に対応しなければ。
そしてヴェルタからこいつを引き離す。
「警察。」
「ち、ちが!詐欺師じゃないわ!
私は本当にムウェル家の……」
「さっきから気になってたんだけど、どうして女言葉で話すの?」
イシククルがしかめ面で指摘する。
それはほら、触れちゃいけないことじゃないのか?デリケートな問題だし……。
「しまった、つい。うーん、困った。」
「……もしかして、だけどさ。」
イシククルはバングウェウルのハンカチを俺から奪って空に翳した。
「女だったりする?」
……は?
何言ってるんだ。そんなことあるわけ……
「うわっ、鋭い。
そう、実は私女なんです。」
なんだと。
一体どういうことだ。
「男装?」
「いや、この股間の膨らみは確かにちんこだろ。」
イシククルが素早くバングウェウルの股間を掴むとそう言った。
「キャア!何して、変態!痴漢!」
「お前ちんこくらい黙って揉まれろよ。」
俺はイシククルを蹴飛ばす。
黙ってちんこ揉まれるやつなんざいないだろ。
「……つまり、君は男体化の呪いにかかってるのか?」
「……そうらしいの。」
バングウェウルはあっさり認めた。
これは。
イシククルと顔を見合わせる。
「……実はオレは女体化の呪いにかかってて。」
「え、じゃあ私男に股間揉まれたの?
最低。死ね。」
受け止めるのも早い。
罵るのも早い。
「ごめんごめん。
なあ、あんたっていつから男になった?」
「いつからって……半年前くらい。」
ビンゴ!
バングウェウルとイシククルには何か繋がりがある……!
「……あなた、クルさんだよね?
ぶりっ子……可愛いって有名な。
まさか男だったとは……。」
「グフフ。そうです。」
「気持ち悪いだろ?ごめんな。
本名はイシククル・ネツカイって言って正真正銘男なんだ。」
「……イシククル・ネツカイ?」
バングウェウルはその端正な顔を歪ませた。
「まさか。そんな、」
「知ってるのか?」
「知ってるっていうか、私の婚約者。」
……は?
「婚約者?」
「そうよ。ま、会ったことなかったけど……。
……っていうかあなた私の名前聞いて思い出さなかったの?」
「名前聞いてなかった……。」
バングウェウルは呆れたように腕を組んでため息をついた。
傍から見たら背の高い男がオカマみたいなことをしているようにしか見えない。
「まあそうよね。
私もたまたま知ったし……。
えー、でもこんな人が私の婚約者なの……。」
「あんた酷くないか?
オレのなにが不満なんだよ。こんなに可愛い女の子他にいないだ?」
「いきなり股間揉んでくるところ。
ってかあなた男でしょ?」
2人がギャアギャア口論している横で俺は考える。
この2人は婚約者で、同じ呪いをかけられている。
偶然ではない。きっと何かあるはずだ。
よし。
俺は拳を握る。
こいつらはなんとかなる。
「イシククル、女子寮に案内してくれ。」
「覗き?やだ、エッチ。」
「ヴェルタの所に行くんだよ!」
「あ、そういえばあの人どうして真っ白になったんだ?」
「……そういう呪いだ。」
イシククルは不思議そうにしていたが、バングウェウルに急かされて女子寮に案内してくれることとなった。