ぼちぼち
「あ、緊張しなくていいですよ。肩の力を抜いて、まるでこの世界のスライムになったようにしてください」
両の手のひらを空に向けつつ上っ面は笑顔だが、どことなく俺達を軽蔑している視線になっており、殺気すら漂わせている。
「ど、どちら様ですか?」
え、どうして初対面の一見誠実そうで、よくよく見ると危ない人なのに、すぐ話しかけられるの?
「おや、そちらのお嬢さんは……誰ですか?すみません。指定されたクラスメイトの名前と顔なんて覚える気ゼロなんです。……でも、その少年は嫌でも顔を覚えてるんですよ。だって王様が気に入った人なんですから。王様って内気で対人恐怖症で閉所恐怖症、高所恐怖症などなど色々な病気にかかっています。あ、言っときますけど私は王様の護衛であり、人間ではなくそちらで云う怪物です。まぁそこは置いといて、そんな王様があなたを気に入って特別とした。それが気にくわないんですよ」
踏み出した彼の一歩はあまりにも大きくて――いや早すぎたのか?――一つのまばたきが終わると、息がかかるほど近くにいた。
「あなたが何故特別視されたのかを調べておきたいです。まずは第一課題、力のテストを行います」
彼はスナップ音を一つ響かせると、空高くからビル一つを崩壊させる爆弾のような羽音を鳴らしながら、龍が現れた。
いつも画面越しに見ていたその龍に見覚えがあった。
「これはこの世界の中で最強と云われる種族である龍族の長です。わたしの逆恨み、嫉妬のようなものです。それでは、健闘を祈ります」
彼はすでに霧のように消えていた。
へ?最強のモンスター……おかしいだろ。ふざけるな。俺はこの世界で少し勇者気分を味わいながらのらりくらり生活して、他のクラスメイトに最終目標を達成してもらう、という他力本願作戦だったのに。
「と、とりあえず逃げよ!」
ぼーっとしていた俺の手を握り、引っ張られる形で走りだし……手を握られているだと。
「ちょっ、あの、あのー。いきなり手を握るのはいささか大胆なのではないかと……」
「今の状況分かってそんな口を叩いてるの!?」
「は、はい、すみません。そうですよね。わかってます。あなたが俺に対してそんな淫らなことを考えるはずかないよね」
「えーと、周りを見て、まじで言ってる?」
「まじまじ、おおまじです。あなたは周りから見ればとっても可愛らしいですし、清潔感があるのに俺なんかと釣り合うはずがないことをまじで言ってます」
「その台詞はこの状況ではなく、落ち着いてるときに聞きたかったな……じゃなくて!」
低空飛行で襲ってくる龍の爪が俺の背中にかする。手を引っ張る力が増して、彼女の顔が近づく、そしてそのまま抱きつかれた。はずもなく、おでこにチョップをかまされた。
「混乱せずに、冷静に、この状況をどうすればいいか考えて!」
チョップの痛みと声に正常の理性が戻り、視界が開けた。
「スキルとジョブを教えて!」
まずは作戦をたてるために情報を得なければいけない。
「スキルは加護の盾で……ジョブというか職業はナイトだよ!」
ナイトは普通に考えれば、防御力が高い職業だろう。スキルだって防御系だろうし。俺のスキルは補助系だから……。無難な作戦だと防御一択で助けが来ることを待つしかないな。
「戦闘体勢!龍と対峙する!」
「え、戦うの。死なないよね!?」
「分からないけど、この状況ではこうするしかない」
「信じるよ!『オープン』」
『オープン』は説明書に書いてあったもので、そのワードを意識して唱えることによって発動し、自分のジョブの武器を手元に呼び出すことができる。
「自信ないけど……やれるとこまで頑張る。『オープン』」
彼女は片足を地面に擦らせながら体を捻り、ブレーキをかける。体全体を覆えそうな純白の盾に、二メートルはある純白のシンプルスピアを構えた。
「俺は後ろから援護するジョブだから、攻撃を受け止めてちょうだい!」
「それって、男性が女性に対して発する言葉じゃないでしょ」
苦笑いする彼女を一目見て、走り出す。
走りながらさっき取り出した笛を口に当てる。走ってきたので息切れはするが、吹くのには支障がない。
ん……なにかを忘れているような……。
「笛の楽譜もってねぇ!」
説明書には笛の使い方は上げたいパラメーターによって曲が変わるので、楽譜を見ながら吹くのが一般的なそうだ。そして、その楽譜は戦闘経験を増やすたびに、モンスターがドロップする確率が上がるらしい。
「戦闘は中止です!逃げましょう!」
振り向いてこの言葉を発していた時にはすでに、龍の大きく鋭い爪が盾を粉砕しているところだった。
俺が後悔する前に『その人』は現れた。盾と彼女の狭い間に手を入れて、龍の爪を握りながら片手で止めている。
手首をひねり龍の爪を捻切ると、龍の腕に乗り肩の元へと黒いローブを揺らしながら走り出す。龍がもう一本の手で押し潰そうとするが、それすらも片手で弾き返す。ふわりと跳び、龍の鼻先に立ち手をかざす。
その瞬間直径三メートルはある水色の魔方陣が展開された。
「『つらら』」
龍の顔面、脊椎を通して深々と鋭い氷で作られたばかでかいつららが刺さっていた。
黒いローブは地面に着地すると、俺たちに一瞥してからすぐに消えてしまった。
確かに見えた顔は、クラスでぼっちグループと呼んでいた二人の内の一人だった。