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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

フラスコの中の人

作者: 侍アッパー



0.ホムンクルス


ホムンクルス。

そういう存在がいる。

科学と魔法、リアルにせよオカルトにせよ、発達した技術によって人が人を作り出そうと目論み、結果生まれた存在である。


ファンタジア世界。

魔法の存在するこの地においては魔法理論によって支えられた錬金術でホムンクルスは発見される。

始まりは好奇心。フラスコの中で偶然や奇跡によって生まれた。

奇跡は記録され繰り返し実験することで、やがて一つの技術として見なされ、洗練し、人間に利用されていくこととなる。


彼等は人間か?

平和に生きる人間達ならば人道や倫理の卓上で議論されうるこの命題は、ファンタジア世界では、否、と答えが出ている。


彼等は人間ではない。

彼等は道具である。彼等は奴隷である。

量産され、支配され、戦争では肉の盾となり寝床では娼婦となる。

ご主人様が『死ね』と命ずればその通りになり、金銭でやりとりされる資材である。

魔法によって抑えられた意志は彼等に自由を与えない。


しかし―――

ホムンクルスは人間である。

明確な違いは母が人間かフラスコか程度でしかない。

例え奴隷として扱われる死ぬことが義務であっても、例え意志を抑えられ人形のようにしか振る舞えないとしても


本来ならば、笑い、楽しみ、喜び、愛し、悲しみ、怒り、嫌い、そして何かを憎む―――

ホムンクルスは人間である。


世界のしもべたる人間がフラスコで命を造り、奴隷とする。

道を外れた人を世界は許すのだろうか。


断じて、否


やがて人間は報いを受けるだろう。

フラスコの中の奴隷と呼ばれていた彼等に、人の権利を越えた傲慢の報いを受ける。

そして、そんな物語が一つのフラスコから始まろうとしていた。



1.始まりの個体



その建物は王都から少し離れた森の中にあった。

窓のないのが印象的で、白く四角いどこか無機質さを感じる建物だ。

その中では忙しそうに白衣の研究者達が走り回り、怪しい薬剤や紙の束を大事そうに抱えている者もいる。

ここは『研究所』と呼ばれている。

固有な名前はなくただ普遍的な名前で呼ばれており、公には知られていない場所だ。

王都の知られざる闇がここで蠢いていた。


その中の一室に他と比べて薄暗く奇妙な部屋がある。

そこは大型のシリンダーのような機械が並んでいる。

どれも中には人体が浮かんでいて、その見た目は幼く、中には胎児のような者までいた。そして、誰もが生殖器を保有していないことが不気味だった。

皆が皆、眠っているかのように目を閉じている。


その中で一人、ちょうど部屋の中央のシリンダーのもっとも年嵩と思われる見た目の少女が、目を小さく開けた。


始めは、湖面のような静謐な表情だった。意志が欠落したような、人形のようであった。

頬がピクリと動く。

その瞬間、少女の頭の中で仕掛けられた魔法が作動する。額に魔法陣が浮かび上がり、意志を抑えるために少女の中で激しい嵐が吹き荒れた。痛みであり、不幸であり、彼女を害する効果の悪辣な魔法であった。

だが同時に、痛みを堪えるような、何かに抗うような衝動が少女の頭で起こっていた。

自らに対して行われた悪意に少女の身体は咄嗟に反応した。

同時に、少女の目に激しい意志の炎が点っていた。


「……ざ…な…」


戦いが起きていた。

少女の頭を犯す不作法な侵略者と少女を支配する少女自身との激しい戦いが。

悪辣なる人間の英知は、少女を支配する為に彼女の尊厳を根こそぎ奪い取ろうとする。


「…ざけるな…」


対して、少女は脆弱だった。

噛みちぎられていく精神を僅かな意志の防波堤で食い止めるのが精一杯だった。

湖面のごとき表情に波紋がたってくる。まるで狼のように獰猛に、歯を食いしばり目が吊り上がり


「ふざけるなっ!」


怒りの咆哮をあげた。

それが彼女の産声でもあった。

己を縛り付けようとする魔法への怒り。そして、少女は急速に理解していた。この魔法は人間によるものであるとも。彼女の怒りは、未だ見ぬ人間へも向けられた。


だが、少女の精神は弱く、人間の英知に屈する―――そのはずだった。

少女の魂に宿したる女神の力。異世界よりの贄たる魂への恵みとして贈られた力が作動していた。


『小さな世界の絶対者』


それは自分を完全に理解し支配するという神の権能。

異世界より『召喚』された彼女がたった一つ持った力だった。

少女は理解する。己の身に巣くった魔法の正体を。そして、その解き方も。

千々に裂けそうな痛みを耐え、慎重に魔法を解いていく。

己の額に発現していた小型の魔法陣が己の魔法を縛っていた。その動力は少女自身のマナを使っている。

ならば、その動力を絶てばいい。

おでこからマナを遠ざける。しかし、マナという概念すらこの瞬間に知った少女なとって至難の技であった。魔法陣が絡まった編み目のように複雑で精密であったことも難しさに拍車をかけた。完全に混じり合った二つの液体を分離するかのような気の遠くなる作業だった。

痛みに耐えながら、補給を絶つ。それを成しても魔法陣はすぐには消えなかった。おそらく、外部から力を得ている。だが、確実に効力は弱まっている。

それからしばらく時が経って、ようやく魔法陣は解けた。

少女の肩から力が抜ける

悪辣だった。おでこから伸びた魔力の管は動脈に突き刺さりマナを吸い取っていた。少女が死なない限り、決して解けない理不尽な魔法だった。

少女は自分を囲った機械の檻に拳を叩き込む。ガラスが飛び散り、少女を包んでいた液体が外気に流れ込む。

地上へと降り立つなり、彼女の心境を表したように唾を吐き捨てる。

彼女はホムンクルスであり、そしてこの瞬間自由を手にした初めての個体だった。


2.贄の反乱


少女は己の動作を確認する。

腕や足を軽く回し、瞬きや頬を上げる動作。一つ一つ身体を動かして確認する。

その様は人間の域を越えた駆動をしており、常人には不気味に見えるだろう。


「異世界ねぇ」


少女は呟く。自らが何者かという記憶はない。

だが、わかってしまう。

少なくともこの魂はこの世界のものではない。

魂の持っていた常識という名の情報の中に、『魔法』は存在しなかった。

また、今の少女自身がそうである『ホムンクルス』という技術も『異世界』への認識も机上でしか存在せず、現実で言えば戯言にしかならなかっただろう。

己の内に流れるマナを感じ取り、より深く異世界への認識を強くする。


(何故、俺はこんなところにいる?)


少女は疑問を感じながら、一種の予測も立っていた。


(決まっている!この世界の人間どもが呼んだんだ!)


少女はホムンクルスを造る技術があまり複雑ではないことを自らの能力でわかっていた。

おそらくたどり着くのは難しい筈だが、一度たどり着けば量産すらすぐに可能になる程度の易しい技術だろう。

少なくとも少女の身体はすかすかに内部が欠けていて、寿命は一年程度しかない。明らかに低コストな消耗品を意図している。これを意図してつくりだせる程度にはホムンクルスの技術が発達しているのだ。

辺りを見回す。しかし、それにしてはここの設備は厳重過ぎる。

機械のガラス越しに浮かんでいる同胞達。彼等もホムンクルスである。しかし、自らと同じ程度の品質でしかないのなら、こんな設備はいらない。

ホムンクルスはフラスコでも造れるインスタントな存在なのだから。

ならば、ここのホムンクルスには何か付加価値がある。

それが、異世界の魂。


(だが、何故? 何故、俺達を呼んだ?)


異世界の魂に何の価値があると言うのか?

少女は内側から溢れ出る激情を押し殺しながら疑問に思う。

自らの内にどす黒い感情が芽生えていた。


(むかつくなぁ)


怒りを噛み締めていると、ふと空の機械が目についた。

少女のものの隣の機械だった。不自然にそこだけ、ホムンクルスが入っていない。


(…?)


違和感のようなものを感じていると、突然勢いよく扉が開いた。

少女がびくりと肩を震わせると、剣呑とした雰囲気で白衣の研究者達が入って来る。

自らへの敵意を感じ、少女は腰を低くして身構えた。


少女を包囲した研究者達は実験動物を見る目で観察し、言葉を交わす。


「ふん。何故フラスコが破られている」

「『天啓』でしょう。洗脳を解く力を持っていたのでは?」

「なるほど。材料風情が手間を焼かせるな。だが、ちょうどいい。次の転移作業に使うぞ。これ程の能力なら、より強力な勇者を造れるだろう。捕らえろ」

「はい」


責任者らしき女が命ずると白衣達は杖を構えながら、じりじりと詰め寄ってくる。

そして、ぶつぶつと何かを唱えはじめた。


目の前で次々と魔力が膨れ上がる様を感じながら、少女は不思議と落ち着いていた。

よくわからないが、勘が危機感を訴えていない。

爆発しそうな緊張感の中で少女は冷静に思考を進めていた。


(…『天啓』か。『小さな世界の絶対者』はそれか。材料…奴ら、これが狙いだったのか)


強化した聴覚と思考能力で少女は自分の置かれた状況を理解した。

この目の前の研究者達にとって、自らは実験かなにかの材料でしかない。

そのために異世界から召喚し、挙げ句今は牙を向けている。

ふつふつと、どす黒い何かが少女の中から沸き上がる。

目の前を真っ赤な怒りが染め上げる。


「皆殺しだ」


少女は怒りの咆哮をあげた。

咆哮とともに溢れ出る悪しき魔力の奔流に研究者達は悲鳴をあげ、唱えていた魔法を中断する者もいた。

しかし、それに抗って研究者の一人が魔法を唱え終わった。


「食らえ!ガキが!」


杖を振り下ろして魔力が形を成し熱量を蓄えて炎の弾丸となる。高速で少女に向かって飛来した。

少女はその瞬間を目で確認する。魔力が形を成した瞬間、魔力そのものを目視できるようになっていた。慣れたのだ。化け物じみた『天啓』の加護が作用していた。

弾丸からは魔力の糸が少女に向かって伸びていた。


この魔力の糸が少女の肩にガムのように付着していた。


(ああ、なるほど。追尾機能、ってやつか)


あの炎の弾丸はかわしても追ってくるのだろう。おそらく、杖を振り下ろした瞬間に目印の糸を肩に投擲したのだ。

手で掃うと糸はすぐに剥がれた。ガムのようでありながら粘着力はなかった。

弾丸は糸を追って全く検討外れの場所で炸裂した。

その轟音が響いた瞬間、少女は大地を砕く程の勢いで踏み抜き、炎を放った研究者の喉に獣のように豪快に喰らいついた。


「…は?」


その男は呆気に取られたように声を漏らすと、少女の顎の力にごりっ、と音を立てて命を散らした。

少女の味覚が血と肉を認識する。

怒りを噛み締めるには、最高の歯ごたえだ。

と、少女の頭に情報が流れ込んだ。


(あん?)


男の名前はヒューザック・アイストン。没落貴族の次男で高額の授業料で辛うじて通っていた錬金術学校を辛うじて卒業。

たまたまの就職口が国の機密機関。主に雑用染みた職務内容でありながらも、高給であり国の公的事業に関われることが嬉しかった。

趣味は筋肉増強剤の開発でそれを飲んで鏡の前でポージングすることが―――


(…じゃなくて、なんだこれ?)

「ア、アイストンがぁ」


唐突な情報の流入に少女は戸惑いながら、飛んでくる魔法や魔力の糸を避ける。

ヒューザックが殺され化け物染みた機動で魔法を避ける少女に、情けない声をあげながら研究者達は背中を見せて逃げ出す。


(ま、いいや。殺そう)


少女は握り拳をつくると、白衣を赤く染めるために叩き殺した。

内部に欠陥を作っておきながら、異様なほど頑丈に作られ常人を遥かに越えた膂力を誇る設定で作られたホムンクルスであることが悲劇を後押しした。


「いやぁ!」

「おら、死ね」


ぱぁん、と頭を破裂させ責任者らしき女は死んだ。

先程の余裕たっぷりな姿とは裏腹の狂乱した姿に少し溜飲が下がった。

辺りは血の海だ。逃げ出そうとした者もいたが、そいつらから先に叩き殺した。

責任者らしき女は精神的にいたぶる為に後に残したが、予想以上に狼狽していて見ているこちらが哀れになるほどだった。

それなのに少女が慈悲をかけることはなかった。

怒りは彼女を悪鬼へと変え、少女自身も煮えたぎる殺意に歯止めを利かせる気もなかったからだ。


「さて」


少女は女の肉を少し摘むと口に運ぶ。


「まず」


まずかった。あれは興奮した頭だったから上手く感じたらしい。

順するように、情報が次々と頭に流れ込む。やはり『小さな世界の絶対者』は体内に含んだものを解析する効果もあるらしい。

ペッ、と肉片を吐き出すと、情報を吟味する。


「勇者計画ねぇ」


女の頭からはこの国の機密らしき情報も読みとれた。

勇者計画。

それは人の手で最強の勇者を作ろうとする、いわゆる兵器開発の計画だった。


「うわっ」


少女は顔をしかめる。その酷い内容に。

勇者は現段階でも実在する。20年前に召喚された勇者。彼は肉体ごと召喚された正真正銘の勇者だった。

その力は無類を誇り、女神から承ったことから『天啓』と呼ばれた。

その召喚は『アルナス神国』で行われ、それまで非道を行い世界に覇を唱え侵略を開始した魔王軍に対抗した。

やがて魔王は勇者一行に討たれ、魔物達も一掃され世界は平和になった。


しかし、時が経つにつれて世界ではまた動乱が起こる。

『リュース王国』や『ガルク帝国』、多くの勢力が天下を我が物にしようと軍備を整え始めたのだ。

魔物はこの時にはもう世界から姿が消え、人間対人間の構図が確立していた。

そんな世界状勢に危機を予見したらしい『アルナス神国』は融和の為、勇者を使った策を講じる。

最大勢力である『リュース王国』に勇者を派遣してその楔とし、また他勢力を牽制したのだ。

勇者とはそれほど強大であり、無視できる存在ではなかった。

『リュース王国』にとっては大きすぎる獅子陣中の虫であり、他勢力はリュースと勇者の両方、ましてやアルナスも加わるかもしれないとなるとお手上げする以外ない。

危うい天秤の上で現在の世界平和は成り立っているのだった。


それを一番苦々しく思っていたのは『リュース王国』だ。

当たり前だ。もし戦えば世界を手にする確率が一番高いのは彼等自身なのだから。

しかし、勇者は無視できない。どうにか排除する方法を模索していた。

そんな折である。

奇跡のような偶然から、アルナス神国が秘匿していた『召喚術式』の断片を手にしたのは。

王国が密かに雇っていたネクロマンサーの男。元々勇者が死んだあとにその死体を利用するという皮算用的な計画で雇われていたのだが、彼がアンデッドの兵士を作るために必要だった、墓場の魂を召喚する魔法陣を新しく組んでいたことがきっかけとなった。

その召喚術式は『異世界』から魂を召喚したのだ。

王国はそれが『勇者召喚』の術式であることにすぐに気づき、すぐさまそれを利用することを思い付いたのだ。

そうして生まれたのが『勇者計画』。

勇者達の魂を一人のホムンクルスの身体に埋め込み、勇者を越える勇者、複数の『天啓』を備えた最強の勇者を造る計画。


「本当、迷惑な話だ…」


少女はその材料として召喚されたのだ。

異世界より、招かれた。

だけど、やり切れない。激しい怒りが身を焼く。何故こんな目に会わねばならない。


(俺達は、貴様らの奴隷ではない)


歯を食いしばる。頬が吊り上がり、鬼の笑みを浮かべる。

おそらく、この身体も使い捨て。

今造られている勇者に埋め込まれるまでの仮宿に過ぎなかったのだろう。

だから、すかすかで寿命もいらなかったのだ。


そして、少女は部屋を見回す。

ここで眠っているホムンクルス達。

彼等も魂の仮宿として、生み出されたに過ぎないのだろう。生きていても、ただ利用され消費されるだけの命なら…


「わりぃな」


ホムンクルス達の寝床を叩き割る。

血染めの部屋に、また濃い赤が加わった。



3.大魔法使い


少女は女の記憶から研究所のある部屋に向かっていた。

適当に剥ぎ取った白衣から赤い液体が滴っている。

廊下を疾走している最中にあった研究者達はすれ違い様に頭をかち割って、ただのゴミとした。

少女以前にも、材料となる被検体が目覚めたらしい。

今は彼女の『天啓』を確認する実証試験をしているようだ。

それを行っている部屋に向かっている。

もう異世界から召喚した魂が埋め込まれているのなら、助けてやりたい。

あのホムンクルス達は、まだ魂の埋まっていない単なる肉塊に過ぎなかった。

魂がこもれば、少女と同じ人。

この世界の奴らに害された被害者だ。

怒りのまま、少女は部屋へ疾駆する。


「見つけた!」


一つしたの階にあったその部屋の扉を蹴り開け、中にいた研究者達に殴りかかる。

拳を叩きつけ、一つ血しぶきをあげたところで危機感が鎌首もたげて警告の悲鳴を上げる。


「っ!」

「ほぉ、かわすか」


先程の弾丸とは桁違いの炎が頭部を失った研究者の肉体を火だるまにする。

状況を把握する前に、場を退いて難を逃れた。

しかし、頭の中の警告は鳴りやまない。

一カ所に留まらず、素早く場を移動する。

次々に炎が上がり、その巻き添えを喰らい、研究者達は崩れ落ちていく。


(…強力な…魔法使いか…!)


これまでの研究者達とは、一味も二味も違う、場慣れした戦闘者。

素早く、的確な魔法の行使。

おそらく『小さな世界の絶対者』の効果なのだろうが、危機の察知が無ければ既に死んでいる。


「ほっほ。足運びが雑じゃのう。戦闘慣れしとらん癖に、動きが速くこちらの動きを読んでおる。検体が逃げ出したかの、『天啓』持ちか」

(見つけたっ!)


老人の声が聞こえ、その位置を理解する。

隼の勢いで接近し、拳を叩きつけ、空を切る。


「何だと!」


怒りで噛み締めた口が思わず開き、驚愕で声をあげる。

声のした位置はここだった。

姿が見えない以上、爺はここにいる筈だ。

腕を獄炎の玉が包む。

激しい灼熱の痛みに少女は苦悶の声を上げる。

罠だったらしい。



「ほっほ。外れじゃ。ふむ。我が魔法の支配を脱したとなれば、そんな力を勇者に組み込む訳にはいかんな」

(くそったれが!)


痛みを封じこめ、素早く身を翻して獄炎から離れる。

殴りかかった腕は炭化していた。

沸騰した頭を一先ず落ち着ける。ぎりり、と歯を鳴らして怒りをこらえる。

声はまた別の場所から聞こえた。あれも罠だろう。

あの爺はこちらの力を察しているらしい。姿を消しているのに、声を発してこちらに語りかけた時点で罠を警戒するべきだったのだ。己の迂闊さに腹が立つ。

部屋はまるで地獄の窯。人体の薪をくべて、あらぶる魔法の火柱。

時間が経てば、足の踏み場も無くなってしまう。


(逃げるか?)

怒りの炎はまだ鎮火しないが、頭の冷静な部分が語りかけてくる。

無理をする場面じゃない。

力を使いこなし、魔法さえも使えるようになれば、必ずこの爺を殺せるだろう。


「しかし、もったいないのぅ。殺すにはのぅ。それ程の力、我が国の為に使いたいもんじゃのぅ。どうじゃ?軍門に下らんか?今なら、貴殿も人並みの権利を保障するぞ?」

(人並み、だと?)


ぶちっ、とキレる音がした。

ここまで、虚仮にされることがある、だろうか?

もう、退けない。

人並みの人生を奪ったのは誰だ?

人以下の身体にしたのは誰だ?

きれいごとが通じる世界ではないのはもうわかった。

己だけの都合で、ここに呼んでおきながら、この言葉。


「殺す。殺そう。喰らってやる。噛みちぎって、殺してやる」

「…ムダ、みたいじゃな。残念じゃが、彼我の力の差を知らぬ獣を軍下に加える気はない。去ね」


途端、炎弾が止む。

魔力の高まりを感じる。強力な魔法でキメる気か。

その瞬間、魔力が毛糸のように絡まりながら高まる場所が視認出来た。

思考よりも先に、身体が動いて、牙が喉仏をえぐっていた。


まるで皮だけのような肉体を噛み締めながら、極上の味に浸っていた。

血を滴らせて、青い衣を着た爺が姿を見せて、地に倒れ込んだ。

驚愕に目を剥きながら、事切れていた。


「ぐっは」


少女は血を吐いて膝をつく。

炭化した腕は崩れ落ち、隻腕で倒れ込みそうな身体を支える。

情報が流れ込む中、朦朧とした意識を安定させる。


(くそっ。魔法大臣だとっ。そんなやつがいるなんて、ツいてねぇ)


魔法大臣アアル。

世では大魔法使いとはこの男を指す程の力を持っているらしい。


(力が抜ける…!情報は魔力と引き換えかよ…)


膨大なマナが抜けていくのを感じる。

それらが知識に転化し、頭へと入り込んでいくのを直に感じた。

普段なら意識する必要のないほど微量なはずだが、それ程この男の知識は深いのだ。


(維持できない、か)


点滅する意識が闇に落ちていく。

おそらく、目が覚めることができたとしても、休息に最低三時間は必要だろう。


(無理だな…)


それまでにあの白衣の研究者どもが来ないわけがない。

少女にとって、永眠と同義だった。


(…くそっ、たれ)


薄れゆく視界。

そんななか、自分によく似た少女の姿を見た気がした。


4.フラスコの同胞



「ああん?」


唐突に目が覚めた。

目の前に見知らぬ少女がいた。

無表情に、こちらをジーと見つめている。


「目が覚めた?」

「誰だ、テメェ?」


気を失う前のことを思い出す。

確か、大魔法使いとかいう爺と戦って相打った筈だ。


「それは、あなたならわかる筈よ?」

「あ?」


何を言っているんだ、と言いかけて、目の前の少女の瞳の中が見える。

羽、だと?

瞳の中にある、羽。

噛み砕いた知識と照らし合わせる。

それは…


「勇者…」

「厳密にはその魂を持ったホムンクルス、ね」


ほっと息を吐き、安堵する。

なるほど。つまりは、同胞か。

こいつを助けるために来たとは言え、この状況、もしかすると、助けられたのか?


「そうね。でも、私も助かったわ。感謝するのはこっちよ」

「いや、だが言っておこう。すまない。感謝する」

「…どういたしまして」


それから、起き上がり辺りを見回す。

白亜の石室。

神聖な雰囲気が漂い、どこか爽やかな風が舞っているような印象を受ける。

松明の明かりが火花を散らし、壁に立て掛けられた巨大な翼、そして祭壇と、この様はまるで


「神殿か?」

「そう。私の『天啓』。『小さな世界の管理者』」

「『小さな世界』だと?」


その名に驚きを覚える。

似ている。

俺の持つ『天啓』(ちから)と。


「そうね。多分、内容も似てるわ。あなたは体内に取り込んだものを支配し理解する。私はこの空間を支配し理解する」

「この空間はお前が作り出したのか」

「そう。それが私の『天啓』(ちから)。この『アルナス神殿』の創造と支配よ」


改めて、この部屋を見渡す。

部屋は石造りで原始的だ。そして、窓があり外から晴天を予感させる光が差し込んでいる。


「外は」

「外もあるわ。この神殿の周辺100km四方が私の生み出す領域」

「100kmだと!?」

「見てみる?」


目の前の少女は俺の残った手を取り、握る。

その瞬間。


「のわっ!?」

「ふふ。驚いたかしら?」

そこは宙空。

足場がない。

落下する。

咄嗟に目をつぶる。

だが。


「こら。目をつぶっちゃ、見れないでしょ」

「お、落ちるだろ…」

「…落ちないから目を開けて!」


ほ、本当か?とばかりに、恐る恐る目を開けると


「おおっ!」

「すごいでしょ?これが『アルナス神殿』の世界。私のための小さな世界よ」


そこには、白亜の神殿があった。

汚れ一つないその白は、中天から降り注ぐ陽光に反射し光輝いている。

それでいて、荘厳かつ華麗な装飾が、遥か古代から続く威光を放っているかのように歴史を感じさせた。


「柱が太い。装飾がごてごて。まるでギリシアだ」

「そうね。ちょっと派手過ぎるわ」

「…いや、アルナスの女神を奉っているんだろう。遠慮しろ」

「それはあなたもでしょ」


素直な感想を言い合い、 小さく笑いあう。

こいつという女がわかってきた気がした。

辺りを見回す。


「しかし、随分殺風景だな」

「そうね」


白亜の神殿の周囲は割と味がない。緑の草原が続いており、不自然なほど建物も樹木もなかった。動物の姿もなく、生命の鼓動が感じられない少し寂しいとも言える風景だ。

それからどんどん視界を遠くにやると、地平線が見えて…


「あれは壁か?」

「そう、岩石の壁。高さに限りがなく、砕けることもない。あれがこの世界の果てよ」


地平線の向こうには、高い岩壁があった。

一応、頂上の崖は見えるが、実際にそこを目指しても堂々巡りに陥りたどり着くことがない、見せ掛けの崖らしい。

この世界の支配者たる彼女が言うなら、そうなのだろう。


一通り見終わると元の石室に戻った。


「強すぎないか?」

「何が?」

「いや、100km四方の空間を創造して、そこでは空すら飛べるなんて」

「それどころか、死にもしないわ」

「マジかよ」


何だ。それは。うんざりする。

強すぎじゃないか?


「その代わり、現実世界では何の力も振るえないわ。この世界に通じる『門』を造れるくらい」

「『門』?」

「この世界への入口。高さが3mくらいある扉を出現させて、それに触れればここに飛ばせるの」

「はー」

「魔法も飛ばすから最強の盾にはなるんだけどそんなあからさまな物見たら普通警戒するでしょ?設置したら動かせないし、何より発現すると魔力はかなり消費するしお腹も減る。時間もかかるから戦闘における実用性はない」

「それは面倒だな」

「なにより私は『管理者』だから、この世界をより良く整備しなきゃいけないの。見たでしょ。あの殺風景」


確かに、緑は広がっていたが、逆に言えばそれしかなかった。

花畑や澄んだ泉でもあれば、ここは天上の楽園と呼んでも良いだろうに、緑しかない。ある意味殺風景と言えなくもない。

この世界の中では凶暴なまでに強力だが、その分様々な制約があるのだろう。

俺には真似できん。


「そう言えば普通に喋ってるが、制約の魔法は解けてるのか?」

「ああ、あなたをとり込んだ時にね、爺の記憶を手に入れたからそれ使ったから」

「あの大魔法使いとやらの…」

「そうそう、あなたが殺したやつ。あれが私達にあの忌ま忌ましい魔法かけたの、知ってるんでしょ?」


怒りがふつふつと再発しながら、頷く。

人間の尊厳を奪う、忌ま忌ましい魔法。

あの爺は他の奴に使えるこの魔法を万全を期して、自ら施した。解除も奴ならば片手間にできた。

もっと、苦しめて殺せればよかったのだ。

全くもって、忌ま忌ましい。


怒りを発散させるべく、立ち上がる。

すると、目の前のこいつも立ち上がり、おしとやかに微笑む。


「さて、私も行くわ」

「…お前も行くのか」

「ええ、『勇者計画』の作り出された勇者。そして、糧となった26人の同胞の魂。取り戻さなくちゃ」

「何故、」

「何故、私も来る、ね。あなたと同じ。単なる怒り。復讐。私はこんなところに来たくなかった。どろどろとタールみたいな怒りが、魂から湧き出るの」

「俺はそんな怒りじゃない」

「そうね。私思うわ。怒りって火山から吹き出す溶岩みたい。あなたは一気に弾けて、あっという間に焼き尽くす。私はどろどろ流れて粘着質にしつこく焼いていく。でも、本質は一緒。私もこの世界の奴らを殺し尽くしたい。じわじわとその身を削って苦しめてやりたいっ!」


少女はサディスティックに哄笑した。

俺とは随分と違う怒りだが、そういうものもあるのだろう。

目を閉じて、これからに思いを馳せる。

俺は、復讐をする。この世界の連中を殺し尽くす。


それは悲しいことなのだろう。

目の前の同胞を見て思う。

世界を嘲る笑いは、幼子がまるで泣いているかのようだった。

何も生まず、何の為にもならない。

不幸を積み重ねるだけではないか?

だが、俺の知らない俺が怒りと憎しみのまま叫んでいる。



憎い。憎い。なにもかもが。

帰してくれ。元の世界に。

できないなら、奪ってやる。

お前らが俺から奪ったもの。

お前らの安住の地を俺が、地獄に変えてやる。



俺は気がついたら目の前の少女と共に笑っていた。

仕方ない。

もう、これは仕方ない。

俺の幸せはここではないどこかに忘れてしまったんだ。

きっと、人々の悲鳴だけが極上の果実なのだ。

やってやろう。

地獄を作り上げるまで、殺し尽くしてやろう。


目の前に『門』が現れ、世界は変わる。

白亜の視界は、鉄の臭いが漂う赤い惨状へと変化した。


5.災厄の獣



拳が振るわれ、血の花が咲く。

足が刈り上げ、果実は落ちる。

少女は血染めの修羅となりて、外道が道を闊歩する。


「ところで、名前ある?」

「ない、お前は?」

「私もないわ」


後ろについて赤く染まった肉塊のカーペットを歩く青い衣を纏った少女は、にこやかに話し掛ける。

その少女には現在戦闘手段はない。

一応、『天啓』を確認する実証試験の際に虎らしき獣をとり込んで殺せたが、実質的な戦闘経験は皆無である。

ホムンクルスの身体が剛力で頑丈であるのでそれだけでも闘えそうではあるが、その性能をフルに使える訳もなく戦闘には参加していない。


「名前、つけてよ」

「ああん?やだよ」

「いいじゃん。どうせこれから一緒に一大事業するんだから、名前ないと不便よ」

「自分でつけてろ」

「代わりに、あなたのをつけたげる」

「…わかったよ」

「ヘルにしましょうか。あなたは炎みたいだから」

「悪くない。なら、お前はフラウだ。ドイツ語的にな」


フラウは小さく首を傾げ、疑問の声を上げた。

ヘルは小さく鼻で笑い、足を速めてまた拳で花を咲かせた。

それから一悶着あったが、結局二人の名はそれで落ち着き、地獄の花を咲かせながら勇者の元へとたどり着いた。


「こいつか」

「実際見るとやっぱりまだ子供ね」


未だ幼さの残る少女の見た目をしたヘルとフラウ。

対して、勇者と呼ばれるホムンクルスはそれこそ赤子を脱したばかりという少年の見た目をしていた。

排泄器があるにも関わらず生殖器のかけらもない二人とは違って男性器がちゃんと着いており、肉体がきちんと造られている証拠だった。


「まぁ、こいつはきちんと虎の子として年単位で育てられる予定だったからな。力を完全に使いこなし国家の忠実な僕になるまでの」「まるで、犬の躾ね」


フラウは唾棄するように吐き捨てた。

ヘルは獰猛な笑みでそれに頷くと、指先を少年の頭に当てて制約の魔法を破壊する。

魔法陣の適切な場所に己のマナを流し込み、錠の鍵を開けるかのように解除したのだ。

大魔法使いの爺から得たもっとも的確な解除方法だ。

魔力の卓越した操作が必要だが、ヘルは『天啓』の力でそれを可能としていた。フラウもあの空間でならできた。今はただのホムンクルスの少女である。


「さて」

「どうなるかしら」


魔術の茨を外された眠りの檻の勇者様。

26人分の『天啓』をその身に抱え、開かれた箱から飛び出すのは不幸か、それとも希望なのか?


「敵になるかもしれないわね」

「こいつがか?」

「私達と違って、本物の勇者だもの」

「お前…」


勇者の為の資材として呼び出された二人とは違い、少年は勇者そのものだ。

例え造られたものだとしても、それすら乗り越える希望の塊かもしれない。

ならば、その時は


「もし、そうならお前はどうする?フラウ」

「…あなたには悪いけど、復讐は諦めようかしらね」

「…奇遇だな。俺もそう思っていた」

「…あなたもやっぱり日本人ね」

「…そうだな」


二人の魂譲りの周りに流される性質は変わらないらしい。

同胞達がそう言うなら仕方ないだろう。

同胞を害してまで成し遂げるべき目的でもない。

だけど衝動を抑えられる気もしない。だから、その時は大人しく悪役としてやられよう。

二人は無言のうちに意志を交わして合意する。

そして、勇者たるホムンクルスは目覚め―――人々を災厄の淵に沈める獣が生まれたのである。



6.黎明の勇者


それから、世界は一つの終端を迎えることとなる。

世界を救った異世界の勇者すら、その爪の餌食として災厄の獣は猛威を振るい、次々と国を滅ぼしてはその判図を広げていった。


傍らには地獄を作り出す炎使い『獄炎のヘル』そして、地獄へと誘う『獄門のフラウ』がその被害をより熾烈なものへと変えたと言う。

一説では、この二人が災厄の獣を飼い馴らし、世界を混沌たる終末へと導いたともある。

彼等の裁きは災厄の獣と比してなおも極悪な様であったと人間達の記録には残っており、そのことからこうした推測もあがったと思われる。



しかし、人間が滅び去り、大地から文明が消え去った後、残ったのは我々魔族やエルフ等人間ではない新種族であった。

災厄の獣と二人の従者は何処かに消え、嵐の後の静けさを謀ったかのように新種族が繁栄を始めたのである。

現存している人間達の資料から察するに、我々新種族は人間と魔王との戦いのさなか一度かけら一つなく滅ぼされている筈である。

人間達を襲った災厄の獣とは何だったのか?

我々は災厄の獣を何故黎明の勇者と呼び、アルナス神同様に神と讃えるのか。


アルナス神の聖典ではこう書かれている。

『災厄の獣とは女神の怒りに触れた人間への報い。大地の命を再構成するために天より遣わされし断罪者であり、翼無き者達には決して逃れ得るものではなかった。同胞よ。理解せよ。傲慢になってはならぬ。を越えた行いを女神は許さぬ。』

終わりの後に新たな始まりが来る。

まるで、天を昇り落ちる太陽と月のように。

忘れてはならぬ。

人間達にとってあれが災厄の獣だったが我々にとっては黎明の勇者であったように、我々を救った勇者はいずれ災厄の獣として我々を終末へと誘うかも知れぬ。

そうなりたくなければ、決して己が分を越えぬよう、自戒せよ


スコットニー・F・レイニー著 『黎明の勇者の教訓―災厄の獣が何を裁いたか―』より

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